洋菓子クラブにて。3
そのまま全速力で部室棟を駆け出て、教室棟へと入り、二年生の教室がある三階まで階段を一段飛ばしで駆け上がり、すれ違う生徒を突き飛ばすようにしてその廊下を疾走した。
すると、女子トイレの前を通り過ぎた時、ちょうどその扉を開けて出て来たのがシノであった。アオイは急ブレーキをかけて、しかし廊下が濡れていたのか足がズルリと滑って、
「っ!? たぁ~!」
思いっ切り背中を打つ程、綺麗に転んでしまった。
アオイの前にいた女子生徒二人が目をパチクリして立ち止まって、その目を丸出しになっているアオイのパンツへと向ける。
きゃっ! とアオイは高い声を上げながらスカートを下ろして、それからすぐに立ち上がり、背後で唖然と立ち尽くしていたシノの手を掴む。
「シシ、シノさん! シノさん、私、私っ……!」
「は、はい? どうしたんですか、アオイさん? まずは落ち着いて」
「は、はい。あ、あの、あのあの、私……!」
どうにか落ち着こうとは思っているのだが、ゆっくり喋ることどころか、上手く呼吸することさえできないのだった。なぜか、湧き出すように目に涙まで浮かんでくる。
狼狽するアオイとは対照的に、シノは白黒させていたその目を次第に落ち着かせ、
「解りました。アオイさん、とりあえず、こちらへ」
とアオイの手を引いて、廊下を東へと向かい始めた。階段の前を通り過ぎ、そのまま突き進んで非常口の扉を開け、非常階段の踊り場へと出る。
足取り覚束なくシノの手に引かれていたアオイは、そこへ出て周囲から人目がなくなると、泣きつくように大声を上げた。
「シノさん、私、どうしましょう! アレをなくしてしまいました!」
「は、はい、ですから一度、落ち着きましょう。何をなくしたのですか? 一度、深呼吸をして、それからゆっくりと説明してみてください」
アオイの両手を包むように握りながら、シノは真摯な瞳でアオイを見つめる。
その深い鳶色の瞳を見つめ返しながら、言われるがままに深呼吸をすると、波立っていた心がわずかながら静まった。アオイはシノの手から手を放し、自らのスカートの裾をゆっくりとたくし上げる。
「わ、私、なくしちゃいました……。ホントに、女の子になっちゃいました……」
「なくしたって……。え?」
アオイのスカートの中へと目を移したきり、シノは銅像のように動きを止める。まるで目を開きながら意識を失ったかのように、シノの視線はアオイの股間に留まったまま動かない。
非常階段の影の中に少し冷たいそよ風が流れ、シノの黒髪がさやさやと揺れる。するとやがて、シノはゆっくりと腰を折ってアオイの股間へと顔を近づけ、まるで美術鑑定士のような目で五秒程そこを見つめて、それからゆっくりと背を起こすと、
「これは……こ、これは大変ですっ! ど、ど、どうするんですか、アオイさん!? これでは、わたしも困りますっ!」
「え?」
『わたしも』って? とアオイが驚くと、シノはボッと燃えるように顔を真っ赤にしてブンブンと首を振る。
「あ、いえ、違います! 変な意味じゃありません! 変な意味ではなくて、その……そう! 一般的な、家庭的な意味で、です!」
「家庭的?」
どういう意味だ? とアオイが頭上にハテナマークを浮かべて首を捻ると、シノは尚いっそう顔を朱くしながらアオイの手を掴み、
「ともかく、保健室へ行きましょう! 理事長の『時の旅人』(アンチ・エイジング)の能力なら、まだなんとかなるかもしれません!」
黒髪振り乱して、教室棟内へと駆け戻った。
シノが自分よりも狼狽え始めたせいか、アオイは自分でも意外な程冷静に立ち返ることができていた。
なぜシノがこんなにも慌てるのか疑問だったが、確かに自分が女になったら、シノにとってかなりの痛手だろうなとすぐに納得した。何せ、自分が男だということ、生徒会長の女子力が通じない相手であるということが自分の強みだったのだ。それがなくなったことは、確かにシノにとって非常な痛手であるに違いない。
――私、これからどうなるんだろう?
駆け足のシノに引かれていきながら、廊下の窓から見えるやけに青い空、そこに走る一本の飛行機雲を、アオイはぼんやりと眺めていた。




