第三十八話 薬剤師の震災話・その七・熊本震災とこれからの災害に備えて
熊本震災でも薬剤師ボランティアの話が来たが、私は補欠になった。二十年近くも前の経験者とはいっても、あの時と時代が違うしトシ? も考慮されたのだろうと思っている。局内で一番若い平成生まれの二十代のコが行ってくれた。帰ってから話を聞かせてもらったが、被災した場所と被災していなかった場所の落差が激しくて驚いたという。緊急性のあるけが人があまりなく、常備薬や被災者に集う人々の衛生管理が主な仕事だったようだ。体育館や公民館で避難している方々のうち、持病がある方をチェックし、薬の管理チェックができない人を把握し、随時服薬管理をしていたという。
ネットの普及と薬手帳の浸透も手伝い、これはなんだろうというような薬の判別で困ったことはないようだった。医療スタッフ同志の連絡はフェイスブックやラインを通じて行い、瞬時に情報を共有できるというのは大きい。阪神震災時は携帯電話は持っていたが、個人間で電話番号の交換は私のような下っ端クラスではそういうのは一切なく、現場スタッフ総括の口頭でという感じでしたから。今の時代、プリント配布とかは一切なし、会議もなし。ラインでグループを作って複数でリアルタイムで会話できるのです。まだ持ってない人は緊急時の個人持ちのスマホ必須、使いこなし必須です。
それでも熊本震災は阪神や東日本の時とは違って被災者の数が少ないのと、被災はしていても物質の流通が(比べてはいけないけれど)容易であったことで緊急性があまりなかった。以上恒例の前置き。
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東日本震災をきっかけに移動薬局の必要性も感じてその開発が行われたのが、大活躍。今回はその話。
名付けて「モバイルファーマシー」
知名度がすごく低いので、こっちでも紹介します。
このモバイルファーマシー。実際に寝泊まりしてきた後輩から写真を見せていただいたが、これはキャンピングカーを改造したものだそうです。発電機や水のタンクを備えて冷所保存の医薬品も収まる冷蔵庫付き。トイレもあったそうです。寝泊まりできる簡易ベッドもありますが、本人は寝袋で車の底で寝たと言っていました。
肝心の中身。これは文字通り車の中でも調剤できるように薬を合理的に詰め込んでいます。普段から緊急性の高い薬剤をリストアップしておき、要請があればすぐに出発できるようにしているのでしょう。熊本震災でも、すぐ人員を選抜してその日のうちに現地に到着したようです。しかし皆さんご存知のように熊本震災ってその翌日未明に本震が起きました。車の中で寝ていた某県のボランティア薬剤師数名がケガをし、その人たちは帰局せざるをえませんでした。無傷だった薬剤師が残って次の応援がくるまで頑張られたようです。
モバイルファーマシーのおかげでDMATの医師が発行する災害(震災)処方箋の調剤の他、家が倒壊してしまい、普段から服薬している薬が取り出せなくなって困っていた患者さんのために大変役立ったとか。そういう話を聞いて私もうれしくなります。
ボランティアといっても地区ごとに割り当てられ、この地区はもう大丈夫だろうという判断(自衛隊さんがしたらしいです)で撤退となりました。ちなみに隣の地区を割り当てられた某町からはもう少しいてほしいということで一部は継続して勤務されていました。
私は阪神震災しかしりませんが、わずか五分ほど車を走らせただけで全く無事なところと倒壊して無残なところの落差が激しかったのを覚えています。また震災の恐ろしさは今でも変わらない。しかし、災害に対する人間の動きは迅速かつ経験から裏打ちされてより合理的になってきていると感じました。
私以上に被災者や被災地の医療関係者にはそれぞれに思いがあるでしょう。どこかの医大や薬学部が被災地の医療者との交流をして体験談を聞いたらしいですが学生たちにとってもそれは未来のためによかったことではないでしょうか。
備えあれば憂いなしとはいいます。我が国は地震と火山と台風の好発国なのです。集中豪雨や竜巻も突発的に起きます。普段から心して危機管理もしないといけないと切に思います。この辺でひとまず震災関連話は終了にします。ここまで読んでいただきありがとうございます。
下記は大分県薬剤師会によるモバイルファーマシーの紹介記事と画像です。
わかりやすいかと思いますのでよろしければご覧ください。
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http://www.oitakenyaku.or.jp/manage/wp-content/uploads/2014/09/Mobile-Pharmacy.pdf




