第2話 おはようございます。
まどろみの中、ほほをつつかれる感触がある。
誰だか知らないがまだ寝かせてくれ。
確かに今日は河田とのミーティングがあって一通りの業務引継ぎを行った後、互いの戦果について熱く語るデッド・デイなのだが、朝からハイテンションにガメつくなんてできない。
しばらくして全身を揺すられる。
おうおうゆっくりさせてくれ。
俺は夜型なんだってわかってるだろこの……
あ、そもそも今の俺は一人暮らし。部屋に誰かいる状況というのはどういうことだ?
ゆっくり瞼を開いていく。
部屋の明かりで白飛びした世界に慣れてくるにつれ、側にいたシルエットが浮き彫りになっていく。
小さな女の子がいた。
え、誰だ?
「あっ! おじさん起きたー!」
小学生程だろうか、少女だ。かわいい顔立ちをしている。
これがまだ社会の闇に呑まれる以前の純白な笑顔か。
やばい、これは、かわいい。
癒される。
少女はこちらが起きたのを確認した後も両手で腕をつかんで持ち上げては下げてを繰り返している。
部屋で少女とふたりきりなのだろうか。思考にはまだバイアスがかかっているが、とりあえず少女の頭をなでてあげる。心地よいのか笑顔が返ってくる。これは、天使の笑みってやつか?
「ママー! おじさん起きたよー!」
少女は声をあげながら跳ねるように部屋を飛び出していった。
俺は軟体動物もかくやと思わせんばかりに脱力して天井を眺める。
軽い頭痛がする。なんとなく胸あたりも痛い。
なんだ、会社に行きたくない病か?
うつ病か?
それともどこぞのエンジェルに射貫かれたか?
けだるい感覚を引きずったまま横になっていたベッドから立ち上がる。
だるさが尾を引いているが、動けないことはなかった。
目をこすりながら部屋を見渡すが、やはり俺の知らない所だ。
一体どうして俺はここにいるんだ?
そういえば寝起きだから当然だが、いつもはかけているメガネを今はつけていない。
ベッドの方を確認したところ枕元に置いてあったのだがピントが容易に合うことに気づいた。
試しにメガネをかけるが、やはり度があっていなかった。
よくわからないが突然に視力が上がったようで、とりあえずメガネをかけるのを止める。
何かが起きたのだろうが、まだ思考がクリアにはならない。
これからどうするか、とりあえず出社か?
恰好はスーツではなさそうだが、そう思考を巡らせている間に、部屋の隅と目が合った。
「はあっ!?」
そして俺は驚愕した。
部屋に設置されていた姿見に移されていた容姿は、どう見てもおっさんだった。
……ちょっと待て、これ、鏡だよな?
おれ、まだ20代だぞ?
一気に老けてんじゃねえか!?
思わずほほをつねり以前はなかった無精ひげを指でなぞる。
するとやはり鏡の人物も同じ動きをしている。
なんてこった。俺は一体どうなっちまったんだ?
「あら、おはようございます。体調はよろしいですか?」
女性がドア前に立っていた。
「あははーおじさん起きてるー! あそんでー!」
少女が部屋を駆け回って、仕舞いには俺の足にしがみついた。
勢いがあってオレは少しふらつく。元気がいいな。
「こらっ、騒がないの。おじさんが困っちゃうでしょ。こっちおいで。……ごめんなさいね」
確かに頭痛は相変わらずだが、少女の天真爛漫な笑顔を見てると悪い気はしない。
「あなた、村の前の草原に倒れていたようよ? たまたまうちの旦那さんが見つけて運んできたから助かったものの、そのままだったらモンスターに襲われて絶対危なかったですね」
草原に倒れていた? はて、そうだったか?
眠りにつく直前の記憶が未だ思い出せずにはっきりしない。
「た、助けられたようで、感謝、いたします」
久々にしゃべったようで言葉がつかえてしまった。
感謝いたしますってなんか堅っ苦しくないか俺。
おそらく心身に思った以上に余裕が無いため、半仕事モードのような応対になっているのかと。
そもそも、そんなに人と仲良くできる人種じゃないしな。しょうがない。
「村の外から来たんですか? お名前を教えていただけますか?」
「名前、名前は……」
思考の海に溺れる。
えっ、自分の名前が思い出せないくらい重症なの?
んなことあるか?
いやいや、いつも誰かに呼ばれてる名前だぞ。耳なじみのある単語じゃないか。
そう、そうだ。
「ケンジ。俺は、清原ケンジだ」
ほらちゃんと出てきた! 頭を抱えながらも必死に答えたけど!
「ケンジさん? えっと、まだだいぶお疲れのようですし、もう少しゆっくりしていてください」
「それは……痛み入ります。正直まだ体調が万全ではありませんので」
「ええ、私から見ても顔色が優れないのがわかりますよ。何かお飲み物を持ってきますか?」
彼女は穏やかに微笑む。
「いえ、休めば回復しますので。お気遣い痛み入ります」
「そうですか。それでは夕食が出来上がったらお声がけしますので、是非召し上がってください」
おそらく少女の母親だろう女性の柔和な対応。世界には拾う神もいるということか。
いや俺優しさに飢えてるの? 沈鬱で思考が重いだけだよな?
「ほら、メア。おじさん休むから、邪魔しないように居間に戻るわよ~」
「はーい。おじさん後でねー。ママー、今日のご飯なにー?」
終始ニコニコしていたメアと呼ばれた少女。
両手を挙げてはしゃぎながら部屋から飛び出して行った。
「ごゆっくりどうぞ~」
女性も続いて退出していく。最後にドアが閉まる音がカチャっと部屋に響いた。
静かになったとたんに全身から力が抜けていく。頭痛や疲労感を強く意識してしまう。
(あぁ、こりゃもう、無理だわ)
かろうじてフラフラとベッドに倒れこむ。
そして再び意識が闇の中へと沈んでいった。