変化のホワイトデー(後)
「だって、見た」
それだけ言うと、運ばれてきたハンバーグを小さく切り分けて口に放り込む。
「何を?」
佑介も、パスタを一口食べながら、眉を寄せる。
私はハンバーグを食べながら、ポツリポツリと先日見たことを告げた。食べながらだったからか、たいした内容ではないのに、話し終わるまで時間がかかってしまった。
佑介は、パスタとセットのサラダを食べながら、時々相槌を打つだけだった。
「で、結局お前は妬いてるわけだ?」
食事を終えて、フリードリンクのジュースを飲んでいると、佑介が口を開いた。ちょこっとからかうような口調で、口角が少しだけ上がっている。
「や、妬いてるっていうか……」
嘘。すごく嫉妬してる。司君と一緒にいた『彼女』に。でも、言えない。言いたくなかった。言わなくてもバレてそうな気はするけれど。私の司君への気持ち。
「そっかそっかー」
佑介は一人で何かに納得して、背もたれに体を預けた。
「お、わりぃ。ちょっと待ってて」
突然、佑介の携帯が鳴って、慌てたように佑介は席をたった。なんでかわざわざ店の外まで行って電話に出てる。
ボンヤリと佑介の様子を眺めながら、私は手元のコップにさしたストローで、氷を回して遊んでいた。
「香織って、明後日の日曜ヒマ? もちろんヒマだろ?」
電話を終えたらしい佑介が、席に座りながら聞いてくる。聞いてくるっていうか、断定されていて確認してるだけって様子。
それが面白くなくて、ちょこっとだけ眉を寄せて佑介をにらみつける。
「そんな顔すんなよ」
笑いながら、佑介はジュースに口をつける。
「オレもヒマだし、また飯食おうぜ。ちょっと連れてきたいとこもあるし?」
そして私の意見や都合もお構いなしに、気付いたら日曜に会う約束をさせられていた。
家に帰ってベッドに身を投げ出すと、そういえば明後日はホワイトデーだったな、なんてことを思い出す。
結局のところ、司君には何も用意してない。でも佑介と会う約束があるから、司君とは会わないだろうし、それなら用意なんてしなくてもいいかな、なんて思ったりして。
そのうちに眠ってしまっていたらしい。目が覚めたら外は暗くて。手探りで携帯を探す。
部屋に時計はあるのだけれど、暗くて見えない。こういう時、携帯が時計代わりだった。
画面を開くと、メールが数通届いていた。
迷惑メールと、バイト先の友だちと、あと……司君。
迷ったけれど、順番にメールを開いて読む。
『日曜日、会えないかな?』
司君からのメールはいたってシンプルで。この時ばかりは、佑介に無理やりさせられた約束があって良かったと、安堵した。
やっぱり好きな人に嘘をつくのは、心苦しいんだ。だからと言って、会うのも辛くて、嘘をついてばかり。
『佑介と約束があるから、ゴメン』
嘘をつかずに断れることに、胸をなでおろす。
日曜日、佑介との約束は昼前。
バイトは夕方からが多いので、実のところ、最近は夜更かしをして昼頃まで寝ていることが多かった。
それじゃいけないとは思うんだけれど。休みも長いし、怠惰になりがちだった。
約束の時間の少し前、私は家の外に出た。今日も佑介が車で迎えにきてくれることになっていた。
車、いいなーと思う。免許は持ってる。高校を卒業してから、取った。間に大学の入学とかで忙しくなっちゃって、自動車学校に入校してから免許取得までに三ヶ月もかかっちゃったけれど。
車があったら、好きな時に好きな場所へ遠出ができる。それは何だか魅力的だった。
それに、自動車学校で運転してみて、私は自分が意外に運転が好きだと気付いたんだ。
そんなことを思っていると、佑介の車が家の前に止められた。
促されるまでもなく、すぐに助手席に乗り込む。
「今日はどこ行くの?」
運転席に座る佑介に、挨拶もせずに話しかける。
「ん~? とりあえず飯。それからちょっと付き合って」
私がシートベルトを締めるのを確認すると、佑介は車を発進させた。
行った先は、大学近くのイタリアンレストラン。ファミレスに近いけれどちょっと値段は高い。
「オレ、ここに入ってみたかったんだよね」
そう言って笑う佑介に苦笑を返す。心の中で少し、お財布の中身を心配したのは内緒だ。ランチのお金くらいはあるけど、バイト先の友だちとバーゲンに行く約束したばかりだったから。
ちょうど昼時で、私たちの前に数人、すでに待ってる人たちがいた。
それでも、ちょうど良い時間についたのか、すぐに数組のグループが帰っていき、意外と待つことなく席につけた。
