第五話 新人病院薬剤師の成長過程
前話からさらに時間をまた戻して病院薬剤師の新人として過ごした日々を書いてみます。
病院の薬局に就職が決まるとまず、先輩方にあいさつ、次いで各部門にあいさつします。病院には、患者としてなじんでいても「中の人」 になるとまた違う印象です。のほほんとして平和だった学生時代、実習生として大病院の薬局は、知っていました。
実習生時代はまだ無免許の学生ですし、大事な仕事はまかせてもらえません。受け入れ薬局側としては、従来するべき仕事に加えて新人教育も大事な仕事です。でも忙しいので「すごく邪魔だが粗末にできないお客さん」 扱いされていたと思います。よそは知りませんが私の時は表面上のところしか見せてもらっていないのです。
いざ入職しますとみんな立派な専門家に見えました。しかしながら免許取り立ての新人薬剤師も、患者さんから見たら立派な薬剤師です。経験年数などは関係なく、一定の能力があるとみなされます。とても緊張しました。
病院といえば医師、看護師、薬剤師、それとお手伝いの事務員さんという大雑把な意識しかなかったのですが、たくさんの部門があるのに驚きました。それだけ縁の下の力持ち的な人々が多いのです。病院ならまず臨床現場の人が表に出ますが、事務方がその人数と同じぐらいいるのです。医事課、総務課、人事課、用度課……大きい病院だとそうなってくるのでしょう。
あいさつ回りをしたら、いよいよ薬局の仕事です。だけど新人は最初から華々しく活躍させていただけません。
私が一番最初に言いつけられた仕事は、散薬の分包機から出されてくる分包紙を折りたたむ仕事でした。一日三回服薬する人は三つ折りたたみ、四回ならば四つ折りたたみです。それと散薬台が汚れてきたらまず掃除機で粉末などを吸い込み、次いでガーゼで拭き、それから消毒綿で更に拭く。汚れた乳鉢や乳棒を洗って乾燥させたりします。散薬調剤が多い薬局だったので薬の粉を入れる小さな乳鉢が二十個ぐらい散薬台に積み重ねていました。各種錠剤や散剤がなくなるか、なくなりかけたら薬品倉庫から持ってくることもします。単位数がいろいろとあるので、間違えると大変です。
下っ端はそこからのスタートです。先輩方は忙しそうですし、気軽に聞けない雰囲気です。それでも薬局の雰囲気に慣れてくると、外来や入院処方のピークが過ぎたころに、急ぎではない定期処方や約束処方の予製(病棟と薬局だけで通じる処方があり、前もって作り置きをしておく) を間違えないようにとの監視付きで、言いつけられます。そうやってこなしていくうちに薬の置き場所などを覚えていくわけです。
外来調剤 → 入院調剤 → 注射業務 → 製剤、滅菌 → 病棟業務がおおまかな流れでした。プラスアルファとして数人で研究テーマを決めて薬学会の発表をすることと患者向けの広報チラシ作成がありました。そこは薬学会はある程度年数をこなしたら発表するのが当たり前だったので、何をしようかと悩みながらやりました。これまた後述します。
勤務終了後の勉強会も大事なことでした。まだバブルの余波が残っていて、新薬を出すメーカーさん(製薬会社のこと) が張り切って一流ホテルに場所を取り、豪華な部屋でやる勉強会のあとに、おいしい晩御飯を用意してくださったこともあります。しかし公立病院でしたので、こういうのは接待にあたるといわれて、すぐに禁止になりました。ボールペンやメモ用紙ぐらいならばもらってもよいが、ご飯を食べるな、お菓子をもらうなジュースもダメ、となりました。民間の病院に勤務した友人は製薬会社からブランド傘をもらったなどいうので、いいなーとか思っていました。
しかしもっと厳しくなると、メーカーさん(製薬会社のこと)主催の勉強会の外部参加は不可となりました。別の部門の庁舎勤務の人が収賄で逮捕……が続いたので、大変神経質になっていました。逮捕されて新聞に載るたびに回覧がまわってきて、業者とのかかわりに気をつけるようになどと注意書きを読まされて印鑑を押さないといけないのです。私のような下っ端でもです。うっとおしいことこの上なかったです。
こういうことがあったので、勤務時間の休憩時間に製薬会社さんが来て、新薬の説明をしにきてくださったりしました。人数が多いので休憩時は時間をずらして二グループに分けられます、繁忙期は三グループあったのでメーカーさんも二回、もしくは三回同じ日に説明を繰りかえすわけです。医師が主催の患者データを提供した院内関係者だけの抄録会もありました。こちらは早朝かもしくは勤務後の夜からです。老いも若きも関係なく、医療の道に入ったら日進月歩なので常に新しい知識を入れないといけないと身に沁みて理解した新人時代です。