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女子ノ聖域  作者: 茅原
多部市子の冒険
55/81

半径二メートルの鳥かご。

 が、佳奈がそう熱く決意を固めてから丸三日、何も起きないまま、平穏無事に日々は過ぎ去った。


夜中にカラスが鳴くこともないし、夜中に恐る恐る窓の外を見やっても、そこに獣の眼光が輝いていることもない。


 ――希司さんが巫女を見たっていう話も、やっぱり誰かが流したくだらない噂だったのかもなぁ……。


 そう思うと、カラスが数羽、『101号室』の前に集まっていたことも、ただネズミか何かを狙ってやって来ていただけのように思えてきて、森の中に見たオオカミも、よく考えればただの野犬に違いないと思えてくるのだった。


 だが、そう心から安心して、久しぶりの穏やかな眠りに就いていた佳奈の耳に、深夜、


『ガァ』


 またもカラスの鳴き声が飛び込んできた。


 怪談はデマだったと思っていたとは言え、不気味なほど静寂に響き渡るその鳴き声にドキリと目を覚まし、佳奈はタオルケットの中でじっと身体を硬くする。


――聞き間違い……だよな?


 そうであることを心から祈るが、それを嘲笑うかのように、これまでよりも一際近くでカラスが一鳴きする。


 ――近い……。しかも今、この部屋より上から聞こえたような……。


怪談によると、カラスは必ず『101号室』の前で鳴くはずである。なのに、鳴き声が上から聞こえるとは、どういうことだろう? やはりカラスが『101号室』に集っていたのは、ただの偶然だったのだろうか?


 生徒会員としての義務感のためか、それとも単に三日間という空白期間のためか、佳奈は冷静さを維持した頭でそう疑問を抱き、その真偽を確かめるべくベッドから起き出て、カーテンと窓を開けた。


 そして、そこから身を乗り出し、寮の北側――右翼側の三階を、口を開けて仰ぎ見て、


「……え?」


 その目を疑う。


 やや遠くて見にくいが、確かにカラスが数羽、三階のとある部屋の窓枠に身をひしめかせて留まっている。そこで、窓へと向かって『ガァ』と鳴き声を上げる。


 耳を貫くようなその鋭い鳴き声にハッとして、佳奈は慌てて部屋の中へと頭を戻し、市子のもとへと走る。


「市子! おい、起きろ、市子!」

「何よぉ……? また……?」


 と、市子はまるでダンゴ虫のように身を丸めるが、佳奈はその肩を揺すり続ける。


「そうだけど、そうじゃない! 大変だ! ミサキの部屋に集まってるんだよ、カラスが!」

「……ミサキの?」


やや間を置いてから、市子はサッとその身を起こす。聞き間違いであったことを心から願っているような張り詰めた瞳で佳奈を見つめ、しかし佳奈が頷くと、毛布を投げ飛ばしてベッドから降り、玄関へと走る。


 佳奈もまたその後を追い、明かりの落とされている廊下と、廊下とは違って明かりの点されている階段を駆け抜け、三階にあるミサキの部屋、『343号室』の扉を控えめに叩く。


「ミサキ、ミサキ……!」


 これまでと打って変わったように焦燥の面持ちをしながら、市子は声を潜めてミサキを呼ぶ。すると、ほどなく、扉の鍵が開けられるカシャンという音が聞こえ、


「い、市子……?」


 ミサキが、恐る恐るという様子で、その顔を扉の隙間から覗かせた。その隙間へ身体を押し込むようにして、市子は半ば無理やり部屋へと入り込むと、ミサキの身体をこちらへと預けて、ひとり部屋の中へと上がっていく。


 そのまま、部屋の明かりを点けつつずんずんと奥へと歩いて、閉められていたカーテンを勢いよく開くと、すぐ目の前にカラスがいるのも構わずに窓を押し開いた。それで押し出されるように追い払われたカラスたちは、バタバタという羽音を夜闇に響かせながら、どこかへと飛び去って行く。


「どうしてわたしの部屋に、カラスが……?」


 凍りついたような静寂の中で困惑に押し潰されたように身動き取れずにいると、ミサキがはらりと佳奈の手から手を滑り落とした。


 じっと俯きながら瞳を震わせているミサキの横顔を見て、佳奈は慌てて言う。


「たまたまだって。あたしが言うのもなんだけどさ、怪談なんて、どーせただのくだらない噂なんだから」

「でも、カラスが夜中にこんな所に集まってくるなんて、普通じゃないよ……。怪談では、カラスは『禁忌』を犯してる人の部屋に来るって……。それって、もしかして、わたしが男の子なのに、この学校にいるから……」

「バ、バカだな、そんなことないって。それだったら、なんで今までずっと来てなかったのさ」


 どうにか笑みを作って佳奈は言うが、ミサキは恐怖という感情に耳を塞がれたように何も返事をしない。


「ねぇねぇ、ミサキ」


 と、開いた窓の前に立ち続けていた市子が、窓枠の上の方――そこにぶら下がっている風鈴らしき物を見上げながら飄然と言った。


「このウィンドチャイム、すごく可愛いわね。これ、いつの間に買ったの?」

「はぁ……? そんなこと、どうでもいいだろ! それより、早く窓、閉めろよ! またカラスが来たらどうすんだよ!」


 思わず頭に来て怒鳴ってから、佳奈はミサキをベッドへと連れて行き、とりあえずそこへ座らせてやる。


どうにかミサキを落ち着かせなければ、と佳奈は必死にミサキを宥め、温かいお茶を飲ませて介抱したが、市子はこちらを見向きもしない。机の椅子に膝を組んで座りながらスマートフォンを弄り、


