第19話
第19話
"狂気"
右手を葵に切断され、その激痛に耐えながらも明美の後を追うジャック。
しかし出血量が多く、既に意識が遠のき始めていた。
「…大丈夫?」
「す…すいません…」
明美は重傷を負っているジャックを見て、心配どころか嘲笑する。
「あなたもバカね。彼女は危険すぎる存在よ。戦えば、そうなる事は当然だわ」
「は…い…」
頷いたのを最後に、ジャックはついに出血多量で気絶した。
「…全く」
明美が倒れたジャックを起こそうと歩み寄った瞬間、彼の頭を何者かの銃弾が撃ち抜いた。
「ッ!?」
素早く銃を取り出し、銃弾が飛んできた方向に構える。
「誰!?」
「こんばんは」
明美の声に答えたのは、聞き覚えの無い女性の声。
その声の主は、すぐに姿を現した。
「沢村さんですよね?初めまして。私、峰岸恭子と申します。以後、お見知りおき…」
恭子と名乗った女性の話を遮ったのは、1発の銃声。
それは明美が撃ったもので、彼女は容赦なく、恭子の頭を狙って引き金を引いていた。
しかし。
「どこを撃っているのですか?私はここですよ?」
彼女は不気味な笑みを浮かべながら、こちらに歩いてくる。
どうやら着弾の寸前に首を少し傾けて、その動きだけで銃弾を避けたようだった。
「(峰岸恭子…いや、まさかね…)」
「部下の方を射殺してしまった事は謝りますよ」
「…何を言っているの?」
明美が眉をひそめる。
すると恭子は、狂気に満ちた笑顔を浮かべながら、こう言った。
「どうも抑えられなくて…。殺人衝動ってヤツですよ…ふふふ…」
「(…狂ってる)」
「…さて、沢村さん。唐突で大変恐縮なのですが、少し話を聞かせて頂けませんか?」
「話?」
頷いて、ゆっくりと銃を構える恭子。
「D細菌の在処を、教えてほしいんです」
「………」
沈黙する明美を見て、恭子は再びさっきと同じ笑みを浮かべた。
「教えてくださいよ…。これ以上、殺したくは無いんです」
「…嘘は良くないわよ、殺人狂さん」
恭子を睨みながら、明美がそう言う。
「…ふふふ、バレちゃいました?」
恭子の笑顔が、急に子供っぽい笑顔に変わった。
「流石は"王"と呼ばれる方。肝が座っていらっしゃる」
「…D細菌で何をするつもり?」
明美の質問に、恭子はやけに明るい口調で答える。
「何って訳でもありませんが…。強いて言うなら、衝動ですね」
「衝動?」
「はい。…さっき言った衝動です」
それを聞いた明美は、思わず苦笑を浮かべた。
「(かなり危険ね…この女…)」
「それで…。どっちなんでしょうか?教えてくれるんですか?教えてくれないんですか?」
「…ただ人を殺す為だけに、D細菌を使う気なのかしら?」
「はい」
信じられない程、軽い返事。
明美は目の前の狂気に、心底恐怖した。
「…それだけなら、D細菌を使う意味は無いと思うのだけれど」
「そうじゃありません。聞いた話によれば、D細菌に感染した人間は"患者"と呼ばれる怪物になるそうですね?」
「…その通りよ」
再び、あの笑顔に戻る恭子。
「…自分の手で人間を怪物にさせて、その怪物を自分の手で殺してみたいんですよ」
「…え?」
「しかも、D細菌の効力は町1つを崩壊させる程って聞きました。…つまり、何百人何千人という人間で、その行為ができるって事じゃないですか」
恭子はそう言って、独りでに笑い出した。
「何人殺しても何人殺しても…ダメなんですよ…。私はもう狂ってます。だから、常軌を逸したような殺し方じゃなきゃ、心を潤せないんですよ…」
「………」
呆然とする明美。
「…だから、教えてくださいよ。ねぇ沢村さん…。…ねぇッ!?」
恭子が声を荒げた途端、通路にある複数の窓がいくつか割れ、患者が侵入してきた。
恭子が気を逸らしたその一瞬の隙に、明美は階段を駆け上がる。
