花見 -1-
もうすぐ四月ともなれば、春めいた日も増えてきて。桜の木を見上げれば、今にも咲き開きそうな蕾を枝のあちこちに見つけることもできる。中には既に咲いている桜の花を見つけることだってある。
大学のすぐそばにある大きな公園には、一角に桜の木が植えられており、時期にもなれば夜にはライトアップもされる。絶好の花見場所になっている。今週末ごろから花見客で賑わいだすに違いない。
少し離れた場所にあるベンチに座って、私は桜を見つめていた。
桜を見るのは好き。満開も、散り始めも。散った花びらに埋め尽くされた桜色のじゅうたんを見るのも。季節をはっきりと感じられるものは、結構なんでも好きだったりする。
時計代わりの携帯のサブディスプレイで時間を確認する。
今日、司君は午前中だけバイトがあると言ってた。司君のバイト先は大学の近くにある二十四時間営業のファミレス。学校がある時は夕方から夜のシフトに入っていて、それは春休みの間も変わらなかった。ただ、休みの間は昼間のシフトも増やしたらしい。稼ぎ時なんだって。
私のバイトは塾の講師で、やっぱり夜間が基本。試験期間だと土日の昼間にもあったり、長期休みは平日の昼間にも行かないといけないけれど。大学生の春休みは中高生の休みより長くて、昼間もバイトになるのは明日からの一週間だけ。この春休み、生徒の期末テスト前を除いて、土日や昼間はバイトがなかった。
司君と会うのは平日の昼間か土日が多くて、でも最近は昼間も司君はバイトに入ってることが多くて。
私も県外に就職とか進学した友だちが三月後半になって帰省してきたのもあって、昼間は遊びの予定が前々から入ってたりね。
司君と私の予定がうまく噛み合わない。
つまり、ちゃんとした『彼氏・彼女』の関係になってから、デートらしいデートってしたことがない。
いや、まだ付き合い始めたばっかりだし。ようやく二週間だし。仕方ないかな、とも思ってる。でもやっぱり、会いたい、と思ってしまう。
そんな中、ようやく二週間ぶりに、つまりホワイトデーの日以来に会えることになった。司君のバイトが終わってからだけど、その後は二人とも予定はないので、夜まで一緒にいられるはず。
ここを待ち合わせに選んだのは私。大学に入学してまるっと二年が経った。
でもサークルや部活、同好会に所属していない私は、そういうところに属する大半の生徒が経験するここでのお花見をしたことがなかった。友だちと出かけたことのあるお花見は、県内のもっと有名な場所。
なんとなくここの桜が見たくなったから。それが、ここを待ち合わせに選んだ理由。それにここから司君のマンションまでは、歩いても五分くらい。
司君は、バイトが終わったらマンションに寄って、着替えてからここへ来てくれると言ってた。
司君が来たら、まずはランチかな。ランチタイム直前までのシフトだから、昼食はとらずに来るって言ってたし。そうなったら、どこで食べるのがいいんだろう。
一応、今日の目的は映画。司君は『さゆ』と呼ぶ姪っ子さんと見に行ったと言ってたけれど、私ともう一度見たいと言ってくれた。
あの時、彼は電車で行くなら二駅離れた場所にある映画館に行ったと聞いた。この辺で大きな映画館と言えばそこしかなくて。一番近い映画館でもあるし。ちょっとモヤモヤした気持ちが胸の中をくすぶってはいたけれど、私たちもそこで見ることにした。
もう一度、時計代わりの携帯のサブディスプレイを確認しようと、カバンから携帯を取り出した時だった。
公園の出入り口に続く道の先から、見知ったシルエットがこちらに歩いてくるのが見えた。
――でも、なんで二人?
