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女子ノ聖域  作者: 茅原
多部市子の冒険
58/81

白百合同好会。

 立って話すのもなんなので、学習机の椅子も持って来て、四人、椅子に腰かけて共有スペースの丸テーブルを囲むと、倉水はぽつぽつとその小さな口を開いた。


「噂のことは、私にはよく解りませんけど……でも、夜中にこの部屋にカラスが来てるのは……本当です」

「うん、そうだよね。実は、あたしももうそれを見てるんだよ。実際に、この目でさ」


口を開かずにはいられず、佳奈は言う。


「でも、どうしてカラスがここに集まってくるんだ? 綺麗な部屋だし、別にカラスの好きそうな物なんてあるように見えないけど……」

「それは、私にもよく……。でも、夜中になったら、どこからともなく来るようになったんです。二週間くらい前から、急に……」

「ふむふむ、急に……」


 と、市子は探偵さながらに神妙な顔で顎を撫でさすり、


「ところで、カラスが来る窓は、この部屋の右の窓と左の窓、どっちかに決まってたりするの?」

「え? い、いえ……そういうことは、ないと思います」

「なるほど。そうですか、なるほど……」


――何が『なるほど』だ。


 真面目そうな顔を無理やり作っていることくらい、小学生の時からずっと一緒に過ごしている自分には解る。ミサキのことを忘れたわけではないのだろうが、間違いなく探偵ごっこを楽しんでいる市子を横目に睨んでいると、ふと玄関の扉がノックされた。


 そして、遠くから倉水を呼ぶような声が聞こえてくる。


「この声って……あ、真希は座ってて、わたしが出るから」

「ううん、いい」


 倉水は新田を制してすっと立ち上がり、扉で区切られている玄関のほうへと姿を消し、その向こうで少しのやり取りをしてから、やがて二人の客を連れて戻ってきた。


「あら。倉水さんの部屋にこんなにたくさんお客さんがいるなんて、珍しいわね」


倉水のすぐ後ろについて部屋へ入って来た制服の少女が、やや面喰らったように足を止めて言う。


部屋の中にいる人間の数など、玄関の靴を見ればすぐに解るはずで、その表情も言葉もやけに演技臭くはあったが、その少女を見たその瞬間、佳奈は『格好いい人だな』と思った。


 小柄で細身の身体に、長い漆黒の髪。パチリと目の大きい、整った顔立ち。そのどれもが儚げな少女らしい繊細な美しさだったが、その立ち姿にはどこか男性的な雰囲気がある。


 右手を腰に当てた姿勢のためだろうか、割合低めな声のためだろうか、それとも勝ち気そうな微笑のためだろうか、ともかくどこか王子様的な印象を振りまくその少女を佳奈がポカンと見上げていると、


「突然、すんませン」


 少女の後ろについて部屋へ入って来ていたもう一人の少女――小麦色の肌をした背の高い少女が前へと踏み出て、そのショートポニーテールを揺らして小さく頭を下げてから、


「自分たちは白百合同好会の人間で、この人は同好会会長の三年生、白糸美春(しらいと みはる)さん、自分は二年で副会長の芋館亜美(いもだて あみ)っス。ところで、一つ訊かせてもらいたいんスが、お二人は何年っスか」


と、その野性的に鋭い目でこちらを見下ろす。


「あたしたちは、二人とも一年ですけど……」

「一年……? ああ、そうか。オマエら、倉水と同じ学年か」


 と、芋館がどこか安心したように肩から力を抜くと、生まれてこのかた肩に力など入れたことがないのであろう市子が頷く。


「ええ、そうです。ちなみに、私は多部で、これは閏です。わたしたち二人とも、生徒会に入ってます。どうぞ、これからよろしくお願いします」

「生徒会……?」


 と、白糸がその大きな目をやや鋭くして言う。


「あなたたち、なんだか色々と調べているみたいだけど、倉水さんになんの用?


 まさか生徒会が、怪談なんていうくだらないものを信じて、彼女がよくないことを企んでいると疑っているの?」


「いえいえ、そんなことはありません。怪談なんて信じるわけがないでしょう、小学生でもあるまいし。ねぇ、カナソンくん?」


 市子はニヤと笑いながらこちらに視線を流してきて、佳奈はオロオロと頷くしかない。


 カナソン? と白糸は訝しげな顔をして、それから新田を厳然と見下ろす。


「新田さん、あなたがこの二人を巻き込んだの?」

「い、いえ、その、すみません……」


肩を窄めて俯いていた新田は、その身体をビクリとさせて、まるで消え入ってしまいそうなほどさらに肩を窄める。


 白糸は怜悧な瞳でしばしその様をじっと見下ろしたが、やがて小さく嘆息して、


「まあ、いいわ。――けれど、ともかく、倉水さんは噂のような人じゃないわよ。学年は違うけれど、白百合同好会のメンバー同士として親しくつき合ってきたから、私には解る。むしろ倉水さんは、『禁忌』だとかなんとか、そんな恐ろしい企みとは最も縁遠い女の子よ。それは、この私が保障するわ」

