女子力修行。1
「軍曹先生はまだ来ていないようです。でも、ちゃんと話はしてありますから、ちょっと待っていましょう」
教室棟の東側、寮とはほぼ正反対の位置にある体育館。その奥にひっそりと佇んでいる小さな正方形型の建物へとやってくると、シノはその鉄扉を一度開けようとしてからそう言った。
帰りのホームルームが終わった後に待ち合わせをして、導かれるままここへついてきたアオイは、はあと胡乱に返事して、
「って、軍曹先生? 五百雀先生が私に修行をするんですか?」
「そうですよ。軍曹先生に、みっちりしごいてもらいましょう。あ、変な意味じゃないですよ」
「う……。し、しごいて……」
まさか軍隊式トレーニングでもやらされるんじゃ。とアオイはたじろぐが、かと言って今さら逃げるわけにもいかない。男が逃げてたまるか。そう自ら逃げ口を塞ぐように扉の前の石段に腰を下ろす。と、その直後、
「うぉっ!?」
ダンッ! と、まるでハンマーを打ちつけられたかのような衝撃音が、扉の上にあるトタンの天井を揺らした。それから間を置かず、目の前に大きな何かかがドサリと降ってくる。
「すまない。近道をとおってきたのだが、ちょっとばかり遅刻をしたようだな」
と、天井の上から降ってきた物体――五百雀は地面に片膝をつきながら、無骨な黒い腕時計へ目を落とす。その右肩の後ろには、やけに大きな荷物を背負っている。まるでバズーカかライフルでも中に入っているような、子供の身長くらいはある黒い大きなケースである。
「よろしくお願いします、軍曹先生」
「お、お願いします」
アオイは立ち上がり、シノに倣って頭を下げる。すると、五百雀は「うむ」と会釈しながら取り出した鍵で鉄扉を開け、黒くゴツいブーツを脱いでその中へと入っていく。五百雀とシノの後に続いてアオイもその中へと足を踏み入れる。
「こんな場所が学校にあるんですね……」
扉側の壁際にあるロッカー以外は何もない、板張りの床が窓から差し込む夕陽に輝いている建物内の風景は、これぞ道場という静謐な趣きである。思わず、アオイの声も小さくなる。
「わたしもここへは初めて入ります。今は武道系の授業もありませんし……」
壁の高い位置にある窓を、シノは額に手を当てながら見上げる。
五百雀が、ロッカーに荷物を立てかけながら懐かしそうに微笑み、
「この武道場をよく使っていた剣道クラブも、なくなってからもうちょうど十年だ。剣道クラブ部長であった私がここを卒業した次の年に、クラブは潰れたそうだからな。――が、そんなことは今はどうでもいい」
と、長く赤い長髪を炎のように揺らめかせながら、表情から笑みを消してアオイを向く。
五百雀の纏う空気が一変した。心なしか武道場全体の空気が引き締まった感覚さえ抱きながら、アオイはすぐさま五百雀に向かって気をつけをする。
「はい、お願いします、五百雀先生」
「うむ。事情は希司から聞いている。だが、本当にいいのか? お前がその美しさを磨いて女子力を身につけようとすれば、もう二度と男に戻ることができないかもしれんのだぞ」
「はい。でも……私はそうは思いません」
「ほう。その理由は?」
「確かに、私の身体は女になってしまいました。でも、まだかろうじて心は女になりきっていません。もしこのまま自らは何もせず、シノさんを守るという約束からも逃げれば、その時こそ、私は身も心も女になってしまう気がするんです。それも、ただ怯え、ただ守られているだけの腑抜けな女です。私は、絶対にそうはなりたくありません」
「……なるほどな」
軍曹はフッと笑みを漏らし、それからその目をギラリと鷹のように鋭くした。
「目的のハッキリした、いい答えだ。よかろう。理事長はお前を男に戻すために自ら聞き込みの調査までやっているのに、その裏で私がこんなことに手を課すのは非常にマズいのだろうが……理事長に止められたところで、お前はその意志を曲げるまい。その意気やよし。お前を鍛えるべきか否か、正直迷っていたのだが、その意気に応えなければ女が廃るというものだ。いいだろう。私が直々に、お前を鍛え上げてやる」
