カフェテリアにて。
楽しくない。
授業中も休み時間も昼休みも、いつ何をしていても自分へ向けられるのは敵意の眼差しか、それでなければ敵意を剥き出しにした無関心的態度だけ。つまり、敵意しかない。
そんな教室にいたって楽しいことなどあるはずもない。四時限目の授業が終わって用務員のオバサン達が弁当箱の入った箱を持って来てくれるなり、アオイはすぐにその一箱を掴んで教室を後にし、約束の場所でシノと合流をした。シノはまさに、救いのオアシスといった感じなのだった。歩きながら、アオイは尋ねる。
「どこへ行くんですか?」
「カフェテリアです」
「カフェテリア?」
「人が集まってお弁当を食べられるようになっている所です。一階の屋根の上にテーブルやベンチが並べられているのが、四階からも見えたはずです。もし席が空いていれば、テラスへ出て――」
「シノさんっ!」
と、シノと並んで階段を下りていたアオイは、ハッと前を見て叫ぶ。ご機嫌に喋っていたシノを自らへ引き寄せ、覆い被さるように胸の中へ抱き締める。
直後、アオイの眼前には白い波紋が大きく広がる。その波紋を残して階段の上のほうへ吹き飛んでいったのは、正面から軽々と飛んできた木製の椅子だった。
「あ、ありがとうございます、アオイさん」
「いえ、こちらこそ……」
互いにまん丸くした目を見合わせて、そして二人おずおずと視線を前へ向ける。
「ここは川野様の席だ! 横取りすんじゃねえ!」
「うるせえバレー部! アント共の群れが調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「んだとぉ!?」
やけに賑やかだなぁ。とアオイが感じていた賑わいは、よく耳を傾けるとそんな罵声の応酬であった。
寮の食堂ほどではないが、教室を縦に三つ並べたくらいはある、壁のない、開放的で広々としたカフェテリアは、まるで乱闘騒ぎのような血気と騒々しさに満ちている。
どうやら、場所の取り合いをしているらしい。少女たちのがなり声から、アオイが呆然とそう察すると、シノが苦笑するように言った。
「あ、あはは……。たまに空いていることもあるのですが……どうやら、今日はとても混んでいるようです。今日はやはり、前庭のほうへ行くことにしましょうか」
「あら、希司さんじゃない。あなた方もここでお食事なの?」
ふと、右手のほうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。見ると、そこには久々原と、それにつき従うようにして後ろを歩いている宮首とユキの姿があった。ユキの手には、積まれた三人分の弁当箱が抱えられている。
シノはアオイの一歩前へと出て、にこやかな声で久々原と向き合う。
「ええ、そうしようと思っていたのですが、今日はとても混んでいるようですね」
「久々原生徒会長。わたくし、このようなド変態とは昼食を一緒にしたくありませんわ」
シノの言葉に被せるようにして、宮首が棘のある声を張る。
「それもそうね」
と、久々原は軽やかな微笑を崩さぬまま言い、
「でも、席くらい空けてあげましょう。生徒会長なら、それくらいの慈悲は与えてあげないといけないわ」
場所取り合戦に勝負がつき始めたらしく、カフェテリアにはつい先程よりもいくらか落ち着いた空気が流れ始めている。それに加えて、久々原の存在感が空気に伝わったせいか、廊下側付近に座っていた生徒たちの多くは久々原の存在に気づいたように、息を呑んだ顔でそわそわとこちらを見ていた。
つい今しがたまでどこかのグループと怒鳴り合いをしていたバレー部も、今はでんとテーブル一つをまるまる陣取っていたのだが、久々原はそのテーブルへと一直線に歩み寄り、屈託なく微笑みかける。
「ねぇ、あなた方? 顧問の先生から、お昼休みに職員室へ来るようにと言われていたのに、行かなくてもいいのかしら?」
え? と、川野と思しきスラリと背の高い生徒とその他五名のバレー部員は、久々原の微笑にギクリと怯えるように表情を引きつらせる。
「そうよね?」
押しつけるというふうでは全くなく、まるで幼児をあやす保育士のように、久々原は穏やかに一同を見回す。すると、皆、ふと正気に戻ったように顔から緊張の色を抜いて、互いの目を見合った。
「ああ、そういえば、そうだったよね。私、どうして忘れてたんだろう? ありがとうございます、生徒会長」
と、川野が言いながら席を立つと、他の部員も続いて席を立って、急ぎ足に同階にある職員室のほうへと歩いて行ってしまった。
「どうぞ、希司さん。ここを使いなさい。わたし達は奥のほうに専用のテーブルがあるから、どうぞ遠慮しないで?」
軽やかに、誇らしげに、久々原は空いたテーブルの前に立ってこちらに笑みかける。それから宮首とユキをちらと見やってから回れ右すると、二人を侍従のように引き連れて悠然とテラスのほうへと歩いて行く。
「今のが、久々原さんの記憶操作……」
人波の中に消えていく久々原の背中を見つめながら、アオイはゴクリと空唾を飲む。
私は、こんな化け物と戦わなきゃいけないのか? アオイは返す返すも久々原の女子力に恐怖したが、ただ大人しく震えているつもりなど毛頭ないのだった。
「私は強くならなくちゃいけないんですね、あの三人を相手にできるくらい」
「……はい」
シノはぐっと何かを堪えるような面持ちで頷き、尋ねてきた。
「アオイさん、最後にもう一度お訊きしますが、本当によいのですね? 女を磨いて女子力を身に付ける、アオイさんはそう決意をされたんですよね?」
「ええ、そうです。男に二言はありません」
「そうですか、解りました」
重く静かにシノはそう言うと、鞘から刀を抜いたように目を鋭くしてアオイを見上げる。
「では、今日からさっそく女子力修行をしましょう」
「『女子力修行』? な、なんですか、それは?」
「名前は、わたしがいま適当に考えました」
真顔でシノは言う。これはまさかシノ流のボケなのか? アオイはそう戸惑うが、やはりボケでもなんでもなかったらしく、シノは真剣な様子で続けた。
「ですから、アオイさん、放課後にまた待ち合わせをして、わたしと一緒に来てもらえませんか?」
「それはもちろん構いませんが……。ところで、その修行は――」
「まあ、それは実際に目で確かめるということにしましょう。それよりも、まずはお弁当です。今日はわたしの好きなオムライスなので、早く食べたくてしょうがありません」
真顔を維持したままそう言い、それからシノは居心地悪そうに周囲を見渡す。
あらゆる方向から、こちらへ敵意を含んだ視線が向いていることには、アオイもとうに気づいていた。自分たちが何をしたわけでもないのだが、周囲にしてみれば、自分たちは久々原の威光を利用して優先的に席を得たようなものなのである。
「やはり、外へ行きましょうか」
シノは声を潜めながらそう言い、アオイはその提案に深く賛同した。こんな場所で、ずっと一人で暮らしていたシノは本当にスゴいなぁと、心から思ったのだった。




