百二十六話 決着
ーー魔王の力を感じる。
マトイの飛び蹴りを躱す。
俺は先程まで感覚で避けていたマトイの攻撃を、今初めて目視で、頭で考えて避けることができた。
その些細なことが、俺に勇気と余裕を与えてくれる。
「お前との付き合いは実は短くてな。知ってるか? 仲良くなってからまだ二年ぐらいだぞ?」
「ああ、そうだったな。それまでは毛だけ貰ってたよ」
「それで、そろそろその俺の毛の使い道を教えてもらいたいんだが」
「今回までの下準備で大いに役立ってくれた!」
マトイの拳をいなしながら、俺は雑談を交わす。これだけの力があると、何故だろう。欲しくなるのだ、今までと同じやり取りが。
マトイは尚も殴るのを止めない。
「お前は自分がヤバいってことに気づかない! スキル三つとか、いや、癒やしも含め四つだ! 馬鹿だろ?! 存在自体がチートだ!」
「いや、別にそんな強いスキルじゃないんだが」
「それでも四つは規格外だ!」
そう言われれば俺も嬉しくなってしまう。
そうだ、せっかくだしーー
「なら、その力で反撃させて貰おう」
俺は透明化を、強化を同時に発動させる。
眉間にシワをよせて唇を噛むマトイ。そのマトイへ、不可視の右フック。
マトイは高速の俺の拳を、やはり見えてるかのように腕で受け止め、しかし勢いは収まらず大きく吹っ飛ばされる。
空中で体勢を整えるマトイへ、追撃のために跳躍する。
そして、大声で叫ぶ。
「ーー俺は、お前を手にかけたくない!」
壁に着地したマトイの左肩を薙ぎ払うような俺の脚が捉える。
また大きく宙を舞い、民家に突っ込むマトイ。石の壁は崩壊する。
そして俺はまたマトイの方へ行こうとしてーー
頬を掠めた鉄の感触に、全ての思考が止まった。
「ーー即効性じゃねぇってことは、人間のあほのおかげでわかってんだ」
マトイの埋まる瓦礫は、元は鍛冶を行っていた店のようだ。金床、槌、レンチにーー剣。
「魔王の呪いがなんだ! 契約がなんだ! 俺はーーここで死んでもいい!」
マトイは、魔王に左腕を代償に剣と魔法の使用を禁止されていた。
はず、だった。
「……なぜ、持てる」
「自分の国に帰ったんだよ。サトルとツヨシ。あいつらが、俺に魔法陣の組み方を教えてくれた」
「それが目的で馬鹿みたいに突入してきたのか」
「ああ、そうだ。大変だったぜ? アクアの目を盗んで、あいつらと会うのは」
その話ぶりだと、どうやらアクアの暴走前にすでに邂逅を果たしていたようだ。アクアよ、ザル警備ではないか。
……まあ実際のところは、こいつの実力か。
などと考えていると、突然マトイの右腕が黒いモヤに包まれた。
「……まあ、せいぜい一時間だな。手にかけたくないだと? ならーー頑張って耐えるんだな」
マトイは剣を両手で持ったまま、俺の方に飛び出してくる。
俺は縦に振られるその剣の刃を受け止めようのしてーー止める。
その結果、胸に浅く切れ目が入った。全力で強化を発動し、防御力を上げているのにもかかわらず、だ。
「ああ、惜しい!」
「惜しくねえ!」
俺は体勢を整えて着地し後ろに下がる。どうやらマトイが居たちょうど鍛冶屋の跡だったようで、俺は目につくもの全てをマトイに投げつける。
そのどれもを、一見なんの変哲もないような剣でバターのように、いや、粘土を細い糸で切るように切り裂いていく。馬鹿言え、最高級品の金床だぞ、多分。
「時間稼ぎはそこまでにしてもらおう!」
マトイが接近。俺はマトイの剣撃を、なんとか紙一重のところで躱す。先程とは動きが別人だ。
背後に気をつけ、足元を掬われないようにし、マトイの剣を避ける。さすがにこれを続けるのは無理がある。
と、ふと俺の左脚あたりに魔力を感じる。
はっとしてマトイを見る。
「ーーボム」
「くそっ!」
俺は咄嗟に体を右に蹴り飛ばす。俺がつい二秒前にいた場所は、拳サイズの隕石が落ちてきたかと思うぐらいのクレーターが空いていた。
「馬鹿、殺す気か!」
「そうだよ! ーーあぁ、調子が狂う!」
マトイが魔法も駆使して俺を追い詰めようとする。
それにしても魔法まで使うか。これはいよいよ、まずいのではないだろうか。
俺が、時間切れを狙えば、マトイは死ぬことになる。
ただ、あいつを救って、ハッピーエンドを迎えるならば……。
やはり、俺が止めなければ。
魔王よ、カミラよ、アイーダよ、力をーーそして、
俺よ、限界を超えろ。
右手を巨大化。そして、切られるのにも構わずにマトイを捕まえ、握る。
手の中から、握力を強化するためのトレーニング器具のような強烈な反発力を感じる。
俺は諦めて、腕を振り上げ地面に叩きつける。だが俺の手のひらが地面につくことはなかった。
