第一話「キット、出生の秘密」
2115年、アンドロイドの救世主に登場する人物「キット」のサイドストーリーです。
短編一本で書こうとしましたが息切れしたので、3、4話に分割した短い話にする予定です。
半径10メートルほどのドーム型の空間。
天頂には太陽を模した照明が一つあり、部屋全体を照らす。
床にはまるでジオラマのように深さ10センチほどの湖を模した水たまりや高さ最高1.5メートルほどの山を模したクッションがある。
部屋の中央は平原のようなカーペットがあり、5歳ほどの男の子が眠っていた。
男の子は目を覚まし、上半身をねじって起き上がり周囲を見回す。
そう、その男の子は……僕だ。
部屋の周囲には4方向に4つの扉がある。
扉のドアノブの上には6桁くらいの数字の羅列があるが、僕にはまだ大きすぎて難しい。
でもあの扉は知っている。
『110121』
1がいっぱいある扉だ。
僕は立ち上がってその扉へ向かい、扉を開いた。
まっすぐな長い廊下が続いている。
一本道なので迷わず進み、3回ほど曲がるとまた扉があった。
僕はその扉を開いた。
そこには僕が元来た部屋と同じように半径10メートルほどのドーム型の部屋があった。
でもそこには滑り台が1台中央においてあり、隣の砂場では別の男の子が遊んでいる。
よく遊ぶ友達のクボくんだ。
クボくんはこっちに気が付いて話しかけてきた。
「おはよう、キットくん」
「うん」
僕は頷くと滑り台に登り滑り降りる。
クボくんは相変わらず砂場で砂の城を作って遊んでいる。
「キットくん。僕ね……あと1月でレイトウスイミンするんだって」
「レイトウスイミン? それ何?」
「みんなより長く寝るんだって。起きたら10年経ってるかも知れないし、30年経ってるかもしれないんだって」
「なんでレイトウスイミンするの?」
「キョゼツハンノウだから未来のお医者さんじゃないと治せないんだって。でもみんな、キョゼツハンノウになるんだって。
そのうちキットくんもキョゼツハンノウになるよ」
突如その部屋の扉の一つが開き、坊主頭の同い年くらいの男の子が現れた。
そしてクボくんが砂の城を作っているのを見るとニンマリ笑う。
彼はアキタくん。
僕はこいつが嫌いだ。
アキタくんは勢いよく走り出すと砂場でジャンプしてクボくんが作っていた砂の城を踏みつけて潰した。
「こいつ、またやりやがって」
「このやろうっ!」
またいつも通り取っ組み合いの喧嘩をしようとしている3人だが、再び別の扉が開いたので皆注目する。
今度は女の子だった。
年齢は5歳くらい。
変な髪型をしていて頭の右半分はショートヘアで左半分は丸坊主。
しかも丸坊主の頭には数字と記号の入れ墨がある。
『ICP-EMP005.003』
初めて見る子だった。
女の子はアキタくんのところへ駆け寄ると、人差し指と小指をすこし膨らめたようなグーのこぶしを作って、いきなりアキタ君の目を殴った。
「痛いっ! 痛いよぉおお! ひぃいいいぃぃ」
アキタくんは両手を抑えてうずくまり泣き出した。
びっくりしたクボくんと僕は喧嘩をしていたことも忘れて女の子に抗議した。
「ちょっと、目を突くなんて危ないじゃないか!」
「そうだよ! やり過ぎだよ!」
「悪い子をやっつけたのよ? なぜあなた達はわたしを脅すの? やる気?」
「アキタ君をなんとかしないと!」
「悪い子がいつまでも生きているのは無駄よ?」
女の子は容赦なくアキタくんの横腹を何度も蹴り始めた。
「や、やめろよ! 死んじゃうよ!」
「何? 反抗するのね?」
女の子は今度は自分を抑えようとしたクボくんの目を突いた。
クボくんも目を抑えてその場に崩れ、泣き始める。
突如、女の子の体が空中に浮いて強制的にその場から離された。
どこからか大人の声が聞こえる。
「やはり危険です。生の人間との交流は早すぎた」
「子供達の発育に悪影響を与える。こういうことは慎重にやるべきだ。後最低1年間は調整をすべき。それまで隔離しておくべきだ。万が一子供に何か起こったら取り返しが付かない」
泣いているクボくんとアキタくんの体が光り、二人とも目を抑えていた手を降ろした。
