互いを結ぶは、かけがえのない絆。
「ごめんね、ミサキちゃん。急に呼び出して」
「う、うん。どうしたの、アオイちゃん……?」
教室棟の東端にある一階非常口の外、ひと気の全くない非常階段の入り口で、アオイはミサキと向かい合った。
どうやら生徒会を抜け出してきたらしく非常階段を下りてやって来たミサキは、自身にとっても何か重要な話が始まるらしいということを、どこか感じ取っているようだった。
その怯えるような表情のミサキに、アオイは男らしく、正面切って尋ねたのだった。
「ミサキちゃんって、生徒会に入ってるんだよね?」
「うん、そうだよ?」
「なら、生徒会室の場所を知ってるでしょ? 生徒会室って、どこにあるの?」
え? とミサキは驚きを露わにする。細い喉を鳴らして唾を飲み下し、震える声で言う。
「そ、そんなことを知って……どうするの?」
「うん。私はミサキちゃんを友達だと思ってるから、正直に言うよ。実は私ね、これから生徒会室に言って、生徒会長を倒そうと思ってる。正確には、私とシノさん――希司シノさんとで」
「希司さん……?」
「うん。――シノさん、来てください」
アオイは頷き、それから段取りどおりにシノを呼ぶ。すると校舎の影から、どこか緊張した面持ちでシノが姿を現す。それを見ると、ミサキは声を失うとはかくやという様子で凍りついた。
初めからここにシノがいたら、すぐに逃げ出してしまうかもしれない。そう思ってこうしたのだが、これはまさに騙し討ちの酷い手段だった。アオイはその驚きようを見て申し訳なく思うが、久々原の記憶操作を受けていないミサキは、シノ自体への恐怖を持っているわけではないということをアオイは知っている。
だが、シノは愕然と立ち尽くすミサキに不安を覚えたらしい。
「あの、アオイさん、この方は本当に……?」
と、こちらの表情を伺うが、アオイは冷静に言う。
「大丈夫ですよ、シノさん。そうだよね、ミサキちゃん。ミサキちゃんは、シノさんが本当は悪い人じゃないって知ってるんだから」
「それは……はい。でも……」
「それなら、頼むよ。お願いだ、ミサキちゃん。生徒会室の場所を教えて? 私達は本気なんだよ」
ミサキは臆病な子だから、自分もシノのような境遇になってしまうことが怖くて堪らないのだ。だが、今はどうしてもミサキの助力が必要で、こちらもなりふり構っていられない。ミサキの心をどうにかこじ開けるべく、アオイはミサキの手を取って懇願する。だが、
「ご、ごめんなさい。わたし……!」
ミサキは今にも泣きそうな顔で目を逸らしてしまう。
その怯えきった表情を見て、アオイは思わず続けるのを躊躇った。ミサキが泣くほど怯えるようなことを、自分はしたくない。
アオイはミサキの手を放しかけて、しかし甘えた自分に鞭を打ち、いっそう強くミサキの手を掴んだ。今、ミサキを逃がすわけにはいかない。このミサキの手こそが、自分達にとっておそらく唯一の糸口なのだ。
――やっぱり、言わなきゃダメだよな……。
こうなるだろうとは覚悟していたが、それでもやはり緊張してしまう。アオイが思わず二の足を踏んでいると、
「アオイさん……」
と、シノが不安で胸がはち切れそうという面持ちでこちらを見上げる。その心細く震える瞳を見て、アオイはむしろ決意した。
自分で段取りまで決めたことだ。今さら躊躇って、仲間を不安にさせてどうする。それでも男か。そう自らを奮い立たせて、ミサキと向き合う。
「ミサキちゃん。ミサキちゃんって……私に隠し事してるでしょ」
「隠し事? か、隠し事なんて……」
表情豊かに狼狽するミサキに、アオイは静かに微笑む。
「それは嘘だよ。だって私、知ってるから。ミサキちゃんってさ――本当は男だよね?」