「はい、お願いします! どんな辛いトレーニングでも構いません! 私、体力には自身があります!」
正しくは『あった』だが。と思いつつも、仮にも『軍曹』と呼ばれる女性に弱気を見せてよいはずがない。アオイは顎を引いてビシリと背を伸ばす。が、なぜか軍曹はキョトンとしたような顔をして、シノと目を見合わせると、二人しておかしそうに笑うのだった。
「お前、何か勘違いをしていないか?」
「勘違い? 何がですか?」
「私がなぜ『軍曹』という渾名で呼ばれているのか、それはこのミリタリーファッションのせいでもあるが、それとは別に、生徒達のファッションを厳しく指導してやっているからでもあるんだぞ。解っているとは思うが、私は決して軍人ではない」
「ファッションの指導……ですか?」
「そうだ」
拍子抜けして呆然とするアオイに、五百雀は小さく頷き、シノへと視線を流す。
「希司。女子力の鉄則はなんだ、言ってみろ」
「はい。『美は力なり』です」
シノは即答し、五百雀は「うむ」と当然のような顔をしながらアオイへ目を戻す。
「お前も憶えておけ、百合園。『美は力なり』。それが女子力の鉄則だ。つまり、物理的な力など大して意味は持たない。ここでは美しさこそが唯一にして絶対の強さなのだ。したがって、ファッションはまさにお前の武器となり鎧となる物、強さと直結する物なのだ。おい、希司。お前はこんなことすらコイツに教えていなかったのか、怠慢だぞ」
「す、すみません」
と、シノは五百雀――軍曹に睨まれ肩を窄める。軍曹は先ほど自分のことを『軍人ではない』と言ったが、その射殺すような眼差しは軍人以外の何ものでもないのだった。
「それで、私は何をすれば……」
思わず声を細くするアオイを、軍曹は不機嫌そうに睥睨する。のしのしとこちらへ歩み寄り、アオイの上着とスカートの裾を掴んで、その両方をバッと乱暴に捲り上げた。
突然、ほとんど何もかもを見られてしまったアオイは「きゃっ!」と素早く飛び退き、恥ずかしさで顔を熱くしながら上着とスカートを押さえる。
「ななな、何するんですか、いきな――」
「貴様、ナメているのかっ!」
飛び退いたアオイへ再び詰め寄り、その胸ぐらを掴み上げながら、軍曹はその怒声を武道場内に響き渡らす。
「女子の美しさとは見えない部分にこそ、その本質が宿り、輝くものだ! いくら表面を取り繕おうが、中身が美しくなければ女子力が身につけられるはずがない! ブラを着けず、しかもあんな雑巾を穿いて、まともに戦えると思っているのかっ!」
――ぞ、雑巾……。
軍曹の剣幕に目を剥いて、さらにお気に入りのボクサーパンツを『雑巾』呼ばわりされたのがなんだかショックで、アオイは言葉を失う。
「ぐ、軍曹先生。アオイさんは男性で、しかもまだ女性になってほんの一日なのです。ですから、どうか優しく、ゆっくりと……」
シノがそうわたわたと間に入ると、軍曹はフンと鼻を鳴らして突き飛ばすようにアオイの胸ぐらを放す。
「本気で女子力を身につけたいのなら、まずはちゃんとした下着を身につけろということだ。まさか、女性用の下着を持っていないのか、お前」
「え? いや、まあ、あることはあるんですが……」
家事手伝いの鉄子さんに貰った母の下着を含めて、持っているには持っているのだが、恥ずかしさやら意地やら何やらで、どうにも踏ん切りがつかないのである。
――次に体育の授業がある日に……。
そう考えていたのだが、確かにそれは甘えなのだった。そう自覚があるので、アオイが思わず目を伏せると、軍曹は忌々しそうに舌打ちをする。
「チッ。ならば、仕方ない」
「はあ……って、えええっ!?」
諦めてくれたかとアオイが安堵した直後、軍曹はなぜかその両手を、超がつくくらいミニのスカートに突っ込んだ。そして、なんの躊躇いもない様子で勢いよくそこから黒いパンツを引き下ろした。
「今日だけは特別だ、これを穿け」