アキタくんは泣いたまま駆け出して自分が入って来た扉へと戻り、扉を閉めて帰った。
「クボくん、大丈夫?」
「ひっく。うん。治ったみたい」
「酷い奴だなぁ。アキタくんより悪い奴だよ」
「うん。女の子なのに強かったね。アキタくんを一発で泣かしたのは凄いよ」
「それよりクボくん、クボくんが居なくなっちゃうのは嫌だよ。一緒に逃げよう。
僕の部屋へおいでよ。そうしたら連れていかれないかも知れないよ?」
クボくんは僕が入って来た扉を指さして言った。
「キットくん。キットくんが入って来た扉の数字、何て書いているように見える?」
「えーと、2、3、9、9、5、0」
「そうなんだ。じゃあ僕はその扉を通ってもキットくんの所へは行けないよ」
「え? どういうこと?」
「僕には、4、8、9、3、3、2って書いているように見えるんだ。キットくんとは違って見えるんだよ。
そういう時は、扉を通ってもキットくんと同じ所へ行けないんだ」
「どうして? どういうこと?」
「分からないけどそうなんだ。キットくん、もう帰りなよ」
西暦2113年、キットはアンダーワールドのレジスタンスの秘密の地下壕の一室で目覚めた。
薄汚れた毛布をまくり、上半身を起こす。
「また子供の頃の夢か……」
キットはコンクリートの床に直置きされたちゃぶ台の上のポットを取り、カップにコーヒーを注ぐ。
キットは特殊な少年であった。
14歳以前に現実世界を生きた記憶が無い。
それまでは彼にとって電脳世界が全てだった。
数字とプログラムに包まれた世界で、彼は自由自在に生きる術を身に付けていた……はずだった。
14歳の頃、生まれて初めて現実世界のカプセルで目覚めた。
場所は旧東京のダーティボム爆心地から5キロメートルの隔離地域の研究所廃墟。
生まれて初めて見た生の人間は、危険な隔離地域のギリギリのラインを漁って生計を立てるスカベンジャーの男と、隣に立つエンジニアらしきお婆さん。
部屋には自分が入っていたのと同じカプセルがいくつも並び、ほとんどは空。
2、3個のカプセルは破損して中に人骨が横たわっていた。
スカベンジャーは生きた人間、キットがカプセルの中で眠るのを見つけ、アンダーワールドで有名なエンジニアのお婆さん、サチ婆さんを連れて来てキットを救出した。
彼はアンダーワールドのとあるブロックで受け入れられたものの、現実世界はアンダーワールドという地下空間ですら広すぎた。
そして未知の物で溢れ過ぎていた。
周囲にはおとなしい知的障碍者として扱われていたが、ある時レジスタンスのリーダー、カイがサチ婆さんを連れて目の前に現れた。
そしてレジスタンスへと勧誘された。
事情を知るサチ婆さんの勧めで、電脳ハッキングの担当として。
キットがコーヒーを飲んでいるとコンコンと扉をノックする音が響く。
「いいよ。入って」
扉を開けて現れたのはカイだった。
片手には小さなメモリースティックを持っている。
「キット、スカベンジャーに依頼していた情報が手に入った。
旧官庁の建物で見つけたらしい。まさに偶然だそうだ。
君の出生にまつわる情報だ」
「本当ですか!? 教えてください!」
キットはちゃぶ台に新しいカップを反対側に置いてコーヒーを注ぐ。
カイはあぐらをかいて座り、メモリースティックを渡す。
「君は西暦2020年の日本の極秘プロジェクト、拡張電子頭脳化エージェント育成計画(Electric Brain Agent Project)、略称EBAPの被験者だったようだ」
「拡張電子頭脳化エージェント育成計画(Electric Brain Agent Project)?」
キットは受け取ったメモリースティックをちゃぶ台の端の置いてあったホログラムディスプレイのに繋がるマルチ通信端子の穴の一つへと差し込んだ。
ホログラムディスプレイに古めかしい2Dの資料が映し出される。
「西暦2020年、まだ有機物の人体と機械や通信装置との接続のベース技術の理論が生まれたばかりの時代だ。
当時は人道面の制約の少ない共産党独裁国家、中国がその分野の研究で世界から一歩リードしていた。
中国にはスーパーコンピューターと脳神経の融合に成功した被験者が居た。
