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女子ノ聖域  作者: 茅原
多部市子の冒険
66/81

多部市子の推理。2

 すると、市子までやや緊張の色を面に表しながら、その目を倉水へ定める。


「倉水さん、ちょっとお願いがしたいんだけど……地下を見せてもらってもいいかな? ほんの少しだけでいいから」

「……はい」


 わずかに逡巡の様子を漂わせてから、倉水は小さく頷く。


 椅子を立って、部屋の右側のスペースにあるベッドへと向かい、その頭のほうにある隙間へと身体を滑り込ませると、その細腕でベッドを押し始めた。


 だが、倉水だけの力では、どう見ても時間がかかりそうである。佳奈がベッドの足元のほうからそれを手伝うと、やがてベッドの頭のほうに、縦五十センチ、横一メートルほどの床の切れ目が現れる。


 市子に何を言われるでもなく、倉水は一度、自分のスペースへと戻り、風呂場の壁に吸盤で取りつけるタオルかけを持って戻ってくると、それを使って床板を上へと引き上げ、取り外した。


 明らかに薄っぺらい、床板のその表面だけを残して載せたようなそれが取り去られると、そこにはぽっかりと暗い穴が現れる。


 湿った土のニオイ――すえた臭いを孕んだ冷気が足元から這い上がってきて、佳奈は思わずそこから後ずさったが、市子はその穴の傍へと膝を下ろし、先ほど佳奈が渡したキーホルダー型ライトを点けてから、髪を首元で押さえながらそこを覗き込んだ。


「……うん、どうもありがと」


 二秒か三秒ほど見ただけで、市子はすぐに顔を上げてそう言うと、ふとこちらを見て、ライトをこちらへ差し出す。


「佳奈も見てみる? たぶん、いま見ないと、一生みる機会ないわよ」


 そう言われると、見たくなる。怪談は全て白糸たちの仕業だったと確信できたのだし、もう怖がる必要もないかと判断して、佳奈は市子に代わってそこを覗かせてもらった。


 そこは、案外せまい空間だった。


 当然、塗り潰すような闇がその中には満ちているが、地下も部屋ごとにしっかり区切られているので、先ほど自分が森の中で目にしたような底なしの暗さではない。


 下に見えている剥き出しの土まではおよそ一メートル以上の距離があるが、すぐ傍に金属製の小さなハシゴを折り返して作った足場があるため、倉水のような小柄な少女でも容易に行き来できそうである。そのハシゴのすぐ傍には、茶色い安っぽいスリッパが一足、置かれてある。


 そんな闇の中をライトで照らしているうち、佳奈は部屋の中央側の地面に、ビールケースくらいの大きさの木箱が二段、三段と分けて積み上げられているのを見つけた。あれが、白百合同好会伝統のリンゴ酒だろうか。


「ねぇ、佳奈。木の箱、見える?」

「ああ、見えるぞ」

「その箱の右――っていうか、この部屋の玄関側のほうに、なんかない?」

「え? なんかって言われても……ん? なんだろう? なんか穴みたいなのがあるけど……」


 どれくらいの深さなのかはここからはよく解らないが、木箱から一メートルほど離れた場所に、一メートル四方の小さな窪みのようなものがあった。


 佳奈はそれをよく見てみようと目を凝らしたが、身体を支えている手が疲れたのと、頭を下に向けていたせいで血が頭に溜まってきたのとで、堪えきれずに地下世界から顔を上げた。


 すぐ後ろに立っていた市子は、手を貸して佳奈を立ち上がらせてから、腕組みしつつ倉水と新田のほうを向き、言った。


「んー……もし、これがわたしの勘違いなら、そうだと言ってほしいんだけどね、倉水さん、なんていうか……人殺しなんて、しないほうがいいと思うわよ?」

「ひ、人殺し?」


 と、思わず繰り返しつつ、佳奈は倉水を見る。


先程から一言も口を利かない新田の隣で、同じく倉水もじっと俯き加減に口を閉じている。肌に痛いほど張り詰めた静寂の中、市子は続ける。


「倉水さん、あなたは白糸さんが好きだった――いや、今でも好きなんじゃない? あなたが自分で自分に悪い噂を立てていたのは、確かにあの人に脅されていたからなのかもしれないけど、それは別にお酒のこととは関係なくて……たぶん、恋の告白だとか、そういうことをネタにされてるんじゃない?」

