第53話 あの日の記憶〔後編〕
ここは首都から少し離れた郊外の街。
この街の商店街で青年ヨネシゲは買い物を楽しんでいた。
「魚屋の姉さん、今日も綺麗だね~!」
「ガッハッハッハッ!ヨネちゃんは相変わらずお世辞が上手ね~。これおまけよ!」
「ありがとう!でも俺は本当の事を言っただけだぜ。」
ヨネシゲは試作品の天ぷらに使うレモンを買うため商店街に来てたいた。
八百屋、肉屋、魚屋とはしごしているうちに両手には持ちきれない程の荷物でいっぱいになっていた。
(少し買いすぎてしまったな…だが、朝食のパンも買っておきたい。次はパン屋だな!)
あと少しくらい荷物が増えても大丈夫。
そう思ったヨネシゲは行きつけのパン屋に向かうことにした。
(あの店のクロワッサンはソフィアが大好きだからな!沢山買っていってやるか…!)
そんなことを考えヨネシゲが鼻唄を歌いながら商店街通りを歩いていた。
すると後方から大声で自分の名を呼ぶ巨漢の男が走ってきた。
「ヨネさ~んっ!!」
「!?」
ヨネシゲは後ろを振り向く。
現れたのはヨネシゲが先程買い物をしていた肉屋の店主であった。
肉屋の店主が血相を変えてこちらに駆け寄ってくる。
この店主かなりの肥満体型で、走る度に腹の肉が大きく揺れていた。
(肉屋のオヤジだ!突然どうしたんだ?俺、金払ったよな?)
ヨネシゲはそんな事を思いつつ肉屋の店主が自分の側まで来るのを待っていた。
そして肉屋の店主はヨネシゲの側までやって来ると、息を切らしながら意味不明なことを言い始める。
「ヨネさん!何してる!?すぐに家に戻れ!」
「?」
第一声が家に戻れと言う言葉。
ヨネシゲにはその言葉の意味が理解できなかった。
突然家に戻れと言われても、理解しろと言う方が難しい。
ヨネシゲは肉屋の店主に説明を求めた。
「肉屋のオヤジ、突然どうしたってんだい?」
「ヨネさん、大変だ…お前の家が燃えている…」
「え?」
ヨネシゲは再び理解に苦しむ。
突然自分の家が燃えていると言われても、そんな嘘みたいな話を信じられるはずがない。
「わ、悪い冗談はよしてくれよ…」
「冗談でこの俺が、わざわざ走ってここまで来ると思うか…!?」
この店主は悪い冗談を言ったりするような男ではない。
それに運動大嫌いな彼が走ってまで冗談を言いに来ることはないだろう。
だとすると肉屋の店主が言うことは…
「!!」
ヨネシゲは重大なことを思い出す。
「天ぷらだ…」
そしてその瞬間、遠くの方からけたたましい消防車のサイレンが聞こえてきた。
店主の言葉が確信へと変わった。
するとヨネシゲは持っていた荷物を投げ捨て、寿司シゲある自宅へと全速力で戻っていた。
(嘘だろ…嘘であってくれ…!)
そんなヨネシゲの思いとは裏腹に遠くの方から黒い黒煙が立ち込めていた。
そして、道行く人々の不穏な言葉がヨネシゲの耳に自然と入ってくる。
“一体、どこで火事なんだ!?”
“寿司シゲからみたいよ”
“ああ、凄い炎だよ…もう骨組みまで見えている…”
“ご主人や奥さん大丈夫かしら…?”
「ソフィア!ルイス!無事でいてくれ!」
ヨネシゲは自宅の前に到着。
ヨネシゲの目へ最初に飛び込んできたのは、燃え盛る我が家であった。
消防隊による必死の消火活動が行われていたが、家は既に骨組みが見えており、倒壊するのは時間の問題であろう。
その様子を見守るかのように多くの人達が群れていた。
少しでも近くで様子を見るため前へ前へと進む人々を警察官が必死で制止していた。
とてもいつも平和な商店街とは思えない光景であった。
もしこの中にソフィアとルイスが残っていたとしたら…
ヨネシゲの顔は一気に青ざめる。
(そんなはずはない…!きっと、ソフィアがルイスを連れて避難しているはずだ…!)
そう思いヨネシゲは脱出したであろう二人の名を呼び辺りを捜索し始めた。
すると、見慣れた顔の男がヨネシゲの側まで駆け寄ってくる。
「ヨネちゃん!無事だったか!?」
「ゴンちゃん!!」
彼はヨネシゲが経営する寿司シゲの常連客“ゴンちゃん”である。
彼は週の半分以上ヨネシゲの店を訪れ料理と酒を楽しんでいる。
いつも仕事終わりに自宅で風呂を済ましてから来店する。
そしてちょうど家に一時帰宅する途中であったのだが、ゴンちゃんは信じられない光景を目にすることとなった。
「ゴンちゃん!ソフィアとルイスは見なかったか!?」
「いや。見てねぇが…居ないのか!?」
「まさか、家の中には残ってるはずはないと思うが…」
ヨネシゲのその言葉にゴンちゃんは燃え盛る寿司シゲを見上げる。
この中に残っていたら確実に命はない…
そんな事はあってはならない…!
