第二十話 抗がん剤の扱い、今昔物語
大昔は抗がん剤なんていうものはありませんでした。私の卒業した頃にかろうじてファイブエフユー(5-Fu) やユーエフティー(UFT)、クレスチン数種がありました。現在のように重金属化合物や分子標的薬などはありません。
通院できる外来患者さん用に、それら内服薬が出ていました。今では併用不可である薬同志を組み合わせた処方もありました。抗がん剤の副作用は「あって当たり前」 という認識でした。吐き気はあって当たり前、痛みはあって当たり前、どうしても我慢できなければ麻薬性鎮痛薬を使いましょうか、という感じでした。
今の若い人は信じられないでしょうが、マジでがん告知は当時はなかったです。だから患者さんの大半は何も知らない状態でした。
私たち薬剤師も、他のビタミン剤などの薬があっても抗がん剤が出ている患者の薬は薬品名がわからぬように薬のヒートの品名記載欄、ラベルをむしってわからないようにして飲ませていました。
現在はがん告知があって当たり前です。薬品名も薬品情報提供用紙といいますが、いわゆる説明書を渡せます。現物の薬のヒートも英文字ではなく、カタカナもしくは成分名表記です。良い時代になったと思います。
私は真剣な目で「本当のことをいってください。私はがんですよね? この薬はがんの薬でしょ、そうでしょ?」 と問い合わせしてきた患者さんを忘れられません。告知されていないので、そうですとは言えません。幼い子どもを置いて亡くなった若い人や前途ある若い人々に対して、告知しなかったこと……処方する医師や執刀医の方も、今になって罪悪感を持つ人もいます。臨終まで家族から引き離して病床にしばりつけて治療をしたことです。
あの頃は、がんを前途が暗いものと肝心の医療者もとらえていたのです。狭い了見な時代に生きていたと思います。
今の患者さんは実にフランクです。若い人は特に。
抗がん剤が出ているならば、「術後五年は飲むように言われているからあと三年か、長いなー」 と話していかれます。処方薬についても「ほてりが出てきたがこれはがんのせいか、それとも副作用のせいか」 など聞かれます。
末期の方も、「私ははっきりと告知されてよかった。人生の期限を切られて一時は混乱したけれど、今では身辺の整理がきちんとできた。これは、がんの長所だと思っている」 とおっしゃられたことがあります。
精神科の患者さんも、よほどのことがない限りきちんと予後の説明、告知を受けられているので、こちらもオープンに話せます。もちろん自分の治療歴や処方歴を詳細に語るのが嫌いな人には無理強いはいたしません。(その気になればなんでも聞ける雰囲気を作れるように努力しています) つくづく良い時代になったと思います。
なんでも風通しがよいのが一番です。