佑介は嬉しそうにメニューを覗いている。
「香織は何にする? オレ、このチーズフォンデュセットってのに挑戦したいんだけど」
そう言って指差したのは、二人前のセットだった。写真はおいしそうで私も食べたくなってしまった。
私もそれがいいと伝えると、佑介は嬉しそうに注文する。
「香織がヒマで良かった」
店内を少し見回しながら佑介が笑う。
「ここってずっとおいしそうだなって思ってたんだけど、なんか女性向けっぽくね? オレ一人で入るには敷居が高いっていうか。他の連中にも声かけたんだけど、男同士でも敷居が高かったんだよね」
佑介の言うこともわからなくはないので、頷く。
店員さんも忙しいのか、しばらく待ってからようやく出てきたチーズフォンデュを、じゃっかん争うようにして食べた。
正直に言おう。ギリギリまで寝ていたい私は、朝食を食べていなかったんだ。それは佑介も同じだったらしい。
デザートのケーキまでしっかり食べてから、一息つく。
なんだかんだ言っても、小学校からの腐れ縁。共通の知り合いも多くて、話題には困らない。
後から思えば、佑介の口からは全く司君の名前が出ることはなくて。私も珍しく司君のことを忘れていた。
二人できっちり割り勘すると、再び佑介の車に乗り込む。
おいしいものを食べて、私は満足で幸せだった。
「で、次はどこ行くの?」
「内緒。いいところ」
満足で幸せな私は、その後のことは結構どうでも良かった。佑介はそんな私を小さく笑ったような気がしたけれど、そんなことも気にならなかった。
幸せな気分に浸りながら、窓の外を眺める。
「すぐにつくから」
佑介は楽しそうに言うけれど、私は返事するのも面倒で、そのまま窓の外を眺めていた。
佑介の言うように、たぶん十分もしないで、車はどこかの駐車場に止められた。
「ついてきて」
大学近くのマンション。たぶん学生向け。佑介の友だちでも住んでるのかな?
そんなことを思いながら、佑介のあとをついて階段を登っていく。
三階の、階段から一番離れた部屋。そしてエレベーターの目の前。なんでエレベーターを使わないんだよと、心の中で佑介に不満をこぼす。
その部屋の前で立ち止まると、「ここ」と佑介が指差した。何かを企んでいるような顔に、私はなぜかすっごくイヤ~な予感がした。
佑介は、ドア横のチャイムを押すと同時に、ドアを開ける。返事を待つ必要もないらしい。カギもあいてたし。
佑介に背中を押された私は、誰の家かもわかんないのに、戸惑いながら玄関へと入る。佑介の様子だと、たぶん私と佑介が行くことも言ってあるんだろうし。
小さな声で「お邪魔します」と呟くと、靴を脱いで廊下に立つ。短い廊下の左にはトイレとお風呂っぽいドアがあって、廊下の先にあるドアは閉まっていた。
「入るぞー」
佑介が少し大きな声で奥に声をかける。
「どうぞー」
同じように返ってきた声を聞いて、私は体中の動きを止めた。それからゆっくりと佑介に視線を移す。
「逃げられないよ?」
佑介が、それはそれは楽しそうな顔をして、玄関をふさいでいた。
だってさっきの声、たぶん、……いや絶対、司君だった。
司君は県外から受験して大学の近くに住んでるっていうのは聞いてた。聞いてたけど、もちろんお邪魔したことはなくて。ここが司君の家だなんて、私は全く知らなかった……。
すっごい、居心地が悪い。隙あらば逃げ出したい気分。
無理矢理、強制的に、有無も言わさず。佑介は私の背中を押して部屋まで連行した。
廊下の先の扉をあけると、すぐ左に小さなキッチンと、その奥に一部屋。部屋の奥に紺色のカバーがかかったベッドと、机やテレビなんか。
男性の部屋なんて久々だから、緊張する。
部屋のほぼ真ん中、ベッドなどの家具が置かれた手前に置かれたローテーブル。その部屋の奥側に腰をおろす。佑介に促されたんだけど。当の佑介は玄関側。
……絶対、逃げ出せない。
膝を抱えて、間に顔をうずめるように俯く。
俯きながらも、こっそり部屋の中を見回してみる。あんまり物は多くなくて、きっちり片付いてる印象。
佑介に視線を移すと、何をするわけでもなくボンヤリしていた。
キッチンにいる司君がどうしているのかと思って、キッチンの方に視線を移すと、ちょうどカップとペットボトルを持ってくるところだった。
「どうぞ?」
カップにペットボトルに入ったウーロン茶を入れて出してくれる。
「え、うん。ありがと」
なぜか私の分しかないお茶に戸惑いながらも、勧められるままにお茶を一口飲んだ。
……あれ?
