七十九話 番犬、人間と戦う
アイーダ「今回はあたしよ! ほんとに久しぶりだから、喋らせ方とか忘れてるんじゃないかしら……というかあたしの出番はいつなのよ。ま、今回も最後まで見ていきなさいよね」
ーーマトイを超える力。
そう高らかに吠える人間は、考えさせる暇もなく攻撃に動いた。
やつれた男ーーサトルが、地面に両手をついて低い姿勢で構る。その背中が黒くモヤがかった。
「こい! 土蜘蛛!」
その呼び掛けに応えるかのように、モヤが実体を持ち始める。
禍々しい八本の黒い足は、真っ黒の外骨格に覆われている。先端は槍よりも鋭利で、油断など出来そうもない。
……しかし、土蜘蛛、か。
『ありゃ、妖の類じゃなかったか?』
「だな。人間め、異世界の化け物の召喚の仕方まで学んだか」
この世界にも妖怪はいる。だが、そいつらはたまたまこの世界に紛れ込んでしまった者たちであり、またそこまでの力は無い。
やつらも異世界にいた時は異物として扱われたわけだが、そんな普通じゃないところがこの世界に惹かれたのだろう。
しかし、そうではない妖怪もいる。
それが、有害な強い妖怪たち。……デイジーさんとかは別だ。
『マトイから聞いたことがあるぞ。有名なやつだ』
「ふむ。……なら、俺が相手をしてやろうか」
魔王がサトルの方を向く。
「そんな悠長に話してていいんですかね? わたくしどもは暴れたくて仕方がありませんが!」
「そうか。存分に暴れてみろ」
「そう言われちゃあ、仕方ありませんねぇ!」
サトルが地面を蹴る。砂が撒き散らされる。
残虐な笑みが骨ばった顔に浮かぶ。その背中の二本の腕が引かれる。
「しゃあっ!」
雷の如き速さだ。二本の黒い腕が空気を貫いたその摩擦で、一瞬炎のようなものが見えるほど。
だがしかし。
「舐めるなよ、小童」
魔王はその腕をなんなく掴み取る。
その気迫はまさに魔の王そのもの。空気が一瞬にして張り詰めた。
「マトイを超える? 笑わせるな。アクアに捕まってる時点でマトイの半分も無いだろう」
図星だったのかサトルの表情が苦痛と羞恥に染まる。
「つ、ツヨシ!」
「おう!」
必死の形相でもう一人の名を呼ぶ。それに応えた巨体は、肩を突き出して突進の構え。
そして砂を踏み抜きーー
『そのまま突進してもいいのか?』
俺の問いかけに止まった。
「あらぁ。ケルベロスちゃんも出番が欲しいのねぇ」
『……いや、ちょっとは役立ちたいだろ』
主人公だし。……いや、何を言ってるんだ。慣れないことをしてるから変なことを考えてしまった。
まあいい。俺は透明化を使い、ツヨシの前で立ち塞がっていた。突進してきたら、俺の爪が勝手に突き刺さる仕様だ。我ながらなかなかの作戦を思いつく。
まあ、俺の爪の方が折れてしまうような気がしないでもないが。
「まっ、結局あたしたちよねぇ」
「そうだねっ♪」
アクアとマリンがツヨシに手を向ける。
「また水の中で眠ってもらうわぁ」
「おやすみ♪」
アクアとマリンが余裕の表情で手を掲げれば、ツヨシの背後で海水が一体の水の蛇へと形を変える。
水の大蛇の牙が、ツヨシの眼前へ迫りーー
「むんっ!」
それを、ツヨシは両腕で受け止める。しかし、反撃の余裕は見えない。
「まだまだいるわよぉ〜」
対して、マリンは余裕の表情だ。右手で自由自在に水の大蛇を操り、ツヨシへの猛攻をしかける。
しかし、ツヨシは弱くはなかった。強しだしな。いやなんでもない。
真上から、真横から、四方八方から襲いくる水蛇を、ガタイに似合わない動きで避ける。
