花見 -2-
花見が始まってみると、結構な人数が集まっていた。隣に座る佑介に確認すると、四十人近くいるという。実際の同好会のメンバーは二十人らしいんだけれど。つまりは半数が部外者――恋人や友だちってことになるらしい。
こういった行事があるたびに部外者が参加するのは普通のことらしく、特に自己紹介らしいものはなく宴が始まった。だからというか、当然そうなるというか、私が司君の彼女だということを知っているのは、どうやら佑介だけらしかった。
私はすっかり『木下佑介のツレ』という認識がされてしまったらしく、なぜか佑介の隣――反対の隣にはなぜか原野君――に座っている。肝心の司君とは離れてしまった。
何でこの並びなんだろう。
「悪いな。最初に微妙な紹介しちまって。あとで司の隣に座れるようにするから」
そう私の耳元で囁いた佑介は、他の部員らしき人と喋るのに夢中になってしまい、私のことを放置している。
司君はどうしているのかと見れば、さっきの露野さんが隣に居座ってしまっている。露野さんの手は司君の足に置かれているし、露野さんと何かを話している。私のことは、すっかり忘れ去られてるみたいだと思ってしまう。
面白くない。なんだか悔しいと思う。――つまりそれは、嫉妬、だと思う。
「朝野さんは、アルコール大丈夫?」
一人悶々としていると、原野君に声をかけられる。質問に頷いて答えれば、すぐに紙コップと缶チューハイが原野君の手に握られる。
「これさ、期間限定のさくら、アーンド! さくらんぼ味。昨日飲んでみたらうまくてさ! 飲んで飲んで」
にこにこと満面の笑みを浮かべた原野君は、私に紙コップを握らせると、缶からチューハイを注ぐ。
促されるままに、注がれたチューハイを一口、飲んでみる。
さくら味のものって、たいていこんな味をしているような気がする。昨日食べたばかりのさくら味のケーキも、こんなような味をしていた。だからといってキライなわけでなく、むしろすごく好きな味。
「うわ、おいしー。私、さくら味のお菓子とか好きなんだよね」
「そう? なら良かった。まだあるから、好きなだけ飲んでよ」
そう言って原野君が見せたクーラーボックスの中には、同じチューハイが十本以上入っていた。
「ホントにいっぱいあるね」
思わず、ふきだしてしまう。原野君もつられるように笑っていた。
花見が始まって、すでに一時間以上が経過していた。
時々ちらっと視線を向ければ、司君の隣には露野さんがいつも座ってて。一生懸命話しかけたり、べったりと寄り添ってるのが見えた。司君も困ったような表情は見せるけれど、それ以上のことはなくて。
「高井もさ、もうアレに慣れちゃってるみたいなんだよね。つーか、露野に何か言ってもムダって感じ?」
私の視線の先がわかったのか、原野君が苦笑いを浮かべながら教えてくれる。
「朝野さん、ここの知り合いって木下と高井だけだっけ?」
何本目かわからないチューハイに口をつけながら聞いてくる原野君は、始まってからずっと私の隣にいて、話しかけてきてくれていた。
「そう、なんです。あとは知らない人ばっかりで」
思わず、私も苦笑いを浮かべてしまう。たぶん、原野君がずっと話しかけてくれているのは、それに気付いていたからなんだと思う。私が名前を知る、数少ないこの同好会の人。
「木下もさー、ツレならツレで、ちゃんと構ってやれって話だよな? 高井は……、うん、まぁ、露野がいるからしかたないけどさ」
もうっちょっとどう? と、原野君は紙コップにさらにチューハイを入れてきた。
入れてもらったチューハイを、自棄酒のようにあおる。
司君は露野さんの相手で忙しそうだし、佑介は佑介で、入れ替わる隣や前の人と楽しそうにしている。完全に私のことなんて忘れていそう。
露野さんがいるからしかたないとか、そんなのどうでもいい。どうして、その手を払ってでも私のところに来てくれないのだろう。
私は始まってからずっと原野君としか喋っていないような気がする。気がするんじゃなくて、最初に佑介とちょこっと喋った以外、原野君としか喋っていない。
「私、何しに来たのかな……」
