百話 ケルベロス、勇気を出す
ケルベロス「百話目だ。……何も言わないから、最後まで見ていってくれ」
せっかくの人間界なのだから外に出たい。
俺の中ではかなりのわがままになるが、それでもアイーダは快く付き合ってくれた。
……付き合ってくれた、といえば、恋愛ものだと勘違いする、という展開がお決まりらしいが。
彼女は一目惚れを信じてくれるだろうか。
というわけでやって来たのは久屋大通。名古屋の中心を通る、横幅は中央の公園合わせ百メートルと、とても幅のある道になっている。
その周りには、栄駅から大須まで、服屋や飲食店、大きな本屋も並ぶ、まさに都会の中心である。尚、ここまで全てネット参照。
俺たちは何かするでもなく、本屋に入ったり、高い建物に入ってたくさんのお店を見て楽しんだり、地下街で昼食を摂ったりして、都会を満喫した。
「悪いな。俺に付き合ってもらって」
「別にいいわよ。そうそう来ることのできる場所じゃないもの、人間界って」
「お前の力でも大変なのか?」
「帰りの魔力がいらないから来てるけど、いるってい言われたらこれないわ。魔力補充できないし。もちろん、行きの分の魔力だけでも相当な量がいるからね」
衝撃の事実だった。魔界有数のチート持ちでも、別世界に行くというのは、相当の苦労がいるらしい。考えてみればそれもそうかと納得できるが。
手近なベンチを見つけ、俺は座ろうと指で示して促す。アイーダもうなずいて、俺たちは公園のベンチに腰掛ける。
いい気分だ。夏にしては心地の良いそよ風が絶え間なく吹き涼しく、車の発する音は耳に入ってくる程度で気にならない人工のBGM。風が木を揺らし葉は音を奏でる。
とてもいい世界だ。生まれ変わるならここでもいいと思えるぐらいに、魅力に満ちあふれた世界。人間界は、素晴らしい。
「……なあ、ここの人間と、あっちの世界にいる人間っていうのは、全くの別物なのか?」
「そうね。全くの別物。電気だってないわ。まだ儀式や魔術に頼りっぱなしなのが、あの世界の人間」
「そうか……」
俺はなんだか人間と敵対するのが怖くなってきた。文化が違えど同じ人間。きっと、敵に回せばこちらも楽にはすまない。そんな気が自然とわいてくる。
「ちなみに、マトイもこの世界出身よ」
「ほんとか? ここ最近のビッグニュースだぞ……」
俺的ビッグニュースのトップに躍り出たぞ。なお暫定二位はこの世界について。三位はイカ墨パスタ。張り合いの無いニュースたちだ。
そんなことはどうでもいい。マトイは元々この世界の住人……。
「じゃあなんで魔法を使えてるんだか」
「さあね。召喚されたときに何かされたんじゃない?」
これについては、帰ってからマトイと話すことにしよう。
ずいぶんと話がずれてしまった。俺が話たかったのはそんなことじゃない。マトイなんてどうでもいいんだ。
俺は息を大きく吸う。ひどい動悸だ。頭が絞られるような、感じたことの無い緊張感。文字に表すには俺の語彙が足りない。
だが、それが俺の気持ちを証明していたことは明らかだった。
「なあ、アイーダ」
俺は意を決してアイーダと向き合う。
「――一目惚れって、信じるか?」
言ってから、俺は後悔に襲われる。なんだその言い方は。他にもっといい伝え方があったんじゃ――
「……絶賛一目惚れ中よ」
そう言って、アイーダは俺から目をそらした。耳まで真っ赤に染めて。
「――そ、そうか」
………………。
……どうすればいい。
何が正解だ?
ここは一度アイーダに訊くべきか?
いや、紳士として自分から言うべきか。
だがその勇気が出せない。
これ以上踏み入っていいのか?
しかし俺はずっと思ってきたはずだ。
始めて人としてアイーダを見たその時から。
だから、
だから――
その時、アイーダの潤んだ瞳と目が合った。
「俺は、お前が好きだ。好きになってしまったんだ。始めて人になって、お前を見て……想ってしまったんだ」
口は、俺の想いを言葉として運ぶ。
「どんな姿でもいい。――アイーダと、ずっと一緒にいられたら、幸せだろうなって」
あまり会えないときもあった。最近じゃ、俺は幹部の下へ行ったり、凶王に会ったり……アイーダも、自分の人生を生きていて、留守にすることも多くて。
でも、俺たちが、ずっと一緒に遊んで、喜びと、楽しさを分かち合った日々は、間違い無くあった。どこにも記されて無くても、それは確かに俺たちの思い出にある。
俺は言い切って、鳴り止まない心臓にそっと手を置いて、荒い息を吐く。
そして待った。アイーダの答えを。
「……ずっと、可愛い犬で、家族だって思ってたのよ」
アイーダは、視線を伏せて、ただ顔はこちらを向けて。
「なのに、おかしいのよ。一緒に始めて人の姿で出かけたとき、私はドキドキしてたの」
恋する乙女は、俺が恋した女の子は、笑って顔を上げて。
「ねえ、いつもみたいにしていい?」
「……するほどもふもふじゃないけどな」
「わかってるわよ」
そんな風に言われると、非常に困る。だってこんな魅力的な子に、素の俺で、なんて……頭がおかしくなってしまうよ。
俺は、顔を背けながら両腕を広げて、首元をさらけ出す。その首にアイーダは腕を絡め、俺に体重を預けてきた。
「……硬いわね」
「今の俺に癒やしを期待するなよ。……代わりに、俺も」
俺はそう言って、アイーダの頭をなでる。
異世界の真ん中で、俺たちは幸せに包まれていた。
ケルベロス「はぁ~……緊張した。みんなもどうだ、そんな思い出はあるか? 実際に体験してみると、なんだ……言葉にはできないな。貴重な体験とでも言っておこうか? まあ、なんだ。これでついに百話だ。いつも読んでくれてありがとう。これからもよろしくな」