一つ目の大男からの依頼
一応間取りを乗せてみました。
美術が「2」の人間でしたので、美麗なイラストは期待しないで下さい…
私は街の図書館にいた。
レーナの父であるラルフから頼まれていたものを調べる為だ。
ラルフからの依頼の内容は「ヴァンパイアから人間に戻る方法」。
それが私が調べている事だった。
ラルフの館から戻った私は、まず、自宅の資料を漁った。
だが、ヴァンパイア関連の事柄が1つも発見出来なかった為に、街の図書館にやってきたのである。
この図書館には六千程の本や記事が納められており、私が必要としている情報も必ずどこかにあるはずだった。
図書館が開いているのは、朝の十時から十九時までの間。
私はその時間中、手当たり次第に書物をあさった。
しかし、残念な事にその日には有益な情報は見つけられなかった。
「閉館時間だよ! また居座るつもりだろうが、今日はそうはいかないからね! さぁ! 帰った帰った!」
おそらく居座った前例がある為だろう、口うるさい老婆に追い立てられるようにして私は図書館の外に出た。
「(背が高いとこういう時に損をするな……)」
背が高いというだけで、私は他人から非常に覚えられやすい。
ギリギリまで粘って居座るつもりだったのだが、それを諦めて舌打ちをした。
陽はすでに落ちており、空は暗闇に包まれていた。
家々にはそれぞれ明かりが灯っており、それが街を完全な暗闇ではない、安らぎを感じられる程度の明るさに無意識ながらに演出していた。
「(やむをえん。家に帰るか)」
他に行く当ての無い私は自宅に帰る事にする。
なぜ自宅に帰るのに「やむをえない」と感じるのか。
それは、今居候している1人の女性のおかげであった。
彼女の名はレーナと言って、友人でもあり、依頼人でもあるラルフの娘の一人であった。
私は彼の「娘の一人暮らしを避けたい」という願いを聞いて、レーナを自宅に下宿させているのだ。
1人暮らしの男が聞いたら羨むような状況だろうが、私は正直嫌だった。
レーナは美人であると思うし、性格も立派なものだと思う。
だが、今の私にはテーブルを挟んで向かい合い、雑談をしながら食事をしたり、家の中で会う度に、何かの話をする事が嫌で嫌で仕方が無かった。
勿論、レーナが嫌いな訳ではない。
おそらく私は恐れているのだ。
女性に心を開いて接する事を。
シヤの時と同じように、仲良くなって、好きになり、また何も言えないままで全てが終わってしまったら……
そんな恐怖が潜在的に、私の中に存在していた。
それ故にレーナには自ら距離を置き、あまり彼女を知らないままで、別れの時を迎えようと目論んでいたのだと考えられた。
しかし、その目論みはそれから僅かの時間の後にあっさりと打ち砕かれる事となった。
レーナを絶対に必要とする依頼が、私の元に舞い込んできてしまったからである。
自宅の近くまで帰ってきた私は、道の両脇に広がっている林の中に違和感を覚えた。
そして、それは一体何かと疑問するようにして立ち止まっていた。
視線の先には森があり、木々がひしめくようにして伸びていたが、その木々の先端部分に、緑の葉っぱや枝ではない奇妙なものが見えていたのだ。
「もしかして角……か?」
気付いた為に思わず呟く。
よくよく見ると木々の間には、何かの角のようなものがあり、風によって木々が揺れる度に「チラリ、チラリ」と、見え隠れしていた。
色は白で、やや三角形。
その大きさは私の肘から、指先くらいに届くまでの長さで、太さもおそらくそれと同様、或いは二の腕程度だと思われた。
木々の先端部分の高さは、ざっと見で4㍍程度であろうか。
そこから角ひとつ分「にょきっ」と突き出している者の本体が、一体どれ程の大きさなのか。
そこに考えが至った私は、背中が「ぞっ」となるのを感じた。
関わらないほうがいいかもしれない……
そう考えた時には最早手遅れ。
林の中に潜んでいた巨大な何かが姿を現し、私の前に立ち塞がった。
1つしかない巨大な瞳に、頭に伸びる一本の角。
目は赤色で、体は緑。
4㍍以上はあろうかという巨躯には、動物の皮を剥いで作った粗雑な衣服を身に付けていた。
右手に持った棍棒の太さは、おそらく私の胴体程はあり、そんなもので殴られた日にはリアルに言うなら骨折後にひき肉に。
コメディタッチに表現するなら、空の彼方に吹っ飛ばされて「キラーン!」となる事は確実だった。
何者かの正体はサイクロップス。
低脳で、極めて凶暴であるといわれ、その主食は人間や牛であるとされている。
その凶暴なサイクロップスが今私の前にいる。
医者としての私を訪ねてここまでやってきたのだろうか。
それとも単に腹が減り、私を「餌」とする為に姿を現してきたのだろうか。
私は相手の出方を見る為に、警戒態勢でその場に留まった。
医者で無ければ逃げていたが、そうで無かったとしても逃げ切れるかは怪しい。
こちらの10歩が彼らにとっては、僅かの数歩であるからである。
