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女子ノ聖域  作者: 茅原
多部市子の冒険
63/81

あるはずのないリンゴ酢。

「こ、これ、全部そーゆー本なんですか? 女の子どうしの……」


 佳奈は思わず後ずさるほど圧倒されながら、パチパチと目を瞬く。


すると、この『457号室』の主であり、この本棚の主でもある白糸は、花の刺繍が入った真っ白なタオルケットの敷かれたベッドに腰かけながら、長めな制服のスカートから伸びる、靴下を穿いていない白い足をゆったりと組み替えて微笑する。


「そうよ。それ以外の本はないわ」

「全て白糸さんのなんですか?」


 と、本棚から白糸へと目を移して市子が尋ねると、白糸は顔を横に振った。


「いいえ、そういうわけではないわよ。昔から同好会に伝わっている物も多くあるというか、実際、それがほとんどね。漫画も小説も新しく出されたものは大抵、買って読むけれど……本当に素晴らしい、後の世代にまで読ませたいと思えるもの以外は実家に送っているから。

 だからこの本棚は、私個人の本棚というより、同好会の本棚ね。あっちの芋館さんの本棚も、同じような感じよ」


 まるでこちらを警戒する白糸専属ガードマンのように、後ろ手を組みながら白糸の傍らに立っていた芋館は、への字に閉じていた口を重く開く。


「ああ。同好会の副会長である自分の本棚も、ほとんど同好会の本棚だ。――というか、どうしたんだ、オマエら? もしかしてオマエら、同好会に興味があるのか?」

「いえ、そういうわけではないです」


 市子はバッサリと否定し、再び本棚を見上げる。それから、芋館にも本棚を見せてもらえないかと頼んで、そちらもしげしげと見つめる。


 その後ろ姿は、どう見てもこの種の漫画や小説に興味があるふうである。白糸や芋館もそう感じているらしく、市子は恥ずかしがってハッキリとその気持ちを口にしないのだろうと、そう思いながら見守るような顔で黙っていた。


 と、市子が本棚を見上げたまま言った。


「実際、ここにある本って、結構キワドイものもあったりするんですか?」


 え? と、白糸はやや意表を突かれたような顔をしてから、その幼げな顔立ちに妖艶な微笑を浮かべる。


「ええ……ふふっ、まあ、そうね。多くとは言えなくとも、確かにあるわよ。あなたが何を『キワドイ』と感じるかによると思うけれど……でも、あなただって女の子なら、女の子向けの漫画をこれまで色々と読んできたのでしょう? 

 実際、ちょっと踏み込んだ描写くらいなら、大抵の漫画にあった記憶はない?」

「はあ。まあ、そうですねぇ」


 市子は何か他のことを考えながら返事をするように曖昧に返して、それから白糸と芋館のほうを向いて、小さく頭を下げた。


「本棚を見せていただいて、ありがとうございました。とても勉強になりました」

「もういいの? 手に取って読んでみても構わないのよ?」

「いえ、もう大丈夫です」


 拍子抜けしたように尋ねる白糸に、市子はあくまで淡々と頷き、玄関へと歩き出した。その市子に遅れまいと、慌ててその後を追って市子と一緒に靴を履いていると、見送りに来た白糸が言った。


「本が読みたくなったら、いつでもここに来ていいのよ。あなたたちなら、きっといつ来ても歓迎するわ。――特に、あなた」

「え?」


 唐突に手を握られ、佳奈は驚いて白糸を見る。


「あなた、私の持っている物に、とても興味があるんでしょう? 隠しても無駄よ、私には解るんだから」


 おそらく白糸は、黒髪麗しい和風美人である市子を同好会に勧誘したがっているのだろう。佳奈はてっきりそう思っていたから、白糸の手が両手で自分の手を包み込んだことに、心底おどろいた。


 はあ、と呆然と返すことしかできないまま部屋を後にすると、市子が口元を手で押さえながらニヤニヤと笑った。


「よかったわね、佳奈。なんだか、白糸さんに気に入られちゃったみたいで」

「あたしが……? なんであたしが気に入られるんだよ」

「さあ、それはよく解らないけど……白糸さんってあなたみたいな、少し少年っぽい感じの子がタイプなんじゃない? 芋館さんほどじゃないけど、あなたってそういう雰囲気あるし」

「タイプとか、そんなこと言われたって、あたしは……そ、それより、いま白糸さんの部屋に行って、なんか解ったのか? まさか、ただあの本を見に行ったわけじゃないんだろ?」


実は白糸と市子の言う通り、あの部屋にあった本を一度、読んでみたかった。その気持ちを悟られるのも気恥ずかしくて、佳奈は無理矢理に話の舳先を転じた。すると、市子はやや曇った表情で頷いた。


「まあ、ね。でも正直、ちょっと予想が外れたのよね。もしかしたら、隠してるものはイケナイ漫画とか小説なんじゃないかなって思ってたんだけど……」

「隠してるもの……?」

「うん。倉水さん、部屋の地下に何か隠してるでしょ? それがなんなのかなって気になってたんだけど……まあ、湿気とかそういうことから考えても、やっぱりその線はないわよねぇ」

「ちょ、ちょっと待てよ。あの工事跡って、やっぱり地下室の入り口とか、そういうのだったのか?」

「たぶん、だけどね。湿気で工事したっていう割に、壁がカビたりしてはいなかったし、カビ防止のアイテムとかもなかったし、床板が抜けるほど湿気が凄いっていうふうには見えなかったもの。

