その空白を
「待ってましたよ!」
彼女は笑顔で僕の持つ箱に目をやった。
「食べるのか?」
「もちろん! 食べる食べる!」
「カロリー高いよ?」
「それはね、乙女に言うことじゃないよ!」
「自らを『乙女』と言っている時点でそれはもう『乙女』じゃないよ」
「気にしない、気にしない! だから早く普通のちょうだい!」
やれやれと僕は箱からドーナツを取り出し彼女に渡した。『普通の』とはプレーンのことであり、チョコや砂糖がまぶされていないオーソドックスなドーナツである。
「私さ、いつも思うんだけど」
「何が?」
ドーナツの穴から天井を見つめる彼女を横目に僕はそう答えた。彼女は何か考えている様子で、答えが返ってこないので、半分がチョコでコーティングされているドーナツを僕が一口食べたときだった。
「そうか! そうすればいいのか!」
「何を?」
「ああ! もうそれドーナツの意味ないじゃん!」
興奮して大声で言葉を出した彼女がその勢いのまま僕を見た途端、さらに声を大きくした。
訳も分からず、僕は呆気にとられて彼女を見つめる。
「ドーナツというのはね、この空白があるからドーナツと言うんだよ! なのに、何故そうやって空白を消してしまうような食べ方をするの!」
どうやら僕のドーナツの食べ方が気に入らなかったらしい。確かに僕が食べた後のドーナツは視力検査で壁に貼られたマークの「上」を向いている。だが、普通はこうやって食べるものじゃないのか?
「でもさ……」
「でもさ……、じゃにゃいの! それはドーナツを冒涜している!」
噛んだことも気にせずに彼女は大統領の演説のような威圧感を持って僕に迫ってくる。
「じゃ、じゃあ! どう食べれば良いんだよ!」
「そんなことも想像できないの?」
「したことないから!」
「仕方ない。それじゃあ、見せてあげるわよ!」
彼女はそう言ってドーナツの周りを少しずつ食べ始めた。同じ場所を食べるのではなく、一口食べたらその隣を、そこを食べたらまたその隣を、とドーナツを回しながら食べ続ける。
「どうよ!」
彼女が見せるそのやせ細ったドーナツは未だにその空白を維持していた。
「おお、すごいな」
「それじゃあ、これを最後に……」
彼女が大きく口をあけてドーナツを口に入れようとする。この騒動も終わりかと思いきや、そこで彼女の動きが止まった。
「どうした?」
「思ったよりもこれ、大きくて……さ」
彼女はそう言って、一口目でそのドーナツの空白を葬り、二口目で残りのドーナツを胃に流し込んだ。その後彼女は何も言わなくなった。
「ま、その、なんだ。落ち込むなよ。今から買ってきてやるからさ」
励ますつもりで僕はそう言った。実際にはドーナツを買ってくる気はない。
「本当に! 今度は成功させてみせる!」
彼女は元気良く笑った。どうやら、もう一度買いに行かなければならないらしい。
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