だが、それを実行に移すよりも、私は万が一を考えて待った。
もし、自分を頼ってきた患者だった時の事を考えて、逃げずに反応を伺ったのだ。
サイクロップスは何も言わず、何かをするという事もなく、ただ、私を見下ろしていた。
お互いに動きを止めたままで10秒程が経っただろうか。
サイクロップスが不意に動き、右手に握っていた棍棒を道の脇に投げ捨てた。
ずしん
という音をたてて、棍棒が地面の上に落ちる。
例えば戦っても勝ち目は無いが、それがあると無いとでは大違いで、目前のサイクロップスが武器を捨てたという事には、若干安心して息を吐いた。
「……私を襲うという訳では無いのだな?」
襲って、捕らえて、食うつもりなら棍棒を持っていた方が手っ取り早い。
それを捨てたという事は、おそらく敵意が無いのだと思う。
そう考えた私は聞いて、巨体を見上げて表情を伺ったが、サイクロップスは「アゥ……」と言ったり、「オォ……」とうめいたりするだけで、何を言いたいのかは理解ができない。
「ううむ……」
「ウォォ……」
私が顔を顰めていると、悲しそうに小さくうめき、それきり無言になってしまうのだ。
「……伝えたい事があるのは分かるが」
返事は無い。
気のせいかもしれないが、なんだかちょっと諦めたような顔だ。
「参ったな……」
私は呟き、腕を組んだ。
せめて片方の言葉が分かれば、身振りや手振りで話せるのだが、お互いに言葉が分からないとなると、身振りや手振りで話す事すら不可能な事のように思えた。
凶暴な事で名が知られるサイクロップスが、なぜ私と話をしようとしたのか。
その理由は気になったが、言葉が通じないのではどうしようもない事だった。
「悪いが今日は帰らせてもらうよ。ここでこうしていたとしても解決しそうにないのでね」
結論として「埒があかない」と思った私は、目の前のサイクロップスにそう告げて、再び歩き出したのだった。
サイクロップスは「アォ」と鳴いて、私に道を譲る為に道の脇へと身を退けた。
向こうも同じ考えだったか、と思いながら通り過ぎると、果たして何を誤解したのか、サイクロップスは道に戻って後ろからついてきたのであった。
私が慌てて「違う」と言っても、サイクロップスは頷くだけでついてくる事をやめようとしない。
どうしても私と話したいのか、それとも「違う」と言う言葉を「ついてこい」だと勘違いしたのか。
どちらにしても今ここで「帰ってくれ」と連発しても無駄そうだった。
私は仕方なく諦めて自宅へ続く道を進んだ。
3分程を歩いただろうか、私の家が視界に入り、中に灯る明かりが見えた。
振り返って後ろを見るも、サイクロップスには引き返し、帰るような雰囲気は無く、むしろ「あそこですか?」と言わんばかりの顔で、私の顔を覗き込んでいた。
「やれやれ……レーナにはなんと言うかな……」
そう呟いて僅かを歩き、サイクロップスと共に自宅に近付く。
身長は4㍍以上あるとして、体重はどれくらいあるのだろうか。
彼が歩く度に地響きがするので、私は密かにそんな事を考えた。
考えている内に、玄関前へたどり着く。
「アァ……」
「小さくて入れない」とでも言ったのだろうか、サイクロップスが小さく鳴いた。
玄関はあくまで人間サイズで、4㍍を越える身長のサイクロップスを中に通す事は物理的に不可能だった。
「残念だがそういう事だ。ここには君は入れない。気の毒だとは思うが帰った方がいい。君にも家があるのだろう?」
それを機会としてそう言って見る。
言葉が通じない事は重々承知していたが、「入れない」という現実を前にした今なら、気持ちが伝わるような気がしたのである。
そして、実際に伝わったのか、サイクロップスは残念そうに「アオォォ~……」と長めの声を出し、がっくりと肩を落としたのだった。
「おかえりなさい先生。今日の晩御飯はビーフシ……」
と、玄関の扉が開いて、中からレーナが顔を出した。
言葉が途中で止まった理由は、言わずもがなサイクロップスを見たからである。
ここで大声でわめいたり、悲鳴をあげたりしない所はさすがにヴァンパイアの娘なのか、レーナは「……お客様ですか?」と、冷静に私に言ってきたのであった。
サイクロップスの名はバルと言った。
なぜ名前が分かったのか。
それはレーナが魔法を使い、サイクロップスのバルと話し、名前を聞きだしたからである。
そんな魔法をどこで覚えたのか。
私はそれが気になったが、こちらが質問するより早く、
「父の書物庫で勉強したんです。簡単な魔法なので後で先生にも教えてあげますね」
と、レーナが教えてくれたので、それで納得する事になった。
私達はバルを連れて裏庭へと移動する。
本当ならば中に入れ、飲み物の1つでも勧めながら話を聞くのが筋だと思うが、その巨体ゆえに不可能な為、裏庭を選んだという訳であった。
我が家を迂回し、横道を抜け、私達は裏庭にたどり着いた。