そこにいたのは司君と、小学校からの腐れ縁の佑介。二人は桜の方に視線をやり、何かを話しながらこちらに歩いてきていた。私が約束していたのは司君一人だったはず。
呆然としながら二人を見ていると、ベンチに座っている私を見つけたらしい。なんとなく視線が合ったような気がしたあと、二人は私の方へ少し足早にたってきた。
「香織ちゃん、待たせてごめんね」
「香織、久しぶり」
二人の声がハモる。黙って二人を交互に見やると、佑介が口を開いた。
「来週さ、同好会で花見をやるんだよ。今日はその下見。司が香織と待ち合わせしてるっていうから、ついでにくっついてきた」
悪びれた様子もなく屈託なく笑う佑介に、私はもちろん何も言うことはできない。私のすぐ隣に司君、さらにその隣に佑介が座って、花見の計画を話し合っているみたいだった。
それはたぶん五分か十分くらいのことだった。何時に集まるかとか、どこに集合して、何を持ってくるか、そんなことを話していたと思う。
「んじゃ、オレは行くよ。暇なら香織も参加すれば?」
今から大学近くのコンビニでバイトがあるという佑介は、軽く手をあげて公園の出入り口へと走り去った。
「ごめんね。遅れてきたうえに佑介まで一緒で」
佑介の姿が見えなくなってから、司君は私の方に体を向けて、顔の前で両手を合わせた。……なんか、かわいく見えるんですけど。
せっかくの司君と二人きりの時間を邪魔された感はいなめない。でも、私は司君に関していえば佑介に頭があがらない思いなんだ。バレンタインの策略とか、ホワイトデーの前とか、ね。佑介がいなかったら、私は司君と一緒にいなかっただろうから。
だから気にしない。そう言うと司君は嬉しそうに微笑んだ。
「ところでさ、佑介も言ってたんだけど。今度の日曜日さ、同好会のメンバーでお花見するから来ない?」
司君からの誘いは、予定がなければ基本的に断らない。理由は簡単で、一緒にいたいから。
だからこそ、私は司君……と佑介に誘われたお花見には二つ返事で行くと答えた。詳細は他のサークルの人に確認してから決定になるそうで、また連絡をくれることになった。
それから公園を後にして、二人で並んで駅へと向かう。タイミングよく到着した電車にゆられて二駅先で降り、デパートの中に入ったお洒落な雰囲気の定食屋さんで昼食をとると、デパート隣の映画館へ。
見るのは二回目という司君も、やっぱり面白かったようで、映画が終わると二人してカフェで興奮しながら感想を語り合った。
◆◆◆
それから一週間。明日は約束の花見の日。
塾では春講習が開催され、月曜から金曜は朝から夜まで、昼食と夕食をはさんで塾に缶詰状態だった。司君も、もちろんバイトが入っていて、二回ほど夜に電話で話した以外はメールでのやり取りだけ。電話だって、一回は花見のことについての連絡がメインで。もう一回はカレカノっぽかったかな。
一週間も会えなかったのは残念だし寂しいけれど、その前はなんだかんだで二週間会えなかったんだもん。一週間で会えることを思えば……。頬が自然と緩むのは仕方ないと思う。
でも、よくよく考えると、付き合う前のほうが頻繁に会ってたなーなんて。時期的な問題なんだろうけれど。
あと数日もすれば大学が始まり、もっと司君にも会う機会が増えるだろうことはわかってる。わかってるけれど、寂しいものは寂しい。
早く、早く明日になればいいのに。
早く寝れば寝ている間に明日になることはわかっているのに、眠ることができなくて。無意味に携帯をいじりながら、ベッドの上で時間が経つのを、眠りに落ちるのを待っていた。
翌日の日曜日は天気が良く、絶好の花見日より、というかお出かけ日よりになった。天気予報によればかなり暖かい一日になるらしい。
事前に約束していた時間に佑介が車で迎えに来てくれて、そのまま花見をする公園へと向かった。
「ねぇ佑介。本当に部外者の私が一緒してもいいの?」
車の中でいまさらな感じがする質問を投げかけると、佑介が運転しながら笑い出した。
「すっげいまさらなこと言うな、香織ってば。部長の司がいいっつってんだし、いいんだよ。それに他の連中にも友だちとかカレシとかカノジョとか、連れてきていいって連絡してあるし」
「そうなの?」
「そうなのっ」
疑心暗鬼の私に、佑介は力強く答えて。そして笑い出した。車内には佑介の笑い声が充満していた。それは公園に着くまでずっと。
