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女子ノ聖域  作者: 茅原
女子ノ聖域
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菫山の撫子たち。不穏な空気。2

 床をモップがけしている生徒が五人程教室には残っていたが、誰もアオイを気にする様子もない。それどころか、意識的にアオイを視界の外に追いやっているように見えなくもない。


 嵐のような騒がしさから、突然、取り残されたアオイは、わけも解らずその場に留まっていたが、


 ――ああ、そういえば、俺も掃除したほうがいいのかな……?


 そう気づくとすぐに席を立ち、最も近くでモップをかけていた生徒に「あの」と声をかけた。だが、なぜかその生徒はこちらを向いてさえくれない。もう一度声をかけてみても、その生徒だけでなく他の生徒すら、こちらを全く見ようともしない。


 自分は幽霊にでもなったのかと、掃除を粛々と進める生徒達を前にアオイが呆然と立ち尽くしていると、不意に、


「ヒッ!?」


 にゅっと背後から二本の手が伸びてきて、その手がアオイの胸をわきわきとまさぐり出した。まさぐられる胸もないのだが、それでも驚いてアオイが身を竦めると、


「おいおい、やめろって市子(いちこ)。百合園さん、驚いてるだろ」


 と、呆れ果てたような声が後ろから聞こえてきた。


 うふっ、と耳元で妖艶な笑い声が聞こえ、同時にふわりと甘い匂いが漂ってきて、背中にむにゅんと何か柔らかい物が押しつけられる。肩越しに振り返ると、そこには前髪を中分けした、目のとろんとした少女の顔があった。


「ごめんね、アオイちゃん。でも、あなたの胸、なんていうか……?」

「えっ?」


訝るような少女の言葉にギョッとして、アオイは少女から慌てて離れ、自分の真っ平らな胸を腕で隠す。


 まるでひな人形のように黒々と長い髪をした、市子と呼ばれたその少女は、大きく山のように膨らんだその胸の前でそっと手を組みながら、悲しげな表情をアオイへ向けた。


「あなた……なんだか、とても可哀想ね」

「か、可哀想? 何がですか?」

「だって、それじゃ佳奈(かな)と同じ……ううん、佳奈よりもおっぱいがないじゃない。佳奈よりもないなんて、それじゃまるでヘコんでるのと同じじゃない……」

「おいコラ! 人に失礼なことゆーな!」


 と、市子のすぐ後ろに立っていた、ベリーショートとまでは行かないが、普通のショートカットよりも一回り短い髪をした少女――佳奈が、市子の頭を軽く叩いた。


 あいたっ、と頭を押さえた市子には目もやらず、佳奈は苦笑いしながらアオイに言う。


「ところで百合園さん、もしかして、何か困ってる? なんか、そんな雰囲気だけどさ」

「あ、はい。ええと、その……私はどこのお掃除をすればよろしいんでご、ございますの? 割り当ての班などが、決められているんでございますでしょうか?」

「え? ぷふっ」


 と、佳奈と市子がほぼ同時に噴き出した。佳奈が苦笑のような笑みを浮かべてアオイの肩をぽんと叩く。


「あのさ、百合園さん、わざわざそんな喋り方しなくてもいいんだよ。まあ、元からならいいんだけどさ」

「は、はあ……ああ、そうなんでござ――そうなんですか?」


 とアオイは、いつの間にかクセのようになっていた言葉遣いを直して、ほっと息を吐く。


市子が、重たい胸を持ち上げるようにその下で腕を組みながら言った。


「ちなみに掃除は、アオイちゃんの班は再来週くらいまでないよ。アオイちゃんはわたしと同じ班で、わたしの班は先週、第二理科室の掃除やったばっかりだから」

「はあ、そうなんですか。教えてくれて、ありがとうございます。ところで、佳奈ちゃん? も、このクラスの人だったっけ?」

「うん、そーだよ。って、それって、あたしのことは顔も憶えてなかったってこと? なんだよー。それちょっとヒドくない、百合園さん?」

「あ、ご、ごめんなさい。そういうわけじゃなくて……」


 まさにそういうわけなのだが、アオイが慌てて言い繕うと、佳奈は「あははっ」とさっぱりした顔で笑い、


「冗談冗談。ちなみに、あたしは(うるう)佳奈。で、こいつが多部(たべ)市子。でもって――」


 と、佳奈はその目を教室うしろの入り口へと向け、そこにぽつんと立っていた、ショートカットの髪型をした小柄な少女を一瞥し、


「あそこに隠れてるのが、栗戸(くりと)ミサキ。まあ、これからよろしくね」


 と、右手をこちらへ差し出してくる。


「はい、よろしくお願いします。百合園アオイです」


 そう再び自己紹介をしつつアオイがその手を握ると、突然、市子が佳奈から奪い取るようにアオイの手を取り上げた。そして、とろんとしたその垂れ目を陶然としたように潤ませながら、熱く溜息をする。