「ヨネちゃん、俺も手伝うぜ!」
「すまない、頼むぞ…!」
ヨネシゲとゴンちゃんは手分けしてソフィアとルイスを人混みの中から探し始める。
その間にもヨネシゲの家は物凄い勢いで燃え盛っていた。
時折、ドン!ドン!という小さな爆発音のような音が響き渡ると群衆たちの中から悲鳴が聞こえてくる。
ヨネシゲが妻子の名を必死で叫んでも、群衆たちのどよめきや悲鳴、叫び等でかき消されてしまう。
それでもヨネシゲは無我夢中で二人を探すが、どこにも姿が見えない。
次第にヨネシゲは最悪のシナリオを想像してしまう。
その時、近所に住む中年の男が心配そうな表情でヨネシゲに近寄ってくる。
「ヨネさん、災難だったな。今夜はウチに泊まれ…」
男はヨネシゲを気遣い言葉をかけるも、その返事は耳を疑う内容であった。
「まだ…中で妻と息子が昼寝してるはず…!」
「え?冗談だろ…?」
驚く男の表情には目もくれず、ヨネシゲは突然走り始める。
「ちょ、ちょっと、ヨネさん!!」
ヨネシゲは群衆をかき分け燃え盛る我が家へと近付いて行く。
「ソフィアっ!!ルイスっ!!今行くぞっ!!」
ヨネシゲは二人を救出するため燃え盛る家へ突入しようとする。
だが案の定、警察官に制止される。
「君っ!危ないから戻りなさいっ!」
「離してくれ!!」
警察官に体を押さえられるが、ヨネシゲは暴れ始める。
すると、他の警察官もやって来てヨネシゲの動きを封じ込めようとする。
突然のヨネシゲの行動に群衆たちの視線が集まる。
すると、ヨネシゲの次の言葉に警察官の動きが止まる。
「まだ、中に…妻と息子が…!」
「何だって…?」
ヨネシゲの言葉に一同燃え盛る彼の家に視線を向ける。
そこには既に骨組みだけになった、家だったはずの物が激しく燃えていた。
その光景を見た警察官は、ヨネシゲに無情な言葉を掛ける。
「だ、だめだ…もう、もう間に合わない…諦めるんだ…!」
その言葉を聞いたヨネシゲが更に暴れ始める。
「二人はまだ生きている!お前たちが助けないと言うなら俺が助ける!だから離してくれ!」
ソフィアとルイスは絶対に生きている。
自分の助けを待っているに違いない!
ヨネシゲは必死に警察官の制止を降りきろうとする。
しかし、次の瞬間であった…
燃え盛るヨネシゲの家から突然大きな爆発音が発生する。
周りに居た群衆たちは悲鳴を上げ、思わず屈んだりしていた。
そして、ヨネシゲの目に飛び込んできた光景とは、燃え盛る骨組みだけになった我が家が、一気に崩れ去っていく光景であった。
「そんな…」
ヨネシゲは暴れるのを止めると、脱力してその場に座り込んでしまう。
まるで脱け殻のようになったヨネシゲ。
しばらくして火事は鎮火するも、ヨネシゲはずっとその場に座り込んでいた…
その後、焼け跡からはソフィアとルイスの遺体が発見された。
ヨネシゲは二人と対面しようとするが、警察官に止められた。
会いたい気持ちはわかる。
だが、二人はもうヨネシゲが知る姿をしていない。
見てはならない…
ヨネシゲは結局、二人の顔を見ることが叶わなかった。
これもヨネシゲのためである。
出火の原因は火の消し忘れによるもの。
熱せられた天ぷら鍋に引火したようだ。
木造だったヨネシゲの店舗兼住居はあっという間に火の手が周り、二階に居たソフィアとルイスは退路を断たれてしまった。
二人は発見されたとき、ソフィアがルイスに覆い被さるように倒れていたそうだ…
数日後、二人の葬儀はしめやかに執り行われた。
ソフィアの知人やルイスの同級生が多く参列していた。
人気者だった二人…
二人の遺影を見て泣き崩れる者も決して少なくはなかった。
ヨネシゲはソフィアの両親から激しく叱責された。
無理もない、ヨネシゲの火の不始末で娘と孫の命を奪われたのだから…
娘と孫を返してくれ!
そう言いながら泣き崩れるソフィアの両親を前にして、ヨネシゲはただただ…土下座して謝ることしかできなかった。
妻子も家も財産も、全て失ったヨネシゲ。
何とか住む場所は確保できたものの、ヨネシゲは心に大きな傷を負っていた。
彼は一ヶ月以上家に閉じこもっていた。
悲しみを誤魔化すため朝から晩まで酒を飲み続ける毎日であった。
そんなヨネシゲを心配していたのが、寿司シゲの常連客であったゴンちゃんである。
彼はヨネシゲを励ましたり、仕事も紹介してくれた。
しかし、仕事は長続きせず職を転々としていたヨネシゲ。
ゴンちゃんはそんなヨネシゲに何度も仕事を紹介した。
そして最後に行き着いた職場こそが、後にユータも働くことになったあの工場であった。
あれから17年の時が過ぎヨネシゲも落ち着きを見せていた。
だが、心に負った傷はまだ癒えることはなかった。
この心の傷は一生癒えることはないであろう…
つづく…
豊田楽太郎です。
ヨネシゲの記憶を読んでいただきありがとうございます!
今日まで調子良く飛ばしてきましたが、仕事が忙しくなりそうなので徐々に失速するかと思われます。
次話に関しましては日曜日の投稿を予定しておりますが、それ以降の投稿になる可能性もあります。
ご承知おきくださいませ。
次回も読んで頂ければ幸いでございます。
【追伸】申し訳ありません、投稿遅くなります…