恭子は、それを追おうとしなかった。
「ふふふ…逃がしませんよ…?D細菌を頂くまでは…」
そう呟いて、こちらにやってきた1体の患者の頭を撃ち抜く。
そして、明美が登っていった階段を見て、口元を歪めた。
恭子から逃げるように、ひたすら上の階を目指す明美。
4階に到着した彼女の視界に入った物は、この階を捜索している楓と亜莉紗の2人だった。
「そこの2人!」
2人の元へと走る明美。
「…おや、武器商人さんやないけ」
「どうしたんだろ、明美さん」
「明美?」
「あの人の名前です。沢村明美。さっき教えてくれました」
「なんや、話したんか?」
「はい。1階で、結衣と一緒に居る時に少しだけ」
「ほう」
明美は2人の前に来ると、背後を振り返って恭子が来ていない事を確認した。
「…ふぅ」
「…なんやねん、けったいな人やな」
「あなた達、神崎葵を知らない?」
「葵さんなら6階に居るで」
「そう、ありがとう。あなた達も早く逃げた方が良いわよ」
それだけ訊いて、さっさと階段の元へ戻ろうとする明美。
しかし、さっきまでは確かに居なかった恭子が、振り向いた明美の目の前に居た。
「こんばんは」
「ッ!?」
突然殴りかかる明美。
恭子はそれを左手で受け止め、右手で彼女の首に掴み掛かった。
「首を絞められている表情はやっぱり良いですね…。事切れる際に見せる脱力感が何とも言えません…ふふふ」
「おい、そこの、何してんねん」
恭子に銃を構える楓。
「初めまして、朝霧楓さん。私は峰岸恭子と言います。邪魔をしないで頂けると嬉しいのですが…」
「無視できるワケないやろ。さっさと離さんかい」
すると、恭子は意外にもすぐに手を離した。
咳き込む明美に、亜莉紗が駆け寄る。
「大丈夫ですか…?」
「は…早く逃げて…。こいつは…」
明美が言う前に、楓は恭子が持っている狂気を見抜いていた。
「…ふん、危ない姉さんやな。あんた、目が完全に逝っちまっとるで」
「ふふふ…。噂通り、面白い事を言う人ですね」
「ほんまの事やで。鏡、見てきぃや」
「ふふふ…」
不気味に笑いながら、3人と視線を合わせる恭子。
そして、笑ったまま振り返り、階段のある方向へと消えていった。
「…何あの人」
恐怖を苦笑でごまかしながら、亜莉紗が呟く。
「…二度と会いとうないな」
同じく苦笑を浮かべる楓。
珍しく、彼女は冷や汗を掻いていた。
「…助かったわ。朝霧楓」
明美が立ち上がって、楓を見る。
「奴は狂ってる。…気をつけて」
「沢村さん、知り合いなんか?」
「とんでもないわ。赤の他人よ」
「けっ…。赤の他人が、いきなり首絞めるかい」
「…本当よ。見た事無いわ」
そう言って俯いた明美に、亜莉紗がこう訊いた。
「狙われてるんですか?あの人に…」
「狙っているのは、D細菌みたいよ」
「D細菌を?」
「えぇ。殺戮に使うらしいわ」
「さ、殺戮ッ!?」
「…なるほど。確かに狂っとるな」
腕を組んで、呆れたように溜め息を吐く楓。
それから、こう続けた。
「それなら沢村さん、ウチらと一緒に来ぃや。狙われとるんやろ?」
「え?」
「1人よりも、3人の方がええやないか。ウチらかて、そんじょそこらの雑魚やないで」
それを聞いて、微笑む明美。
「…それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「それがええ。ほな、行くで」
明美が加わり、楓と亜莉紗のチームは3人になった。
「…そういえば沢村さん。ウチの名前、よく覚えとったな。最後に会うたの2年前やないけ」
「当然よ。あなたに売ったそのライフル、手に入れるの大変だったからね。よく覚えてるわ」
「じゃあ、私がこの銃を買った時の事は覚えてますか?半年前の事ですよ!」
「…うーん」
「(わー)」
第19話 終