「あなたの手、なんだかセクシーねぇ……。ふふっ、とても美味しそう……」

「セ、セクシー? 美味しそう?」

「だから、困らせることゆーなって!」


 と、佳奈がアオイと市子の手首をそれぞれ両手で掴んで引き離し、明るい笑顔で尋ねてくる。


「そういえば、百合園さん、どう? 学校は?」

「学校……ですか? うん、校舎が綺麗だし、とてもいい所だと思う……かな?」


 優しそうなクラスメイトだから、あまりかしこまって話すのもおかしいかなと探り探りそう答えると、佳奈はスポーツ少女のようにニカッと快活に笑った。


「うん、あたしもそう思うよ。ホント綺麗だよね、ここ。絵本の世界みたいだなって、初めて来た時はビックリしたよ」

「うん。でも、なんていうか、クラスのみんなはあんまり私のことを歓迎してくれてないっていうか、むしろ避けてるみたいで……」

「そ、そんなことないよ!」


 と、栗戸ミサキというらしい、どうやら佳奈達の友達らしい小柄な女の子が、急に声を張り上げた。だが、自分で自分の声の大きさに驚いてしまったように口へ手を当てて、ショートカットの髪からわずかに見える耳まで真っ赤にしながら、再び扉の後ろへとその身を隠す。


「うん。ミサキちゃんの言う通り、アオイちゃんが嫌われてるわけじゃないから安心して。みんなが嫌ってるのは、アオイちゃんと同室の希司さんだから。アオイちゃんのことは、みんな、ただ怖がってるだけなのよ」


市子が、悪気のかけらも見られない優しい微笑を浮かべながら言う。


 どうやら希司は学校であまり好かれていないということは、今朝の宮首とのやり取りからも知っていた。しかし、希司は自分の貞操を救ってくれた恩人で、しかも何より自分の許嫁である。それを納得できるはずもなく、少しムッとしてしまいながら尋ねた。


「ねぇ、どうして希司さんは嫌われているの? 学校中から嫌われるような、何かそんな酷いことをしたの、あの人?」

「『何か』って、ねぇ?」


 と、市子は大きな胸の下で腕を組みつつ、佳奈へと視線を流す。佳奈はヘソを曲げたような顔で頷き、


「そうだよ。百合園さんは何も知らないみたいだからさ、教えてあげるよ。あの人がどういう人かってこと」


 そう言うと、市子と代わる代わるで、希司がこれまで為してきた悪行について滔々と語り出したのだった。


週に二、三度はパンツを穿いていない。一年の時に担任だった教師を、全裸にさせて噴水池で泳がせた。希司の自室へ連れ込まれ、イロイロなことをされた挙げ句に写真を撮られ、それを材料に脅しを受けている生徒は数知れず。廊下で通りすがりに胸を揉まれたり、キスをされた生徒も多数。自分に刃向かった生徒は、迷うことなく様々の卑猥な手段で退学に追い込む。


 二人が語る希司の極悪人ぶりは、止まることを知らない。これでもそのたった五分の一程に過ぎないくらい、二人は休みも取らずにまくし立てたのだった。


 やがて、日が長い初夏の空も暮れ始めた頃、ようやく打ち止めになったように二人は口を閉じた。信じがたい希司のエピソードよりも、二人の持っている希司への憎しみのほうにむしろ驚かされて、アオイは言葉を失う。


 佳奈が、話を締めくくるようにつけ加えた。


「あたし達もさ、本当なら百合園さんに近づきたくなかったんだ。別に百合園さんのことが嫌いなわけじゃないんだけどさ、君はこれからあの人の手下っていうか、そういうのになるかもしれないわけでしょ? だから、あまり関わらないようにしようって思ってたんだけど、ミサキがどうしても君のことが気になるっていうから声をかけて――」

「ち、違っ、わたしはただ……!」


先程からちょこちょこと近づいてきて、市子の後ろに隠れるように立っていたミサキが、そのまん丸な目をいっぱいに開きながら顔を朱くする。


「うふっ。ミサキちゃんったら、照れちゃって可愛い」


 かぁっと湯気立つように顔を朱くしたミサキを、市子は何か言いたげにニヤニヤしながら振り返る。すると、ミサキは小さな身体をさらに小さく丸めて、おずおずとアオイを見上げ、目が合うとハッとその目を足元へ向けるのだった。


 ――え? ちょっと待て。このリアクションって、もしかして……? 


期待してもいいのだろうか。ん? いや、でも待てよ? と、アオイがソワソワしながら困惑していると、佳奈が鞄を肩の後ろまで持ち上げながら、真面目な顔で言った。


「ともかく、そういうわけだからさ。百合園さんは気をつけたほうがいいよ。間違っても、あの人に気を許したりなんてしないこと。ホントに、何されるか解んないだから」


 どうやら本心からの忠告であるらしいその言葉に、アオイはどうしてもまだ疑問を捨て切れずにいつつも、とりあえず頷いておいた。希司が皆の言うような人とは思えない。しかし、自分は希司について何を知っているわけでもないのである。


 希司はいったい何者なのか。そして自分はこれから一体どうなるのか。アオイは否が応にも緊張してしまいながら、寮へと向かうべく三人と共に教室を後にしたのだった。

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