デートみたいな(前)
夜、寝る前のメールは日課になっていた。
恋人ではないけれど、愛しい彼に私の存在を忘れさせないために。ううん、彼が私の存在を忘れることなんて絶対ない。あり得ない。
忘れないからと言って、それが喜ばしいかと言えばそれは微妙。彼の態度に、私に対する愛情はあると思う。それが私の望んでいる形の愛情ではないことに、私は苛立ちを感じているんだ。
今日の夜は何てメールしよう。何て送れば、彼は長い返事をくれるのだろう。そんなことばかり考えている。
メールの返事を打っている間、彼の意識は私に集中しているはず。長い返事ならば、それだけの長い時間私のことだけを考えてくれていたと思うことができるから。
「ママ?」
三LDKのよくある間取りのマンションの一部屋が私の部屋。自分の部屋のドアを開けて、キッチンにいるはずのママに声をかけた。
声をかけてからしばらく待っても返事はなかった。物音も聞こえない。もしかしたら、出かけたのかな? そんなこと何も言ってなかったけど。
そう思ってリビングに行くと、誰もいなかった。めったにないことだけれど、たまにママは私が家にいても何も言わずに出かけちゃう時がある。私が部屋にこもっていると気付かないとか何とか言ってた。
どうやら今日もそうだったらしい。
彼に送るメールの内容を考えてベッドの上でぼんやりしていたし、私が帰ってきてるなんて思いもしなかったのかも。だけど、帰ってきたときには「ただいま」って、確かにママに声をかけたのに。
誰もいないなら仕方ない。夕飯の準備ができるようにママは帰ってくるだろうし、お腹は正直すいてたけれど、それは我慢するしかない。
リビングに行くとこたつに入ってテレビをつけた。テレビのチャンネルを変えながら、何かおもしろいのがやっていないかと確認するけれど、時間の変わり目なのか何もやってない。
つまんない。
チャンネルを変えるのにも飽きて、ぼんやりとテレビの画面を見つめていた。
そろそろ何か面白いのが始まらないかなと、もう一度チャンネルを変えようとしたときに始まったコマーシャル。
それは、神話に絡んだストーリーの長編ファンタジー。同じ監督のシリーズ作品は世界的に人気で、前にコマーシャルを見たときにも面白そうだなって思った映画。
うん。コレにしよう。
メールの内容が決まったのが嬉しくて、チャンネルを変えるのも忘れて頭の中でメールの内容を組み立てていく。
映画、一緒に見に行きたいな。そんなことをふと思う。どうしたら一緒に行ってくれるだろうか。
少し考えをめぐらせて、すぐに答えを見つける。彼が逆らえない相手に頼めばいいのよね。うってつけの人物が、すぐ身近にいるじゃない。
「ただいま~」
玄関からママの声が聞こえてきた。すぐに廊下を歩く足音が聞こえて、リビングの扉が開けられる。
「買い物してたら思ったよりも時間がかかっちゃったわ。すぐに作るから待っててね」
ママは両手に買い物袋を提げていた。片方の袋から大根の頭が覗いているのが、少し離れたここからでも見える。そのまま対面キッチンに入ると、買ってきたものを片付け始めたみたい。
うん、機嫌は悪くない。これならいけるかも。
「ねぇ、ママ?」
対面キッチンの前、ダイニングテーブルに両手をついて、少しだけ甘えた声でママに話しかけてみた。
「なぁに? さゆちゃん」
ママは片付ける手を止めることなく、顔もこちらに向けずに答える。
「あのね、観に行きたい映画があるんだ」
「危ないからダメです」
間髪入れない返事。ふふ、予想通り。
ハタチで私を産んだというママは、過保護なところがあって、でもすっごく私に甘い。
「わかってるよ。でもさ、どうしても行きたいんだよね。……だから、司が一緒に行ってくれないかなって思って。一緒に行けそうな子、いないし」
司は、私の想い人。
三歳年上の、大学生。ゲームが大好きなんだけど、別にオタクって感じでもなくて。
背は百七十五センチって言ってた。すごく高いわけでもないけど、低くもなく。私から見ればバランスの良い体格。短めの柔らかい髪と、ツーポイントのメガネの奥にある少し切れ長な目。薄い唇。
そっけない雰囲気がするけど、実はすっごく優しくて。少し低めの声は柔らかい。電話越しの声は、時々セクシー。
そんな全てが私の理想となっている司とは、私が産まれた時からのお付き合い。
