第68話
第68話
"蜘蛛の親玉"
「それにしても、さっきから何も無いね」
ずっと歩いているにも関わらず、これと言った出来事が無い事をぼやく風香。
それを聞いた茜は、笑みを浮かべながらこう言った。
「あら、良い事じゃない。平和が一番よ」
「…平和ボケ」
「んー?なーに?何か言ったかしら?」
「何も言ってないよ」
そこで、先頭を歩いていた有紀奈が、突然立ち止まる。
「…どうしたのですか?」
ぶつかりそうになった恭子が不安そうに訊くと、有紀奈は恭子の口元に手を押し付けて、"静かにしろ"と目で告げた。
「…?」
「(何か居るわ)」
「(何か…?)」
「(何か…)」
確信は無いらしく、銃は構えないで正面を睨む有紀奈。
その"何か"は、一同の視線を受けながら、ゆっくりと現れた。
「あれは…蜘蛛…?」
それは、優子達が交戦した個体である、巨大な蜘蛛だった。
「あんな物まで…。D細菌の効力…ですかね?」
「多分ね。…やるわよ」
銃を構える2人。
その時、後ろに居た茜と風香の姿が、いつの間にか消えている事に気付いた。
「…あれ?」
目の前に敵が居るというのに、思わず二度見をする恭子。
「あいつら…」
2人がどこに行ったのかを察した有紀奈は、溜め息を吐いた後、正面に視線を戻した。
「あの…お2人は…?」
「逃げたんじゃないの?」
「に、逃げた…!?」
「…多分ね」
有紀奈の予想は、見事に的中していた。
「風香ちゃん、虫嫌いなの?」
「茜だって逃げてんじゃん」
「く、蜘蛛は無理よ…」
「カナブンは?」
「無理」
「コオロギ」
「無理」
「バッタ」
「無理」
「カブトムシ」
「無理」
「…ダメじゃん」
「でもあれなら大丈夫よ。蝶なら!」
「蛾は?」
「無理」
「まぁそうなるか」
来た道を走って引き返す2人。
ある程度まで戻った所で、茜が立ち止まった。
「よし、ここまで来れば大丈夫ね」
「自分で言うのも何だけど、私達人間の屑だね」
「戦略的撤退よ」
「仲間を置いて?」
「彼女達なら大丈夫なハズ。きっと…ね」
「…いきなりシリアスにならないでよ、気持ち悪い」
「あんもう、ツンツンしないの!」
「ふん…」
そこで、何かの気配を感じ、同じ方向を同時に見つめる2人。
すると、2つの黒い物体が、ゆっくりと姿を現した。
「…はぁ。結局、逃げられないのね」
現れた2体の蜘蛛を見て、溜め息を吐く茜。
それでも彼女は、銃を取り出して戦闘の準備に入ったが、風香は違った。
「風香ちゃ~ん?」
「任せた」
「風香ちゃ~んッ!」
そんな状況にもお構いなしに、茜に襲い掛かる巨大蜘蛛2体。
「うわっ…と!」
蜘蛛の鋭い足による攻撃を、間一髪で避ける茜。
蜘蛛はすぐに身体を反転させて、茜の背中に飛びかかろうとした。
しかし寸前で、風香がその蜘蛛を蹴り飛ばす。
もう1体の蜘蛛は、それに驚いている隙に、茜に蹴り飛ばされた。
「気が変わった」
風香がそう言って、背負っているショットガンを手に取りながら茜の隣にやってくる。
「…うふふ」
「…何?」
「何でもないわ」
どことなく嬉しそうな様子の茜は、話を打ち切るように、蜘蛛に向けて銃を発砲した。
「峰岸、後退しながら戦うわよ」
「はい。…でも、後退する必要はあるのですか?」
「追々…ね」
「はぁ…」
有紀奈の意図がわからない恭子。
確かに、蜘蛛1体相手ならば、2人が後退する必要は全く無かった。
蜘蛛"1体"ならば。
「ほら来た。下がるわよ!」
「ちょ、ちょっと…!」
後退していく有紀奈を不思議に思いながら蜘蛛の方を見てみると、奥から更に複数の蜘蛛が現れたのが見えた。
「ッ…!」
慌てて有紀奈を追いかける恭子。
当然、蜘蛛の集団も2人を追いかけ始めた。
「あの、どうしてわかったのですか?」
走りながら、有紀奈に訊く恭子。
「何が?」
「蜘蛛が1体ではない…という事ですよ」
「勘よ」