 ってことは、倉水さんは嘘をついているということになるわけで」

「じゃあ、あれがホントに地下室の入り口だったとしたら、もしかして『死体が埋まってる』っていう噂も……?」

「その噂が本当かどうかは知らないけど」


三階から二階へと階段を下りて行きつつ、市子は言う。


「確かに地下はあって、しかもそこが何かを隠せる場所で、そこに倉水さんが出入りしてることは間違いないと思うな。ベッドの位置が動いてたり、別に花壇いじりも何もしてない倉水さんの爪に土が入ってたことから考えてさ」

「そう……なんだとして、でも、地下で何してるんだ? ってゆーか、本当にそれは何かを隠すための地下なのか? もしかしたら、別の部屋に繋がってる地下道があったり……」

「いや、そんなものがあったら、もうとっくの昔に先生たちにバレてるわよ、流石に。だから、それはたぶんないんじゃない?」

「じゃあ……リンゴ酢を隠してるとか?」

「なんでリンゴ酢を隠す必要があるの?」


と、自室へと鍵を開けて入りつつ市子は言う。佳奈はそれに続きながら、


「いや、だって……なんかアレ、ちょっと酒っぽい味したような気がしたからさ。酒を飲んだことなんてないから解んないけど、酒のニオイの味っていうか……」

「私も、あなたがそう言ってたのが気になってグーグル先生に訊いてみたんだけど、お酢ってね、お酒から作られてるらしいわよ。

 でも、だからって、流石に自分でお酒からお酢を造る意味はないわよ。第一、市販のお酢のボトルが何本も部屋にあったんだし……うん?」


 短い廊下を抜けて奥の部屋に入ったなり、市子がピタリと足を止めた。そして、ポケットからスマートフォンを取り出して、何やら気ぜわしげに調べ始めた。


「どうした? 酢で何か気になることでもあるのか?」

「ちょっと待って、いまグーグル先生に大事なこと訊いてるところだから!」

「普通に『ネットで検索してる』って言えよ……」


佳奈は呆れて笑いつつ、戸口に立っている市子の横を無理矢理通り抜けて部屋へと入る。共有スペースの椅子にどっかと座り、いっこうにスマートフォンから目を上げない市子に尋ねる。


「何がそんなに気になってるんだよ。酢がどうかしたのか?」

「うん。ねぇ、佳奈、憶えてる? 佳奈が『リンゴ酢を飲んでみたい』って言った時、倉水さん、『まだ作ってない』って言ってたわよね?」

「ん? あー……そうだったかな?」

「じゃあ、やっぱりおかしいわ」


と、市子はスマートフォンから顔を上げて言う。


「もしかしたら佳奈が飲んだアレは、リンゴ酢なんかじゃないかもしれない。だって、グーグル先生によると、リンゴ酢って、作り始めてから完成するまで、最低二週間くらいはかかるらしいもの」

「え? 二週間? じゃ、じゃあ、アレは……?」


 なんだったんだ? いま自分が無事に生きていることからして、あれが危険物だったということはないはずだ。だがそうだとしても、自分は何か得体の知れないものを口にしたらしいと思うと、佳奈の額には急に冷や汗が浮き始めた。


「そっか、なるほど……。だから、地下からあんなニオイが……いや、でも……」


 と、市子はひとり納得したような顔をして、部屋の中をグルグルと小さく円を描いて回り出す。


「私、ずっと気になってはいたのよ。なんで『まだリンゴ酢は作ってない』のに、あんなに空のボトルがあるんだろうって」

「何か他の料理をするのに使ったんじゃないのか? あの時はたまたまリンゴ酢が切れてただけで、昔からよく作ってはいたとか……」

「前からリンゴ酢を作るのに使っていたとしても、どうして部屋にボトルを溜める必要があるの? 倉水さんの部屋を見る限り、あの人は部屋にゴミを溜めるようなタイプじゃないわよ」

「じゃあ、最近、一気に使うことがあったってこと……? リンゴ酢もまだ作ってないのに」


 そう。と、市子は足を止めて、こちらを鋭く見つめる。


「あのお酢が、リンゴ酢を作るために使ったものじゃないことは明らかよ。それでいろいろ調べてみたら、ちょっと気になってたことと関係してきて……それで、今とても不安なのよ」

「不安……?」


その柔らかそうな白い頬を強張らせながら、神妙な面持ちでこちらを見つめる市子を、佳奈は空唾を飲み込みながら見つめ返す。市子は小さく頷いてから、ゆっくりとその口を開く。


「お酢ってね……煮物に使ったら、お肉が柔らかくなるんだって」

「は? 煮物?」

「うん。お酢にはタンパク質を分解する作用があって、魚の煮物に使ったら、骨まで美味しく食べられるんだってさ」

「へ、へぇ……」


 だからどうしたんだとポカンとして、それから佳奈はすぐに、また市子に弄ばれているのだと気づいて溜息をつく。が、市子は眉間にシワを刻み続けながら言う。


「バカみたいな話だから、冗談であってほしいんだけど……でも、やっぱり放ってはおけないかな。勘違いなら勘違いでいいんだから……早めにやっておいたほうがいいわよね」

「やっておいたほうがいいって、何を?」


 尋ねると、市子は一体いつから考えていたのか、ある『計画』について話し出したのだった。

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