膨大な演算能力、けた外れの情報収集と分析能力、記憶能力が人間の脳と融合され、彼は軍事、経済、果ては囲碁やチェスと言ったゲームに至るまで、当時の常識を凌駕する成績を残した。
結局は彼の脳ががん細胞化して失敗に終わるのだが、そのことが明らかになるのはずっと後だ」
「マルコって男の子だね。フィリピン人の」
「そうだ。
このニュースは一部のSF好きの人たちの間で話題に上がったが多くの人々は信じず、まともに取り合わずに忘れられた。
だが、世界各国の軍事技術のトップ研究機関はその成果の信憑性と重大さを十分に認識していた。
情報封鎖されて知られていないが、マルコの暇つぶしによる全世界の軍事管制システム同時ハッキング事件によってね。
軍事拡張主義を隠そうともしない中国と衝突の絶えなかった当時の日本にはトラウマ級の悪夢だったらしい。
その時に中国に対抗して完全機密で国家予算を投じて立ち上がったプロジェクト。
それがEBAPだ。
内容は当時の日本のモラルからしても常軌を逸したものだった。
赤ん坊の状態の被験者を80人用意し、当時の技術の粋を集めて脳に段階的に電子拡張を行う。
そして赤ん坊が成長する際に、それに適応させていき、更なる拡張を施す。
世間に知れれば政府が転覆しかねない、非人道的なプロジェクトだったのさ」
「親は……何故同意したんだ?」
「人によって様々だ。政府は一流のエリートを厳選して、国の為にと持ち掛けたようだ」
「僕の親は……居たのか? 名前は? はっはっは。会ったことも顔を見たことも無いんだけど」
「残念ながら機密を守り、被験者の親族の安全を確保するため、君たちにはコードネームとして別な名前が付けられ、親族の情報は一切記録されていない。
君はキットと名付けられた。
だが君の親は居たはずだ。少なくとも2041年まではね」
「ダーティボムが東京に落ちた年」
「ほとんどの被験者は幼児段階で挫折して冷凍睡眠状態で保護された後に2030年に確立された万能細胞を用いた治療で回復し普通の人間としての生活へと戻された。
だが君は、14歳段階までは拒絶反応なく適応して生き延びた。
たった2体の成功例の内の一人だったんだ。
だが君にも拒絶反応の兆候が表れた。
君は長く耐えたが故に、当時の技術での回復が不可能なほど神経組織が変異していた。
その為、君は冷凍睡眠状態で維持されることとなった。
そして君はカプセルの中で眠ったまま、ダーティボムでその施設ごと隔離地域となったのだ」
「アキタくん……。残り一人はアキタという名前ですか?」
「そう。彼は君と同じ年齢まで生き、唯一の実験成功例として保育カプセルから外へ出た。
会ったことがあるのか?」
「はい。僕の知る世界には……ここのように無数の人間なんて居なかった。正直好かない奴だったけど、唯一の同じ境遇の……仲間だったのかも知れないです」
「コードネーム・アキタは政府の期待通りの力を発揮し、十数年に及ぶ中国との戦争で資源面、外交面でハンディキャップを抱えた日本を守り続けた。
だが彼はとある大事件の首謀者として拘束され、公式記録上から姿を消した」
「大事件ですか?」
「Yenの崩壊を起こし、NewYenの制定を促した大規模ハッキング事件だよ。
それに関する詳細は不明だ」
「何があったのかは分からないけど、アキタはずっと頑張っていたんですね……。
ありがとうございました。カイさん。
僕の面倒なワガママを聞いてここまで調べて頂いて感謝しています」
「気にするな。それよりサチ婆さんが君を呼んでいたぞ。
定期健診、君の場合はサボるのは禁止だそうだ」
「ははは。分かりました。今日行ってきます」
「忘れるなよ?」
カイは席を立つと扉を開けて立ち去る。
キットはその場に寝転がり、しばらくぼうっと天井を眺めていた。
アンダーワールドの中央渓谷商店街。
ここはネオ東京の丁度中央あたり、その地下である。
広範囲に広がる大きな二つのSGFの丁度つなぎ目に位置する。
空が見えるわけではないが、地下の最下部から高さ50メートル、幅30メートル、距離2キロにわたる巨大な亀裂の空間があり、人々の持ち寄った電飾が飾り立てられた商店街となっている。
