第3話 昼下がり
温かな日差しが差し込む静かな部屋。その部屋のベッドの上にユータは横たわっていた。
聞こえてくるのは、小鳥のさえずりと、暖炉で燃えている薪がひび割れる音だけ。先程まで居たはずの冬山の壮絶な環境とは天と地の差だ。
目を覚ましたばかりでまだ頭が回らないユータは天井をぼーっと見つめていた。布団の温かさが自分は生きているのだと実感させる。
「俺、生きてたんだな……」
ユータは安堵感から体を脱力させる。
「よくあの状況で助かったな……」
ユータは思い返す。
冬山で薄れていく意識の中、生まれて初めて死というものを覚悟した。迫りくる死の恐怖。それを思い出すだけで身震いがする。あのような体験は二度としたくないものだ。
ユータには気掛かりなことがあった。
「それにしても、一体誰が助けてくれたんだ?」
自分は誰かに助けられた。そのことはすぐに察しがつく。
傷の手当ても施されており、腕や脚には所々ガーゼが当てられていた。また、服も着ていた薄手の作業着ではなく、パジャマのような服に着替えさせられていた。
「助け出されたにしても、ここはどこなんだ? 病院ではなさそうだけど……」
通常であれば遭難して救助された人は病院に搬送される。だがこの部屋を見渡す限り病室のようには見えない。例えるなら洋館の一室という感じだ。
部屋には、ユータが横たわっているベッドと机が1台置かれているだけ。生活感がない部屋だった。普段から使われてはいなそうだが、埃一つもなく掃除が行き届いているみたいだ。
もしかしたらここは、誰かの家なのかも?
「ちょっと起き上がってみるか……」
ユータの全身に筋肉痛のような鈍い痛みが襲う。起き上がるのに一苦労だ。
ユータはやっとのことでベッドから下りると、窓際まで歩みを進める。そして窓の外を眺める。
天気は快晴。暖かな日差しが降り注いでおり、雪化粧した風景が広がっていた。
この場所は小高い丘の上にあるようで、辺りを一望できる。正面には海が広がり、丘の下には小さな街があった。のどかな海辺の田舎町といった感じだ。
「綺麗だな、海なんて久々に見る……」
ユータは青い海に見惚れる。
「海と言えば……」
ユータはある男の話を思い出す。
「よくヨネさんから小船を引っ張りながら泳いだ話を聞かされたっけ?」
ヨネさんとは、ユータの職場の先輩である「ヨネシゲ・クラフト」のことだ。
ヨネシゲは武勇伝を延々と語り、人の貴重な昼休みを平気で奪い去る男だ。故に仲間たちから煙たがられている。
そのヨネシゲの武勇伝の一つに、小船を引っ張って泳ぐというものがある。
内容はこうだ。
自称「水泳名人」のヨネシゲは、毎日のように地元の海で泳いでいた。
ある日彼は、散歩がてら近くの無人島まで泳ぎに行ったそうだ。
無人島に到着したヨネシゲだったが、そこで何故か水着美女の集団と出会す。不思議に思ったヨネシゲが彼女らに無人島に来た理由を尋ねる。するとその理由が明らかに。彼女たちは乗っていた小船のエンジンが故障してしまい、無人島に漂着してしまったそうだ。
途方に暮れる美女たちに、ヨネシゲが勇ましい声を上げる。
『安心してくれ! 大船に乗ったつもりでいろ!』
怪力自慢のヨネシゲ発動!
美女たちを小船に乗せると、ヨネシゲはその小船をロープで引っ張りながら近くの港まで泳いだそうだ。
無人島から港までの距離はなんと20km!
当然のことながら美女たちからモテモテ。彼女たちとは今でも交流があるそうだ。
「フッ。そんなわけあるかい!」
ユータは思い出し笑いをしながら一人ツッコミを入れていた。その直後、ユータはハッとする。肝心なことを思い出したからだ。
「そ、そうだった! ヨネさんだっ!」
ユータが迷い込んだ冬山には、ヨネシゲの姿もあった。恐らく彼も自分と同じタイミングで冬山に迷い込んでしまったに違いない。
瀕死のヨネシゲを助けようとするも、自分も意識を失い、気付いたらこの部屋のベッドの上で目を覚ました。
だとしたらヨネシゲも一緒に救助されたはず。
「ヨネさん……無事かな?」
最後に見たヨネシゲの姿は、力尽き、意識を失っていた。その後も長時間放置され続けたことだろう。
もしかしたら……ヨネさんは、もう……!?
