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女子ノ聖域  作者: 茅原
多部市子の冒険
59/81

本物と偽物。

「カナソンくん。起きたまえ、カナソンくん」

「あぁ……?」


 眠っていると、不意にぐらぐらと肩を揺すられた。鉛のように重たい瞼を開くと、真っ暗な部屋の中で、市子がこちらを見下ろしている。


「なんだよ……? うるさいなぁ……」


 数日前には自分がこうして市子を起こしたのだったが、だからこそ佳奈は不快感に顔をしかめながら佳奈は市子に背を向ける。


どうせ自分のやられたことをやり返して、それで憂さを晴らそうとしているのだろう。佳奈はてっきりそう思ったのだったが、市子は身体を揺するのをやめて、耳元でそっと囁く。


「森の中に光が出てるわよ。あれでしょ? 佳奈が見たのって」

「え、光っ?」


 驚いて、ガバリと身を起こす。以前の恐怖が一斉に蘇ってきたように目が冴えて、佳奈は窓へと駆け寄ってカーテンを勢いよく開く。


 目を凝らすと、確かに森の中で、黄色がかった二つの光がちらついている。ここから南西の方角にある体育館の傍あたりを、ゆっくりとではあるが南のほうへと移動をしている。


「そうだ。あれだよ、あたしが見たオオカミ!」


 と、佳奈が息巻いて背後の市子を振り返っているうちに、その光は体育館の陰へと消えてしまった。しかし、


「やっぱり、オオカミはいるんだ……。寝惚けてなんていないし、市子も一緒に見たし……今日は絶対に見間違いじゃない。みんなの言う通り、オオカミは確かにいるんだ」

「うーん……」


 と、市子はどこか不満げな声色で相槌を打ち、佳奈のベッドに腰かける。ベッドに手をつきながら天井を仰ぎ、キャミソールから伸びる白い足を組む。その眼差しは、まるで星空を見上げるように遠くへと投げられている。


佳奈は机の明かりを点し、その傍に置いていた小さな置き時計で、現在の時刻が午前二時半の少し前であることを確認しつつ、


「なんだよ。いま確かに、あんたも見ただろ? こんな真夜中に誰かがあんな場所を歩くわけなんてないし、あれはきっと野生の動物でもない」

「どうして?」


 断言したこちらを、市子はやや驚いたような表情で見てくる。その興味深げな眼差しが嬉しくて、佳奈は思わずまくし立てるように言う。


「だって、動物がわざわざあんな所をうろつく理由なんて何もないだろ。

 あたしは野犬でもイノシシでもないから解らないけど、アイツラが森の中をうろつく理由は、きっと食べ物を探すためか、もしくは敵から逃げるためのどっちかだ。食堂の残飯か何かを目的に来てるなら、あんな所を歩き回ったって意味がないし、それに何かに追われてるっていう様子でもない。ってことは、あれは野生の動物なんかじゃないっていうことだ」

「なるほど。うん、それはその通りだと思うわ」

「だろ? それに、あの光だ。人の目はあんなふうに変に光ったりしないんだから、まず間違いなく人じゃない。動物の目ならあんな感じで光るんだろうけど、動物なんかでもないことはさっき言った理由でもう解ってる。ってことは――」

「ちょっと待って、佳奈」


と、気持ちよく喋っていたところに、突然、口に蓋を立てかけられる。市子はその割合大きな胸を寄せるようにして両手を膝につきながら、どこか面白がるような目でこちらを見上げる。


「じゃあ、幽霊の目なら、あんなふうに光るの?」

「い、いや、それは知らないけど……幽霊であってもなくてもオオカミの目なら、外灯の光を反射して光ったりするんじゃないのか?」

「確かにグーグル先生によると、オオカミとかネコとか猿とか、動物の目には『タペータム』っていう光を反射する構造があって、それで黄色く光って見える場合が多いみたいだけど、それにしてはハッキリ光りすぎてるように見えなかった? あれは反射してるっていうより、発光してるって感じよ」

「じゃあ、あんたはあれがオオカミじゃないと思うってことか?」

「うん。あれはオオカミじゃなくて、『オオカミのようなもの』よ」

「オオカミのようなもの……? なんだよ。それなら、ほとんど一緒だろ。どっちにしろ、オオカミみたいなのがあの辺をうろついてるってことには変わりないんだから」

「全然一緒じゃないわよ。じゃあ、佳奈は偽物のメーカーの服でも靴でも平気で買うの? 本物っぽいなら、なんでもいいの?」

「はぁ? どういう意味だよ? それとは全く話が違うだろ」

「何も違わないわよ。買い物だろうが占いだろうが怪談だろうが、なんとなく本物らしいものほど余計に危ないのよ。だってそれってさ、誰かが私たちを騙そうとしてるっていう、そういうことなのかもしれないんだから」


 返す言葉もない。その通りなのだ。


 ミサキの部屋に、誰かが意図的にカラスを仕向けたのかもしれない。

 

 そう疑いを持った時から、確かに自分も市子と同じく、この件は幽霊などとは無関係のものであるという考えを持っていたはずだった。だがそれでも、いざ恐怖に直面してしまうと、どうしても冷静に考えることができないのだった。


