敵情視察。
授業の内容はバレーだった。
サッカーがよかったなぁと思いながら、ステージの隅っこで足をぶらぶらさせて授業の終わりを待ち、やがてチャイムが鳴って昼休みになると、アオイは佳奈達の着替えを待ってから一緒に教室へと帰った。
教室へ着くと、壇上に大きな青いプラスチックの箱が二つ、置かれている。
「あれ、何?」
と、アオイは三人に尋ねる。が、
「さーね」
佳奈はこちらへ目も向けずに席のほうへ向かい、先程から不思議と無言だった市子もつんと足早に自らの席へと歩いて行く。ミサキは戸惑いがちに皆の顔を見て、アオイに何かを言いかけたが、
「ミサキ、ちょっと」
佳奈にどこか刺々しく名を呼ばれて、こちらをちらちらと申し訳なさそうに見ながらアオイの傍を離れていく。
なんだろう? とアオイは不思議に思いながら、自分も佳奈のほうへと歩き声をかける。
「ねぇ、佳奈ちゃん。あの箱の中にあるのって、お弁当――」
「あのさ、話しかけないでもらってもいいかな」
「……え?」
思いもしなかった返事が来て、アオイはキョトンとする。と、すぐ後ろにやってきていた市子が、そのやや垂れた目に攻撃的な光を宿しながらアオイを睨んだ。
「みんなにあんな酷いことしておいて、君、よくわたし達に近づいてこられるよね。ホントに呆れるっていうか……どういう神経してるわけ?」
「は? 酷いことって?」
「あ、あの……!」
と、ジャージバッグを胸に抱えながらミサキが口を開くが、佳奈の鋭い声がそれを遮る。
「はぁ? それって、あれが酷いことだって思ってないってこと? そういう意味?」
「い、いや……一体なんのこと言ってるの? 私は何もしてないよ」
気づけば、教室中から矢の雨のようにアオイを睨む視線が集まっている。ギクリとしながらそれを見回していると、佳奈が、バン! と机を強く叩きながら立ち上がった。
「あれのどこが『何もしてない』なのさ! あ、あたしのパンツを無理やり脱がして頭に被って、市子のオッパイに吸いついて、ミサキには無理やりキスまでしようとして! あんた、おかしいよ! あんたにはあれが普通のことなの!?」
「は……い、いやいや! し、知らない! 知らないよ! 私、そんなことしてないよ!」
それじゃまるで酒に酔ったセクハラ親父じゃないか! 突如身に降りかかった、身に憶えもない疑惑をアオイはかぶりを振って否定するが、市子はそれで尚さら嫌悪感を抱いたように、憎々しげに言うのだった。
「わたし、あなたがそんな、希司さんみたいな人だなんて思ってなかった……。ああ、解った。あなた、女子力の強い希司さんに気に入られて、しかもわたし達がアントだからってバカにしてるんでしょ? 最っ低……。あなたは希司さんとお似合いよ」
市子に睨まれ、佳奈にも、周囲のクラスメイトにも睨まれ、アオイは言葉を失う。一言の反論さえできずに呆然と立ち尽くしていると、
「あの、アオイちゃん……!」
と、ただミサキだけがいつもと同じ、こちらをいたわるような優しい眼差しをアオイへ向けてくれた。だが、
「いいの。行くよ、ミサキ。この人の傍にいたら、また変なことされるわよ。ミサキはそういうことされちゃマズいでしょ」
いつもセクハラ的なことばかりしているのに他人のそういう行為は許せないのか、市子はキッとアオイを睨みながらミサキの手を掴み、弁当らしき物の置かれているほうへと歩いて行く。佳奈もすぐにその後をついていった。
アオイはぽつんとその場に残されて、それから気づいたのだった。
――ひょっとして、これって久々原さんの女子力……?
シノに会いに行こう。アオイはそう思った。
自分もさっそく、久々原の記憶操作能力による締め出しを受けてしまった。このことはすぐに報告すべきだし、それにシノの味わっていた孤独を身を以て理解した今、何よりもシノの強さと優しさが恋しかったのだった。
一刻も早くシノのもとへとばかりに、アオイは教壇にある弁当箱を取り、クラスメイトの視線を無視して教室を後にした。すると、
「おっと、百合園さん、これから昼食かい?」
まるで待ち構えていたように、扉のすぐ脇に背を預けながらユキが立っていた。
「……ええ、そうですが」
やはり、久々原は自分への監視を強めている。あたかも、わざとそれを知らしめるように声をかけてきたユキを、アオイは横目で睨む。
ユキは壁から背を離し、アオイの視線をそよ風のように受け流しながら微笑する。
「なら、来たまえ。椿様が君を食事に誘っておられる」
「食事に……? いえ、結構です。私が彼女と一緒に昼食を食べる理由はありません」
アオイはそう答えて足を踏み出すが、ユキはその行く手にさっと回り込む。
「まあ、そう邪険にしないでくれたまえ。単に、楽しく一緒にお昼休みを過ごそうという、それだけのことじゃないか。いいだろう、百合園さん? 私も、君のような美しい子と昼食を共にできたら、とても嬉しいよ」
「いえ、私はあなた達とではなく、シノさんとお昼が食べたいんです。ですから、そこをどいてください」
「どうせ希司とはずっと一緒じゃないか。確かに、君が私達のことを避けたいと思うのは理解できる。でも、今日はああいうことをするつもりはないよ。ただ、少しお喋りがしたいというだけさ。本当だ、信じてくれ」
と、ユキはその青い瞳をぐっとこちらへと近づけてきながら、やけにしつこく食い下がってくる。この様子だけでも、充分に胡散臭い。だが、アオイはふと思った。
生徒会副会長だという宮首と、その従順な下僕であるユキは、間違いなく久々原と深く繋がっている。ということはつまり、宮首もまた自分達の敵である。
しかし、どうやらまだ椿も久々原も、自分とシノが早くも『打倒、生徒会長』をスローガンに結託しているとは知らないようだ。もし知っているなら、自分をクラスで浮いた存在するなどという遠回しな攻撃をしてくるはずがない。
したがって、今宮首とユキに接近したとしても、こちらを監禁し人質にするなどという過激な行為にはまだ出ないはずだ。それが『まだ』である今のうちに、敵情視察をしておくのは悪くないことなのではないか。
アオイは一瞬のうちにそこまで考えて、危険な橋を渡るのもまた一つの男らしさと、シノに格好をつけるためにも敢然と決意したのだった。
「解りました。じゃあ、よろしくお願いします」
「ありがとう。では、ついてきたまえ」
ユキは男前な微笑をこちらへくれてから歩き出す。その後をついていき、丈の短いスカートから露わになっているユキの細く長い足を見つめながら、アオイはニヤリと微笑むのだった。