九十六話 番犬、異世界へ旅立つ
リン「本日はマトイ様のメイドでございます、私の番でございます。なかなか興味深い本編となっていますので、よければ最後までお付き合いお願いします」
「さ、着いたわよ」
そう言われて俺はようやく目を開ける。
そこは、魔界には無い、不思議な部屋だった。足下のカーペットは心地が良いし、パリスの研究室でみたものとは違うが、鉄の機材がたくさんあった。
俺は好奇心に身を任せて部屋を見渡す。
「……あんまり乙女の部屋をじろじろと見るもんじゃないわよ」
「仕方ないだろう。好奇心がうずいて仕方がないんだ」
現に、俺は今、台の上に置かれている平べったい黒い機械に興味を示している。なんだこれは。何がどう動いてどうなるっていうんだ……?
自然と息が荒くなる俺の眼前で、その薄い板はぴかりと発光して、色とりどりの光をせわしなく入れ替えている。そこで気づいた。
この光は、絵を表しているのだと。
「絵を連続して写し出す板……」
「ただのテレビよ。絵じゃなくて、映像って言う方が正しいわ。ま、考え方はあってるかもね」
否定されたり肯定されたりで俺はやっぱりさっぱりわからないが、それでも感心せずにはいられない。
「お前はよくこんな世界で一人でやっていけてるな」
「そうでもないわ。最初にこの世界に来たとき、常識を一切知らないあたしは大恥かいたのよ?」
へえ、それは興味深い話だ。俺は、ふかふかもこもこのカーペットに腰を下ろす。
「あ、お茶いる?」
「いただくよ」
そう応えると、「わかったわ」と言ってアイーダが鉄の機材に囲まれた、この部屋とは区切られた場所に向かい、不思議な形の取っ手をひねった。すると、鉄の筒から水があふれ出す。
ほー、あんなものもあるのか。しかも水は途切れることを知らない。あれは魔法なのか? 水が延々とあふれ出す鉄の筒……人間というのはすごいな。
そこでふと俺は研究室で感じたことを思い出す。
「これも全部、電気で動いているのか?」
「そうよ。よくわかったわね」
「パリスの研究室で、静電気のせいで毛が逆立ってな。訊いたら当たってたよ」
俺は出された紅茶を受け取り、ふーふーと冷ましてから口に運んだ。紅茶だけは魔界のものとは大差がないようで、思わず安心してしまう。違わないというのはいいな。
何回か口を付けた後、俺はおもむろに立ち上がる。
「どうしたの?」
「いやあの鉄の筒が気になってな……」
俺はその鉄の筒の前に立つ。出口と思わしき筒の先は下を向いていて、その筒の存在以外は魔界の一般的な家庭と大差がない。
だが、この筒がひとつあるだけで、何もかもが変わっている。
俺は、ごくりとつばを飲んで、その取っ手をひねった。
筒の先から水があふれ出す。
「……どんな魔法だ」
「魔法じゃないわ。人間の技術の結晶よ。これは蛇口って言って、水道から運ばれてきた水の出口になってるの」
後からやってきたアイーダがそう説明しながら蛇口の取っ手を逆にひねる。今度は水が出るのが止まった。
おー、と目を輝かせていると、アイーダがふうと息を吐く。
「ま、驚くのも無理はないけどね。魔界じゃみんな自分で魔法で水を生み出してるから、水道の需要もないし」
「小川もそこら中にあるしな」
「そうね。でも、この世界は魔法がないの。その結果生み出されたのが、こんな風ないろいろな技術。生活に役立つものから、娯楽まで、なんでも生み出してるのよ、人間って」
言われて俺は先ほどアイーダが“テレビ”と説明した機械をみた。
なるほど、となるとあれも人間の技術のたまものか。理解すると、今度はどんな使い方ができるのかが気になってしまう。つきっぱなしのテレビに視線をやっていると、こんな声が聞こえた。
『明日の愛知のお天気は、名古屋では晴れ、その他の地域でも比較的良い天候に恵まれるようです』
天気……天気?
「なあ、なんで明日の天気がわかるんだ? 占いか?」
「だーかーら、魔法じゃないの。あれも人間が天気を予想する仕組みを作ったのよ。ゼロからね」
天気の予想ができるだと……? 魔法なしで? それは、むしろ魔法ではないだろうか。魔界では全て占い師によって天気が予想されていたというのに。
俺はもういよいよ人間に対する認識を改めなければいけないようであった。素晴らしいな。もっといろいろなものがみたい。
そんなことを考えていると、アイーダが肩をふるわせて笑う。
「ほんと、なんであんたはこっちに来たときのあたしと同じ反応をしているのよ」
「驚きすぎて思考が麻痺してるぞ」
「ええ、あたしもそうだったわ」
楽しそうに一通り笑って、アイーダは目の端の笑い涙を拭う。
「あたしもね、何にも知らなかった。だから、わざわざこの世界の歴史を追ったの。一から、いや、人間が生まれる前の〇から今まで。すごかったわよ。ずーっと戦争。やっと今は治まってるけどね」
戦争。
俺たちの世界でも、実はまだ戦争、というか、争いごとというのはたくさんある。例えば、少し前の出来事にはなるが、下級悪魔のインプと下級妖精の妖魔戦争や、獣人と亜人の人権戦争など、今でも数えれば枚挙にいとまが無い。
それはどこの世界でも同じなのだな。異世界の共通点は、妙なところで繋がっていた。
「さ、いろいろ説明してあげる。今はもう夕方だから、また明日出かけましょ」
その眩しいぐらいの笑顔に、俺も微笑んだままうなずいて返した。
リン「最後まで読んで頂きありがとうございます。いかがでしたでしょうか? これはマトイ様が羨ましがりそうです。そういえば、マトイ様の出身は……。よければ次回もよろしくお願い致します」