食卓。
「わたし、あの学校に行かなきゃよかった」
唐揚げを飲み下し、それから二杯目のごはんを口へ運びながら、シノは眉間に力を込めて言う。
「ほとんど毎日毎日、人の悪口ばっかり聞かされて、あの子に会いたくないから、わたし、学校に行きたくない。イライラするために学校に行ってるみたいで……もうイヤ」
「どうしたの、あなた?」
と、食卓を挟んで向かいに座っている母が、箸を置き、呆れたような目でこちらを見る。
「悪口聞かされるのがイヤって、そう言ってる自分でも人の悪口言ってるじゃない。人の悪口なんて言うもんじゃないって、昔から教えてきたでしょ? 悪口を言ってたら、気づけばそればっかりしか言えない性格の人間になっちゃうわよ、って」
「だって……本当にイヤなんだもん。中学の頃はほとんどみんな幼なじみで、あんなイヤな人なんて一人もいなかったし……」
「あなた、まさか、そのイヤな子と男関係で揉めてるんじゃないでしょうね」
へ? と、シノは危うく箸を落としかけるほどポカンとするが、母は表情を険しくして大真面目にこちらを睨む。
「言ったでしょう。あなたには許嫁がいるから、そういうのは絶対にダメだって。そういうことには関わらないって、あなた、お母さんと約束したじゃない。それを忘れたの?」
「い、いや、忘れたわけじゃないけど……」
「ねえ、お父さん、大変。シノ、好きな男ができたんだって」
と、母は左隣に座っている父の腕を揺すって訴える。
「ちょっと、お母さん、変なこと言わないでよ。別に好きな人なんてできてないし、そもそもそんな揉め方なんて全然してないから。っていうか、わたしに許嫁なんて本当にいるの? 本当の、本当に?」
「もちろん本当よ。私の、昔の恋人の息子さん。あなたにもそう説明していたでしょう」
「え? な、何それ……? 聞いたことないよ、そんな話……」
「あら? そうだったかしら」
と、母はとぼけたような顔をする。こんな話を夫の前でするものか、とシノは子供ながらドキリとして父の様子を伺うが、父は何を気にするふうもなく、ビールの入ったコップを片手に、ぼんやりとテレビのニュースを見ている。
違うのならいいけど、と母は心底、安堵したように肩から力を抜きながらお椀を手に取り、しかしまたその手を下ろして、
「それより、あなた、もう最初のテストが終わって、そろそろ先生と進路の面談があるんでしょう? もう、行きたい大学は決めたの?」
と、急に現実的な質問を突きつけてくる。いや、とシノが虚を衝かれて言い淀むと、母は再び険しい顔になりながら、活き活きとまくし立てる。
「あなた、せっかく頭のいい高校に入ったんだから、もっとちゃんと将来のことを考えないとダメよ。そんなふうにボンヤリしてたら、あっという間にみんなに置いていかれちゃうわよ。
ねえ、お父さん。やっぱりいい大学に行くような子たちは、高校に入ってすぐの頃から、ちゃんと将来の目標を持って勉強してるのよねえ」
「……ああ」
父はテレビのほうへ目をやり続けたまま声だけで頷く。母は我が意を得たりと、それでさらに目を爛々と輝かしてまくし立て始めるが、
「そ、それより、お母さん」
シノはそのマシンガンのような説教を断ちきって、こちらから話の舳先を転じにかかる。
「この前言った、地下鉄通学の話だけど、やっぱりダメなの?」
「ダメよ。だって、充分、歩いて行ける距離じゃない」
「でも、疲れるんだもん。それに、もう少ししたら夏だし……」
「ダイエットになっていいじゃない。あなた、この頃ホントに赤ちゃんみたいに丸くなってきたわよ。そんなんじゃ、許嫁にフラれちゃう。ねえ、お父さん」
ああ、と父はまるで気のない返事をして、それから、
「ごちそうさま」
ぼそりと言ってイスを立つ。ビールが半分ほど入ったコップを片手に食卓を離れ、背を丸めるようにしながらのそのそとリビングを出ていく。
「お父さん、どうかしたの?」
ほとんど全ての料理が残されている父の皿を見つつ、シノは尋ねる。何も言わず父の背を見送った母は、どこか不安そうな表情で声を潜めて言う。
「少し具合よくないんだって。病院に行ったらどう? って、言ってはいるんだけど……」
「寝不足とかじゃないの? お父さん、いっつも夜遅くまで起きてるし……昨日も夜中にトイレに起きたら、ここでお酒呑んでたよ」
「そうよねえ……。でも、ああしないと眠れない人だから……お父さんも大変なのよ」
二杯目のごはんを平らげながら、ふぅんとシノは相槌を打つ。
毎日、よく眠れるシノには想像もできないことだったが、それだけに、よく眠れないというのは本当に辛いことなのかもしれないと父を憐れに感じた。父が全く手をつけずに残した唐揚げを、自分の皿へと貰いながら。