SGFは何層もの構造で出来ているため、商店街の左右には5階層ほどまでの手製の空中歩道と店舗が並ぶ。
その場で店を構える者も居れば、一時的に商品を並べて売りさばくフリーマーケットエリアも用意されている。
そして一般客には縁のない話だが、こういう場所には治安と秩序を守る、アウトローの組織が牛耳っているがそれなりに人々と上手くやっているようである。
キットはこの商店街の下から2階層目の空中歩道を歩いていた。
アンダーワールドの住人が作り上げた手すりに片手を載せて滑らせながら商店街全体を見回す。
今日も大勢の人々が通路を埋め尽くすように行き交い賑わっている。
女性も多い。
娯楽の少ないアンダーワールドではここは唯一のレジャースポットでもあるのだ。
ふと前を見ると小型の台机を歩道側に置いて、高さ30センチ程の小さな丸椅子に腰かけた老婆が居た。
老婆の頭には拡大鏡や小型のライト、カメラが密集した機器が乗っかって居る。
老婆は寝ているのか起きているのか分からない細い目をしたまま、地蔵のようにじっと通りを向いて動かない。
「サチ婆さん!」
「んん? キットかい。お前は普通の人間じゃないんだから、しっかり私の検診を受けないと駄目だろう」
「ごめんなさい。色々忙しかったので」
「無茶はするんじゃないぞ?」
老婆は立ち上がり、机を隅に移動すると背中側にあった扉を開いた。
「入れ」
キットは言われるまま扉を通って中に入る。
中は3部屋の構造になっており、入った場所は寝台が中央に置かれ、周囲に様々な機械が並べられている。
サチ婆さんのメディカル・ラボである。
彼女は元々は地上のどこかの研究施設のエンジニアだったそうである。
今ではアンダーワールドの住人を対象としたサイボーグ手術やメンテナンス、複雑な電子機器の修理やカスタマイズなどをして生計を立てている。
そのヨボヨボの姿に見合わず、実は地上のそこらの専門家では足元にも及ばない、広範囲に高度な知識と技術を持ったエリートでもある。
「横になれ」
「はい」
キットは寝台の上に横たわった。
サチ婆さんはロボットアームの先に取り付けられた大きなお椀状の機器に手を添えて動かし、キットの頭の上へ移動させる。
そしてリモコンのような機器をキットの側頭部に当てて側頭部のカバーのロックを外し、ケーブルを繋ぐ。
「サチ婆さん、今日カイさんが僕の出生の記録を見つけてきてくれたんだ」
「そうかい」
「西暦2020年の日本の極秘プロジェクト、拡張電子頭脳化エージェント育成計画(Electric Brain Agent Project)、略称EBAPの被験者だったみたい。
色々な疑問が解消したよ」
「なるほどねぇ。あんたに搭載されていたシステムは使用プロトコルが古かったけど、一般人が扱えるものじゃなかったからねぇ。
それにしても2020年かい。私もまだ生まれてないよ。あんた見た目に寄らず年寄りだねぇ」
「14歳まで生きたのは二人だけだったそうだよ。
それにしても日本に2例しかない人間だそうで、サチ婆さんに出会わなければ今多分生きていないよ。
本当にサチ婆さんには感謝しているよ」
「正直私も内心ヒヤヒヤしてたもんだよ。
あんたは起き上がって周囲を見回して回復したのかと思ってたら、意識を失ってぶっ倒れるしねぇ」
「僕には色々と衝撃の連続だったんだよ。人間が何人も居る事も。周りの風景も。
そしてこのアンダーワールドの広大さも」
「本当はアンダーワールドなんて世界のごく一部なんだよ?」
「はっはっは。気が遠くなるようなことを言わないでよ。またぶっ倒れるよ?」
「……チェック完了。拒絶反応も異常も無し。健康そのものだね」
キットは寝台から降りる。
その時扉を誰かがノックした。
「サチ婆さん! 居るかい? 義足の具合が悪い人が居るんだ。神経信号がバグってるのか痛みが酷いらしい」
「急患のようだねぇ。悪いねキット。ゆっくり話している暇はなさそうだ」
「うん。ありがとう。またね」
キットは扉を開けた。
二人連れの男が扉の中へと入る。
一人はサイボーグの足を持った呻く男。
そしてもう一人は彼に肩を貸して支える男である。
キットは急患の男を寝台に載せるのを手伝った後、サチ婆さんのメディカルラボを後にした。