『101号室』。
一年E組、漫画クラブ、高橋夕花の証言。
「いたのよ! 巫女は本当にいたのよ!
ううん、別に、夕花は寝惚けたわけじゃないよ。いつも明け方まで起きてるわけじゃないんだけど、来月に賞の締め切りがあって、それでこの頃、遅くまでイラスト描いてたりするの。
でね、あれは確か……そう、ちょうど一週間前。その日もね、夜中の二時頃まで作業して、さあ寝ようかなって思ってトイレに行こうとしたの。そしたら、『コン』って、玄関のドアが叩かれたの。うん、ほんの小さく。
それでね、気のせいかなって思ったけど、いちおうドア開けて外見てみたら……階段のほうに向かって、白い和服を着た人が、真っ白な和服の裾を床に引きずりながら、すーって足音もなく歩いて行ってたの。
嘘じゃないよ、本当に夕花は見たんだから!」
二年D組、天体観測クラブ、森井栞の証言。
「たぶん、四日くらい前の、夜中の三時頃だったと思う。
なんだかカラスの鳴き声がうるさくって目が覚めてさ、なんだろうって外を見てみたのよ。そうしたら、部屋からだいたい真っ正面の森の中に、オオカミの目が光ってたの。
嘘じゃないよ。まあ、確かに遠くて見にくかったけど……うん、あれは絶対、生き物みたいに動いてた。それに私、けっこう目がいいから、オオカミがのそのそ歩いてるその身体も、ほんの少しだけだけど見えたの。
大きさ? 大きさは……鹿より少し小さいくらい?」
三年C組、クラブ無所属、矢島里美の証言。
「ん? あー、見た見た。友達と電話しながら外見てたらさ、学校の回りの森あるじゃん? あそこの中をさ、黄色っぽい小さい光が動いてたの。
あれがオオカミなのかどうかは知らないけど、でもなんか結構デカそうっていうか、そんな感じに見えたよ。
いやいや、あたしと電話してた友達も一緒にそれ見たし、鳴き声も聞いたから、気のせいってことはないよ」
一年A組、書道クラブ、平田あかねの証言。
「あんまり思い出したくないんだけど……見たよ、巫女。
夜にちょっと用事ができて友達の部屋に行って、その帰りに……。え? ううん、後ろ姿しか見えなかったけど、本当にホラー映画の幽霊みたいな格好で、こう……長い髪を前に垂らして、和服から細い腕をだらっと下げて、階段のほうに曲がっていったの。
その友達の部屋は三階で、わたしの部屋は二階なんだけどさ、怖くて階段のほうになんて行けないから、その日は友達の部屋に泊めてもらっちゃった」
うーん。と、夕食に出るらしい焼き魚のニオイが漂い始めた廊下を自室の方へと歩きながら、市子は腕組みして唸った。
「正直、なんとも言えないわね。みんながみんな、本当のことを喋ってるかも解らないし……」
「た、確かに、そうだな。うん」
見てはいけないものを見てしまった――
その自らの実体験を、真剣そのものの面持ちで語る皆の言葉に揺り動かされて、ついついまた冷静さを忘れかけてしまっていた。それを市子に悟られないよう、佳奈は慌てて眉間に皺を作りながら頷く。と、ふと妙案が思い浮かんだ。
「そうだ。なら、信用できる人のトコに話を聞きに行こう」
「信用のできる人?」
「ああ。我らが生徒会長、希司さんだよ」
「あ、そっか。そういえば、希司さんも巫女を見てたんだっけ」
「噂によると、だけどな。今は騒ぎを気にして、『見てない』って言ってるみたいだけど……まあ、あたしたち生徒会員には、たぶん実際のところを話してくれるだろ」
二年E組、洋菓子クラブ、希司シノの証言。
「巫女? なんですか、それ?」
「え?」
見ていないどころか、知ってさえいない。予想とまるで異なる希司の返答に佳奈は驚くが、部屋の玄関口に立っている希司は、クマの浮かんでいる目をニコニコと細めながら、
「わたしがそんなものを見たなんて、根も葉もない噂です。だって、幽霊なんているわけないんですから」
そう言うと、まるでお餅のようにふくよかで白いその頬に笑みを貼りつけたまま、話は以上だというように、こちらへ背を向けて部屋の中へ姿を消した。希司の後ろに立っていたアオイだけがこの場に残り、嘆息する。
一年A組、クラブ無所属、百合園アオイの証言。
「私は見てないから解らないんだけどさ……シノさん、ホントに見ちゃったみたいなんだよ。
生徒会長になった時、シノさんは実際に聖域の巫女と会話までしてるんだけど、『それはそれ、これはこれ』なんだってさ。
うん、私は確かにシノさんから聞いたよ。しかも、シノさんがそれを見た直後に、シノさんの口から。まあ、夜中にふらふら洗濯に行くシノさんも悪いと思うんだけど、生まれて初めて幽霊を見ちゃったのが相当ショックだったみたいでさ……。
おかげで、これから一ヶ月くらいはミサキちゃんの部屋にも遊びに行けなさそうだよ。そう。私が一人で出かけたら、それだけで怒るんだよ。いや、夜じゃなくて昼間でも――」
二年E組、洋菓子クラブ、希司シノの証言。
「ふふっ。アオイさん、いつまで幽霊だとか巫女だとか、そんなくだらないお喋りをしているんですか? それよりも、ちょっとお話ししたいことがあるので、こっちへ来てもらえます?