私が切り株の上に座り、レーナがその隣に立つと、バルは私達の正面にあぐらをかいて座り込んだ。
「(うーん……)」
貫頭衣のような服だった為、下着のようなものが「ちらり」と見えたが、意識はしないように視線を逸らす。
とりあえずひとつ分かった事は、バルは男性だと言う事だった。
「あー……それで、なぜ私の前に?」
多少の気まずさを誤魔化すように、私がバルに向かって聞いた。
レーナによって通訳されて、その言葉がバルへと伝わる。
バルが「ウォウォ」と何かを言って、それが私に通訳された。
「部族の間で広がっている病気を何とかして欲しい」
それが、バルが私の前に現れた本当の理由であったようだ。
つまり、バルは私の事を「魔医者」と知っていた上で姿を現した訳である。
「(危うく逃げだす所だったが様子を見て正解だったな……)」
密かにそう思った上で、それがどんな病気なのかを続けてバルに質問してみる。
「人間でも仲間でも見境無く襲うようになって、最後には泡を噴いて死んでしまう病気だそうです」
レーナに訳された言葉を聞いて、私は「なるほど」と頷いた。
勿論それだけで病名がわかったと言う訳ではなく、どんな症状なのかが分かって、とりあえず納得したと言うだけだ。
バルの部族間に広がっていると言う、病気に対する対策はゼロ。
原因はある程度わかっているのか。
今度はそれを聞いてみる。
「オゥ……」
と、小さく鳴いたバルがそのまま少し考え込んだ。
記憶の糸を辿りながら過去に遡っているのだろう、一つの瞳は私を見ていたが、焦点は定まっていなかった。
5秒、10秒とが経って、バルがレーナに何かを告げた。
「原因は病気だ、と言ってます」
苦笑いをしてレーナが言った。
その病気の原因を聞いていたのだが、残念ながらバルにはそれが伝わらなかったようである。
医者では無いのだし、仕方がないと言える事なのか。
「それでは~……あ~……過去にそういう事があったか聞いてみてもらえますか?」
「わかりました」
考えを変えてそう聞くと、レーナが頷いてそれを伝える。
ここで、病気とは関係ないが、私はひとつの事に気付いた。
バルは今でも「ウォウォ」と理解できない言葉を喋るが、レーナは私にも理解できる共通言語で喋っていたのだ。
つまり、客観的に見て、2人は同じ言語ではない別々の言語で喋っていたが、おそらく魔法の効果なのだろう、2人にとってはその状態で会話が成立しているわけだ。
確かに「ウォウォ」とうめいているレーナはちょっと見たく無いが、同じ言語で喋るのだろうと思い込んでいただけに、そこには若干の衝撃はあった。
「(考え方を変える必要があるかもしれんな……)」
私は魔法を使えるが、あまりそれが好きではなかった。
母と父が人間から見れば、所謂「異端者」に属する者達で、2人が魔法に長けていたという事がその原因のひとつであったが、おそらく最大の原因は、ある事件で魔法を使い、当時友達だった子供達に仲間外れにされてしまった事だろう。
子供の頃に仲間外れにされるというのは割とキツイ事である。
それ以来、私は魔法に対して良いイメージを抱かなくなった。
しかし、こういう使い方で友好の幅を広げられるなら、魔法も捨てたものではないと大人になった私は思う。
「自分が覚えている限り、過去には1度もなかったそうです」
そう思っていると、レーナが言って、バルから答えを伝えてくれた。
これは直接行って診るしかないか。
私は未知の病気を前に、久々の外診を決意した。
翌朝、私は裏口を叩くけたたましい音で目を覚ました。
裸の上に服を着て、眠さを殺して向かってみると、裏口の戸の向こうには顔面蒼白のフェネルが見えた。
まるで壊すような勢いで連続して戸を叩き続けている。
「開けて! 開けてェ! 食われちゃう! 僕、食われちゃう! 助けて! ヘルプ! オープンザドアー! ヘイOK!? オープンザドアー!」
朝もまだ早いというのに何という大声か。
私は少し苛つきながら裏口の戸の鍵を開けた。
「あわばぁあぶぶぶぅうう!」
理解できない奇声を発し、殆ど転がるようにしてフェネルは中へ飛び込んできた。
「せ、先生ヤバイ! 魔物が! スゴイでかい魔物が居る! 倒して! 今すぐ倒してセンセー!」
そして私の足にすがり、裏庭の一画で眠っている「でかい魔物」を指さしたのだ。
「ああ……そうか」
私の反応は微妙だった。
その「でかい魔物」がバルだと知っていた事と、まだ眠気が残っていた事がその反応の原因である。
「ああ……そうか、じゃないですよ! 殺られる前に殺るんです! さ、丁度良い感じにマキ割り用の斧がありますし、あいつがまだ寝ている間に頭をカチ割ってやりなさいな!」
一体どっちが魔物なのか。
私はフェネルの言葉の中に魔物以上の魔物性を感じた。
「どうしたんすか!? ビビってんすか!? もしかしてチキンすか!? チキンなんすかぁ!?」
フェネルがその場に立ち上がり、小憎らしい顔で言葉を続ける。