「…………」


 倉水は何も返さない。唇をきつく結びながら、床板の一点をただじっと睨みつけ続けている。


「倉水さんと白糸さんたちの関係、なんとなくおかしいなって思ってたの。あの上下関係にうるさそうな芋館さんが、倉水さんが白糸さんに挨拶ひとつしなくても何も言わなかったり……。

 あと、倉水さん自身、まるで今の白糸さんとの関係をどうにか保とうとするように、私たちに怪談を信じ込ませようとしたり……。ただ虐めてる側と虐められてる側っていう、そんな関係じゃない気がしたのよ」

「でも、それだけで恋愛関係だって決めつけるのは……」


 佳奈が言うと、市子は疲れた顔で微笑む。


「うん。これだけじゃ、倉水さんと白糸さんが特別な関係だとは思えない。でも、もし倉水さんが本当に白糸さんを殺そうとしてるんだとしたら、それはきっと間違いないような気がするのよね」


 なぜ? 先程から不気味なほど黙り込んでいる倉水と新田が恐ろしくて、佳奈は視線で問いかける。市子はこちらを一瞥して続ける。


「だって、こんなの無茶な方法よ。佳奈に使ったあの睡眠導入剤で眠らせてから白糸さんを殺して、その死体を地下の穴に埋めたって、そんなの絶対にバレるわよ。

 死体が早く腐敗するようにお酢で土壌を酸性にしたって、それが一日や二日で済むようになるわけでもないんだしさ」

「酢で、土壌を酸性に……?」


『お酢ってね……煮物に使ったら、お肉が柔らかくなるんだって』


 市子が神妙な顔であんなことを言っていたのは、この倉水の計画に気づいたからだったのか。佳奈は、市子のその言葉をハッと思い出して息を呑むが、


「い、いや、でも、待てよ。あんたの言う通り、そんなやり方はあまりにも無茶すぎるだろ。第一、白糸さんが急にいなくなったりしたら、大人も巻き込んで大騒ぎになるんだぞ」

「そうよ。だから、これはまさに机上の空論……なんだけど、倉水さんも、そんなことは言われなくても解ってるんじゃないのかな。でも、準備を進めていたっていうことは、それでも白糸さんを殺そうとしていたということ。

 『自分は無茶な方法で人を殺そうとしてる。でも、バレたって構わない』。倉水さん、そんなこと思ってない?

『バレたって構わない。もしバレそうになったなら、自分も死んじゃえばいいや』って……」

「…………」


 倉水は相変わらず身じろぎひとつしない。


 なぜ何も反論しないのだろう。頼むから、違うと言ってほしい。佳奈はそう祈るが、その隣で一緒に俯いて立っている新田まで、その小さな膝を微かに震わせながら黙り込んでいる。

 

 市子は続ける。


「要はこれ、『無理心中』ってやつよね? だから私は、倉水さんは白糸さんに今でも恋をしてるんじゃないのかなって思うの。

 お酒を飲んだことで脅されたからって、相手を殺して自分も死んでやる――なんてこと、誰もしないでしょ? よっぽどの思い入れが白糸さんにないと、こんなことをしようなんて思えないはずよ。

 それこそ、怨念なんて言っちゃ悪いけど、それくらいの執着っていうか、白糸さんとの歪な関係に対する自己陶酔っていうか……そんな類のものがないと、『無理心中』なんて、きっと思いつけないんじゃない?」

「歪な関係に対する自己陶酔……」


 と、佳奈は口の中で呟くように言う。


「それって、倉水さんが白糸さんに言われるがままに、カラスを餌づけして自分の部屋に呼んで、自分自身と『101号室』を人から孤立させようとしてた……そのことを言ってるのか?」


うん。と市子は小さく声だけで頷き、


「大好きな白糸さんに利用されて、追い詰められて、それでも自分は、白糸さんが好きで好きで仕方がない。こんな自分は、なんて憐れなんだろう……美しいんだろう。だから、誰にも自分と白糸さんの関係を邪魔させたくない、壊させたくない……。

