3話
――――Side ティグル
私は元は大商家の跡取りだった。
順風満帆までとは行かなくてもそこそこ上手くやれていたと思う。
跡取りという立場に甘えず下っ端から始め、コツコツと下積みを経て漸く行商を任されるまでになった。
行商を任されてからも下積み経験を活かしそれなりに成果も出していた。
その間に美しい妻と可愛い娘にも恵まれ、後は親父の跡を継ぎ商会を盛り立てて行くのだろうと思っていた。
―――ところが、全てを裏切られた。
私は商会を継ぐ事無く、妻と幼い娘を連れて生家を出ることになったのだ。
妻には苦労を掛けたと思う。娘にも。
そんな自分が許せなくがむしゃらに働いた。思えば妄執だったのかもしれない。
失ったものを取り返そうと、あの忙しくも充実して幸せだった日々を。
結局、私は商売人というのを止められず、それこそ地べたを這うように駆けずり回って今の地に落ち着いた。
初めは小さな露店だった店も次第に大きくなり、商会となり今や中堅なんて言われるようにまでなった。
あの頃夢見ていたものとは少し違うけれど、概ね私の夢は叶ったと言える。
そんな折だ。昔、一番苦しかった時に世話になった村に災があったという報せを受けた。
散々世話になった村だ。私は様子見がてら恩返しに行こうと物資を積んで馬車を走らせた。
久しく行商を行っていなかったが矢張り外に出れば身が引き締まる。
最近は特に商会から動かず地盤固めと育成に勤しんでいたから尚更だ。
これを機に月に一度位は時間を作って行商を行ってみようか等つらつらと胸に湧く。
「おぉ、そうだ。これがあったんだった。折角貰ったのに活用していなかったから丁度いい」
ほんのりとした気分の高揚のままに私は懐に入れていた遠眼鏡の事を思い出す。
貰い物の遠眼鏡―――行商をしていた頃には手が出ず随分と悔しい思いをしたものだが、手に入れられた頃には既にこれは必要が無くなってしまったという何とも皮肉な話だ。
だが、今は馬車の上。視界も拓けていてこれを使うにはもってこいだ。
男は何時までも子供と言うがそうなのだろう。事実私は今とてもわくわくしている。
遠眼鏡をそっと目に当て前方へと視線を向ける。
「おぉ…!!これは凄い…あんな遠い場所までクッキリと見える!」
遠眼鏡を付けたり外したりして位置を確認しながら見る世界はとても面白かった。
確かに、これは良いものだ。うむ、実に良いものだ。
領都と件の村の中間あたりだろうか、私はまだ遠眼鏡で遊んd…いや、前方確認を行っていた。
すると、先程まで見えなかったものが視界に映る。
……頭?だろうか。黒く小さいものがチラチラと見えるのだ。
馬車の速度を緩め遠眼鏡でじっと見つめていると次第に小さいものは人型らしいというのが分かる。
先程までの高揚感は一気に消え失せ、私は警戒を強め馬車の速度を更に緩める。こんな何も無い道で出る小さく動く人型などほぼゴブリンだ。
一匹程度ならば私一人でもどうとでもなる。だが、ゴブリンは群れで行動する。あのゴブリンは斥候で本隊が近くに居るのならば一気に危険度は高まる。
馬車は既に人間がゆっくりと歩く程の速度だ。それでもアレとは距離が近くなっていく。
余程アレはゆっくりと歩いているのだろう。
罠か…だとすればどうするか。村に行かないという選択肢はない。
物資も不足しているだろうし怪我人もいるかもしれない。腹を空かせて居るかもしれない。
どうすれば…ぐるぐると考えが巡るうちにも距離は縮まる。いっそ馬車を停め様子を伺うか。
ぐっと奥歯を噛みしめ場所を停めると未だ前方に見えるアレを注視する。
――随分と揺れている。…え、揺れている?いや、あれは足取りが覚束ないのか?怪我でもして群れから逸れたのか?
「……!!!!」
私は弾かれる様に馬車を走らせる。アレはゴブリンなんかではない。アレは…あれは―――
小さな子供だった。ふらふらと今にも倒れそうな状態で歩いている。
私が、馬車が全速力で走って近付いていても気付かない様子でただ歩いている。
私は馬車を子供の直ぐ傍へと停め慌てて子供へと近寄った
「君!!君大丈夫かね!!」
声をかければ子供は振り返ろうとしたのだろう。だが、それは叶わずゆっくりとその小さな体は傾いでいく
「……おとぉ…さん…」
その小さな言葉が、私といや、私達とあの子の出会いだった