「そうじゃないなら殺っちゃって下さい! 男を見せてよ! この僕に!」
直後にフェネルは後ろに回り、背中を「ぐいぐい」押してきた。
13才の子供と思えない凄まじい力で背中を押され、私の体はじりじりと裏口から裏庭へと移動して行く。
「ちょっと待て! 落ち着けフェネル!」
「やだ! 絶対落ち着かない! あいつを! 殺るまで! 僕は落ち着かない!」
フェネルは混乱の極みにあるようだ。
確かにサイクロップスを見る機会などないし、慌てるのも無理は無い事である。
「どうしたんですか先生? あれ? 今日は早いねフェネル君」
そこへレーナがやってきた。
朝食を作る為に起きてきたのだろう、その服装と髪型は私と違ってしっかりしていた。
「あ、う、うん。おはよう……ございます……僕、今日は休みだから先生に嫌がらせ……じゃない、宿題を教えてもらおうと思って」
私達の全く動じない態度に少しは落ち着きを取り戻したのか、たどたどしい口調でフェネルが答える。
レーナは「そう、」と軽く相槌を打って私の方に視線を向けた。
「私はバルの朝食の為に、少し買出しをしてきます。彼が起きたら伝えておいてください」
それに気付いた私は言って、きちんとした服に着替える為に家の中へと足を向ける。
「ちょっ、先生! 朝食ってなんですか! バルってなんすか! アレの事っすか!? えっ?! 何!? もしかしてペットか何かなの!?」
フェネルが必死でついて来るが、それには「さぁな」と曖昧に答える。
「さぁな。ってなんすかぁ!? いじめてんすかぁ!? ストレスで僕もう一人おっき出来ない!」
「(おっきって何だおっきって……)」
すると、フェネルがそう言ったので、私は密かに思うのである。
私とフェネルは街へ行き、そして、買い物をして戻ってきた。
フェネルの混乱は治まったようで、いつもと変わらない表情をしている。
私の側にいて魔物を見慣れてきているのかもしれないが、サイクロップスのような見目に恐ろしい魔物に対しても結構なスピードで対応してしまったようだ。
「お前のそのタフさというか、気持ちの切り替えの早さには見習うべきものがあるかもしれんな」
私は前向きにそう言って、フェネルの肩を「ポン」と叩いた。
皮肉する気持ちも多少はあったが、真実、感心している所もあった。
フェネルは「なんの事っすか?」と、疑問に眉を顰めていたが、私はそれを無視するようにして裏庭に続く脇道へ足どりを向けた。
裏庭にはバルが居て、そしてレーナの姿もあった。
私が留守にしている間、何事かを話していたのだろう。私が帰ってきた事に気付き、2人はその会話を止めて私の方へと顔を向けた。
「おかえりなさい先生」
と、迎えてくれたのはレーナだったが、「ただいま」と言うのが気恥ずかしいので、私はその言葉の代わりに「押し付けてしまったようで申し訳ない」と、レーナに向かってそう言った。
レーナは首を横に振り、「そんな事ないですよ」と否定したが、それが本音であるとしても、押し付けてしまった事は事実であるので、最後にもう1度謝って置いた。
「僕、お腹空いたんですけどォ!?」
「あ、ああ、ちょっと待て」
半ば逆ギレ状態で空腹を訴えてきたのはフェネルだった。
なぜ、いきなりキレたのかは不明だが、情緒不安定である事だけは前からわかっていた事なので、それには普通に言葉を返す。
「とりあえず朝食をとる事にしますか。一応牛肉を買ってきましたが、どういう風にすれば良いかバルに聞いてみてもらえますか?」
私はレーナの口を通し、買ってきた3キロの牛肉の調理法をバルに聞いた。
「そのままでいいらしいです」
それがレーナの口を通し、バルから返って来た答えであった。
続けて小さく「ウォ」と言ったのは「むしろ他にどうするのか?」と口走ったのだとレーナに聞いた。
どうやら「肉は生で食う」というのが彼らの世界では常識のようだ。
煮たり、焼いたりした方が美味いと私個人は思うが、そこは食文化の違いというやつだろう。
押し付けるのは嫌なので、私は肉の入った袋を黙ってバルの前へと置いた。
バルが小さく「ウォ」と鳴いて、「ありがとう、と言っています」とレーナの口から通訳された。
「食事が終わったら君の村に出発だ。今のうちに力をつけておいてくれ」
私が言って、レーナを通し、バルの耳へと伝わった。
バルは「わかった」という意味らしい「アァ」という声で私に応えた。
1時間後、私達はサイクロップスのバルが住む村に向かって出発する。
そのメンバーは私とレーナ。
そして案内役のバルと、怖いもの見たさでついてきた命知らずのフェネルだった。
「安全は保障できないぞ」と私は正直に言ったのだが、「サイクロップスっていってもみんなこんなん(バルの事)でしょ?だいじょぶだいじょぶ!」と言い切って私達についてきたのであった。
……おそらくレーナが居なければ、私とフェネルはその「こんなん」に捕まって食われてしまっていた事だろう。