ユータはヨネシゲの安否が心配になり、居ても立っても居られなくなった。
「この家の中に、きっとヨネさんも居るはずだ!」
ユータはヨネシゲを探しに部屋を飛び出す。
部屋を出てすぐ右側には、下の階に通ずる階段があった。そして今自分が居るのは2階であろう。ここは2階建ての建物だと既に確認済みなのだ。
いつ確認したかというと、先程外の景色を見ていた時に、窓から身を乗り出し建物の造りを確認していたのだ。
そして、左手には長い廊下が伸びており、その両サイドには等間隔で扉が並んでいた。
「それにしてもデカい家だな……」
その内観はまるでお屋敷のようだ。
この大きな家に住むには、余程の経済力がないと難しいことだろう。さぞ立派なお方が住まわれているに違いない。そう思い始めたユータは、自分が場違いな場所に居る気がしてきた。だが、そんな事を気にしている場合ではない。今はヨネシゲを探し出して、生存確認しなければならない。
「この家のどこかにヨネさんが居るかもしれない……!」
ユータが各部屋をしらみつぶしに確認しようとしたその時、階段の方から足音が聞こえてきた。誰かがこちらに向かってきている。
「誰か来る!? どうしよう!」
勝手に部屋を抜け出したことを怒られるのでは?
ユータがそわそわして立ち尽くしていると一人の男が姿を現す。
「おや? お目覚めですか?」
そこに現れたのは、黒服に身を包んだ若い男であった。若いと言っても年齢はユータより遥かに上だろう。恐らく30代半ば位だ。
爽やかな印象の彼は、紺色の瞳と、七三分けにされた瞳と同色の髪の持ち主であり、身長はユータと大差ない。
「すみません、勝手に部屋を出てしまって」
ユータが咄嗟に謝ると、男は優しい笑みを浮かべる。
「謝らなくてよいのですよ。寧ろ一人で歩き回れるほどお元気で安堵しております」
「あっ……もしかして俺を助けてくれたのは……?」
「いえ。私ではありませんよ。あなた様を救助したのは、兵士たちでございます」
「へ、兵士ですか!?」
ユータは突然出てきた兵士と言うワードに驚いた。
通常なら遭難者の捜索や救助は消防や警察が行う筈。しかし、兵士まで動いているとなると穏やかな話ではない。そもそも遭難した時点で穏やかではないのだが……
兵士が助けてくれたということは、自分の救助のために軍隊まで動かしてしまったということなのか!?
何故自分が冬山に居たのか不明だが、事の重大さにユータの顔が真っ青になる。
「大丈夫ですか? お顔が真っ青ですよ?」
「え、えぇ……だ、大丈夫です……」
「無理はなさらないでください。あっ、申し遅れました。自己紹介がまだでしたね!」
男はピシッと姿勢を正すと、自己紹介を始める。
「私の名はエリック・ストーンと申します。このお屋敷で執事をしております」
(この家は執事まで雇っているのかよ!?)
ユータは執事と言う言葉に動揺しつつも自己紹介する。
「俺はユータ・グリーンと申します」
「ユータ様ですね、よろしくお願い致します」
「こ、こちらこそ!」
ユータは自己紹介が終わると、今の自分が置かれている状況を把握するため、エリックに質問を行う。
「エリックさん、ここは一体どこなのですか?」
ここは一体どこなのか? ユータが尋ねるとエリックから衝撃の答えが返ってきた。
「はい。ここはヨネシゲ・クラフト様のお屋敷でございますよ」
「よ、ヨネさんの屋敷ですか!?」
ユータは耳を疑った。
ここがあのヨネシゲの屋敷だと言うのだから。
ヨネシゲは常日頃から、色々とビッグな話をしてくれるが、まさかこんな立派な屋敷に住んでいるとは初耳だ。更に執事も従えてるのだから驚きである。
「おや、ヨネシゲ様とはお知り合いですか?」
ユータが、ヨネシゲのことを「ヨネさん」と口にすると、エリックは2人が親しい間柄だと察したようだ。
「はい! ヨネさんは俺の職場の先輩でして……」
「職場……? ああ、なるほど! 板前時代のお弟子さんですね!」
(い、板前ってなんだよ!?)