チューハイを飲みながら、紙コップの中につぶやきを落とす。
花見だからアルコールはたっぷりと準備されている。もちろん、食べ物だって。
でも私は、原野君しか話す相手がいないという悲しい気持ちを、アルコールを飲むことで紛らわそうとしていた。
ある程度アルコールを飲んでからは、ひたすら原野君にチューハイのおかわりをお願いしていたように思う。それも、途中からは紙コップに注いでもらうんじゃなくて、缶のまま飲んでた。
そりゃもう、飲んでた。食べるよりも飲んでた。ひたすら飲んでた。
途中、何度か原野君の止めようとする声を聞いた気もする。それすら無視した。
たぶん二時間くらい過ぎた頃。飲んでばっかりいれば、トイレにだって行きたくなる。
「ごめん、ちょっと、トイレ」
隣の原野君に小さく声をかける。
どれだけ飲んだかわからないし、自分が格別アルコールに強いとも思わない。でも、ちょっと体がふわふわしている以外は平気だったし、トイレに行こうと立ち上がろうとした。
とたんに、体にうまく力が入らなくて膝から崩れそうになった。
「ちょ、朝野さん!」
一緒に飲んでた原野君がすぐに私の体を受け止めてくれて、むしろ抱き締められるような感じだったけれど、まぁそのおかげで倒れずには済んだんだけれど。そのことでようやく、佑介も私のことを思い出したらしい。
「お前、飲みすぎ? 大丈夫かよ?」
眉間に皴を寄せて聞いてくる彼は、そのままの表情でチラリと視線をそらした。その視線の先にいたのは司君で、でも離れた場所にいる彼は、私のことになんか気づいてない様子だった。
ぎゅっと胸の奥が苦しくなる。
私、彼女のはずなのに、司君の視界に全然入ってない。
「香織?」
怪訝な声で佑介に声をかけられ、いつの間にか俯いていた顔をあげる。
「いやー、調子のって飲みすぎたかな? トイレ行こうと思ったんだけど……」
「ふーん。ちょい待ち。お前、一人でまっすぐ歩けねぇだろ? 司呼んでやるから」
そうつっけんどんに言う佑介の、司君を呼ぼうとする行動を止めたのは、ようやく私から少し離れた原野君だった。
離れたといっても、倒れないように支えられている体は、思ったよりも近い。
「オレが連れてくからいーよ。朝野さんの知り合いが木下と高井しかいないっつっても、始まってからずーっとオレが相手してるし? 高井も露野の相手に忙しいだろうし」
「や、でも香織は――」
佑介の視線が私に向くと同時に、彼が何を言いたいのか察した。
「トイレくらい、大丈夫よ。せっかくだから原野君に頼むよ」
先を言わせないように言葉をかぶせ、お願いと原野君に視線を移す。
別に、トイレに行くくらい、司君に頼む必要はないと思う。それに彼の隣には露野さんがべったりと張り付いてる。
……つまり、単なるヤキモチ。
立ち上がった原野君の腕を掴んで、少しだけもたれかかるようにしてトイレへと向かう。司君の方へ視線を移すことは、できなかった。
急いで用を済ませトイレから出ると、待っていてくれた原野君の腕を再び掴んで、元の場所へと戻る。
やっぱり飲みすぎたのか、歩いているうちに増していく気持ち悪さに、原野君の腕を掴む力が強くなっていたのかもしれない。
「本当に大丈夫? 木下に言って、抜ける? アイツなら飲んでないし、家まで送ってもらえるかも。オレは飲んじゃったし」
俯く私の顔を覗き込むようにした原野君の顔は、かなり近い。ビックリして顔をあげると、向かう先から視線を感じた。
思わずその送られる視線の元を辿れば、司君と相変わらずべったりしている露野さん、それから他にも何人かの人がこちらを見ているのがわかった。
「……ほんと、大丈夫だから」
司君と目が合って、頬が紅潮するのが自分でもわかる。
原野君を急かして元の場所に戻れば、佑介が何か言いたげな表情をしていた。でも、それに気付かないふりをして、また佑介の隣に座り込む。
「香織、お前、帰れ。飲みすぎ」
座った私を見ると、佑介が冷たく小さな声で言う。飲みすぎたのは自分でもわかってるので「ごめん」と謝った。それに、動くことでアルコールが回ったのか、だいぶ気分が悪くなってきていた。
