第64話
第64話
"優しさ"
「…結衣姉」
結衣の元に、深刻な表情の玲奈がやってくる。
「?」
「研究施設、大丈夫かな…?」
「何が?」
「何が…って、言うなれば敵の巣窟みたいな場所でしょ?今までとは比べ物にならない…」
「なーんだ。そんな事心配してるのか、お前は」
結衣は玲奈の言葉を遮って、笑いながらそう言った。
「単独行動と油断さえしなければ大丈夫だよ。新種が出てきたら、ちょっとマズいかもしれないけどね」
「新種?」
「まだまだ居ると思う。…勘だけど」
近くにあったマンホールを見つめながら、呟く結衣。
玲奈はその話を詳しく訊こうとしたが、有紀奈が移動を始めたので、結局訊かなかった。
廃ビル1階ロビー…
地下の調査を始める前に、一同は一旦拠点に戻り、準備を整える事にした。
一同がそれぞれ自分が使う弾薬を補給している中、遠慮しているのか弾薬に手を付けない恭子。
そんな彼女に、有紀奈が近付いていった。
「遠慮しないで、使って頂戴」
「…良いのですか?」
「えぇ。どんなに使った所で、私の財布は関係ないからね」
鼻で笑う有紀奈。
それに釣られて、恭子も笑みを浮かべた。
「あ、その銃…」
恭子の銃を見て、有紀奈が呟く。
「手に馴染むんですよ。この銃」
「そう…」
「…どうかしましたか?」
顔を覗き込むように訊いてきた恭子に、有紀奈はどことなく寂しげな様子で答えた。
「…仲間が使ってたの。懐かしくなっちゃってね」
「使ってた…と言いますと?」
「…辞めたわ。つい最近にね」
「そうなんですか…」
そこで会話は終わり、2人はそれぞれ準備に取りかかる。
「………」
有紀奈は1つだけ、嘘をついていた。
その頃…
「ねぇ優子さん」
「なぁに?」
部隊の本部に向かっているトラックを運転している優子に、助手席に座っている風香が話し掛ける。
「さっきの、出任せでしょ」
「…え?」
優子は運転中にも関わらず、思わず風香に顔を向けた。
風香はすぐに正面を顎でしゃくり、"前を見ろ"と無言で告げる。
それを見た優子は、慌てて再び運転に集中した。
「…優子さん。出任せって、どういう事ですか?」
後部座席から、身を乗り出して訊く晴香。
優子は少しの間迷っていたが、観念したように溜め息を吐くと、渋々話を始めた。
「…これから私達が行く場所は、患者が最も多いと思われる地下区域。それはわかってるわね?」
「だからお留守番してろって言うの?」
嫌味っぽくそう言って、鼻で笑う風香。
「命の保証はできないって言いたいのよ」
「それで?」
「………」
優子は苦笑を浮かべた後、話を打ち切るようにこう言った。
「と、とにかく、あなた達を連れてはいけないわ。有紀奈の命令よ」
有紀奈の命令と聞き、仕方なく引き下がる晴香。
しかし、風香はまだ納得しなかった。
「嫌だね。命令だろうが何だろうが、私は行くよ。降ろして」
「…どうしてそこまで行きたがるの?」
「いいじゃん別に。減るもんじゃないし」
「あのね…」
何とか説得しようと、話を続ける優子。
しかし…
「…もう誰も、死なせたくないし」
風香が呟いたその言葉を聞いて、優子は開き掛けた口を閉ざした。
本部に着いた優子を除く一同は、各自それぞれの部屋に戻る。
「………」
しかし、数分も経たない内に、晴香は部屋を飛び出した。
「(優子さん…ごめんなさい…!)」
寄宿舎を出て、停めてあるトラックから弾薬を持ち出す。
その時、背後から誰かの足音が聞こえた。
「ッ…!」
優子かと思い、鼓動が一気に早くなる。
しかし、振り返った先に居たのは、風香だった。
「ふ、風香…」
思わず安堵の息が漏れる晴香。
風香は晴香の隣にやってきて、弾薬を見比べながらこう訊いた。
「お姉ちゃんも行くの?」
「…うん。やっぱり、じっとなんてしてらんないよ」
「ふーん…。それで、どうやって行くつもり?」
「それは…えーと…」
そこまでは考えていなかった晴香が、悩む素振りを見せる。
「…隠れちゃえば良いんじゃないかな?優子さんが乗る前に」
「なるほど」
「何が"なるほど"よ」
いつの間にか背後に居た優子が、2人の頭を軽く叩いた。
「ゆ、優子さん…!?」
「隠れて乗ろうとしてたの?残念だったわねぇ…」
イタズラっぽく笑い、トラックの運転席に乗る優子。
「…お願いします、優子さん。私達も連れてってください」
頭を下げて、懇願する晴香。
しかし、優子はそれを無視して、エンジンを掛ける。
「優子さん!」
すると、優子は運転席から顔だけ出して、2人にこう言った。
