八十六話 番犬、幹部の試練を終える
今野「すみません! 今日は割愛させていただきます! 本編をよろしくお願いします!」
目を開けると、そこはどうやらいつもの橋の前。よく俺が寝ている場所だった。しかしどうにも状況がおかしい。
崩れた民家。黒い煙をたなびかせる森がその向こう側に見え、また空は未だかつて見たことがないほどに禍々しい黒い雲に覆われていた。
叫び声や、争う声などは一切聞こえない。もしや、すべてが片付いた後だというのか。
俺はおもむろに背後の城を見やる。
城はどうやらまだ無事のようだった。煙もあげず、崩れもせず、俺の記憶通りの城の姿がそこにある。
だが、その城とこの街をつなぐ橋は完全に崩壊していた。もう誰も渡れない。城は孤立し、ただ水が張られた堀だけに囲まれている。
これが、悲劇。これが、確定した未来だというのか。
俺は奥歯をかみしめる。
「ちっ! クソっ! 変えられないのか! 未来は!」
ふと、焦った男の声が聞こえた。
その方向を見れば、そこにいたのは黒いフードで顔を隠した男――そう、ルーケルの姿。
『おい! ルーケル! これはどういうことだ?』
俺はルーケルに呼びかけながら、足を進める。しかしルーケルの反応は鈍い。
「クソ! クソクソクソがぁッ! 俺は! 二回も未来を体験しておいて! 何もできてねぇじゃねえか! なんのために……!」
そんな悲痛な叫びとともに、ルーケルはその場にうずくまってしまう。目の前の俺には一切気がつかずに。
……もしかして、俺の姿は見えていないのだろうか。
そんな気がして、俺は再び話しかけるのを躊躇った。
「ごめんな……。――――」
ルーケルが誰かの名前を呼んだような気がした。だが、その声は大きな咆哮にかき消される。それと同時に、周囲の気温が急激に下がった。
「くっくっく。あわれじゃのう、ルーケル」
若い女の声で、しかし喋り方は独特のなまりがある。
その話し方には心当たりがある。
「余は退屈じゃ。故に退屈しのぎにとどめを刺してやろう」
五大凶王、氷を司る『アイス』は、シクルの姿をもって現れた。
「……足りなかったな。ケルベロスの癒やしが」
突然俺の名前が出て、俺は驚いてルーケルを見る。
「あいつが希望なんだ。あの頃のあいつが希望だったんだ。――今はどこにいるか知らねえけどな。知ってたら教えてくれよ」
「ふむ。それは余の知るところでは無いな」
一体何がどうなっているのか。アイスは……こんな人格では無かったはず。凶王は、名前ほど凶悪だっただろうか。いや、そんなことはなかったではないか――
「――ではな」
アイスが、右手をルーケルの頭に向ける。その右手が輝きだし――
「やめとけ、アイス」
その声に、動きを止めた。
俺は声の主を振り返る。
「お? なんだ、お前か。って、みんなには見えてないみたいだから、おおよそ魔王の差し金だろう」
『――お、前は……?』
その声の主は、にやりと口角を上げて――――
―― ―― ―― ―― ――
「お、戻ってきたか」
意識が戻った。
そこはロビーの魔方陣の上。完全にこの世界に戻ってきたようだ。
だが……。
『……何も思い出せないな』
驚くほどに何も思い出せない。とても重要で、衝撃の事実があったはずだ。しかし、何も思い出せない。
「思い出せてもらっては困る。何せ、我の魔方陣だ。知ってるだろう? 詠唱よりも魔方陣の方が強力なのだぞ?」
へえ、すまない魔王よ。初耳だ。
「まあ、何はともあれ、無事帰還してくれて何よりだ。……ちなみに、どれぐらいの時間がかかったか当ててみるが良い」
言われて俺は窓の外を見る。まだ外は明るい。ちょうど真昼ごろだろう。
しかし、何日も過ごしたような気がする。
『……三日か?』
「甘いな。七日だ」
七日……?!
『い、一週間も俺は挑戦してたのか?!』
「そうだ。だが、心が折れると自動的に帰還させるようにできてあるはずなのだ。それでも、お前は折れなかったみたいだな」
言って、魔王は魔法で水を生み出して、大理石に描かれた魔方陣をこすって落としている。
「失敗すると魔方陣は雲散霧消する。それが綺麗に残っているのだからな」
俺は何とも無しに自分の真下にある魔方陣を眺める。
精巧で、緻密な文字と記号の羅列。
俺は間違い無く成長した。その確信が確かにある。どんな経験をして、どんなものを見たのかは知らないが、それだけは確信している。
感謝の意味を込め、そっと前足でこすった。
「あら、終わったみたいね」
カミラがらせん階段から降りてきて、俺の元にやってきた。
「あらあら、たくましくなっちゃって」
『……そんなことはないと思うが』
「いいえ、あるのよ。頭の中で考えてるだけでも強くなるっていうことはね。……それと」
魔王とカミラが顔を見合わせる。
「これにて幹部の試練突破だ。おめでとう。そしてようこそ、魔王軍へ」
これで、俺もついに晴れて魔王軍の一員、幹部となったわけだ。きっと名誉あることなのだろう。俺は肩書きに見合った働きをせねば。
きっとその時はすぐにくる。そんな気がした。
にこにことしていたカミラが、嬉しそうな微笑みで手をパンと鳴らした。
「さ、ご飯にしましょう」
言われて、俺の腹は思い出したかのように空腹の鐘を鳴らす。そうだ、七日も起きていなかったのだ。腹が減るに決まっている。
マトイと飯にでも行くのもいいだろう。
「そうそう、魔王様ったらね、あなたにベタベタだったわよ? 意識が無いことをいいことに」
『二度と親父なんて呼びません、魔王様』
「えっ?! いや、おいカミラ! 待てケルベロス! 何もしてない! いやそれは嘘だごめんほんと許せー!」
その日は夜中まで魔王の悲痛な叫びが街中に響き渡ったという。
今野「最後までお読みいただきありがとうございます! 次回もよろしくお願いします!」