「あら。やるじゃなぁい」
ついには海にそびえていた水蛇の姿はなかった。
ーーそれを好機と見たのか、ツヨシがタックルの姿勢をとる。
「突進!」
なんとも暴力的で単純な力だ。猛牛のごとく突進するその様子に、軽く恐怖すら覚えそうだ。
だが甘かった。
「雨はお好きかしら♪」
アクアが透明なツインテールを逆立たせている。それは魔力を操っている証拠。
それを見ても、なお突進してくるツヨシはーー
「スコール!!」
直径1メートルをこえる雨にのまれ、地面へ打ち付けられた。
……というか俺も危ないな。
さっとマリンたちの方へ避難すると、どぼどぼと水の塊が降り注いでいた。
後に残ったのは、巨大な水溜まり。砂浜を抉って作られたので随分にごっている。
「さっ! こっちはおしまい!」
……満面の笑みでえげつないことを言うじゃないか。
俺はそっと茶色の水溜まりへ目を向ける。
……お気の毒に。
「まぁ、あたしたちに勝てるわけないのよねぇ」
「そのとうりっ!」
『頼もしいな』
それで、親父の方は……。
「口ほどにもないな」
その一言とともに、水溜まりにぼちゃんと何かが投げ入れられる音がした。
「なーにが『マトイを超える力』だよ。口ほどにもないじゃねぇか」
『親父が規格外過ぎると思うぞ?』
「馬鹿言え。マトイには腕一本の借りがかるんだからな?」
そういえばそうだった。魔王に傷を与えたのは、後にも先にもマトイだけか。
「それでぇ。どうするのかしらぁ? この子たち。あたしちょっと見てみたいのよぉ」
……その顔でその口調で言ってやるな。ちょっと可哀想に思えてくるだろうが。
「そうだな。まあ、お前たちに任せても問題はなさそうだが……」
「ならっ、アクアの秘密のお部屋に入れてあげておくわ♪」
『それもすげぇ怖いネーミングセンスだな』
「あたしの部屋もあるわよぉ?」
それは普通に怖い。本能に訴えかける純粋な怖さがあるぞ。
『……万が一は?』
「アクアちゃんは死なないの♪ だから、そんなのないわっ!」
「なら、安心だな」
親父がぐぐっと伸びをする。
「はぁ。疲れた。ケルよ、モフらせてくれ」
『……まあ、今日は許そう』
「よっしゃ!」
魔王としての責務は果たしていたわけだしな。……ちょっと最近親父に甘くなってる気がする。まあいい。
本当に嬉しそうな表情で、魔王が俺の黒い毛並みに飛び込んでくる。
「うおー、久しぶりだ……。癒される……」
『俺は癒されない』
と、別の二人の視線を感じた。
『お前らもーー』
「お前らもいいってよー!」
なんであんたが言うんだ。いや、まあ言おうとしてたけども! 正直マリン見て悩んでたけどもっ!
「あらぁ。じゃ、お言葉に甘えてぇ」
「だーいぶっ!」
マリンは脇腹近くににそっと、アクアは背中に勢いよく飛び込んできた。
もう時刻は夜。心地のいい風が海から吹いてくる。
……なかなかに、俺の中でもビックリするイベントだった。人化の次の次ぐらいだな。まさか、人間と遭遇するとは。
少しの不安がやはり心にある。今、あの水溜まりの中からやつらが飛び出してくるかもしれない。……もしかしたら死んでるかも。いや、まあ大丈夫だろ。
とりあえず、こういうときは空を見上げるに限る。
今日も満天の星空が広がっていた。
アイーダ「最後まで読んでくれてありがと。どうだったかしら? ふーん。いつの間にこんな展開になってたのね。……いよいよあたしの出る幕がないじゃない。まあいいわ。次回もよろしくね!」