だって、ママが司のお姉さんなんだもん。だけど、司が叔父さんだなんて思わない。思ったことない。たったの三歳差よ? 叔父さんだなんて思えるわけないじゃない。
小さかった頃の私にとって、大好きだったお兄ちゃん。大きくなった今の私にとって、恋する相手。
「ね、ママ? 司と一緒ならいいでしょう? 司はもう春休みって言ってたし。今度の週末あたり、司にお願いしてよ~」
ふぅと大きく息を吐き出したママは、片付ける手を止めて私の前までやってきた。私の頭をクシャリとなでると、仕方ないなって顔を見せた。
「わかったわ。司に連絡してみるから。司に迷惑かけないのよ?」
「うん! もちろんよ。じゃ、私は部屋で予習でもしてくる」
私が司に迷惑なんてかけるわけないじゃない。嫌われたくないんだもの。
スキップしたい気持ちを抑えて、自分の部屋へと戻って気付く。映画に行けるなら、今夜のメールはどうしよう? 映画を見に行く話をすればいいのかな……。
いろいろ考えて、ママから連絡があれば司がメールをくれるだろうと。私はたまには司からのメールを待つことにした。
パパから残業で帰りが遅くなるという連絡があって、ママと二人、いつもより少し遅い時間に夕食の席についた。
「そうそう、司に連絡しておいたわ」
ママは開口一番そう言った。
もう連絡してくれたんだ。我が母親ながらやること早いな、ってビックリ。
「本当? 大丈夫だって?」
「うん。一応、日曜日なら一緒に行けるって言ってたけど……。細かいことは、あとで自分で連絡して決めなさい」
ママに頼んで良かったという安堵感が広がる。ママと年齢の離れている司は、実はママに頭があがらない。というより逆らえないみたい。司が産まれた時、ママはもう十七歳で。仕事をしていたおばあちゃんの代わりに、ママが司の面倒を見てたんだって。
だからなのか、先約がなければママの頼みを引き受けてくれる。たいていは私がママを通して頼んで、私と出かけるんだけれど。
夕食はおいしかった。そりゃもう、とっても。司と一緒に映画に行けるという喜びだけで、こんなにご飯もおいしく感じてしまうのかというくらい、おいしく思えた。
夕食を終えて部屋に戻ると、すぐに携帯をチェックする。ドキドキしながら携帯を開くと、そこには着信もメールの受信もなかった。すごく期待してたので、落ち込んでしまう。
でも、よく考えてみれば今日は司のバイトがある曜日。バイトが終わったら連絡をくれるに違いないと、自分で自分の気持ちを持ち直す。
時計を見つめて、司のバイトが終わるまでの時間を計算する。……あと二時間くらいってとこかな。
今のうちにお風呂に入ってしまおう。司から連絡がきたら、私は携帯に張り付いてしまうに違いないのだから。自分のことは自分でよくわかってるもの。
パジャマや下着などを準備して、すぐにお風呂に向かう。お風呂はゆっくりと入るのが好き。半身浴をしたりして一時間くらい入る。
お風呂から出れば、残業の終わったパパが帰ってきていて遅い夕食を食べていた。
「沙由紀、ちょっとそこに座りなさい」
私がお風呂から出てきたのに気付いたパパに、私がいつも座る席を指差して言った。
「パパ、おかえりなさい」
「あぁ、ただいま」
イスに座りながら言えば、パパも答えてくれる。そして私が完全に座るのを待って、再び口を開いた。
「司君に、映画に連れて行って欲しいって頼んだんだって?」
パパもそれなりに私に甘いけれど、私のわがままに司を付き合わせることに対して、たぶんあまり良く思っていないみたいだった。迷惑をかけるからとかなんとか、前に言ってた。
「そうよ。見に行きたいけど、ママは危ないからダメって言うし。それでも行こうと思ったら、司に頼むしかないと思わない?」
痛いところをつかれたのか、パパは言葉に詰まる。
「……そう、そうだな。だが、DVDが出るまで待てんのか?」
本当は、パパやママに黙って友だちと映画に行くことくらいあるんだけど。でもやっぱり司と映画を観たい時だってある。
「待てない。すっごく観たいもの。それとも、一人で行ってもいい? 友だちに一緒に行けそうな子がいないし」
司はいいって言ってくれたじゃない。本人が了承してるんだからいいじゃない。
「……わかった。司君と行ってきなさい。……絶対に迷惑をかけないこと。司君の言うことを聞くこと。あちこち引っ張りまわさないように」
さらにいくつかの注意事項をあげたパパは、もう部屋に戻りなさいと言うと、夕食を再開した。