「え……?」
とミサキは呆然としたようにしばらくキョトンとしたが、ハッと一度シノを見て、それからぶんぶんと首を振った。
「ち、違いますっ! な、なんで、アオイちゃん……? 違うよ。わたしは男の子なんかじゃないよ!」
「いや、君は男の子だ。私はもう知ってるよ。ミサキちゃんの部屋に行った夜、偶然、君の身体に触った、あの時からね」
「…………」
絶望で気が遠くなったような焦点の遠い眼差しで、ミサキはアオイを見上げる
「嘘では……ないのですね、ミサキさん」
シノが念を押すように尋ねる。すると、ミサキがバッと振り解くようにアオイの手からその手を抜き取って、目から涙を溢しながら声を絞った。
「ど、どうして、アオイちゃん? わたし達は友達だって、そう言ったのに……どうしてバラすの? わたしが男だって解ったから……?」
「う、ううん、違うよ。そうじゃない」
ミサキを泣かせるつもりまではなかったアオイは、慌てて首を振る。
「じ、実はね、ミサキちゃん。私――じゃなくて、俺も同じなんだ。俺も男なんだよ」
「……へ?」
時を止められたように表情を固めて、ミサキは目を点にする。ミサキを泣かせて慌てるアオイは、やや早口に続ける。
「つ、ついでに、シノさんは俺が男だってことをちゃんと知ってるんだ。だから、ミサキちゃんが男だと知ったってどうなるわけじゃない。まあ、さっき話したらメチャクチャびっくりしてたけどさ」
「は、はい。それは……今でも、とても驚いています」
シノはこっくり頷くが、ミサキはまだ何もかも信じられないように立ち尽くしている。アオイは、そんなミサキに再び詰め寄る。
「嘘じゃない。本当だよ、ミサキちゃん。残念だけど……今は証拠を見せられない。なぜかは解らないけど、その……私、身体が完全に女になっちゃったから」
「お、女に?」
とミサキはさらなる驚きで正気を取り戻したように、ようやく瞬きをする。だが、その表情は呆気に取られたようにひたすら驚きと困惑に満ちていて、到底、こちらを信じているとは思えない。アオイはミサキの手を取って必死に続ける。
「うん。でも、本当なんだよ。本当にわた――俺は男なんだ。本当は男なのに、女子力の影響だとかなんだとかで、急に女になっちゃったんだよ。ですよね、シノさん!」
「ええ。アオイさんは間違いなく男性です。わたしはこの目で見て、確かにそれを確認しましたから」
「じ、実際に見て、ですか……?」
と、ミサキは妙な部分に食いついて目を見張る。はい、とシノは頷いて、それからハッとしたように首を振る。
「い、いえ、違います! 別に変な意味じゃありません! と、というか、アオイさん。この方は本当に――」
「本当なの、アオイちゃん!?」
シノの言葉を断ち切って、ミサキはまるでアオイを逃がすまいとするように、その両手でアオイの二の腕を強く掴んだ。
「な、何が?」
ミサキが、らしくない突発的な反応を見せたことにも驚きながらアオイが訊くと、ミサキは真剣そのものの表情で、尋問するようにアオイを見つめてくる。
「今、アオイちゃんが言ってたことだよ。『男の子だったのに、急に女の子の身体になった』って、それは本当なの?」
「う、うん。理事長が言うには、なんだっけな、『女子力を受けた影響』とか、『親の影響』とかだったような……」
「じゃあ、この学校の噂は本当だったんだ!」
噂? とシノが口を開くと、ミサキは目を輝かしながら頷いた。
「はい。この学校には昔から噂があって、この学校の敷地内で長い時間を過ごした男性は女性になってしまうって言われているみたいなんです。なんでも、ずっと以前にここに通っていた男の子が、どういうわけか女の子になってしまったとかで……それで、わたしはその噂を頼ってここにきたんです」
