九十八話 番犬、人間界でランチタイム
紆余曲折を経て。
「結局それなのね……」
「これが落ち着く」
俺が店で買って、そのまま着て出た時の服装はこうだ。
フード付きの黒のTシャツに、青のデニムのハーフパンツ。もちろん他にもたくさん選んでもらったが、これは自分で気に入ったから選んだものなので、かなり落ち着く。
だが、アイーダは何か不服らしい。先ほどからむすっとしてこっちをじろりとみてくる。
「……なんだよ」
「折角このあたしが選んであげたのに」
「いや、それはだな」
俺は理由を言うべきかとどもる。別に言えないわけじゃない。ただ、ちょっと言葉にするのが難しくて……。引きつった笑みのまま、俺は応える。
「なんというか、言葉にはしにくいんだが、その……女性に選んでもらった服を着るっていうのは、なかなか緊張してな」
試着の時もなかなか落ち着かなかったのだ。
「……っていう理由なのだが」
「……まあ、それなら許して上げるわ」
「悪いな。また次の機会に着るよ。絶対だ」
「はいはい。ほら、買い物も済んだんだし、何か食べましょ」
そう言って俺の前をすたすたと歩いて行ってしまうアイーダ。こっちも向いてくれなかったのが少しショックではあったが、とりあえず後ろをついていく。
商店街には、服屋がたくさんある通りもあるが、反面食事処や食べ歩きができるような店もたくさんある。俺たちはメロンパンやたこ焼きという、この国ならではのものを買っては食べる。
別にアイーダには嫌われているようではないので安心した。そんなに着て欲しいものなのだろうか。乙女心はわからない。俺はたこ焼きを爪楊枝で刺して口に運ぶ。
それにしても美味い。あっちの世界には無い味だ。ジミーを連れてくれば、さぞ喜ぶことだろう。勉強熱心で研究熱心なあいつのことだからな。
ふと、イカ墨パスタの文字が目に入った。
……ジミーよ。お前の方が先ならいいな。
しっかりとその看板をみると、どうやらそこはイタリアンレストランなるものらしい。ちなみに俺がこの国の言葉を理解できるのはアイーダの魔力のおかげ。あの魔方陣に仕込んであったらしいのな。
俺は看板を指さしたままアイーダに声をかける。
「なあ、昼飯はどうする」
「昼? 結構食べ歩きしたけど……」
こちらを向くアイーダが、俺の人差し指の先を視線で追う。そして少し考えて口を開いた。
「ま、いいんじゃない。でもパスタってあの定食屋でもあったじゃない」
「いいじゃないか。食べ比べだ、食べ比べ」
そしてこの話をあとでジミーにもしてやろう。きっと悔しがるだろうな。などと考えながら、俺たちは店の扉を開けた。
店員さんに案内されて席に着いた俺たちは、各々でメニューを開く。
「あたしはサラダぐらいでいいわ。あんまり食べる気が起きないし」
「そうか。……その前でがっつりと食うっていうのも度胸がいるが」
「あたしもゆっくり食べるわ。普通に休憩もしたいし」
そういうことなら。と、俺はメニューをじっくりと眺める。ほうほう。モッツァレラチーズのトマトパスタ。チーズたっぷりクリームパスタ。たらこパスタにミートスパ。どれも興味を引く。
だが、やはり俺の意思は変わらない。
「注文するか?」
「そうね」
俺は机の端にあるスイッチを押す。すると、ピンポンと軽快な音が鳴った。これはアイーダとの事前予習の結果である。知らなかったら俺手を上げて呼んじゃうよ。間違ってはないらしいけども。
手短に注文を終えると、ちょっとした沈黙が降りた。別に居心地の悪い静けさじゃない。むしろ、安心できる沈黙だ。心地がいい。
その心地よさに身を任せてぼーっと上の方を眺めていると、アイーダがこちらを見ていることに気がついた。無視するわけにもいくまい。
「……どうした?」
「えっ? いや、別に……なんでもないわ」
「暇つぶしに俺の顔を見るのは勘弁してくれ」
「そ、そうね……」
何故か返事の切れが悪いアイーダ。やめてくれ。そんな見られると俺の心臓と理性ももたない。ビクビクしていまうだろう。その証拠に、今サラダを届けてくれた店員さんに驚いてしまったでは無いか。
アイーダも仕切り直すように水を口にして、フォークを手に取った。
「じゃ、先にいただくわね」
「おう」
それから少し後に俺の好物であるイカ墨パスタもやってくる。
もぐもぐとお互いに喋らずに食べていると、ふと俺は何かを思い出した。だが、それは何かであり別に重要なことじゃない。多分魔界関係のことだ。
そんなことよりも、俺は今、二人でいる状況を優先して、ただ黙々とパスタを口に運ぶのだった。