倉水さんが、私たちを騙してでも白糸さんとの繋がりを守ろうとした理由、それに『無理心中』をするにあたっては別に必要でもないそんなことに執着していた理由は、そんな耽美の世界に自らを染めきっていたから――

 なんじゃないかなって、私は思ったんだけど……違うのかな、倉水さん?」

「……耽美の世界、ですか」


胸が苦しくなるほど重い静寂の中に、ぽつんと倉水のか細い声が落ちる。


「確かに……言われてみると、そうかもしれません。……凄いですね、多部さん。わたしが知らない、わたしの心まで解っちゃうなんて……」


 倉水は平然と言い、その長い前髪の下から傍らの新田へ目をやり、


「あなたのせいで、全部ダメになっちゃった」

「…………!」


 新田はビクリとその肩を震わせ、その俯けている丸い瞳にじわりと涙を浮かべる。


 倉水はその様子を、まるで刺すような瞳で冷たく凝視した。影に押し込められ続けてきた獣が不意に陽射しの下へとその姿を晒したように、その眼差しには思わず息を呑むほどの不気味な迫力があった。


 ぬらぬらと光る生々しい憎しみを湛えたその目を、涙を浮かべて俯く新田へと容赦なく突きつけ続けながら、新田はギッと歯を噛み締めるようにして言う。


「人に嫌われるのが怖いから、自分では何もしないで、ぜんぶ人にやらせる……。わたし、あなたのそういう卑怯なところ、昔から大っ嫌い」

「……ごめんね」


新田は消え入るような声で言い、今にも嗚咽を漏らしそうに震える唇をギュッと引き絞る。そして、溜まらずといった様子で扉へ駆け出したが、


「待って、新田さん」


 と、市子がそれを呼び止めた。扉の前で足を止め、俯きながらこちらへ身体を向け直した新田に、市子は問う。


「これはちゃんと訊いておきたいんだけど、あなたがミサキの部屋にカラスをけしかけた犯人なのよね?」

「……すみません」

「それをした理由は、私と佳奈に倉水さんを止めさせるため、なのよね? 他に、何か理由はあったりしない?」

「……いえ、ありません」


声を詰まらせながら新田は言い、その最低限の言葉のみを残して部屋を走り出ていった。壁が震えるような勢いで閉められたその扉を見つめながら、佳奈は呆然と言う。


「やっぱり、ミサキの部屋にカラスをけしかけたのは新田さんだったのか……」

「うん。ミサキにあのウィンドチャイムをプレゼントしたのは新田さんなんだし、ミサキが見た光も新田さんの部屋のほうから来てたんだし……実際、新田さんは、自分がやったことを隠そうとなんてしてなかったんじゃないかな。

 ミサキに迷惑をかけてでも、私たちに嫌われてでも、新田さんは倉水さんを止めたかったのよ、たぶん」


だからさ、と市子は倉水に微笑みかけ、


「新田さんを、あんまり恨まないであげてね? 私も正直、新田さんにいろいろ思うところはあるけどさ……。

 まあ、私のほうからちょっと懲らしめてあげたわけだし、彼女が倉水さんのことを心配して、どうにかして引き止めようとしてくれてたことだって事実なんだし……。

 それにさ、新田さんも、白糸さんに何かしらの弱みを握られてたような気がしないでもないのよね。まあ、これは完全に私の勘なんだけど」

「…………」


 倉水は何も返さない。息をしているのかも疑わしいほど、人形のようにただじっとその場に立ち尽くしている。


 やがて市子は溜息をついて、「じゃあ、私たちは帰るわね」とだけ言って、扉へと足を踏み出した。すると、


「多部さん」


 こちらの背中に、倉水が声をかけてきた。


「多部さんはさっき、私の計画のことを机上の空論って言いましたけど、これは机上の空論なんかじゃありませんよ。だって私……『噂の通り』、あの穴の辺りで見つけたんですから」

「見つけた? 何を?」


 ポカンと佳奈が尋ねると、にこり、と倉水はその顔に初めて笑みを浮かべて、


「――――」


 聞きたくもない言葉を、口にしたのだった。


 ああ、訊かなければよかった。何も考えずに口を開く自分の軽率さを、佳奈はつくづく呪ったのだった。

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