再び驚くようなワードが出てきた。
このまま話を進めると、自分はヨネシゲの板前時代の弟子と言うことになってしまうが、今は現状の把握を優先させたい。一先ずここは話を合わせることにした。
「要するに、俺は冬山で兵士さんに救助されて、ヨネさんの家に運ばれたという訳ですね?」
「左様でございます」
そしてエリックはユータが救助されるまでの経緯を教えてくれた。
昨日の早朝からヨネシゲはキノコ狩りのため冬山へと出掛けていたそうだ。しかし日没前には帰宅する予定だったが、夜になってもヨネシゲは帰宅しなかった。
心配したヨネシゲの姉たちが、冬山に捜索隊となる大勢の兵士を派遣したようだ。
翌朝、捜索隊がヨネシゲと一緒に倒れているユータを発見し救助した次第である。
「ご迷惑をお掛けしました……」
「いえいえ、ご無事で何よりです!」
「本当に助かりました、ありがとうございます」
ユータは深々と頭を下げると、礼の言葉を口にする。そんな彼にエリックが問いかける。
「要するにユータ様は、今回はヨネシゲ様のキノコ狩りに付き合わされて、被害に遭われてしまったということですね?」
「えっ?」
エリックの問いに一瞬どう答えるべきか迷った。
付き合わされたも何も、目を覚ましたら突然冬山にワープしていた。だがその事実を説明したところで、信用してくれないだろう。とりあえずここは、話を合わせておこう。
「お世話になった師匠の頼みを断るわけにはいかないので……」
「災難でしたね……」
(本当だよ……)
そしてユータはヨネシゲについて尋ねる。
「それで、ヨネさんは無事なんでしょうか?」
「ええ、命に別状はありません。ただ……」
「ただ?」
「まだお目覚めにならないのです……」
「そうですか」
幸いにもヨネシゲの命に別状はないらしい。しかし、依然として意識を失ったままのようだ。そして医師からは「このまま目を覚まさない可能性がある」とまで言われているそうだ。
職場では、一方的な長話をするせいで、皆から煙たがられる存在のヨネシゲ。しかし長話を除けばいつも元気で愛想も良く、後輩の面倒見も良い。決して悪い人間ではないのだ。そのヨネシゲがこのまま目を覚まさない可能性があると言うのだ。ユータは急に胸が締め付けられるほど悲しい気持ちに襲われる。
その様子を察したエリックがユータに提案する。
「ユータ様。ヨネシゲ様にお会いされますか?」
「え?」
「ヨネシゲ様も、ユータ様にお声を掛けていただければ、お目覚めになられるかもしれません」
「はい! 是非、会わせてください!」
ユータはエリックに連れられヨネシゲが居る部屋へと向かった。
ヨネシゲの寝室は長い廊下の一番奥にあった。
エリックが扉をノックする。
「エリックでございます」
「どうぞ、お入りください」
すると中から若い女性の声が聞こえてきた。
「失礼致します」
エリックは扉を開けるとユータを部屋の中へ誘導する。
「ユータ様、こちらへ」
「はい、失礼します!」
ユータが部屋に入ると、まず目に飛び込んできたのは広い部屋――ではなく、大きな壁だった!
「!?」
ユータは驚愕する。
よく見るとそれは壁ではなかった。
壁みたいな大きな人が、自分の目の前で仁王立ちしていたのだ。ユータが恐る恐る見上げると、そこにはヨネシゲそっくりのおばさんの顔があった。
「うふっ! お兄さん、いらっしゃい!」
つづく