「気にすることはないよ、カナソンくん。カナソンくんがそんな(てい)たらくだからこそ、私はこうして冷静でいられるのだよ」


そう言って、市子が明るく笑ってくれることが救いだったが、『体たらく』などと言われて嬉しいはずもない。できることなら、もっとしっかりと市子の力になりたい。


 しかし、きっとそんな日は永久に来ないのだろう。その確信とも呼べるような予感が、佳奈を堪らなく悔しく、悲しくさせたのだった。




 明くる朝。佳奈は市子に連れられて、いつもより少し早く寮を出た。


「ミサキ。ちょっと落ち着いてきたみたいだけど、ちょっとやつれてたわね」


 そう言いながら、市子は前庭の周囲を覆う森の、その茂みの中へと臆すことなくガサガサと分け入っていく。


 紺色をした体育のジャージをスカートの下に穿いているとは言え、膝上ほどまである雑草の中へ入っていくのは、それだけで勇気がいる。


 もしも虫や蛇が飛び出してきたらどうするのだ。佳奈はそう気が気でなかったが、市子はその黒髪が朝露に濡れることもいとわず、草の根まで覗き込みつつ奥へと進んでいっている。


 今日も空は分厚い雲に覆い尽くされ、朝だというのにどこも鬱々と薄暗い。よって森の中はいっそう不穏で薄暗く、その中へと少し分け入っただけで、単なる気温だけではない肌寒さが身体を包み込んでいた。


 朝露に濡れた茂みを掻き分けて進んでいく市子の背中に、佳奈は思わず声を細くして尋ねる。


「お、おい、市子、どこまで行く気なんだよ? そろそろ戻らないと危なくないか……?」

「そんなに奥までなんて行かないわよ。たぶんこの辺に……ほら、あった」


 と、足を止めた市子の隣に並ぶと、そこには道らしきものがあった。膝の少し上ほどまで伸び茂っている雑草が、何かに踏みしめられたように折られながら、それが前庭の境目とほぼ平行な、一本の道らしきものを作っているのだった。


「これって、いわゆる獣道ってやつか?」

「どうなのかな。草に動物の毛だとかがついてないし、なんとも言えないと思うけど……でも、どう見ても、何かがその足で踏んで作った道じゃない? 幽霊なんかじゃなくて、ちゃんと生きてる何かが」


確かにその通りだ。やはり市子の言う通り、自分が目にしたオオカミの目らしき光は、オオカミの幽霊などではなかったのだ。この道を作ったのが巫女の引き連れているオオカミだったとしたら、それはとても不格好なことだった。


 怪談という極めて繊細で、ある意味で澄み切った存在に、キズがついた。ケチがついた。そのことにショックを受けたように佳奈が呆然としていると、


「はい、撤収、撤収」


 市子は、もう用事は済んだというように来た道を戻り始め、寮から教室棟へと向かって既にできていた生徒たちの流れへ入っていく。


 と、市子がこちらだけに聞こえるような声で囁いた。


「今日は聞き込みをしないで、思い切って踏み込んでみよっか」

「踏み込む?」


 今度は何をする気だ? 佳奈は市子の横顔を見て、ハッと息を呑んだ。その表情には、微かながら驚くほどに不快の色が浮かんでいる。


「もういい加減、気持ち悪いのよ。一体なんの目的でこんなことをしているのかはよく解らないけど、どんな理由だろうと、こんなことをする人間が傍にいるって思っただけで、なんだか不気味よ」

「そりゃそうだけど……まさか、張り込みでもしてオオカミをぶん殴る、なんて言うんじゃないだろうな」

「そこまではしないわよ。してもいいのかもしれないけど、相手の見当もつかないのにそんなことするのって、やっぱり危ないし、怖いわよ」


 市子はそうもっともなことを言って、疲れているようにも見える苦い表情で教室へと入るなり、自分の席へは向かわずに、真っ直ぐに倉水の席へと向かった。そして、既にそこに座っていた倉水の耳元に口を寄せて囁く。


「倉水さん、ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」

「お願い……?」


興味の対象となっている人間たちが、こそこそと何を話し合っているのかが気になるのだろう。じっとこちらを観察するように集まっている衆目を気にした様子で、「うん」と市子は頷き、


「今晩から私と佳奈を、倉水さんの部屋に泊めさせてもらえないかな? どうして倉水さんの部屋にカラスが集まってくるのか、ちゃんと調べてみたくて」

「わ、私の部屋に……ですか? そ、それは……」

「大丈夫よ、私たちは倉水さんが使ってないほうのスペースで大人しくしてるから。それに、倉水さんも誰かが部屋にいてくれたほうが助かるでしょ? 夜中にカラスが来るのって、普通に怖いだろうし……」

「え? は、はい、まあ……」

「うん。じゃあ、たぶん夜の十時くらいに行かせてもらうから、よろしくね」


 と、半ば押し切るように市子はそう約束を取りつけて、自らの席へ向かっていく。佳奈は引きずられるようにそれについていき、何ごともない顔で席に座った市子に、声を潜めて尋ねる。


「おい、市子。今の、どういうことだよ……? あたしたちが倉水さんの部屋に泊まるって……」

「言ったでしょ、『思い切って踏み込む』って。まだ深くワケは話せないけど、きっとこれが一番いい手だと思うのよ、私的には」

「そ、そうなのか……? でも、どうして話せないんだ?」

「あなたのお顔が可愛いからよ」


 教科書を机の引き出しへ入れながら、市子は言う。いま自分は何か聞き間違いをしたのだろうか。佳奈は驚いて目をパチパチとさせるが、市子は平淡に加える。


「佳奈は嘘をつけないでしょ。そのカワイイお顔に、なんでも正直に出ちゃうんだから。だから教えられないの」


 ああ、そういうことか。ほっと安心したような、それでいて拍子抜けしたような、そんなむず痒いような気持ちでともかく、確かにその通りだと納得したのだった。

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