「これって」
驚いて司君を見ると
「ペットボトルは再利用。中は普通の麦茶。自炊するから、お茶も自分で作るんだよ」
ウーロン茶のペットボトルだったので、飲んだら違う味でビックリしてしまった。
「んじゃ、オレ帰る」
私がお茶に再び口をつけると、佑介が立ち上がりながらそう言って、足早に玄関へと向かう。
玄関に続く扉を開けると、一度こちらを振り向いて「気になることは聞け」と。それだけ言って、気付けば佑介の姿は扉の向こう。
しばらくすると、玄関のドアが開いて閉まる音が聞こえた。
え? 私は?
正直に言う。
完全に逃げ遅れた。
司君は、カップを両手で挟むように持ったまま固まっている私を、じっと見ている。
……恥ずかしい。
ていうか、二人っきりで恥ずかしい。そして困る。動揺してる。どうしたらいいのか、全然わかんない。
「ごめん……」
すごく長く感じたけど、たぶんほんの短い時間の沈黙の後、先に口を開いたのは司君だった。
「なんだか無理矢理、佑介に連れてきてもらった形になっちゃって」
話しながら司君は俯いていく。
「なんか、香織ちゃんの様子が変で。なんか避けられてるのかなぁとか思って。でも理由がわかんなくて。佑介に相談したんだ」
私は黙ったまま。司君はポツリポツリと呟くように、口を開く。
「それが金曜日。そのあとメールしたら、佑介からメールがきてさ。香織ちゃんがヒマしてるみたいだったから、ファミレスにいるとかってメールくるし」
そういえば、ファミレスで佑介が誰かにメールを打ってたような気もする。
「何かやっぱり避けられてるのかなって……。そのあと電話したら、まだ佑介は香織ちゃんといるみたいだったけど」
確かに電話がかかってきてた。うん。あの相手は司君だったんだね。
「その時にさ、とりあえず日曜日に香織ちゃんをうちに連れてくるからって。だからちゃんと話せって言われた」
それっきり、また司君は黙り込んでしまった。手に持ったペットボトルを何度も、左右に持ち替えている。
視線もペットボトルに落としたまま。こちらを見ようとしない。
そんな司君を、私も黙ったまま観察していた。
「さゆ……」
自然と口からこぼれた言葉に、自分自身でビックリした。
思わず両手で自分の口を押さえたけれど、司君にはしっかり聞こえたようで。跳ねるように顔をあげて、私を凝視した。
私は、小さくため息を吐き出した。無意識に出た名前だったけれど、出してしまった以上は聞いてしまいたかった。
「この間、デパート行ったの。一人で」
この辺でデパートと言えば一ヶ所しかない。どこと言わなくても司君にもわかるはず。
「買い物に行ったんだけどね。途中で疲れてカフェに入った。奥のほうのね、観葉植物に隠れて他の人からは見えづらい席」
さっきの司君のような話し方になってしまう。
私が言葉を選びながら発している間、司君はじっと私の顔を見て、でも口を開かずに私の次の言葉を待っていた。
「その時に見ちゃったの。司君、誰かと一緒にそのお店に入ってきた」
見たんだよ、私。すごく悲しくなったんだよ。
「その人のこと、司君が『さゆ』って呼んでた」
それ以上は、言えない。言いたくなかった。
次にため息を吐き出したのは司君。
「さゆ、はね……、」
やっぱり聞きたくない!