この時点では分からなかったが、今回の依頼は実際はそれ程に危険度が高いものだったのである。
私達がバルの村へついたのは、出発から4日後の事であった。
バルの村は人里離れた深い森の中にあり、その周囲は険しい谷や高い山に囲まれていた。
私達が4日でたどり着けたのは、バルの先導と協力があった事に他ならず、普通の人間がここまで来るには、少なくともその2倍に値する8日は必要だったと思う。
「あーあ。なんかもうバテバテっすね。家の中にばっか篭ってるからそういう事になるんですよ」
私とレーナの疲れた表情を見て、そう言い放ったのはフェネルだった。
奴も歩いていてそういう発言ができるのならば、私に反論の余地はない。
しかし、フェネルは1日目でバテて、バルの肩に乗せてもらっていた。
それ以来移動の際は乗りっぱなしで、実質一歩も歩いておらず、私達の頭上から罵声を浴びせ続けているのだ。
「あの子、殴っても良いですか?」
と、レーナが笑顔で言い出したので私は一応止めておいたが、この先も罵声が続くようなら次は止める自信が無かった。
それからさして時間がかからずバルの村に着いたのは、フェネルにとって幸運だった。
レーナに殴られずに済んだからである。
高い山の麓に広がる20ほどの縦穴洞窟。
それがバルが住んでいるサイクロップス達の村だった。
洞窟の高さは5㍍から10㍍程度と様々で、そのどれもが私達にはとてつもなく大きなものであった。
一番右手の洞窟から左手までの洞窟は直線で400㍍程度の距離で、その間に20ほどの大小様々な洞窟が見えた。
そして、私達が立つ正面。
おそらくは村の中心では、丸太で囲われた柵の中に100頭程の牛が飼育されていた。
「原始的……」
それを目にしたフェネルが呟く。
もしも隣にいたのなら、私はフェネルを小突いていたが、あいにく奴は私の頭上。
手を出す事はかなわないのでとりあえず顔をしかめておいた。
バルが人間の言葉を理解できないのは、この際は幸いだったといえる。
「ウォッ」
バルが鳴いて、「長の家に案内する、と言っています」というレーナの通訳が伝えられた。
バルを先頭に私達は柵を大きく迂回して長の家へと向かい始めた。
洞窟から出てきたサイクロップス達がこちらの様子を見ていたが、一応の話が通っているのか、襲ってくるという気配は無かった。
「(生きた心地がしないとはおそらくこういう事なのだろうな……)」
「どうもどうも」等と言って、手を振っているフェネルと違い、私は今の状況に一抹の不安を覚えていた。
おそらくバルが前もって「医者を連れてくる」と言っているから彼らは襲ってこないのだろうが、もしも、誰かが暴走し、私達に襲い掛かってきたとしたら、果たして他のサイクロップス達が止める役に回るだろうか。
待ってましたと尻馬に乗り、同じように襲い掛かってくるのではないか。
なぜなら私達(私とレーナは少し違うが)人間は、彼らと親しい存在ではなく、襲い、討伐するという殺伐とした関係なのだ。
彼らにとっては本来は敵であり、同時に食料でしかないのである。
私はそれらの事を思い、彼らを悩ませている病気を解決できなかった時の事を考え、レーナとフェネルを連れてきた事を今更ながらに後悔していた。
「ウォ」
「ここが長の家だそうです」
村の入り口から歩くこと数分。
私達はバルの村の長の家にたどりつく。
それは木材や石で作った建造物という意味の家では無く、山の麓を削って作ったただの大きな洞窟だった。
部族の長の証なのか、その洞窟は他のものより若干巨大なようだった。
バルを先頭に中に入ると、そこには部族の長らしきサイクロップスと、その妻らしきサイクロップスが居た。
サイクロップスにメスが居た事に私は少し驚いたが、部族の長らしきサイクロップスが人間の頭蓋骨をグラスのようにし、何かを飲んでいた事でその驚きは掻き消えていた。
完全に信用しろというのは少々キツイ光景である。
部族の長らしきサイクロップスはバルより体が一回り大きく、その肌の色もバルとは違って燃えるような赤色だった。
長は獣の毛皮の上に胡坐をかいて座っており、その背後には数多くの人骨や獣の骨が転がっていた。
そんな長が本当は「温厚で、話し合いを愛する性格」では無いと言う事はそれらを見れば明らかで、これから話す内容の返事ひとつで、私達の運命が変わってしまう事も火を見るよりも明らかだった。
「ウオォ」
バルがフェネルを下ろした上で、その場に座って土下座する。
その行為を土下座だと理解しているかどうかは置いて、その行為こそが目上の者に対する礼儀なのだと私は感じた。
「アァァ」
バルとは違う野太い声でサイクロップスの長が鳴いた。
「(ご苦労だった、と言っているようです)」
と、レーナに教えてもらわなければ、私はそれを言葉と思わず、飲み物を飲み終えた時などに出るゲップのようなものだと思っただろう。