「何してるのよ。早く乗りなさい」
2人は顔を見合わせて笑った後、トラックに乗り込んだ。
「そういえばさ。ヘリで行くんじゃなかったの?」
「残念ながら、ヘリは出動中よ」
「は?何で?」
「緊急らしくてね。複数の部隊がそれに乗って、他の町の調査に向かったの」
「ふーん…」
トラックに乗って、再び和宮町に戻る3人。
「………」
勢いで飛び出てきたのは良いものの、これから始まる最後の戦いに、晴香はやはり緊張していた。
そんな彼女に、風香が話し掛ける。
「お姉ちゃん。手」
「…え?」
「いや、手」
何の事かと思いながら自分の両手を見てみると、いつの間にか、自分の手が小刻みに震えている事に気付いた。
「あ…」
「…大丈夫?」
バックミラーでその様子を見ていた優子が、心配そうに晴香に訊く。
晴香は右手を左手で押さえながら、恥ずかしそうな様子で答えた。
「…えへへ、何でですかね。いつもよりも、緊張します」
「…まぁ、それぐらいの気持ちで挑んでも、空振りはしないような場所だとは思うわ」
真剣な様子の優子。
しかし、1人だけ、いつもと変わらない人物が居た。
「あら、風香ちゃんはいつも通りね」
「…油断しなければ、死ぬワケ無いよ」
「そう…」
「…そんな事よりさ」
話を変える風香。
「どうして急に連れてく気になったの?命令違反してまでさ」
「…そうね」
優子は少し考えるような素振りを見せた後、笑顔を浮かべて風香を見た。
「あなたの優しさに心が動いた…って所かしら」
「…は?」
「仲間を死なせたくないんでしょ?」
「…ふん」
赤くなった顔を隠すように、窓の外に視線を移す風香。
「仲間を死なせたくない…か」
優子がそう呟いたのを最後に、3人は口を閉ざした。
一方…
「準備は終わったみたいね。後は優子が来るのを待ちましょう」
準備を終えて、最後の戦いが始まるのを待つ一同。
とは言え、雰囲気は和気藹々としていた。
「(…あら?)」
そんな中、周りと違って真剣な様子の上条姉妹。
有紀奈が近付いて話を盗み聞きしてみると、どうやら2人は言い合いをしているようだった。
「お願い亜莉栖。お姉ちゃんの言う事を聞いて…?」
「…嫌だ」
すかさず、有紀奈が間に入る。
「どうしたのよ?喧嘩?」
「あ、有紀奈さん…」
有紀奈に気付いた亜莉紗は、困った様子で話し始めた。
「地下に居る間、この子を安全な場所に待たせておきたいんです。…かなり危険だと聞いたので」
「それなら、ウチに送るわ。優子が戻ってきたら…」
そう言い掛けて、服の袖の部分に違和感を感じ、そちらを見る。
「?」
そこには、有紀奈の袖を引っ張りながら、泣きそうな表情で彼女の顔を見上げている亜莉栖の姿があった。
「亜莉栖ちゃん…?」
「………」
「ど、どうしたの…?」
「………」
「言わなきゃわからないじゃない…」
うんともすんとも言わない亜莉栖に、困り始める有紀奈。
すると、亜莉栖が重い口をゆっくりと開けて、蚊の鳴くような声でこう言った。
「…嫌だ」
「え?」
「…一緒に居たい」
「………」
亜莉栖の素直な気持ちを聞いた有紀奈は、考え込むように押し黙った。
「………」
有紀奈を睨むように見つめる亜莉栖。
有紀奈はただ黙ってその目を見つめていたが、しばらくすると溜め息を吐き、厳しい視線を亜莉栖に向けてこう言った。
「ダメよ。本部に居なさい」
「ッ…」
俯く亜莉栖。
「狼と一緒に本部に居て頂戴。良いわね?」
その時、丁度優子が戻ってくる。
有紀奈は亜莉栖の腕を掴んで、強引に彼女の元へと連れて行った。
「優子。二度手間で悪いけど、この子を本部に連れて行って頂戴」
「え?どうして?」
「黙って言う通りにしなさい」
優子は有紀奈の態度と亜莉栖の様子を見て、状況を察する。
「わかったわ。…さ、行きましょ?」
亜莉栖の腕を優しく掴んで、トラックの元に戻る優子。
亜莉栖は振り返って涙を流しながら有紀奈を見たが、彼女は相変わらず厳しい表情でこちらを見ていた。
到着してから数分も経たない内に、再び出発するトラック。
有紀奈はそれを見送った後、複雑な表情を浮かべている亜莉紗に視線を移した。
「…ごめんなさいね」
「え…?」
その一言に驚いて、有紀奈を見つめる亜莉紗。
「でも、優しくなんてしてられないわ。死ぬか生きるかの状況なんだから」
「…わかってます」
建物の中に戻っていく有紀奈の後ろ姿を見つめながら、亜莉紗は心の中でこう思った。
「(…優しいな。有紀奈さん)」
第64話 終