公園の駐車場に車を停めると、既に大半の人が来ていたらしい。車から降りる時には、車の周りに人が集まっていた。
「誰? 木下の彼女?」
そんな声があちこちからあがった。私は木下――佑介の彼女なんかじゃないので、困ってしまって助けを求めるように佑介の方に視線を彷徨わせた。
「小学校からの友人。ある意味腐れ縁。せっかくだから誘って、ついでに家が近いから乗せてきただけ」
車から降りた佑介は、すぐに後ろに積んだ荷物を降ろそうとしていて、手を止めずに視線だけ周りに移して説明する。佑介の視線を追って周りを見ると、少し離れたところに友だちらしき人と複雑な表情をした司君が一人で立っているのが見えた。
今すぐにでも傍に行きたい気持ちはあったけれど、佑介の車に乗せてもらったこともあって、まずは手伝いをしようと思いいたった。
「――佑介」
車をぐるっと反対側まで回ると、既にほとんどの荷物は佑介の手でおろされ、周りにいた人たちによって運ばれているらしかった。
手を止めた佑介は、かがんだ姿勢で私を見上げると首を傾げる。
「なんか、手伝うよ」
にかっと笑った佑介は、手にしていたクーラーボックスのひとつを手渡してきた。
「コレ、向こうに運んどいて。そのまま向こうにいてくれて構わないから。……司!」
私から視線をずらした佑介は司君を呼ぶと、同じようにクーラーボックスを、今度は二つ手渡した。
「司はコレとコレな。香織を場所に案内してあげて。あとちょっとだから、そのまま向こうにいてくれていいから」
佑介に頷いて答えた司君は、私の半歩ほど前を行くように歩き出した。慌てて私もついていく。さらさらした司君の髪が、歩調に合わせて小さく揺れるのが見える。
なんとなく無言のままお花見をする場所に着くと、数枚のブルーシートが敷かれていた。
「この辺に適当に置いておけばいいよ」
司君に言われて、彼がおろしたクーラーボックスの隣に、持っていたクーラーボックスをおろした。
「思ったより暑いね」
陽が高くなるにつれて、気温もどんどん上昇しているみたい。うっすらと汗ばんできていた。
「そうだね。俺、中にTシャツ着てきて正解だったかも」
そう言うと同時に、薄い長袖シャツをその場で脱ぎ始めた。顔をそらすヒマもなく、すぐに司君はTシャツにチノパンという格好になる。 「いきなり脱ぎ始めるとビックリするよー」
一応、文句を言ってみる。ビックリついでに火照った顔で言っても効果はないと思うけれど。
「なに、裸にでもなると思った?」
満面の笑みを浮かべた司君が、少しそらした私の顔を覗き込むようにして聞いてくる。その顔が近くて、さらに顔が紅潮するのが自分でもわかった。思わず両手で頬を押さえると、司君は楽しそうに笑い声をあげた。
たった一週間ぶりなのに、緊張する。それは知らない人もたくさんいる、この現状に、なのかもしれないけれど。
「あのさ……」
司君が少し顔を離して、少し真剣な表情で口を開く。
「……」
「高井ー、と木下のツレさん」
「つっかさくーん」
司君の言葉に、野太い男性の声と、甘えたようなかわいらしい女性の声がかぶさる。司君が何を言ったのか、小声だったせいか聞き取ることができなかった。
先に声をかけてきた男性を振り返り、今日はよろしくと挨拶をする。次に司君が何を言おうとしたのか聞こうと振り向けば。甘えたような声を出した女性が、そのまま司君にべったり甘えていた。
思わず、目を見開いてしまう。その様子をいつの間にか私の隣に立っていた、声をかけてきた彼が見たようで小さく笑われる。
「いくらなんでもベッタリだよなぁ? でも気にしないで。いつものことだから」
――いつものこと?
最後の一言に、眉間が寄ってしまうのはしかたないと思う。でもすぐにそれに気付いて、一生懸命に自分の表情を和らげた。
「木下のツレさんは、高井と知り合い?」
「あ、はい。まぁ」
「ふーん。名前、ナニさん?」
「朝野です」
「朝野さん、ね。オッケ、覚えた。オレは原野。高井にベッタリなのは露野」
そう名のった原野君は露野さんに向かって一声かけると、私の背中を軽く押すようにして、敷かれたシートの一角へと連れて行く。司君は露野さんに捕まって、その場所から動けないようだった。
「ここで座って待っててくれる? すぐに準備終わるから」