「(先生! ちょっと! 先生ってば!)」
声を顰めて私を呼ぶのは、バルの脇に居るフェネルだった。
私とレーナが立つ位置からフェネルまでの距離はおよそ5歩。
その僅かの距離を歩かず、声を潜めてわめく理由は、そこで動いてしまう事で長の注意が自分に向かい、何かを言われてしまう事を恐れている為だと考えられる。
「(あれって人の骨ですよね!? なんであんなに転がってんすか!? こいつらまさか人間食うの!? ねぇ! ちょっと! 先生って!)」
小声ではあったが唾は飛び、目が飛び出さんばかりの勢いでフェネルは私に質問している。
「何を今更……」と言ってやろうかと思ったが、ここで騒動を起こされては嫌なので、「あれは獣の骨だ」と、気休めの嘘をついておいた。
「(獣の骨ェ!? 嘘だ! そんなの絶対嘘だ! アンタ達は僕が食われている間にここから逃げようと思ってるんだ! だからそんな嘘をついて安心させようとしてるんだろう!? アンタは魔物だ! 人間じゃない!)」
実際、半分は魔物であり、人間でも無い私であったが、フェネルが口にしたような事を企んでいるつもりは一切無かった。
ただ、やはりここで騒がれて、長の気分を害すような事をされては真剣に命が危なくなるかもしれない。
それが嫌なので落ち着かせようと嘘をついただけなのだ。
「本当に、お前というやつは……」
やむを得ずに私は歩き、フェネルの横に並んで立った。
「どうだ、これで納得したか。お前を置いて逃げよう等と私は最初から考えてはいない」
この言葉と行為によって、フェネルはその考えを変え、おとなしくなると私は思った。
が、フェネルはおとなしくはなったが、考えを変えてはいなかった。
「嘘だ。見破られたからそうしただけだ」
と、汚いものを見るような目で私に向かって吐き捨てたのだ。
まあ、おとなしくなりさえすればいいさ。
私はそう考えて、敢えて言い訳はしなかった。
「アオォ」
「アァァ」
バルと長が鳴きながら、私の方へ顔を向けた。
どうやら会話の矛先がこちらに変わったようである。
「オォォ」
バルが私を指さして、そのままで何事かを長に伝える。
それからフェネル、レーナを指さし、同じような鳴き声で何かを言った。
随分短い言葉(鳴き声にしか聞こえないが)だが、それで全てが伝わるのなら人間が使う言葉より或いは優れているのでは無いか。
私がそんな事を思っていると、サイクロップスの長が唐突に頭蓋骨を置いて立ち上がった。
「オアァア」
と、長が鳴いた時、隣に立っていたフェネルが飛び上がり、涙目で口を全開にして「ガクガク」と体を震わせ始めた。
多分「食われる!?」と思ったのだろう。
こいつは普段生意気なくせに、ビビると一気に子供に戻る。
それが正常な姿なのだが、普段の言動を知っている私としてはなんとなく、「なんだかな……」と、感じざるを得なかった。
「えっと、その、ついてこい、といっているようです……」
遠慮がちにレーナが通訳し、長の言動の理由が分かる。
「うう……こえぇ……こぇぇよう……食われるかと思ったよ……うわぁあああああ~!!」
フェネルはただ、泣きながら、両手で涙を拭いつつ私達の後ろについてくるだけだった。
サイクロップスの長についていった私達は、とある洞窟に案内された。
そこは長の家より大きく、奥行きの深い洞窟だった。
洞窟の中には6人(匹?)のサイクロップスの姿があった。
しかし、そのサイクロップス達はそこで生活しているわけでも、何か用があってそこに来ているという者でもなかった。
彼ら、彼女らは鎖に繋がれ、洞窟の奥深い場所で四肢を拘束されていたのだ。
皆、目を血走らせて口からは白い泡を吹いている。
「カニのマネ?」
と、フェネルが言ったが、突っ込むのはもう面倒臭かった。
サイクロップス達は皆牙を剥き、「グォグォ」と苦しげに呻いてもいた。
そして、腕の痛みに構わず、私達に襲いかかる為に鎖を引きちぎろうとしていたのである。
……どうやらこれが彼らを悩ませている謎の病気の症状なのだ。
長やバルに教えられずとも、私はさすがにそれを理解した。
私とレーナ、そしてフェネルの命をかけた戦いがこの瞬間から始まった。
私達は洞窟のひとつを長から与えられ、そこを病気の研究と解明の拠点にさせてもらっていた。
長やバルから教えてもらった未知の病気の情報は2つのみ。
1つはその未知の病気が、部族の間に広まり始めたのは、今より三ヶ月程前だという事。
そしてもう1つ。
その病気にかかってしまうと一週間程で死に至ってしまうという事だった。
はっきり言ってこれだけでは情報が少なすぎである。
私は多くの情報を得る為、彼らの家を訪ねて回った。
彼らは協力的では無いが、私が質問する事を完全に無視する事は無かった。
その背景にはおそらくは長の命令があったのだろうが、彼らも未知の病気を恐れ、私がそれを解決するなら協力してやっても良い、という妥協も少しはあったのだと思う。
