一縷の望み。
洋菓子クラブの部室を出て、それがある三階から二階へと下りてきてから、
「上手く行きましたね、シノさん!」
なんか知らないけど。と戸惑いながらもアオイがシノに笑みかけると、直後、まるで膝から力が抜けたように、シノが階段の手すりに掴まりながら崩れ落ちた。
「シ、シノさん!? どうしたんですか!?」
「すみません、大丈夫です……」
驚くアオイに、シノは顔を上げて微笑んで見せる。だが、その顔は血の気が引いたように青く、全く大丈夫そうには見えない。
まさかシノは、あの交渉の間ずっと、なんらかの女子力による攻撃から耐えていたのか? アオイは咄嗟にそう考えたが、そういうわけではないらしい。
階段の手すりに縋りついて這い上がるように、シノは膝を震わせて立ち上がる。
「しかし、我ながら少し無理をしてしまいました。あのケーキをこれから五十個、椿さんに買って渡すとなると……彼女も言っていましたが、わたしはこれから卒業まで、間違いなく二度とあれを口にすることはできないでしょう。さっきはそれでも構わないと思っていましたが、ふと冷静に考えてみたら……くっ、身体に力が入りません」
「…………」
女子にとってのお菓子とは、かくも重大なものなのか。アオイは、その気持ちがなんだか解るような解らないような、微妙な心もちで生温かくシノを見守る。
「しかし、わたしはやります。わたし達は、もう引き返せないんです」
アオイはその腕を支えながら頷き、尋ねる。
「それで、久々原さんはどこにいるんですか?」
「それは……もちろん生徒会室でしょう。行きましょう」
いよいよ戦いの時が迫ってきた。アオイはゴクリと唾を飲み、再びシノと共に歩き始めて、一階の渡り廊下を通って部室棟から教室棟へと入る。
シノは教室棟の西階段の前を通り過ぎて、決然とした足取りで一階の廊下を突き進んでいく。まるで歴戦の勇者のようなその背中に頼りがいを感じつつも、否が応にも不安と緊張が高まっていく。アオイは強張る手足を動かして、どうにかシノの後をついていく。
「この先に生徒会室があるんですね……。もうすぐですか?」
「いえ、その……どうなんでしょうか? 実は、わたしも生徒会室の場所は知らないので、解りません」
「はっ?」
と、アオイは思わずコントのようにずっこけそうになった。シノは立ち止まり、照れ笑いするように頬をほんのり朱くして言う。
「おそらく、襲撃されるのを防ぐためでしょう。久々原さんは、どうやら生徒会室を普通には見つけられないようにしているようなのです。わたしも以前からどうにかして見つけようと頑張っていたのですが、まさか決戦の時がこんなに早く来るとは思わず……」
「あ、そうか……。すみません。私のせいで……」
「いえ、アオイさんのせいではないんです。去年から探しているのに未だに見つけられず、それなのにノンビリしていたわたしが悪いんです。でも、少しずつ絞りつつはあるんです。外から見た部屋の位置と建物の構造からして、どうも生徒会室は地下にあるとしか考えられない気がしています」
「地下に?」
「はい。でも、その入り口がどうしても見つからないんです。色々な部屋に入って、どれだけ怪しい扉や物陰を調べても……」
そうなんですか……。とアオイは腕組みをして、
「あ、そうだ。生徒会の人達って、二階にある第二会議室っていう所をよく使ってるみたいですけど、そこが怪しいんじゃないですか?」
「いいえ、あそこは単なる会議室だと思われます。そもそも生徒会長は生徒会の仕事にはほとんど無関心らしく、あの部屋へ入ることは滅多にありません。以前、集中的に尾行をして調べたことがありますから、それは確かです」
――尾行を……。
全くノンビリじゃない、ガッツリ調査しているじゃないか。思わずアオイは心の中でツッコミを入れるが、シノは顎に手を当てて独り言のように言う。
「しかし尾行をしても、結局どこが生徒会室なのかは突き止められませんでした。彼女が向かうのは大抵、寮の自室で、たまに理事長室へ行くくらいなのです」
「ってことは、生徒会室なんてないっていうことじゃないんですか?」
発想の転換をして、これはなかなか冴えた考えだと自信を持って言ったのだが、シノはすげなく首を振る。
「いいえ、それはありません。生徒会室は必ずあります。なぜならそこにこそ、この学校をこの学校たらしめている、『聖域の核』――つまり山岳の巫女(山ガール)を奉った御神体があるのですから。核が必ず存在する以上、それの保管所のような場所も必ずあるんです」
なるほど、とアオイは納得して、ハッと閃いた。
「でも、そんな大事な場所があるなら、火事だとか地震だとか、そういうもしもの時のために、生徒会の人達はみんな、その場所を知らされてるんじゃないでしょうか」
「どうでしょうか……解りません。わたしには生徒会の知り合いもいませんし……」
「でも、私にはいます」
と、寂しげに俯いたシノにアオイは言う。
「物は試しです。訊いてみましょう」
「え? いえ、でも、生徒会の人に直接、訊くのは危険では……」
「大丈夫です。きっと――いえ、絶対に。だから、どうか私を信じてください」
「……解りました」
シノは少し躊躇った様子ながらも、こくりと深く頷いた。アオイはそれに頷き返すと、すぐにポケットから携帯電話を出し、それを操作してメールを送る。宛先はもちろん、
『ミサキちゃん』
である。