ええ、人には喋っていいことといけないことがあるっていう、人としてのマナーについて、アオイさんには教えておかねばならないようですので」
そこにあるのは陽だまりのように柔らかな笑みなのに、どういうわけか肌寒さを感じながら希司とアオイの部屋を後にして、自室へと向かいながら市子は言った。
「収穫がないこともまた収穫である。それを忘れてはいけないよ、カナソンくん」
「それくらい解ってるよ。ってゆーか、まだそんなに聞き込みしたわけじゃないけど、割とみんな同じようなことを言ってるのに驚いたよ。
単純っていうかワンパターンっていうか……しかも、どの話でもただうろうろ歩き回ってるだけだし……確かによく考えてみると、『禁忌』を警告する巫女のシワザにしては、いったい何がしたいの? っていう感じかも」
「そうだね。なかなか鋭い推理だよ、カナソンくん。でも、やっぱりこれまでの証言だけじゃ、まだまだ肝心なところは解らない。だから、ここは思い切って核心に――倉水さんのもとへと飛び込んでみようじゃない」
「倉水さんの所に? でも、急に押しかけるのは失礼だろ。ほとんど話したこともないのに」
「んー……それもそうね。じゃあ、あの子に連れて行ってもらおうかな?」
あの子? と佳奈は首を捻ったが、すぐにその予測はついた。
市子は案の定、いったん管理人室へと行って、寮母からその人物の部屋を教えてもらうと、その足で目的の部屋へと向かった。
『250号室』
二階のほとんど最北にあるその部屋へと向かいつつ、佳奈は呟く。
「新田さんの部屋って、あたしらの部屋の割りと近くだったんだな。知らなかったよ」
「私は知ってたわよ。食堂に行く時とか、たまに見かけたし」
「え? そうだったか?」
どうやら、自分はまさに市子の言う通り、『お腹を空かしたイノシシ』らしい。つくづく狭い自分の視野を恥じていると、ほどなく『250号室』に到着した。市子が気軽な様子でその扉をノックすると、すぐにそこから新田が顔を出した。
「え? あ……」
ふわりとした白い半袖ブラウスに、ベージュのチノパンという格好の新田は、その幼い子供のように真っ黒で大きな瞳をキョロキョロさせて、佳奈と市子の顔を交互に見る。
「閏さんと、多部さん? な、なんのご用ですか……?」
「新田さん」
と、市子は頭を仕事モードに切り換えたように、いかめしいほどに真剣な顔つきで新田を正視した。と思うと、その手をすっと持ち上げて――どういうわけか、新田の胸、そのふっくらとしたふくらみを揉んだのだった。
鑑定士のような面持ちで新田の胸を揉み、あるいは指先で弾ませるように持ち上げながら、市子は言う。
「ふむ……。やはり、これは中々……」
「え……? あ、あの、すみません……多部さん? な、なな、何を……?」
「何してんだよ、バカ」
と、佳奈は呆れながらその手を下ろさせるが、市子はまるでこれも捜査の一環であるかのような顔で言う。
「いや、新田さんって結構おっぱい大きいから、前々から揉んでみたいと思ってたのよね」
「も、揉んでみたい……?」
「うん。実は、私はおっぱいを揉むのが趣味でして」
「堂々とそんなこと言うなよ。っていうか、せめて時と場所は考えろよ。今は真面目な用事があって来てるんだから」
と、佳奈は市子に代わって話を切り出す。
「なんてゆーかさ、ちょっとお願いがあって来させてもらったんだけど、新田さん、いま時間は大丈夫?」
「は、はあ、大丈夫ですけど……」
やや困惑の色を浮かべながらも新田が頷くと、市子がにこりと微笑んだ。
「そう。じゃあ、私たちを倉水さんの部屋に案内してもらってもいいかな? いま私たち、最近、学校で噂になってる怪談について調べてて、倉水さんからも色々訊いてみたいと思ってるの。
でも、私たちはほとんど倉水さんと喋ったことないでしょ? だから、倉水さんと友達の新田さんに、あたしたちをちゃんと紹介してもらいたくってさ」
「そ、そうなんですか。はい、もちろんいいですよ。というか、多部さん、やっぱり真希の噂について調べだしてくれていたんですね! すみません、ありがとうございます!」
と、新田はまるで我がことのように深々と頭を下げる。それを目にして佳奈は思わず驚いたが、友達のためにこうして頭を下げられるのは、とても偉いことに違いないのだった。
「まあ、ミサキがこの事件に巻き込まれちゃって、あたしたちも、もう他人事じゃないからね。お互い、早くこの事件を解決するために協力し合おうよ、新田さん」
「はい、もちろんです! じゃあ、今すぐに真希の部屋に行きましょう!」