おかげで、内容はバラバラだが、ここ数ヶ月の間にあった様々な事を聞く事が出来た。
がけ崩れが起きただの、人間の冒険者に襲われただの、野牛を捕獲してきただのと、他愛の無いものが多かったが、この沢山の情報の中に必ず今の状況を作った原因が隠れていると思われた。
それらを書き込んだメモを広げ、丸太の上で考える。
「ウンウンウンウン唸ってないで、とりあえずスパッと切っちゃいましょうよ。そしたらどこかおかしい所とか、すぐに丸分かりになるんじゃないっすか?」
拾ってきた石を使って洞窟の中に絵を描いていたフェネルが私に向かって言った。
ひと言言わせてもらえるのなら、私は「ウンウン」唸って無いし、「とりあえずスパッと」切るつもりもなかった。
例えば切って見るにしても「ここだ」という確証が無い現状で、一体どこを切るというのか。
狂い始めるというのだから多分頭だろうと言って、頭を切って開いてみてから「ここじゃなかったですぅ♡」では許されない。
そこの時点で彼らは怒髪天で、当然私達の命も危うい。
それに、他の医者がどうかは知らないが、私としては手術の前にきちんとした確証を持つという事は絶対に譲れない一線だった。
「無視っすか! 露骨に無視っすか! 助手の意見は無視っすか!」
私が黙っている事を「無視している」と受け取ったのか、フェネルが絵を描く手を止めて私の方へと近寄ってきた。
「ていうか先生。僕、考えたんですけどね、こんな依頼ブッチしちゃって夜中にここから逃げちゃいましょうよ。あんな人食い部族なんか病気で絶滅が世の為ですって」
フェネルの意見は辛辣だった。
確かに万人に好かれるような友好的な部族ではないだろう。
私とて彼らサイクロップスが絶対の「善」だとは思わないが、同じように絶対の「悪」であるとも思えない。
私達が牛や豚を殺して食べてしまうように、彼らサイクロップスは人間を殺して食べるだけで、食物連鎖に善悪を当てはめる事は非常に難しい。
人間を食べるからといって、絶滅して良い種族だというのは人間の勝手な意見に過ぎない。
私は、半分は人間だが人間だけの味方ではない。
半分は魔物である為に、魔物の味方でもありたいのである。
だから、例え人食い部族だろうが、困っているというのなら見捨てる事は出来なかった。
「……なんか乗り気じゃなさそうですね。まぁいいや。どうせ治療できないだろうし。とりあえず御飯でも食べましょうよ」
当然の事だがこの場には私達が持ってきた食料は無い。
つまり、フェネルは間接的に「どこかで食料を調達してこい」と、私に命令したわけである。
私は一応医術の師であり、年齢に於いてもフェネルと比べてかなりの年長者であるはずだった。
しかし、フェネルはそれに構わず、そうするのが当たり前のような口調で私に命令したのである。
「(恐ろしい子供だ……)」
と思いながら、私は丸太の上からおりた。
ここで私が怒らないからフェネルが調子に乗るのだが、過去に叱れていたのなら今の状況は無いわけで、つまり私が全体的に甲斐性なしという事なのだ。
何事も最初が肝心とは良く言ったものである。
言葉に出さず反省しながら、私は洞窟の出口に向かった。
出口から見える空の色は、もうまっ黒に染まっており、時間は既に昼と夕方を過ぎ、夜になっていた事が判明した。
「あれっ? どうしたんですか先生? 夜のお散歩か何かですか?」
と、前方の薄暗い闇の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
そして、僅か1秒後に声の主のレーナが現れた。
レーナはしばらく前までは洞窟の中に居たのだが、「ちょっとバルさんの所に行ってきます」と私とフェネルに言い残し、洞窟の外に出ていたのだ。
どうやらレーナはその両手に何かを持っているようだったが、袋に包まれたそれが何かは現時点では分からなかった。
「いや、晩御飯を食わせろとフェネルが騒ぎ始めまして、何か食べものを貰う為に外出しようかと思っていた所です」
「あ、だったら危ない所でしたね。これ、バルさんが食べてくれってわたしに持たせてくれたんです」
レーナが言って何かを見せる。
それはどうやら袋のようで、中にはおよそ5キロ位のぶった切りの牛肉が詰められていた。
数日前、私がバルの為に買ってきた牛肉は3キロだった。
それでも私は重いと感じ、それを右手や左手に交互に移しながら持ち帰ったのだが、レーナはそれを細腕で、余裕で抱えてきていた事に少々の驚きを禁じえなかった。
「お、重いでしょう? 持ちますよ」
一応言うと、レーナは迷い、その上で「すみません」とそれを渡した。
「優しいんですね先生」
と、言いはしたが、体のどこにも汗は無く、まるで疲れて居ない様に私は流石にこう思うのだ。
「(もしかして物凄く力強い子なのでは……出しゃばって余計な事をしただけなのでは……!?)」
と。