「佑介――」
「香織ちゃん?」
佑介に家まで送ってくれないか聞こうとした時、後ろに人の気配がして。大好きな司君の声が聞こえてきた。
「ちょうどいい。司、コイツ飲み過ぎで体調悪いみたい」
コイツと私を指差す佑介に、怒りの視線を向ける。指を指されるのはキライなんだ。
「香織ちゃん? 大丈夫?」
気配で司君がしゃがむのがわかった。肩に手を置かれて上から覗き込む気配がして、私は顔を上にあげた。
私の顔を覗き込む司君と目が合うと、彼は表情を歪めた。
「酒臭い。どんだけ飲んだの?」
聞かれたところで覚えていない私は、へらっと笑って見せる。すると司君はますます顔を歪めた。……ちょっと、怒ってるかも。
「気持ち悪い? 休みたい? 帰る?」
司君の問いかけに、一つ一つ小さく頷いてみせる。司君が小さく息を吐き出す。
「うちなら近いから、おいで? 俺、今日はバイトないから夜までいても大丈夫だから」
そう言われてしまえば、司君といられるのが嬉しくてためらうことなく頷く。もちろん休みたいのもあたけれど。
「そういうことだから、俺は香織ちゃんと帰るね」
司君が佑介に告げると、横で聞いていた原野君が慌てたように司君の腕を掴むのがわかった。
「高井って一人暮らしだろう? そこに朝野さんを連れてくのはマズイんじゃない?」
「なんで? 俺たち付き合ってるんだし、問題ないでしょ」
やんわりと原野君に掴まれた腕を払った司君は立ち上がった。原野君は驚いた顔をしていた。
でも司君はそんなのお構いなしで、後ろから私の両脇に手を入れると、私が立ち上がるのを手伝ってくれて。立ち上がってからも、腰を抱くように支えてくれるのがなんだか気恥ずかしかった。だって今までにないくらい体が近いんだもん。
佑介から渡されたカバンも当然のように司君が持ってくれた。
「行こうか? ちょっと歩くけど、せめてうちまでは吐かないでね」
少し苦笑いを浮かべた司君をぼんやりと見上げて、それから振り返って他の人たちに視線を走らせた。驚いた顔をしている人も多いなか、露野さんが一番びっくりしてたように思う。だって、口も半開きだったんだもん。
私は司君が今、私の隣にいることが嬉しくて、すぐに司君に視線を戻した。
「何?」
今度はやわらかく笑んで言った司君に思わず嬉しくなってしまう。酔いにまかせて、素面だったら絶対に言えないなってセリフを言ってみる。
「んーん。司君と会うの久々だったから、嬉しーなって」
「俺も。とりあえず、行こ? 辛そうだし、そのまま体を預けてくれてかまわないから」
心配そうな、でも優しい司君の笑みにますます嬉しくなってしまった。
◆◆◆
大学近くの公園から、大学近くの司君のマンションまで。それほど遠くはないとは言っても、やっぱりふらついた足で歩くと結構な時間がかかったような気がする。
それでも司君は始終、腰を抱くような姿勢で私の体を支えてくれた。私はそれが嬉しくて、しっかりと体を預けて歩いた。
司君はいつも以上に優しくて、マンションに着くまでずっと私の体調を心配してくれた。
そのことがすごく嬉しくて、それ以上に司君と二人きりということが嬉しかった。
マンションに着けば、そのままベッドに連れていかれて、そこに寝かされた。布団から司君の匂いがして、なんだか抱きしめられているような気分になる。幸せで、でも気恥ずかしい。
それでも、司君に水を飲ませてもらい横になっているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
目が覚めた時はまだ外も明るくて、思ったほど長い時間眠っていたわけではないらしいとわかる。ローテブルに置かれたノートパソコンを前に、司君は座っていた。
体を起こそうと動くと、その音に気づいた司君がこちらを見た。
「起きた? 頭とか痛くない?」
何かをタイプする手を止めて、優しく聞いてくれる。
「うん。大丈夫みたい」
気分の悪さもおさまっていた。上半身を起こしてベッドの上に座ると、司君が持ってきてくれたコップの水を飲み干す。乾いた喉に心地よくて、一気に飲んでしまった。
