百十七話 番犬、サンドと相見える
サンド『だいぶ久しぶりじゃのう。まあ、だがなんだ、もうわしは俺ではない! さあ、戦いの時間だ!』
「幹部は皆自身の領地で凶王の対処をしろ! 手が空いているやつらで郊外および僻地に住んでいる者たちに避難命令を出せ!」
凶王の暴走の報告を受け、魔王城内は喧騒とどたばたという足音に包まれていた。
まっさきに指示を受けた俺を除く幹部たちが自身の領地へと向かう。忙しそうにしている魔王を前に、俺はどうしたらいいものかとおろおろと足をさまよわせていると、ひとしきりの指示を終えた魔王が俺に向かって言った。
「ケルベロス! 無の砂漠へ直行だ! やつらに話を聞かねばならん」
俺はただ首を大きく振ってうなずいた。
「パパ! あたしは!?」
広間を抜けようとすると、アイーダの張り上げた声が耳に入る。
魔王は一度立ち止まって、そして振り返って言った。
「……ここは任せた」
「――わかった」
そう力強く返事をするアイーダを尻目に、俺たちは後ろ髪を引かれる思いで駆け出すのだった。
―― ―― ―― ―― ――
――無の砂漠。サンドの領地。
そこは“死”の蔓延する、魔力と生命を奪う砂嵐地獄へとその姿を変えていた。
「まずい……大地の浸食が始まっている」
無の砂漠と大地の境界の近くにテレポートした。俺はその有様に目を見開いて、ただただ口をつむぐ。
砂が深緑の草を覆ってはその地を砂へと早変わりさせる。サンドは、俺たちの街へ向かって進んでいるのは間違いない。
そして、おそらく――
「魔力の反応だ。そこにアイーダたちがいる」
「わかった」
魔王はうなずいて右手を掲げる。
「《雨》」
その瞬間、天から巨大な雨粒がぼとりと落ちてきた。瞬く間にそれは滝のように降り注ぎ、砂塵であるサンドを絡め取って地面へと縫い付ける。
雨粒の合間を縫うように俺たちは魔力の方へと向かう。
「クソッ。早くいかねば――」
珍しく本気で焦る魔王は、作り物の右腕を必死に振って走っていた。
実は魔王は能力の性質上、一つの力しか使えない。だから、走るのは自身の肉体の力。
「衰えたな、魔王」
「ああ、ほんとだよ! 魔法に頼りすぎた」
「先に行くぞ」
「そうしてくれ!」
俺は脚に強化をかけて魔王の先をゆく。わずかだが俺の方が速い。
そのままの勢いで俺は魔力の元へと走り抜ける。そこに、攻撃を防ぎ続ける二人の姿と、があった。
そして、アレッタの形をしたサンドの姿も。
「クソッ」
なぜ二人が反撃しないのか、そんなことはよく考えずともわかる。
アレッタがいなくなったら、子供達が悲しむではないか……!
「こっちだ! サンド!」
だが俺は地面を蹴って、脚を突き出す。振り返ったサンドはそれを二の腕で防いで、まるで煙を払うように右に振った。
俺はなすすべもなく濡れた砂の地面を転がる。
「ケルベロス! 上!」
呼ばれて俺は自分が絶体絶命だということにようやく気がついた。
大量の濡れた砂とともに、巨大な雨粒が俺を押し潰さんとし――
「馬鹿野郎! 気を付けろ、俺!」
「悪い。だが助かった、ありがとうな、俺」
ケルベロスが俺を抱えて脱出することでなんとか被害を抑えた。
サンドは新たに一人、さらにこれからもう一人が加わることを察したらしい。
『くっくっく。今更ここで引き下がれはせんよ』
「だがお前の体は魔王の力で機能しない」
舞っていた砂嵐は、魔王の雨と湿気で抑えられ、そよ風の中を砂埃が漂っているに過ぎない。
俺がそのことを指摘すると、だがサンドは大した焦りも見せずに、俺たちとの距離を少しとってから笑い声をあげる。
『くくくくく……その程度で、この俺が、凶王サンドがどうにかなるとでも思っているのか!!!』
サンドが手を広げる。すると、地面に積もった水を吸った茶色の砂が大きく波打ち、サンドへと向かって行くついでに俺たちを飲み込まんと襲いかかる。
俺たちは跳んでその波を避ける。
「濡れた砂も操れるのか!」
「アイーダ! 魔法は使えるか!」
「無理! サンドの効果がなくなってるわけじゃないもの!」
サンドは未だ絶え間なく魔力を吸っており、足下から魔力が抜けて行く感覚がぬぐえない。
そちらに気を取られるまま、避けるのに集中していると、向こうの方から魔王がやってくるのが見えた。
「魔王! 手伝え!」
「その前にお前らは後ろを見ろ! 《防》!」
魔王に言われ俺たちは後ろを振り向く。すると、そこには濡れた砂をかき集めたサンドが、巨人のような体格で仁王立ちをしている。
俺たちはあんぐりと口を開けたまま動けないでいると、魔王のバリアに砂の巨人の拳がつき立った。
拳の砂がバリアの魔力を食い荒らしながら浸食する。
「さすがの凶王だな。我の魔力すら食うか」
