九十三話 番犬、虚無になる
マリン「あらぁ、今日はあたしなのねぇ。今回はいつもよりもちょぴっとだけアダルトよ♪ よかったら最後まで見ていってちょうだいねぇ」
……虚無だ。
俺は今、人の姿になり、そして全裸でうつむいたままただただ何も無い部屋の大理石の床を眺めていた。
何をさせられたのか。
……自慰をさせられたのだ。
犬の頃、発情期というものが確かに俺の中にはあった。だが、それは俺の睡眠欲に敵うことはなく。結局昼寝をすれば解消されるという、完全ストレスフリーな生活をしていた。
だが人の姿になればどうだ。
いつでもどこでも発情は可能。さらに性欲も無制限とな。
……というわけで虚無だ。いや、なんの説明にもなってないが、察してくれ。俺は虚無なのだ……。しかも、その液体はばっちりパリスに回収されたからな。複雑な気持ちだ……。虚無だ……。
虚無虚無してぼーっとしていると、部屋の扉がノックされた。
「おーい。生きてる?」
「……虚無になりたい」
「刺激が強すぎたのかな? まあいっか。ほら、結果が出たよ。服着ておいでね」
まるで引きこもりをあやす母のような言葉遣いだ。俺も重い腰を持ち上げて、のろのろと服を着た。
こんなアダルトな展開があっていいのか。いや、必要な情報らしいから仕方がないと割り切るしか無いのだろう。それにしても虚無だ……。
―― ―― ―― ―― ――
「結果だけど、別に君がその姿のまま人型と交わっても、別にたいした影響はないみたいだよ」
カタカタと機材をいじりながら、パリスはそう説明する。
「だから、安心して自分の恋愛を楽しむといい。よかったじゃないか」
「そうか……」
……と、言っても。
俺はまだ告白もしてないし、なんなら自分の感情を恋愛だと言い切る勇気もない。良かったと言われてもいまいちピンと来ないのが現状だ。
俺は深呼吸で息を大きく吐く。
「そんなに刺激が強かったのかな?」
「強かったな……。初体験だぞ、あんなの」
ちなみにどのようにさせられたのかは想像にお任せする。そんなものを任せるなよなぁ。なんて考えてしまうだめだ疲れてるみたいだ。
俺は再び、今度はため息を吐いた。そして無理矢理話題をそらすように、口を動かす。
「お前にはなかったのか。そういう恋愛感情を持った時期が」
「うーん。言われると断言しにくいけど、あるにはあるね」
ほう。パリスにもそんな時期があったのか。しかし一体誰だろうか。
「ちなみに、俺の知ってるような人物か?」
「いいや。誰も知らないよ。だって、ボクは自分の親に恋をしていたんだから」
そう自分で言っておいて、ほんのりと頬を染めるパリス。俺には新鮮な、女の子らしい一面だ。
それにしても、自分の生みの親に恋を、ね。
「別に血は繋がってないんだろ?」
「まあね。でも、あとは察しがつくだろう?」
もったいぶるような口調だが、俺が掘り下げていいような話題でも無い。俺は素直に首を縦に振る。
「もし生きてたなら、今頃プロポーズしたんだろうなぁ」
「そんな甘酸っぱい話をお前から聞けるとは、俺も驚きだよ」
「ボクも今さっき面白い話を聞けたからね。そのお返しだよ」
面白い話、ねぇ。
俺は少し考えてみる。俺がアイーダに告白したとして、あいつはどんな反応をするのだろうか。全く見当がつかない……。
それに、嫌われるのもかなり怖いな。いや、まさかそんなことはないと思うが、疎遠になるのは避けたい。うう、だが告白はしたい。もどかしいな……。
うんうん一人でうなっていると、パリスがニヤニヤしながら訊いてくる。
「で? いつ告白するの?」
うっ、と思わず声が詰まったのは、ちょうど同じことを考えていたから。
「……告白って言ったってなぁ。俺はまだ何もわからないわけで」
「でもしたいんだろう?」
そうだよ。図星だよ。
俺は思わず頭を抱える。
「ほんと、人間らしくなったねぇ」
「誰のせいだと思っている」
「ボクが開発しちゃったからだよねぇ」
そうだよ。その通りだからいい加減その笑みをやめてくれ。体が強ばって仕方が無い。
居心地の悪さをごまかすように俺は視線をさまよわせる。
と、その視界に入ってしまった。
「あら? ケルベロスじゃない。珍しいっていうか、ここでみるのは初めてね。……というか、人の姿なのね」
ちょうどやってきたアイーダ。
「ナイスタイミングだね」
「うるさい」
俺はパリスの方を向くのをやめた。
マリン「最後まで読んでくれてありがと♪ どうだったかしらぁ? あらあら、ケルベロスちゃんってば、初心ねぇ。うふふ♪ 面白い回に出させてもらったわ。次回もよろしくねぇ」