私は両手でそれぞれの耳をふさいだ。怖いんだ。その後に続く言葉を聞くのが。
だけど、なぜか司君が近づいてくる。手にしていたペットボトルは既にローテーブルの上に置かれている。
司君が近づいてくるのに合わせて、私は座ったままお尻を使って後ずさる。
でも、決して広いとは言えない部屋の中で、すぐに私の背中はベッドによって後退を阻まれた。
ある程度の距離まで近づくと、司君は手を伸ばして私の両手首を掴んだ。そのまま二人の足の間におろされる両手。
それが何だか恥ずかしくて、私は俯いてしまって、司君がどんな表情をしているのかもわからない。目に映るのは、二人の足と手だけ。
「あのね」
耳を塞ぐ手をつかまれている私は、司君の言葉を聞くことしかできない。
「さゆとは、何でもないよ? 本当に。何でもないんだ」
司君は、ゆっくりと優しい声で話す。
「……でも、仲良さそうだった。彼女みたいだった」
ポツリともらした私の言葉に、司君は少し苦笑してすぐに答える。
「そりゃ、仲は良いと思うよ。姪っ子だしね」
司君の言葉にびっくりして、口をぽかんと開けたまま目を見開いて、動作も思考も停止してしまった。
ふっと笑う司君の声で我に返る。
「姪っ子って……。だって同い年くらいだったよ?」
「んーー。正確には三歳下。俺、上に姉さんと兄さんがいるんだけど、結構年齢が離れてるんだ」
私はきっと訳がわからないといった顔でもしているんだと思う。眉間に力が入ってしまっているのは、自分でもわかる。
「姉さんとは十七歳も離れてるんだ。兄さんとも十二歳離れてる。さゆは、姉の子なんだよ」
お姉さんとは十七歳離れてて、『さゆ』さんとは三歳違い。
「てことは、お姉さんが二十歳の時のお子さん?」
私が頭の中で計算して聞くと、司君は大きくうなずくのが気配でわかった。
「学生結婚だったらしいんだよね。で、さゆのことをすっごいかわいがってるの。俺、姉さんの言うことには逆らえないしさー」
今度は大きなため息。
「さゆが、映画を見たいって言ったらしいんだよ。でも一緒に行く相手がいないとか何とか。それで俺が連れ出されたの。……本当は、香織ちゃんと一緒に見たかったのに」
最後に小さく呟かれた言葉に、思わず顔をあげてしまった。目の前には司君の柔らかい笑顔。
「だって前に見たいねって話したじゃん。ほら、学校の図書館の休憩室でテレビ見てたとき」
そうでしょ? と小首をかしげる司君が、妙にかわいく見える。ていうか、覚えてくれてたんだって、ちょっと感動。
「うん。言った」
「だからさー、香織ちゃんを誘おうと思ってたんだよ。先にさゆと見ることになっちゃったけど。俺は二回目でもいいかなーって。香織ちゃんと一緒に見れるなら」
……やばい。嬉しい。すっごい嬉しい。
「うん。私も、一緒に見に行きたい」
小さく笑って司君を見ると、突然司君の顔から笑みが消えて。真剣な表情に変わって、ビックリした。
「うん、今度見に行こうね。でね、今日って何の日か知ってる?」
今日……、今日は三月十四日だよね。
「あ、……ホワイトデー」
司君への疑念とかそんなのばかりで、すっかり忘れていたホワイトデー。
「ごめん。バレンタインのお返し、用意できなかった」
申し訳なくて俯くと、また視界に入るのは二人の足と、掴まれたままの手。
「さゆのこと、気にしてたのは、俺のこと好きになってくれたからだって、そう自惚れてもいいのかな?」
お返しのことなんかどうでもいいみたいで。直接言われたその言葉に、私は顔が熱くなるのがわかった。
私の顔は、真っ赤に違いないと思う。
「うん。私、司君のことが好き、なの」
勇気を振り絞って答える。答えてからゆっくりと顔をあげると、少し俯いた司君の顔もうっすらと赤くなっていて、照れてるのがわかった。
しばらくそうした後、顔をあげた司君はじっと私の目を見つめた。その真剣な瞳に、私は目をそらすことができない。
「俺、香織ちゃんのことが好きです。だから、俺と、付き合って下さい」
私の手首を掴む司君の手に、少しだけ力が入るのがわかった。
バレンタイン以来の、二度目の告白。
「はい。すごく、嬉しいです」
司君の目を見たまま答えると、突然司君の顔が近づいてきて。
唇に柔らかな感触と体温を感じたと思った瞬間、それはもう離れていた。
「バレンタインのお返し、もらっちゃった」
二人して照れてしまったけれど、心の中はドキドキと嬉しさでいっぱいだった。
こうして私たちは、ホワイトデーに晴れて、彼氏と彼女になりました。