新田は円らな目を輝かせながらそう言うと、いったん部屋の中に戻り、その中にいるらしい先輩に挨拶をしてからこちらへと戻ってきた。そして、ショートツインテールをぴょこぴょこ揺らしながら『101号室』へと向かって歩き出す。
と、市子が自らの制服についていた白い糸くずを取りつつ尋ねた。
「新田さんって、なんていう人とルームメイトなの?」
「ルームメイトですか? ルームメイトは安田さんっていう、二年生の生徒会の人です」
「え? 安田さん? へえ、そうなんだ。――あ、そっか。だから、安田さんと倉水さんって知り合いだったんだね。この前、あの二人が廊下で話してるの見て驚いたけど、そっか、新田さん繋がりだったんだ」
「はい、安田さんは優しい人ですから、真希のこともよく気に懸けてくれて……安田さんって、本当にいい人ですよね。まるでお母さんみたいで、わたしも真希も、いつもお世話になりっぱなしです」
「あはは、うん。確かに、安田さんはそんな感じかもね。生徒会でも同じで、みんなにすごく好かれてる人だよ」
「あの、ちょっとボーッとした感じの、ユルいところが癒し系なのよねぇ。おっぱいも大きいし」
うんうんと頷きながら市子がやや失礼なことを言っているうちに、一階の南西角部屋である『101号室』に到着する。すると、心なしか新田の顔に緊張の色が宿った。
廊下の突き当たり、つまり扉のすぐ左手には、部室棟へと繋がる裏口の扉があるが、その扉には小窓もないため、部屋の前を照らすのは暖色の吊り電灯だけである。よって、辺りは既に夜と変わらず薄暗い。
その薄暗さのせいもあってか、新田はやけに強張った面持ちで扉をノックし、
「真希? ごめんね、あの……わたし、ゆめだけど……」
そう言うが、扉が開く様子は皆目なく、それどころか部屋の中に人の気配が感じられない。しかし、もう一度、新田がノックをしようと手を上げた瞬間に、扉は静かに内へと引かれた。
「……何?」
そこに姿を現した倉水は、鼻の頭まで届きそうなほど長い前髪の下から睨むように新田を見上げ、それからハッとした様子でこちらに目を向けた。やあ、と市子が軽く手を上げる。
「倉水さん、ちょっと話をさせてもらえないかな?」
「話……?」
「う、うん」
と、新田がギコチない笑みを作りながら頷き、
「最近、学校で真希のことが噂になっちゃってるでしょ? それでね、そのことについて多部さんたちが話を聞きたいんだって。でも、安心して。別に冷やかそうとしているとか、そういうことはないから……」
「もちろん冷やかしなんてしないよ。あたしたちは、あたしたちの友達のためにも調査をしてるんだから」
「……そう、ですか。じゃあ、どうぞ……」
と、倉水は佳奈の目をちらりとだけ見てから、細い声でそう言って皆を引き入れた。
その部屋の構造は、他の部屋と何も変わりはない。倉水はこの部屋を一人で使っているらしく、右側のスペースは閑散としていたが、左側のスペースにはなんの変哲もない、女の子らしい生活感が漂っていた。
本棚に置かれた少しの少女漫画と、化粧品や鏡、非常時の懐中電灯。ベッドのシーツは小花柄で、ベッド脇には薄緑色の小さな丸いカーペットが敷いてある。
窓からそよぎ入ってくる生温い風を頬に感じつつそれらを見回していると、共有スペースのテーブルの前に立って右側のスペースを見ていた市子が言った。
「ねぇねぇ、倉水さん。あの、ベッドの奥にある床の切れ目って、何?」
「床の切れ目?」
と、市子の隣に立って目線を追うと、確かにそこには妙な床板の切れ目があった。他の部屋よりもベッドが心なし手前に置かれて、その奥にある床板五枚分ほどに切れ目が入っている。
――あれ? そういえば……?
『101号室の地下には死体が埋まっている』
そんな噂もまた、あるのではなかったか。なんとなく忘れていたその噂話が頭をよぎり、佳奈は不用意にそこへと歩み寄っていた足を止める。が、倉水は、倉水にしては落ち着いた様子で言う。
「あ……そこは、湿気のせいで、その……何年か前に、工事をしたらしいです。寮母さんが、そう説明してくれました……」
「へぇ、そうなんだ。湿気で工事かぁ。なんだ、あたしはてっきり――」
言ってはいけないことを言いかけて、佳奈は『おっと』と自分で自分の口を閉じさせる。すると、おそらくは市子もマズいと思ったのだろう。こちらの言葉を遮るようにして倉水に尋ねる。
「ところで、倉水さん。倉水さんって、園芸部か何かに入ってるの? もしくは、花壇いじりをしてるとか」
「花壇いじり……? いえ、してませんけど……」
「あ、そう? いや、まあ、そんなことはどうでもいいんだけど……じゃあ、早速、ちょっと話を聞かせてもらってもいいかな? 最近の、あのカラスの噂についてさ」




