心の友。2
「希司さんを倒して、自分が生徒会長になろうっていう人も、たくさんいるのかもしれないけど、ほとんどの人はそうじゃない気がするし……」
「やっぱり、そうだよね……」
自分よりは少し離れた場所からシノを見ているミサキもそう感じるのだから、やはり間違いない。
自分はもう、二十四時間体制でシノをボディーガードする必要などないのだ。自分はもう用済みなのだ。
「それに、ただ単純にさ、シノさんはたぶん俺のことを負担に感じてる気がするんだ。いつも傍に男がいるわけだし、自分の部屋に帰っても気が休まらないっていうか……そういうのがあると思うんだよ。シノさんは優しいから、絶対に顔に出さないけどさ……」
「それは……そうかもしれないけど、でも、少しだけ違うんじゃないかな?」
「え?」
半ば一人で喋っていたアオイは、麦茶の水面を回すようにして揺らしていたコップから手を放す。
ミサキは申し訳なさそうに、アオイの目とテーブルの木目とを交互に見比べながら、
「アオイちゃんは、そうやって悩んでいるんだよね? だったら、負担を感じてるのは希司さんだけじゃなくて……アオイちゃんも、なんじゃないかな?」
「俺も、負担を?」
「うん。他人が部屋にいたら、その人のことが気になっちゃうのは当然なんだし……相手が異性なら尚更だよ。アオイちゃんが男の子だからって、そんなことは関係ないよ。アオイちゃんだって、希司さんに凄く気を遣ってきたんでしょ?」
「まあ、シノさん程じゃないと思うけど……」
「うん。でも、アオイちゃんは、自分も我慢してきたんだっていうことを解っておくべきなんじゃないかなって……。あんまり、自分を責めすぎるのはよくないから……」
病人を気遣うような顔で、ミサキはじっとこちらの目を見つめてくる。
ミサキをこんなに不安にさせるほど、いま自分は追い詰められた顔をしているのだろうか。漠然とした不安があるばかりでよく解らないが、
『別に心配はいらない。自分はなんともないよ』
という言葉を口にする気が起こらないあたりから、推して知るべしなのかもしれない。
「なら、やっぱり俺とシノさんは別々の部屋になったほうが……」
「う、ううん、別にそういうことを言ってるんじゃないの!」
と、ミサキは慌てたように首を振り、
「わたしが言ったのはね、ただ、アオイちゃん自身も希司さんに気を遣ってることを解っておいたほうがいいよって、自分を邪魔者みたいに考えないほうがいいよっていう話で……! 二人が別の部屋になったほうがいいとは思ってないよ?」
「え? じゃあ……」
「うん。わたし、二人はきっと大丈夫だと思う……」
ミサキは小さく頷き、麦茶でその薄い唇を濡らしてから、やや緊張したように肩に力を入れながら続ける。
「アオイちゃんと希司さんは、お互いに嫌い合ってるわけじゃなくて、どうやったら相手のためになるのかなって、そう一所懸命考えながら暮らしてるんだよ。だからこそ、いろいろ大変なこともあって、アオイちゃんは今すごく辛いのかもしれないけど……でも、そんな二人なら、きっと大丈夫なんじゃないかなって、その……わたしはそう思うっていうか……」
「ミサキちゃん……」
『大丈夫』
ミサキのその言葉が、微笑が、心に染み渡る。言葉も失って、呆けたようにミサキの微笑みを見つめるアオイに戸惑うように、ミサキは頬を染めながら言う。
「わ、わたしは、アオイちゃんと同じで男の子どうしだし、いつでも一緒の部屋になれるけど……まだ、その時じゃない気がするの。今でもきっと、希司さんがこの学校で一番信頼しているのはアオイちゃんのはずだよ。確かに気を遣ってはいるのかもしれないけど、アオイちゃんがいてくれるから安心できている部分もあるはずだから……」
「そう……なのかな」
「うん、わたしはそうだと思う、かな? だから、わたしからするとね、希司さんよりもアオイちゃんのほうが心配だよ。あんまり悩んで、思い詰めないほうがいいと思うよ……?」
言われてみると、そうかもしれない。
確かに自分は、シノの気持ちを何ひとつ確かめることもないまま、勝手に一人で思い悩み、勝手に決断をしようとしていた。まさに独り相撲である。
「そうだよね……。シノさんって、ああ見えて我慢できないことは我慢できないってハッキリ言う人だし……本当に部屋を変えたいって思ってるなら、ちゃんとシノさんのほうから言ってくるよね」
「そうかもしれないね」
とミサキは苦笑するように笑い、アオイはそれに微笑み返した。
「ありがとう、ミサキちゃん。話をしに来てよかった。ミサキちゃんのおかげで、なんていうか、すごく気が楽になったよ」
シノが部屋に帰ってくる前に戻らないと。アオイはミサキに礼を言いつつ立ち上がり、玄関へ向かう。
「ね、ねえ、アオイちゃん」
玄関で靴を履いていると、送りに来たミサキが、腰の前でもじもじと手を組みながら、耳を朱くして言う。
「もし本当に希司さんと別々の部屋になることになったら……その時は、この部屋に来ていいからね? わたしは、いつでも待ってるから……」
「うん。その時はよろしく頼むよ、ミサキちゃん」
自分は決して独りじゃない。こうして腹を割って話し合える友人もいる。何も深く思い悩む必要などないのだ。
やはり持つべきものは友だ。
ミサキの甘えるように熱っぽい瞳や、心細そうに組み合わされた細い指には、自分でも理解しかねる摩訶不思議な感情を微かに抱いてしまったが、アオイは心からそう実感しながらミサキの部屋を後にし、足取り軽く自室へと戻った。