部屋に戻ると、すぐに携帯をチェックする。司のバイトが終わる時間まで、あと数十分。当然だけど、まだ司からの連絡は入っていなかった。
携帯を机の隅に置いて、明日の予習をすることにした。
勉強は結構頑張ってしている。理由はひとつ。司と同じ大学に行きたいから。司のいる建築科には興味がないけれど、司の大学にはいろいろな学部があって、私の進みたい方面の学部もある。第一志望はそこに決めてる。
司は実家から大学が遠いから一人暮らしをしているけれど、私の家からなら通えないこともない。
本当は、司が大学に合格したあと、私の家に下宿するという話もあった。私は大歓迎だったけれど、司が辞退して――たぶんママの世話になるのがイヤだったんだと思う、それで学校の近くで一人暮らしを始めたんだ。一人暮らしにしても、距離は近くなって会いやすくなったのは、私にとって嬉しいことだった。
いつの間にか予習に集中していた。携帯から着信を知らせるメロディが流れてビックリする。すぐに時計を見れば、司のバイトが終わってだいぶ経っていた。
携帯への着信はもちろん司で、慌てて出る。てっきりメールしてくれるもんだと思ってたから、不意打ちの電話に少し胸が高鳴る。
「もしもし?」
『さゆ? 司だけど』
司の落ち着いた低い声が電話越しに聞こえてきた。やっぱりいい声してると思う。
「映画のこと?」
『そう。何の映画が観たいの? 一応、日曜日を空けるようにしたけど』
「内緒。行ってからのお楽しみ! 一緒に行ってくれる子がいなくてさ、ちょっと諦めてたんだよね。ありがとう」
本当は誘えば一緒に行ってくれる子はいると思うんだけどね。人気のある映画だし。
なんとなく内緒にしたのは、司も絶対見たい映画だと思ったから。映画館についてから、これ見たかったんだよねって笑ってくれるような気がしたから。
『ハハ。さゆってば友だち少ないの?』
「そんなことないよ。たまたま。仲良い子がね、彼氏ができたからってあんまり遊べなくなったりとか、まぁ、そんな感じ」
友だちに彼氏ができたのは本当。何人かがバレンタインに告白して、付き合うことになったんだって。私ももちろん、司に本命チョコをあげたの。毎年、本命チョコをあげてるのに、司はなぜか本命だと思ってくれない。やっぱり叔父と姪という関係のせいなのかな。
『ま、いいよ。どこで観るの?』
それから待ち合わせの場所とか時間を決めて、少しだけ雑談をして、電話を切った。
メールもいいけど、電話の方がやっぱりいいと思う。声を交わして、電話している時間だけは司を独り占めしていられる気がするから。
約束の日が待ち遠しかった。
実は司に会うのは久しぶりだった。普通、親戚とは言え、叔父と姪とは言え、年に数回会えばいいほうだと思うんだよね。私と司も、長期休暇には必ず会えるように仕向けるけど、それ以外は滅多に会えない。
毎日メールできるだけ、マシなのかなとも思うけれど。
友だちの由香里に司と映画に行くことを言えば「相変わらずだね」と言われた。私が司を好きなことを知っている彼女は、時々相談にも乗ってくれる。でも司が叔父さんてこともあって、アドバイスしづらいって言われてしまうこともある。
土曜日は朝から由香里と買い物に出かけることになっていた。もちろん、明日の映画の為の服を買いに行く。
もともとオシャレは好きなんだけれど、多くは買わないようにしてる。たまに司に会えることになった時に、新しい服を買うために貯金するようにしてた。
由香里と待ち合わせた駅前に約束より少し早めに着くと、もう彼女は到着して待っていた。
「お待たせ」
少し離れた場所から由香里に声をかけながら、彼女のもとへと急ぐ。
どんな服がいいかを二人で相談して、行く店を決める。由香里はバレンタインの告白がうまくいって彼氏ができた一人で、由香里も彼氏とデートの時に着る服を買いたいと言っていた。
夕方までかかって、何店舗も店を見てまわって。私も由香里も気に入った服を買えて大満足して、また駅前で分かれた。
私は悩んだけど、ロングブーツと上着は既に持っているものを使うことにして。トップスを何枚かと短めのスカート、それからカバンを買った。
家に帰ると、ママが少し呆れた顔をしていたけれど、自分のお小遣いで買ったものだし文句は言われなかった。
部屋ですぐにコーディネートを考えて準備し、カバンの中にもあとは携帯を入れるだけの状態に準備する。明日が待ち遠しい。