魔王が口角を自然とつり上がらせる。
俺たちはその場を離れると、ちょうどバリアを破った拳が地面を穿った。
俺は魔王に話しかける。
「お前の魔法が食い破られるって、大丈夫なのか?」
「いいや、大丈夫じゃないな」
至って冷静に魔王が告げる。それを聴いて俺たちは不安を隠せない。魔王が焦る相手に、どう勝とうというのか。
「このまま凶王との連戦が続くとなると、さすがの俺も辛いな」
そう言って魔王がうなった。
「……ちょっと不安になったじゃない」
「む、悪いな。さすがに俺にも一日で凶王五体を相手にするのは辛い。――だからここは少し龍に頼ろう」
魔王が空を見上げ、何か唇を動かした。
俺たちが訝しんでいると、魔王がにっと笑った。
「まあ見てろ。こいつの力を見られるなんて、そうそうないぞ」
俺が口を開きかけると、地面が黒い影に覆われた。
見上げれば、そこにいたのは純白の巨大な美しい龍。白い尾をたなびかせ、鼻の横から伸びるひげは細さ故に透き通ってすら見えるほど。
魔王の力で黒かった空は、今や雲一つ無い晴天になっている。
その龍――いや、天龍と呼ぼう。天龍とサンドが向き合うその姿は、アイーダとともに地球で見た特撮映画のようで。
「よし、ここは任せるとしよう」
「いいのか?」
「ああ、大丈夫だ」
天龍がサンドの太い右腕を食いちぎる。すると、サンドはうめき声を上げながら、左腕で反撃の一撃を繰り出した。
熾烈な戦いになることは間違い無い。それにここにいても俺たちは何も出来ない。だが、俺たちは動けないでいた。
「どうした、お前達」
「アレッタが、いるんだ」
魔王には誰のことかなど一切わからなかっただろう。俺たちは魔王を見る。だが、魔王は「安心しろ」と言って笑う。
「神獣に任せとけ」
その時、天龍が高く高く鳴いた。
その音は不思議と心に癒やしをもたらし、俺たちの焦っていた心は、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。サンドもその動きを止める。
天龍が動きを止めた。そして、頭をサンドの胸部へと静かに埋め、何かを探すように顎を動かした。
そして目当てのものを見つけたのか、巨人から頭を引き抜いた天龍が俺たちの元へやって来た。
「さすが天龍の子だな。癒やしの歌をすでに身につけているか」
「……これで子供なの?」
「ん? 当たり前だろう。こんな小さいわけがない。親はこの大陸を一周できるぐらい大きい」
「なんでそれで見つからないんだ?」
「白さが増しすぎて透明になるんだよ。こいつのひげみたいにな」
改めて神獣の規格外さに驚いていると、天龍が俺たちの前に何かをそっと置いた。
それは静かに眠る濡れたアレッタ。
「なんで雨もないのに濡れてたのかしら」
アイーダがふと疑問を口にする。それにケルベロスが答えた。
「魔王街郊外の洞窟だ。無の砂漠への魔方陣がいつもそこにあって、下を誰かが通ると鍾乳洞の水で濡れるんだ」
「なるほどな」
また以前と同じように、サンドに誘われてあの魔方陣に誘われてしまったのだろうか。
魔王は天龍の頭をなでる。
「ありがとうな。悪いがもう一仕事だ。こいつを事が終わるまで天空まで連れて行ってやってくれないか」
しかしその頼みに天龍の子は首を横に振った。そして俺に頭をコツンと当てると、俺の人化が解かれる。スーツは無惨に破けた。少し残念だ。いや、それよりも。
『……どうなっているんだ』
「我にも説明できないことは多々ある」
そして天龍は俺にアレッタを寄せた。
これは……俺が寄り添ってやればいいと?
ケルベロスとアイーダに視線を向けると、二人はうなずく。俺はアレッタの横に寝そべった。すると、不思議な感覚が俺に流れ込んでくる。
それは誰かを無意識に癒やしているときのような心地のいい感覚ではなく、眠気が覚めるような鋭い感覚。
俺はその不快感に耐える。
「……ん、うぅ」
アレッタがうめき声を上げた。
「……ここは?」
「無の砂漠ど真ん中だ、砂人の少女よ」
「ま、魔王、様?!」
起きた瞬間目の前に魔王がいたことに盛大に驚いたアレッタは、のけぞった動きで俺の腹の毛に埋もれる。それにまた驚いてばっと振り向いた。
「び、びっくりした……」
『無事で何よりだ』
アレッタは目をパチパチさせながら現状を把握しようと視線をさまよわせた。
俺たちは緊張の糸がようやく緩み、そのアレッタの反応に笑い合うのだった。
アレッタ「最後まで読んでいただきありがとうございます。どうでしたか? 前書き、完全にネタバレでしたね、すみません……。天龍さんの歌声、とても心地が良かったです。私が誰かを傷つけなくて加えなくてよかった……。皆さんには感謝です。次回もよろしくお願いします」