飲み終わったコップをローテーブルの上に置いた司君は、私に向かいあうようにベッドの端に、片足をあげて腰掛けた。意外な近さに自然と胸の鼓動が高鳴る。
目と目を合わせて、しばらくそのままでいた。陳腐な、ありふれた言い方かもしれないけれど、それこそ時が止まったような、そんな感じだった。
……その間、私の胸は高鳴りっぱなしではあったけれど。
そっと、司君の片手が伸びて私の頬に触れた。柔らかく。その温度に、なぜだかひどく安心してしまった。
「今日、行ったの失敗だったかも」
ぎゅっと眉間を寄せた司君は低い声で呟いた。
「なんで?」
頬に触れる司君の手に、自分の手を重ねて聞く。
「香織ちゃんと一緒にいられなかった。おまけに気分悪いのも気付かなかった。トイレ行くなら、俺のこと呼んでくれれば良かったのに。原野じゃなくて。あんなに寄り添っちゃって」
なんかムカつく、って最後に呟いた司君の声を聞いて、ちょっと驚いた。寄り添うって言っても、原野君には支えてもらってただけ。むしろ司君の方が露野さんに寄り添われているみたいだった。
「だって、司君は露野さんと仲良さそうだったし? 原野君がたまたま隣にいたからお願いしただけ」
少しだけ口先を尖らせて、拗ねたように答えた。恥ずかしかったので目は伏せたまま。露野さんがベタベタしててすっごい不愉快だった。それをいつものことだからと受け入れているらしい司君もイヤだった。
「そっか。ゴメンね。香織ちゃんもイヤな思いしたよね?」
反対側の手も私の頬に触れたのがわかり目をあげると、すぐ近くに彼の顔があった。あまりの近さに顔をそらしたくなったけれど、両頬に手が触れている状態ではそれもできなかった。
少し落ち着いていたはずの鼓動も、外からの音が聞き取りにくいくらいに大きくなっていた。顔も絶対に耳まで真っ赤だと思う。目だって、司君の視線と合ったとたん、そらすことができなくなってしまった。
囚われていると思う。
心が全て。司君に。
「今日はさ、本当は俺の彼女だよって香織ちゃんのことを紹介したかったんだ。だけど原野と露野が来ちゃって、気付いたら全然そんな状態じゃなくなっちゃって」
真剣な瞳で話す彼から目が逸らせない。口元にかかる彼の息が口付けを思わせて、頭に血がのぼる。
「でも、最後のを見ればきっとわかるだろうし、佑介がフォローしてくれてると思う。露野も……。次からはハッキリ断るし。ゴメンね」
「私も……。周り、知らない人ばっかだし、司君は離れた場所にいるし。佑介はぜんっぜん当てにならないし。寂しかったの。原野君は話しかけたりしてくれてたから。ゴメン」
お互いに、謝罪を口にする。思うことを内に溜めず吐き出せるのは良いことだと思う。心の中にあったモヤモヤとか嫉妬とか、そういうのが少しずつ晴れていくのがわかったから。
「それにしても……」
さらに司君の顔が近づいてビックリしていると、額と額が触れ合った。
「香織ちゃんてば飲み過ぎ」
それを言われると痛いです……。
「ごめんなさい。なんか、ちょっとヤケになってたみたい。司君を露野さんに取られちゃって」
逸らすことができなかった視線を逃れて、目を伏せると同時に触れ合っていた額が離れるのがわかった。
頬に添えられた手によって少しだけ上向きにされた顔の、唇に司君の唇がおりてきて。
――二回目のキスは初めての時よりも長くて。キス、してるんだって思ったら、恥ずかしくてたまらなかった。
「目とか表情とか、やば過ぎだった。我慢するの、大変だったんだからね。あんな顔、原野に見られてたのかと思うと、ムカつく」
少しだけ離した口からつむがれる言葉は、少しだけくすぐったくて。
「今だって、我慢、してるんだよ」
何回目かの高鳴る鼓動とともに、再び唇をふさがれた。
昼間の花見はお互いに全く楽しめなかったこともあって、夜、日が落ちてから再び二人で公園に出かけた。一部だけなんだけれど、夜桜が見れるようにライトアップされていて。
味気ない、コンビニで買ったお弁当を二人で食べながら、ゆっくりと夜桜を見た。