「はい、それはもちろん私も解っています。私はむしろ、倉水さんは被害者だと思って、ここに話を聞きに来ているんです。ねぇ、そうよね、カナソンくん?」

「え? は、はい、その通りです。倉水さんはあたしのクラスメイトなんですし、もちろんあたしは倉水さんの味方です」


 ミサキが被害に遭う前までは、嬉々として怪談騒ぎを楽しんでいたという事実がチクリと胸を刺すが、今のこの気持ちに偽りはない。


 佳奈が白糸を真っ直ぐに見つめながら言うと、白糸はその顔に、秋の光のように寂しく透きとおった微笑を浮かべる。


「そう、それならいいわ。――でも、倉水さん、何か困ったことがあったら、いつでも遠慮せずに私を頼ってね? きっと力になってみせるから」

「…………」


 白糸は優しく倉水に笑みかけるが、倉水はじっと俯いて何も返さない。


 なぜか礼の言葉を返さないどころか、微かに頷きさえしない。そんな倉水に白糸は苦笑するような顔をしながら、玄関へと身を翻す。芋館がそれを察して部屋の扉を開けるが、白糸がそこへと姿を消す前に、


「あ、白糸さん」


と、市子が口を開いた。


「申し訳ないんですけど、お二人の部屋番号を教えてもらえませんか? もし別々の部屋なら、それぞれの部屋の番号を」

「……なぜ?」


足を止めて、白糸は微かに苛立たしげな表情で市子を見下ろす。芋館がムッと眉間にシワを寄せてそれに続く。


「なんだ、オマエ? 自分らを疑ってんのか?」


 その声や表情は、ミサキよりもよっぽど男らしい。思わず冷や汗が出るような圧迫感に佳奈は絶句するが、市子は眠たげに目をしぱしぱさせながら、


「疑う? 疑うって、なぜ、何を疑うんですか?」

「え? あ、いや……」


芋館はハッとしたように目を逸らし、白糸はそんな芋館を刺すような目つきで睨みつけた。


 ――なんだ?


 不意に訪れた奇妙な雰囲気に佳奈は首を捻り、市子もまた怪訝そうに二人を見上げる。


「別に、捻くれた意味なんてないですよ。だって、私たちはお互い、この怪談騒ぎをどうにかしたいと思ってる仲間なんですし、それにお二人はとても頼りになるセンパイなんですから、ちゃんと居所を知っていたほうが、何かと心強いと思いまして。ねえ、そうだよね、カナソンくん?」

「ん? あ、ああ、確かに、そうかもな」


 なぜあたしに訊く? 急に話を振られてギョッとしたが、全くもって異論のない話に佳奈は首肯して見せる。


「まるで探偵ごっこね」


と、白糸は苦笑いをして、その表情を見た芋館が何か言おうとするようにこちらを睨み下ろした。が、白糸はそれを右手で軽く制して、それからその手を伸ばして市子の長い髪をそっと掬い上げる。


「でも、いいわよ。多部さんも閏さんも美人だから……特別に教えてあげる。私と芋館さんは同じ部屋で、部屋番号は『457号室』よ」


『457号室』ということは、四階の東側、前庭には面していない寮の裏側にある部屋だ。


 しかし、なぜこんなことを訊く必要があるのだろう? もしかして、市子はこの二人を怪談騒ぎの仕かけ人として疑っているのだろうか? 佳奈がそう訝っているうちに、白糸と芋館は部屋を去って行ってしまった。


 玄関のドアが閉まるカチャンという音が聞こえてきてから、佳奈は皆に尋ねる。


「あの人たち、さっき『白百合同好会』って言ってたけど……そんな同好会なんて、この学校にあったっけ?」

「私も聞いたことがあるような、ないような……っていう感じ。この学校ってやたらに部とか同好会が多くて、生徒会にいても全部は憶えきれないのよね」


 てっきり、またこちらをバカにしてくるかと思いきや市子がそう言うと、新田が少し恥ずかしそうに目を伏せた。


「あはは、そ、そうなんですね、すみません……。でも、白百合同好会は、ちゃんと生徒会に認められてる同好会なんですよ。わたしも真希も、その同好会のメンバーですし……」

「へぇ、そーなんだ。ところで、それは何をする同好会なんだ? 百合の花を自分たちで育てて、それを売ったりするの?」


ああ、そうか。だから、さっき市子は新田さんに、花壇いじりがどうのこうのと訊いていたのか。そう合点がいったが、新田はなぜか頬を染めながら顔を横に振る。


「い、いえ、すみません、そういうのではなくて、その……」

「『百合』って、簡単に言うと『女の子同士の恋愛』のことよね」


と、市子が口を開き、ただ単純に意外で驚いたというような視線を新田と倉水へ向ける。


「へぇ、そうなんだ。新田さんと倉水さんって、そういうのが好きなのね」

「えーと……は、はい。この高校に入って、白糸さんに同好会に誘われて、それから……だよね、真希?」

「う、うん……」


 前髪の下の顔を朱くしながら、倉水は小さく頷く。が、佳奈はまるでボーリングの玉で後頭部を殴られたような衝撃を心に感じつつ、


「あ、あたしはマンガ読まないから知らないんだけど……そ、そんなマンガなんて、ホントにあるの? ってゆーか、じゃあ、白百合同好会って、そういうマンガとかが好きな人が集まる系の……?」