「はぁ…」
困惑している恭子を見て、有紀奈はくすりと笑った。
「…ってのは冗談。ちょっと前から、気配を感じていたのよ。複数の物体のね」
「気配…。それ、勘じゃないのですか?」
「勘…なのかしらね」
「え、えぇ…?」
「そんな事より、そろそろ始めるわよ」
振り返って、銃を構える有紀奈。
しばらくして有紀奈の銃のフラッシュライトに照らされたのは、やはり蜘蛛。
しかしその蜘蛛は、さっき見た蜘蛛とは、違う蜘蛛だった。
「なっ…!?」
通路に収まるのが精一杯という程の、さっきの蜘蛛とは比べ物にならない大きな体を持つ蜘蛛。
その周りにはさっき見た蜘蛛も何体か見える事から、有紀奈はこの個体が蜘蛛の親玉だと確信した。
「いきなりお出ましね…」
その巨大な姿に、苦笑を浮かべる有紀奈。
蜘蛛の親玉はしばらくの間2人を見つめていたが、突然狂ったようにその大きな体を縦に揺らして威嚇すると、2人に向かって白い液体を吐き出した。
警戒していた2人は、それを難なく避けて、壁に付着したそれを見る。
それは瞬時に固まり、俗に言う所の"蜘蛛の糸"になった。
「なるほど、蜘蛛ね…」
「感心してないで逃げましょうよ!」
茜達が逃げていった方向に、再び走り出す2人。
それを見た蜘蛛の親玉は、大量の子蜘蛛を引き連れて、轟音を鳴らしながら2人を追った。
その頃…
「…今、変な音が聞こえなかった?」
結衣達が進んでいった隠し通路に入ろうとした寸前、立ち止まって辺りを見渡す明美。
「物音って何よ」
既に隠し通路の中に入っている葵が、顔だけ出して明美に訊いた。
「物音は…物音よ」
「銃声?」
「いや、何かが落ちたような音…轟音…とでも言うのかしら」
「轟音なら、私達にも聞こえると思うけど?」
「それはそう…なのだけれど…」
その時、明美が聞いた物音が、もう1度鳴り響く。
今度は、明美の側に居た優子にも聞こえたらしく、彼女も反応を見せた。
「…今の音?」
「えぇ。聞こえた?」
「微か…だけど…」
「そう…」
しばらく見つめ合った後、2人は頷き、来た道を引き返し始める。
当然、葵はそれを止めた。
「どこ行くのよ!」
「音の正体を確かめに行くわ。あなたは先に、晴香ちゃんと進みなさい」
「それじゃ私達も…」
窮屈そうに隠し通路から出ようとした葵の目の前に、明美が自分の足を置いて彼女の道を遮る。
「私達だけで行くわ」
「気に入らない態度ね」
葵は不機嫌そうな様子で、明美の足を乱暴に掴んで退けようとする。
すると、明美は腕を組んで、わざとらしくこう呟いた。
「音の正体は、蜘蛛…かしらね」
それを聞いた葵の動きが、ピタリと止まる。
そして、見ているとどことなくイラついてくる澄まし顔で、こう言った。
「私達は先に行くわ。気を付けなさいよ?」
「(何という手の平返し…)」
4人は、葵と晴香の2人と、優子と明美の2人に分かれた。
「…風香ちゃん」
「聞こえてないよ」
「まだ何も訊いてないわよ…」
「何も聞こえてない。知らない。めんどくさい。だるい」
「あー、そういうね…。聞こえたけど、面倒だから…みたいなヤツね」
やる気の無い風香と茜。
しかし、そんな2人でさえも、やる気を出さざるを得ないような事が起きた。
「茜!風香ちゃん!」
今来た道から、慌てた様子の有紀奈と恭子が走ってくる。
「あら、やっぱりあなた達も…」
「逃げて!」
「…え?」
「走ってッ!」
それだけ言って、2人の横を通り過ぎていく有紀奈と恭子。
何事だ、と思いながら2人が走ってきた道を見てみると、蜘蛛の親玉と大量の子蜘蛛が、こちらに迫ってきている光景が目に入った。
「え、ちょ、何何何何ッ!?何をやらかしたらあんな風になるのッ!?」
「いーから逃げようよ。これ、かなりヤバいと思うな」
「うわ冷静」
2人は素早く身を翻して、有紀奈達と共に走り出した。
第68話 終




