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女子ノ聖域  作者: 茅原
シノ物語
80/81

美しく、強く。part1

 翌日、少し日が翳って気温が下がり始めてからシノは家を出て、服屋へと向かう。

 

 家からその服屋までは三キロ近くもあって、夕方になってもまだまだ暑い中、キャリーケースを引っ張ってその距離を歩くのは骨が折れた。


 が、よく知らない街を見るのは単純に楽しかったし、それにいいダイエットになると思えば、まるでサウナのようなこの暑さもむしろありがたいくらいである。

 

 いま身につけている白の半袖ブラウスと紺色の膝丈スカートは去年、母に買ってもらったものなのだが、ここ一ヶ月で体重が二キロも減ったはずなのに妙にキツく感じるのは、とてもよくない兆候だった。


 近頃の運動不足を解消するためにもシノはせっせと歩いて、やがて、まさに『昔からある小っちゃい服屋さん』という装いの野田呉服店へ到着すると、開けっ放しにされているガラスの引き戸から中へ入った。


「すみません……」

 

 店内は真っ暗でひと気もなく、クーラーをかけているわけでもないのに空気はひんやりと冷たい。

 

 ラックには中高年女性向けの服が並べられていて、綺麗に着飾らせられたマネキンも置かれてあるから確かに服屋なのだろうが、まさかもう今日は閉店してしまったのではないだろうか。

 

 思わずそう思いながら怖々と店の奥に声をかけると、誰かがパタパタとスリッパを鳴らしてこちらへ歩いてくる音が聞こえてきて、白いレースの暖簾をくぐって一人の浴衣姿の女性が姿を現した。

 

 思わずドキリとするくらいに、綺麗で色っぽい女性だった。年は三十半ばほどだろうか、朝顔の模様が入った麻綿の浴衣を纏い、長い髪を結い上げて白い首筋を露わにしたその女性は、やや垂れたような優しい目をこちらへ向けて微笑み、しっとりと柔らかい口調でこちらへ用件を訊いた。

 

 左の目元にあるホクロがまた色っぽく、同性の顔に思わず見惚れてしまいかけながらシノがしどろもどろに制服のことを訊くと、


「ああ、希司さんの……」


 女性はそう優しげに目を細めて、レジのすぐ後ろのラックに掛けられていた、(すみれ)色の襟やスカーフが特徴的なセーラー服をカウンターの上に載せた。シノがショルダーバッグから財布を取り出そうとすると、


「いいのよ。もうお金はお母さんに振り込んでいただいているから」

「そうですか……。ありがとうございます」

 

 上からビニール袋にくるまれているその制服を受け取り、シノはそれをキャリーケースへしまう。しまっていると、レジ脇の棚に置かれてあった、青い羽の小さな扇風機の電源を点けながら女性が訊いてきた。


「今頃、菫山(すみれやま)に転校をしてきたの?」

「え? あ、はい……」

「こんな時期に転校なんて、珍しいわね。でも、頑張ってね。中にはたった一週間で、その制服を着るのがイヤになっちゃう子もいるから……」

「一週間で? どうしてですか?」

「さあ……どうしてかしらね」

 

 言外に何かを匂わすような言い方をして女性はふわりと色っぽく微笑み、シノはそれに曖昧に相槌を打ってから、礼を述べて店を後にした。

 

 まるで時が止まったように暗く涼しい店の中から、じとりとした夏の暑さに満ちる外へと出た瞬間、その温度差のせいか思わず目眩がしたが、シノは少しだけ遠回りをしてから家へ帰ることにした。

 

 今日が日曜だからか、それともいつもこのようなものなのか、このあたりの中枢都市であるというこの街には老若男女、たくさんの人の姿が見えた。

 

 駅のほうへと近づいていくにつれて、建物が新しくなり、店も若者向けになっていくのを面白く眺めながら歩いていると、いつの間にかひと気のない通りへと入ってきていた。見回してみると、あるのは印刷所や保険会社の看板ばかりで、間違いなくオフィス街という場所である。

 

 日曜のそこは廃墟のように影を孕んで静まり返っていて、車通りもほとんどない。キャリーケースを引きずる音がビルの壁に反響する音を聞きながら、特に見るものもないそこをてくてくと歩いていると、


「ああ!? よく聞こえねえって言ってんだろっ!?」

 

 急にどこからか怒鳴り声が聞こえてきて、シノは思わず飛び上がった。

 

 声の聞こえてきたらしい先のほうへと恐る恐る歩を進めていくと、ほどなく狭いコインパーキングがあり、ビルに囲まれたその奥に高校生くらいの少年三人がいるのが見えた。いや、よく見ると、その少年らの奥に、水色のワンピースを着た少女が一人、立っている。

 

 ――これって……。

 

 いわゆる、『カツアゲ』だろうか。さぁっと顔から血の気が引いていくのを感じて、シノはキャリーケースを持ち上げ、音を立てないようにしながらそっと後ろへ下がってビルの陰に隠れる。


「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと出せっつってんだよ! ぶん殴るぞコラァ!」

 

 再び、まるでドラマで聞くような不良の怒鳴り声が聞こえてきて、心臓が凍りつく。思わず足がさらに後ろへと下がりかけるが、シノはその足をはたと止めた。

 

 人が傷つくのを見て見ぬふりなんてしない。自分はそう決めたのではなかったか。『天使』になると、父に誓ったのではなかったか。


 でも、逃げずに立ち向かったところで、それで自分に何ができる? ここから逃げて一刻も早く警察を呼ぶほうが、どう考えても賢明なのではないだろうか。その思いが甘い誘惑のように頭にちらついてしかし、シノはその逃げ道を選択はしなかった。

 

 『天使』になる。その父への誓いを絶対に裏切らない。もうあんな惨めな気分を味わわないためにも、自分は決して逃げてはならない。

 

 シノはキャリーケースを抱えながら駆け出し、その場から離れる。が、それは逃げるためではない。つい先ほど通り過ぎていた小さなスポーツ店へと駆け込み、入ってすぐ右手にあった金属バットを持ってレジへと向かう。


「すみません! この鞄を少しの間あずかっていただけますか! それと、お釣りは後で受け取らせていただきます!」

 

 レジに一万円札を叩きつけ、目を白黒しながらも店主が頷いたのを確認してから、シノは鋭い銀の光沢を放つ金属バットを握り締めて、先程の駐車場へと駆け戻った。まだ四人の姿がそこにあることに安堵しつつ、ソフトボールの授業の際に使った物より五倍は重いそれを少年たちに突きつける。


「や、やめなさい! そ……そんなことをしてはいけま――」

 

 いざ威勢よく声を張り上げたものの、三人の少年たちが一斉にこちらを振り向き、その眉毛のほとんどない顔を見た瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。バットを少年たちに突きつけているというより、そのままの姿勢で動けなくなってしまう。

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