「へー。カラスは鳥目っていうけど、あれは嘘らしいわよ。カラスって、夜でも人間以上に物が見えてるんだって。ぜんぜん知らなかった」


などと、暢気に独り言を言っていた。




 翌日。


 案の定、朝の食堂に入った直後から、これまでとは少し毛色の異なる噂が耳に入ってきた。


『栗戸ミサキという一年生の部屋にも、カラスがやって来たらしい』


 栗戸ミサキ。まるで昨日までの倉水と同じように、ミサキの名前がそこかしこで囁かれているのだった。


 じろりと冷たい視線がこちらを向き、まるでつきまとってくるように重苦しい話し声が周囲を取り巻き続けているが、それでいて半径二メートルほどの内側には、息が詰まるほどの静けさが保たれている。


 ――まるで、鳥かごの中にいるみたいだ。


 佳奈が苦々しくそう思っていると、堪え忍ぶように黙り込んでいたミサキが、


「ごめん。食欲がないから……わたし、部屋で寝てるね」


不意に、早口に囁くようにそう言って、料理の皿を受け取る前の空のトレイをこちらに渡し、小走りに食堂を出て行った。


 追いかけるべきだろうか。佳奈は迷ったが、


「後でミサキの部屋に朝ご飯、持って行ってあげなくちゃね」


平気な顔でそう言った市子に唖然としているうちに、そのタイミングを失ってしまった。


「お味噌汁は、やっぱりネギとワカメに限るわね」


 ミサキのことを気に懸ける様子などおくびにも出さないまま、ずずずと味噌汁を啜る市子のお澄まし顔に思わず腹が立ったが、つい数日まで怪談だ噂話だと楽しんでいた自分には、何も言う資格などないのだった。そのことが、佳奈をいっそう腹立たせた。


自分たちがミサキと特に仲がいいという情報も、既に出回っているらしい。噂話の端々に自分の名前も混じっている気配を感じつつ、佳奈は苛立ちやら申し訳なさやらで泣きたい気分になりながら、和風朝食を無理やり口へ放り込んだ。


 食事を終えると、ミサキの部屋に朝食を届けてやったが、ベッドで横になって泣いているらしいミサキの背中にかけるべき言葉を、佳奈は何ひとつ見つけられなかった。


 市子と二人きりで寮を出て、ミサキがいないということ以外はいつも通りに教室棟へと向かう。


「最近、なんだか曇ってばっかりね。まあ、私は晴れより曇りのほうが好きだからいいんだけど」


 周囲からの冷たい視線を一切気にせず、口笛まで吹きながら歩いて行く市子との間には、自然と距離が空いた。それはそのまま、今の自分と市子の間にある心の距離に違いなかった。


 今日もどんよりと重く雲が垂れ込めている空を見上げつつ教室へと着くと、その瞬間に教室の中が水を打ったように静まり返る。どうせ揃いも揃って、くだらない噂話に花を咲かせていたのだろう。――昨日の自分と同じように。


見ると、昨日は噂の渦中にいた少女である倉水は教室前方、廊下側の席で、小さな背中を丸めて机に突っ伏しており、その友人である新田は市子の後ろの席で、思い詰めたような表情をしてじっと俯いていた。その新田の目が一瞬、教卓の真ん前にある席へ座りかけていたこちらを見たが、またすぐに伏せられてしまった。


「まあまあ、みんな、そうカリカリしないの」


 唐突、張り詰めていた教室の空気に、緩みきった市子の声が響く。市子は中分けにした長い前髪を指で弄りながら、


「というか、こんなくだらない仕掛けに誰も彼も引っかかっちゃうなんて、馬鹿馬鹿しすぎて笑っちゃうわよ、ホントに」

「『くだらない仕掛け』……? どういうことだよ、市子」


 倉水、新田を筆頭に、目を驚きに見開いている一同を代表して佳奈が尋ねる。


「それは、まだほんの少しだけ解らないことがあるから言えないかな。でも、たぶんもうすぐ全部、解っちゃうと思うわよ。私たちを貶めようとした犯人もね」


平然を通り越して退屈そうに市子は言い、それから唖然としたように言葉を失っている周囲を見やって、


「というわけで、さあ、みんなと私とで勝負と行こうじゃない。私よりも先に、この一連の怪談騒ぎの謎を解き明かした人には、私がケーキを奢ってあげる。希司生徒会長お気に入りとしても有名な、あの大人気ショートケーキ、みんな知ってるわよね?」


 教室の妙な空気に引かれたのか、気づくと教室の前に他のクラスの生徒たちが溜まっていて、興味津々に目を丸くしながらこちらを覗き込んでいる。


だが、相変わらず市子は周囲の視線なんてどこ吹く風に、眠たげな目をしながらゆったりと腕を組む。すると、先ほどまでとは違うざわつきが、じわじわとさざ波のように教室に広がり始めたのだった。


『謎』、『仕掛け』、『犯人』。


 それらの言葉に動揺を露わにするクラスメイトと、身体を起こしてポカンと口を開ける倉水、迷子のようにキョドキョドと辺りを見回す新田――


 それらを一瞥もすることなく、色めき立つ教室の中で、市子は悠然とあくびをしていた。

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