「はい、そうですよ。『そういう系』の同好会です。でも、わたしも閏さんと同じです。高校に入って、この同好会に勧誘される時まで、こういうマンガがあるなんてぜんぜん知りませんでした」


 何もかも驚きながら尋ねたこちらがおかしかったように、新田はくすりと微笑しながそう言う。と、市子も平然とした顔で、


「どうしたの、佳奈? そんな驚いた顔して……。ひょっとして、佳奈もそういうのに興味ある系なの?」

「はぁ!? あ、あるわけねーだろ! あたしは弟の持ってる野球とかサッカーとか、そーゆーのしか読まないし!」

「あ、そう」


 と、ムキになったこちらがバカであったように市子は平淡に頷き、


「じゃあ、私たちもそろそろお暇させてもらいましょうかね。ありがとね、倉水さんも新田さんも、色々と話をさせてもらって」


 と、椅子から腰を上げる。新田も慌てたように腰を上げて、


「え? もう帰っちゃうんですか? まだ夕飯までだいぶ時間もあるし……」

「ううん、そんな長居しちゃ流石に迷惑よ。ねぇ、佳奈?」

「あ、ああ、そうだな」


 早くも玄関へ向かって歩き出す市子の後を佳奈は慌てて追ったが、玄関と部屋を繋ぐ短い廊下の、その左手の壁に設けられているキッチンの前で、市子はつと足を止めた。


 そして、そこにある備えつけの冷蔵庫とキッチンの、その隙間をじっと見下ろしている。


 なんだろうと自分もそこを覗いてみると、そこにはガラスの瓶がぎっしりと並べられている。小さい頃から見慣れた、よく見る酢のボトルである。それが十本近くも、その隙間に整然と並べられているのだった。


 それを見下ろしながら、市子が尋ねる。


「倉水さんって、酢が大好きなの?」


 見送りに来てくれていた倉水は、「え?」とやや驚いたような顔をして、


「あ、はい……。そ、その……リンゴ酢とか、そういうのをよく作って……」

「リンゴ酢? ああ、リンゴ酢って、すっごい身体にいいらしいよね。あたしは飲んだことないから、どんな味なのか知らないけど、でも飲んでみたい――」

「す、すみません……。ま、まだ作ってなくて、これから、その、やってみようかなって……。あ、でも……!」


と、倉水は急にキッチンの正面にある脱衣場の扉を開け、その中へ入っていく。なんだろうとそこを覗き込むと、別に催促するつもりで言ったのではなかったが、倉水はそこに置いてあった段ボールからたくさんのリンゴを取り出し、


「リンゴなら食べられますけど、もしよかったら……」


 と、その腕いっぱいにそれを抱えてこちらを向く。が、


「ああ、いいのいいの」


 市子は顔の前でひらひらと手を振りながらこちらへ背を向け、玄関で靴を履き始める。


「夏はリンゴの季節じゃないから、お高いものなんでしょ? 私たちなんて気にしなくていいから、自分の好きなように使ったほうがいいわよ。ほら、行くよ、佳奈。部屋に帰ってオレンジジュース飲ませてあげるから、人の家の冷蔵庫を覗くような卑しいマネはするんじゃありません」

「べ、別にそんなことはしてないっての」


だが、確かにそのようなことはしてしまったかもしれない。だから、それ以上は何も言えず、佳奈は穴に入りたいような恥ずかしい気分で二人に礼を言い、部屋を後にした。


「……なぁ、市子」


 自室へと帰る道すがら、佳奈は嘆息して頭を切り換えてから、数歩先を歩く市子に尋ねた。


「部屋に入って割とすぐ、倉水さんに『花壇いじりしてるの?』とか訊いてただろ? あれ、どういう意味なんだ? 白百合同好会が、その……花を育てる同好会じゃないってこと、あんたは初めから知ってたのに、どうしてあんなこと訊いたんだ?」

「どうしてって、倉水さんの手、見なかったの?」


と、市子は長い髪を左手の指先に載せつつこちらを見る。


「手? 倉水さんの手がどうしたんだよ」

「左手の爪に、土が挟まってたでしょ。薬指に、ほんの少しだけだったけど」

「爪に土……? よくそんなことに気づいたな。あたしは全然気づかなかったぞ」

「まあ、それくらい見てないと、グーグル先生の助手は務まらないというわけですよ。――む、この匂いは、今日の夕食はカレーかな?」


 そう言って、市子は目を瞑って鼻をヒクヒクさせる。


 こんなにトボけた奴で、しかも学校の成績はかなり悪いけれど、実は市子は自分より遥かに頭がいいのだ。いつもはふと忘れてしまうのだったが、佳奈はとうの昔からこのことに気がついていた。


 そして、そのことを思い出す度に、佳奈は市子のことをもっと好きになっていくのだった。

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