マトイが地面に足を踏ん張り、俺の手を受け止めている。そして、案の定マトイによって手のひらが切り裂かれる。
強化も十分にかかっていない俺の手は無惨に切り裂かれる。それもお構い無しに、俺は再び、それも両手を上げた。
そしてマトイへ叩きつける。家だったものが弾け飛び、埃は視界を遮る。
俺は無我夢中で攻撃を続ける。大丈夫だ、このくらいならマトイは死ぬまい。
「死んだら責任とってくれんだろうなあ?!」
マトイが俺の手首を切りつける。腱が断ち切られるブチッという音がした。巨大化が解ける。
俺は内心舌打ちをしながら生意気に答えてやる。
「ああ、とってやるよ! 遺骨は元の世界に帰してやる!」
「生意気だ!」
手首から先がだらんと下を向いた腕で、俺はマトイの剣を受ける。前腕の骨まで届いて剣は止まる。
俺は痛みに歯を食いしばって、剣を蹴り飛ばす。マトイの手を離れた剣は弧を描きながら曇天の下を踊り、カランと瓦礫の向こうに横たわった。
よし、あとはーー
「油断するなよ!」
「わかってる!」
マトイの回し蹴りを深い切り傷のある前腕で再び受け止め、俺はムチのように強化した腕を叩きつける。その時、感覚で手首の腱が治っていることに気づいた。
癒しのケルベロス様々だ。
マトイはそれを知らない。だからだろうか。先程までは狙ってこなかった、俺の顔面へ拳が伸びる。
それを、真正面から掴んだ。マトイがぎょっとする。そのまま、腕を思いっきり引っ張る。マトイは体勢を崩し頭の位置が下がる。
チェックメイトだ。
渾身の一撃。膝をマトイの顔面にめり込ませた。
マトイは為す術なく、手も地面につけずに顔面から倒れ込んだ。
「……動けねぇ」
マトイはそう言って体を仰向けにする。俺も荒い息をつきながらただその場に立つことしかできない。というか動けてるじゃないか。
俺はマトイに告げる。
「……これで、終わりだ」
「ああ、そうだな。……そうだな」
マトイの声は震えていた。顔を腕で隠し、表情を隠さんとしているが、それも大した効果はない。俺は苦いものをかみ潰したような気になる。
勝ったというのに、守ったというのに、なんだ、この虚しさは。俺はーー勝敗と共に、何かを失ったのではないか。
俺はようやく腰をついた。それを見計らってか、マトイがおもむろに口を開く。
「……良い国だよな、ここ」
「なんだ、突然」
「聞いてるだろ。サトルから、俺から、人間の国のこと」
「ああ。なんというか、醜い人間らしいというか、切羽詰まっているような気がする」
「おお、当たりだ。その通りだよ」
口元を歪ませてマトイは笑う。
「人は寿命が少ない。なぜなら魔力量が激的に少ないからだ。この世界は魔力と寿命が比例する。……まあ本質的にはうちの世界もそうなんだろうな。だからだろう。魔力を大量に持ってやってくる異界人は、酷い扱いだ」
「力はお前たちの方が上だろう」
「そうなんだがな。変な契約を無理矢理結ばされるから、反逆とか、そういうわけにもいかない」
そこまで言い終わって、マトイの全身から黒いモヤがついに溢れ出した。それは、魔王の契約を無視した代償の印。
「……語り終わることも許されないか」
「それぐらいは許されるわ」
そう突然現れたのはアイーダ。
「さっき、魔王の力を扱ったのはあたし。だから、あんたの呪いだって解ける」
「俺は死んだ方がいいだろ。なんのメリットがあって助けるんだ?」
「あんたには、まだやってもらうことがあるわ」
アイーダはマトイの隣に座って、マトイの胸の上に手のひらをかざす。すると、真っ黒なモヤの塊が浮き上がった。
それへ何かを唱えると、今度はアイーダの手が俺の胸の上に伸びる。俺の中から光の塊が出ていく。心做しか、少し寂しい。
なんて思っていると、アイーダがその二つの対称的な魔力をぶつけた。眩い光が起こり、その光の後には、二つの魔力の姿は無かった。
アイーダは俺たちに笑いかける。
「これで、大丈夫よ」
「……それで、何をやってもらうって? もう、人の駒にされるのは散々なんだよ」
「ーーそれは、我が説明しよう」
突然低い声とともに魔王の巨体が視界の端に映る。
その来訪に、マトイはぎょっとして声を荒らげる。
「ばっ……嘘だろ?! うちの精鋭たち百五十人だぞ!」
「俺と凶王を甘く見すぎだってことだ」
「マジかよ……」
マトイが一瞬持ち上げた頭を、地面に打ち付けるほどに倒す。その痛みにマトイが腕も動かせずに顔を顰めた。
そのマトイの顔を、魔王は上からその顔を覗き込んでニヤリと口の端をあげる。
そして、俺も驚いて口が開けなくなるほどのことを言った。
「さて、お前には、人の王になってもらう」




