百二十三話 マトイの心情
俺は全身が家屋にたたきつけられる直前に、体をひねってなんとか脚をついて無傷で着地する。その勢いはよほど強かったらしく、着地の衝撃で民家のレンガの壁がきしみを上げた。
悪いとは思いつつも、今は緊急の出来事、俺は急いで屋根を伝ってマトイの元へ向かわんと駆ける。
その間にも、次々とマトイは街を破壊しているようで、そこかしこから砂埃やら瓦礫やらが宙を飛び交い、また悲鳴も絶え間なく続いている。
俺は焦りを感じながら、ひたすらに脚を動かすことしかできなかった。
その時、ひとつの影がマトイのいるであろう場所へとやってきた。パリスだ。パリスは、大きな紫色の弾を無数に生み出して、地面へとたたきつける。
そのうちのひとつが、パリスを打ち抜いた。
マトイがはじき返したのだろうか。パリスはそのまま城を取り囲む堀の池の中に落ちていった。その時に打ち切れていなかった紫の弾たちが、形を保ったまま橋に直撃して、橋がガラガラと崩れる。
いよいよただ事ではない。衰えていたとはいえどもパリスは相当の強者。そんなやすやすとやられていいような者ではない。
――だとしたら、果たして俺に何ができるのか?
俺に、あいつを止めることができるのか?
そんな不安に突然かられ、俺は思わず立ち止まった。図らずもそこはなんと俺の小屋の前だった。
その時だった。俺は納得する。
――ああ、そうか。あの光景は、ここの。
俺が見ていた方向の家へ、何かが突っ込んで壁が崩れた。
「――アイーダ!」
そこに、ローブを羽織ったケルベロスが駆けつけて、ぐったりと倒れるアイーダを抱きかかえる。
「クソッ! 俺は、二回も未来を体験しておいて、俺自身は何もできてねぇじゃねえか……! 畜生!」
幹部の試練の時に見た光景と、今の光景が一致する。
俺はケルベロスの元へ駆け寄った。
『ケルベロス。落ち着け。俺とお前がいればアイーダは大丈夫だ』
俺の声に、ケルベロスがはっとして顔を上げる。その頬は涙に濡れていた。
だがすぐにその涙を乱暴に手の甲で拭って、ケルベロスはアイーダへと治癒の魔法を掛ける。俺もアイーダに寄り添って、ケルベロスに話を聞く。
『あいつか』
「……ああ、そうだ」
それだけで俺たちの認識は一致する。それと同時に、俺を呼ぶ声がした。
「――ケル」
その声の主は、金髪の髪をした中年の男性の容姿をしていた。ただ、いつもは無い無精髭を生やし、おおよそ俺が今まで見たことがないような、やつれた顔をしていた。
俺はケルベロスに目配せをし、ケルベロスが生気の無い虚ろな瞳でただ俺を見て、俺はマトイの元へ出た。
『……久しぶりだな』
「そう、だな」
気まずそうに、そう首肯して、だが視線は俺から外さずに頭をかく。
俺も形容しがたい心情に襲われ、口をつぐむ。気分の悪い静けさが、つい先ほどまで悲劇の音に満ちあふれていた街を再び包んだような気がした。
それを破ったのはマトイだ。
「……本当は、凶王が来るはずだったんだがな」
俺ははっとして息をのむ。そういうば、俺が試練で見たのはここにアイスがいて、マトイがいるところだったはず。
しかし今は来ていない。
『未来は、変わったのか』
「そうらしい。そこの未来人のおかげでな」
マトイは感情の読めない表情のまま、俺の後ろの二人を指さした。
俺は警戒心をあらわにして身構える。マトイは脚を踏み込んだ。
マトイは俺を狙うのではなく、背後のケルベロスたちの元へ行き、強烈な蹴りでアイーダを。蹴り飛ばそうとする。しかしケルベロスがアイーダをかばい、二人は地面を滑った。
俺はマトイに爪を光らせて飛びかかる。しかしなんなく躱されてしまう。
『なぜだ! なぜアイーダを狙う!』
「……あいつのせいで、全ての計画が狂ったからだ」
『そこまで執拗に狙ってどうする?! 破壊をして、命を奪って何になる!』
「俺の人生が戻るんだよ!」
その瞬間、マトイはここで会ってから始めて感情をむき出しにした。それは紛れもない、怒りの感情。俺はその気迫に思わずたじろぐ。
マトイは拳を握って激情のままに語る。
「俺は地球で楽しい人生を送っていた! だがいきなりこの世界に呼び出されてどうだ?! 人間の王には魔王の討伐をしろだの、異界人には権利が無いだの、駒としてしか見られなかった日々があった! 今だってそうだ! あいつが、魔王を殺せば元の世界に戻してやるというから! だから俺はここまで頑張って、隠し通して、ずる賢く、醜い手法で、計画をしてきたのに! 俺の人生の架け橋を奪ったんだ、恨んで当然だろうが!」
涙を流しながら語るマトイの表情は、今までには見たことのないような――そして、見たくも無いような表情で、俺は牙を納める。
マトイの人生を、考えてみた。
もしかしたら、俺が訪れたことのあるあの世界には、マトイの親友がいて、妻がいて、家族がいて。その誰もがマトイを心配していて、そしてマトイもそいつらのことを想っていて。
ならばどうしてこの世界で楽しく生きていけるというのだろうか。
『……俺たちじゃ、足りなかったんだな』
「ああ、足りねぇ。あって十分の一だ。俺の人生の百分の幾つかにすぎねぇ」
俺の心は、正直傷ついた。俺はかなりマトイのことが好きだったのだ。こいつと食べる飯も、共に話す時も、俺の生きてきた中でも、結構好きな時間だったのだ。
だが、そう言われてしまえば。
俺は、戦わなければいけない。
『幹部として、お前を止めるぞ!』
「――本当は、お前が幹部になる前に決めたかったんだがな」
その時、俺の体に力が流れ込んできた。
それは暖かい魔力の波動。
俺は城を見上げる。マミー――母さんが、俺を心配そうに見ていた。
『ありがとう』
そう呟いて、俺はマトイに飛びかかった。




