前庭で昼食を。
玄関から外へ出て、そのまま真っ直ぐに進むと、十字路の上に長く設けられた屋根の下に入る。
その十字路の奥、バス乗り場付近の壁際には、壁に備えつけられた木製のベンチがあって、アオイとシノは全くひと気のないそこに並んで腰を下ろした。
時間もあまりないのでさっそく弁当箱を開くと、シノの言うとおり、中にはオムライスが詰まっていた。二段式弁当箱の下の段に、黄色い風船のようにそれは充ち満ちていて、上の段にはポテトサラダ、ブロッコリー、ミニトマト、ウィンナー、パイナップルが、彩り豊かにちんまりと並んでいる。
アオイは空腹に急き立てられながら「いただきます」と割り箸を割り、まずはシノおすすめのオムライスを口へ運ぶ。
「どうですか?」
と、シノはまるで自分がこの弁当を作ったというような顔で尋ねてくる。しかし、なんのお世辞も必要ない。アオイは口元に手を当てながらこくこく頷く。
「んん。確かに美味しいですね。中が、ただのケチャップライスじゃない」
「そ、そうなんです! すぐにそこに気がつくとは素晴らしいです、アオイさん!」
何がそんなに嬉しかったのか、シノは急激にテンションを上げて、満天の星空のような笑みを顔に広げる。
「わたし、ずっと考えてみたんですけど、たぶん、これには思い切った量の白だしを使っていると思うんです! だから、ただケチャップの味がするというのではなくて、こう、鶏肉の味を引き立てるような香ばしさがとてもあるんです、これがいいんです!」
「は、はあ……」
アオイは、シノの並々ならぬ食へのこだわりに思わず圧倒されながらも、ごはんを食べるのが何よりもの幸せという顔でオムライスを頬張り始めたシノの横顔を見て、それをとても可愛らしいと感じた。この笑顔の隣にいるのは、女になってもやはり幸福なのだった。
通路の向かい側には、前庭の向こうに緑々と立ち並ぶ木立が見える。視界のどこにも人の姿はなく、影の中だから暑さもなく、ただそよ風だけが静かに吹き過いでいく。そして、隣にはシノがいる。
――まあ、ここに来てよかったってこともあるよなぁ、少しは。
雰囲気に流されるようにそう感じてしまいながら、アオイがポテトサラダを突っついていると、不意にシノが尋ねてきた。
「ところで、アオイさんのご両親はどのようなことをされているんですか? わたし、詳しくは聞かされていなくて……」
「え?」
詳しくは? と、シノの妙な言い方が少し気になったが、別にわざわざ隠すことでもないので正直に答える。
「うちの母は、なんていうか、女子作法の先生をしています。嫁入り修行の先生みたいな」
「はい、かなり有名な方なんですよね。その世界では」
「え? ええ、まあ……」
シノが当然のように知っていたことにアオイは驚いたが、シノはなんと言ってもこの名門、菫山女子高等学校に通うご令嬢なのである。知っていてもおかしくないかと思い直し、アオイは少し恥ずかしいような気分と頷いた。
「では、お父様はどのようなことを?」
「ち、父ですか?」
思わずギクリとすると、シノはウィンナーをぱくりと一口で頬張って、どもったアオイを不思議がるように見上げながらこくんと頷く。
口をモグモグさせながら子犬のように澄んだ目で見つめられ、アオイはその無知の眼差しに狼狽した。父は母のようなものであり、職業は家事手伝いであり、現在は鉄子と名乗っている。それをありのまま説明する勇気がどうしても出ず、アオイは勢いに任せて口を開く。
「ち、父は、なんていうか、その……も、もう、あっちの世界に行ってしまいました」
「ああ、そ、そうでしたか……」
と、シノは慌てたように目を伏せる。アオイも同じく目を伏せて、これ以上、何も喋らないぞという意志の表明として、ブロッコリーとミニトマトを続けざまに口へ放り込む。
だが、シノはこれ以上こちらへ質問をぶつける気はさらさらないらしく、どこか悲しげに黙ってオムライスを口へ運んでいた。
そんな、しょんぼりとしてしまったシノの横顔を見ているのも、それはそれでまた辛くて、この暗いムードを吹き飛ばすべく、アオイは噤んでいた口を自ら開く。
「そういえば、ちょっと気になってたんですけど、シノさんって、どうしてこの学校に進学したんですか? ここって初等部からあるみたいですけど、やっぱりシノさんもそこから上がってきたんですか?」
「いえ、違いますよ。わたしは高校からです。しかもアオイさんと同じで、ちょうど一年の今ごろの時期にここへ編入してきたんです」
「そうなんですか?」
初耳だった。箸に載せていたオムライスを弁当箱へぽろりと落とすほどアオイが驚くと、シノは「はい」と頷き、それから何か躊躇うように数秒、考え込むような顔をしてから、少し影のある微笑を上げた。
「実は、わたしもアオイさんと同じで、父を亡くしているんです」
「……え?」
「わたし、生まれも育ちも北海道で、ずっとあっちにいたんです。でも、父が病で死んで、母が実家のあるこっちへ戻ってくることになって……。それが高校に入ってすぐのことで、それからこの学校へ通い始めたんです」
「へ、へぇ、そうだったんですか……」
「はい。変な時期に入ってきたので、最初は全く友達もできませんでした。まあ、前にも言ったとおり、それから少しして無事に友達はできて、クラブ活動に所属していたこともあったのですが、すぐにそれもダメになってしまいました。それからは本当に、どうして自分はここにいるんだろうと思いたくなるような毎日で……実は、アオイさんがここへ来てくださる前までは、もうこの学校を出て行こうと、ほとんど決めていたんです」
シノは楽しい昔話を話すように笑って話していたが、その目には隠し切れない悲哀の感情が色濃く刻まれていた。
浮かべているのが明るい笑顔であるだけに、それがかえって痛々しい。アオイは胸が詰まるような感覚を覚えながら、じっとシノの話に耳を傾けた。
シノは、小休止を入れるようにミニトマトを食べてから、あくまで明るく続ける。
「わたし、わたしなりに考えて、それなりに決心して、それを母に相談したんです。でも、そうしたら、母に『もう少し辛抱しなさい』と言われて、それで――」
「……?」
突然、電池が切れたロボットのようにシノが動きを止めた。訝ってその顔を覗き込むと、シノはそれで意識を取り戻したように硬い笑みを作った。
「ま、まあ、でも、今はその言葉に従ってよかったと思っています。さあ、そんなことより、早くぜんぶ食べてしまいましょう。折角のオムライスなんですから」
そう言いつつ、シノはなぜか自らのブロッコリーを一個、そして二個と箸で摘んでアオイの弁当箱へと詰め込み始める。
「あ、あの……シノさん?」
「アオイさんは男の子なんですから、男の子らしく、たくさん食べなきゃいけません。ですから、どうぞわたしの分も食べてください。うふっ」
「シノさん……ブロッコリー、嫌いなんですか?」
こういう時の『男の子らしく』、その上その屈託ない笑顔。それは反則ですよ。とアオイは苦笑しながらも、シノと間接キスをすることになるそのブロッコリーを、喜んでパクリと口へ放り込むのだった。