「そ、そうなんだ。そんな噂があるんだぁ。へ、へぇー……」
ドキリと何か嫌な予感がしてアオイは目を逸らす。
「しかし、それでは本当にあなたは……!」
と、ミサキが男であることをまだ信じ切れていなかったという顔をするシノに、ミサキはアオイから離れながら、少し照れたような、困ったような顔で首肯する。
「はい、アオイちゃんの言うとおり……わたし、男です」
「そう。ミサキちゃんは男で、そして俺も男だ。だから頼む、ミサキちゃん。俺達はどうしても、生徒会長を倒さなきゃいけないんだ。それがどうしてかは、ミサキちゃんならもう解ってるよね?」
アオイはそうミサキの目を覗き込むが、ミサキはここまで来ても久々原の恐怖に怯えるように地面に目を泳がす。
「お願いだ、ミサキちゃん。確かに、ミサキちゃんが波風を起こしたくない理由も解るよ。でも、私は私の大切な人のために、今をどうにかしたいんだよ。だから力を貸して、ミサキちゃん。俺達はこの学校で唯一の男同士、『漢の絆』で結ばれた、かけがえのない友達のはずだ」
「漢の、絆……?」
「うん。って、あ、ごめん……。ミサキちゃんは女の子なのに、さっきから男、男って……!」
つい夢中になって、デリカシーのない言葉をぶつけてしまっていた。きっと自分には想像もつかないような深い悩みがあるに違いないミサキに、あまりに無遠慮だった。今更そう気づいてアオイが謝ると、
「ううん、いいの。だって、わたしは女だけど、でも、やっぱり男なんだから……」
非常階段に吹き込んできたそよ風が、ミサキのスカートを微かに揺らす。ミサキはその揺らぎを見下ろしながら、自嘲とは少し違う、どこか冷めたような微笑を口元に浮かべて、それから何か吹っ切れたような表情で目を上げた。
「解ったよ、アオイちゃん。わたし達は『漢の絆』で結ばれた親友で、親友が困っていたら助けるのが漢っていうものだよね?」
「ミサキちゃん……」
「生徒会長は、地下にある生徒会室にいるよ」
「地下に?」
シノの読みどおりだ。アオイがそう驚くと、ミサキはさっぱりと頷く。
「うん。でも、普通には行けない場所だよ。理事長室の奥にある階段からしか、そこへは行けないの」
「理事長室の奥? なるほど、そういうことでしたか……」
合点が行ったというようにシノは呟き、ミサキは話を続ける。
「でも、あそこは生徒会室というより、この学校の――聖域の中央部だと、生徒会では聞かされています。だから、わたしのようなアントは特に、そこへは近づくなと言われていました」
間違いない。アオイはシノと頷き合い、それからミサキに言う。
「ありがとう、ミサキちゃん。恩に着るよ」
「う、うん。あの、わたしは……」
と、何か言いにくそうにソワソワとするミサキの様子から察したように、シノが厳然と首を振った。
「いえ、ミサキさんはこれ以上、わたし達に関わってはいけません。ただでさえ危ないことをさせているのですから、これからは普段どおりに過ごしていてください」
「何か危ないことが起きそうだったら、すぐに自分の部屋に逃げるんだよ、ミサキちゃん」
「うん……ごめんね、アオイちゃん、それに希司さん……」
「いいえ、むしろ頭を下げねばならないのはこちらのほうです。ありがとうございました、ミサキさん」
とシノは頭を下げてから、張り詰めた表情でアオイを見つめた。と、ミサキが何か思い出したように再び口を開いた。
「ところで、希司さんとアオイちゃんの言っている『生徒会長』って、久々原さんのことですか?」
「ええ、無論そうですが?」
シノが怪訝そうにミサキへ目を向け直すと、ミサキは神妙な面持ちで言ったのだった。
「やっぱり……。あの、実は――」