5キロの生肉の調理法は、フェネルとレーナの意見により「バーベキュー」という事になった。
幸いにも塩や胡椒と言う調味料は道中の村で仕入れたし、キノコや野菜は森の中に唸るほどに生えていた。
野外で行うバーベキューパーティー。
この特殊な状況に私のテンションはいつもより少し高くなっていたのだろう。
三人でゲームをし、私が負けて罰ゲームを受けることになってしまった。
そして、いつもなら絶対に食べなかったと思う、フェネルが採って来た謎のキノコを食べてしまい、その後の意識を次の日の昼まで失ってしまう事になるのである。
喉の渇きに吐き気に頭痛。
目を覚ました時にはそんなモノを感じた。
「先生ってホンットバカですよね。マジで食べるなんてありえませんよ」
これは、おそらくフェネルの発言で、直後に何か「スパン!」という乾いた音が聞こえたが、視界がぼやけてよく見えない為に、何があったのかはわからなかった。
ただ悪態をついていたフェネルが180度意見を変えて、
「ごめんなさい先生。僕がクズでした……」
と、素直に謝ってきたからにはきっと「何か」があったのだろう。
「目が覚めたばかりですみません。つい先程の事なんですが、部族の若いサイクロップスが発症してしまったらしいんです。先生には例の洞窟にすぐ来て欲しいという事なんですが……」
「わかりました……すぐに行きましょう。できればその前に水を一杯いただけると非常にありがたいのですが……」
レーナにすぐにそう答え、私はその場に立ち上がった。
やはりは毒気が残っているのか、倒れそうになってふらついてしまう。
が、レーナが寄り添って支えてくれたのでなんとか持ちこたえる事が出来た。
「ああ、すみません……貴女には……」
ふと気付けば、レーナの頭が私の顎の下にあった。
なんだか良い匂いがし、私の頭が真っ白になる。
一体何を言おうとしたのか、それすらも直後には忘れていた。
「大丈夫ですか先生……?」
と、レーナが私の顔を見上げた。
「うっ……」
目が合い、全身が硬直して行く。
「あ、その……」
レーナの方はどうだったのか、しかし、俗に言う「見つめ合う」という状態で、私達は数秒を無言で過ごした。
「なにやってるんですかあんたたちは」
その様子を見ていたフェネルが呆れた口調で言わなければどうなっていたかは分からない。
私達は慌てて離れ、レーナは水を取ってくる為に、洞窟の奥へと走って行った。
「惚れたんでしょ? ねぇ、ちょっと? レーナさんにもう惚れたんでしょぉ~?」
私の顔色を伺いながらニヤつき顔のフェネルが言った。
私は首を横に振り、「バカな事を……!」と否定したが、
「かー! こりゃ駄目だ! もう惚れてるわ! 全く先生も懲りないにゃぁ~。こないだ失恋したばっかりなのに……」
と、フェネルに全く聞く耳は無し。
言われてばかりで悔しい私は、「懲りない」という単語に対し、今までの人生で三度しか惚れた事はないという事をフェネルに告げた。
「その内の1度はレーナさんでしょ?」
私はそれを考える為、ほんの一瞬、沈黙した。
そして、確かにその1度にレーナが入っている事に気が付く。
「ほらぁ! もう数に入れてるじゃないですか! 発情期のサルじゃあるまいし、よくもまぁ次から次へと……」
お前は師をサル扱いするのか! と、私はフェネルを叱ろうとしたが、そこでレーナが戻ってきた為に、強制的にこの話は中断される事となった。
私自身、レーナに惹かれ、好きになっているのかどうかは分からなかった。
ただ、レーナが我が家に来た頃に感じた「迷惑」だという感情が、今はなくなっている事だけは確かだと実感したのである。
洞窟の中が騒がしかった。
先程発症したばかりという若者を鎖に繋ごうとして奮闘しているらしい。
その若者の体格は、彼を取り押さえようとしている者達よりも屈強で、3人がかりにも関わらず、取り押さえようとしている方がどうやら苦戦をしているようだった。
洞窟の中にはその3人と、3人が取り押さえようとしている若者。
そして、以前から捕らわれていた6人と部族の長の姿があった。
長は作業を手伝う事無く、両手を組んで眺めていたが、私達がやってきた事に気がつくとその場にどっかと座り込んだ。
「ウガ」
「昨日までは正常だった」
長が言ってレーナが訳す。
目前の若者が昨日までは正常であり、病気にかかった症状が見られなかった事を言っているらしい。
「アァァ、ウオォ」
続けて言った長のそれは「このままでは我々は全滅だ。一刻も早い解決を頼む」と、言っているのだと通訳された。
「ウガアアアアオォゥウ!!!」
と、その時。
若者が突然、拘束の輪を抜けだして私達の元へと突進してきた。
「なっ……」
その事に私が気付いた時には若者はすでに目の前におり、巨木のような右腕を私とフェネルの前で振り上げた。
「キャアアアア!! あっけなく死んだー!!」
自身の死を察し、フェネルが叫ぶ。
若者の巨腕が振り下ろされたのは、その直後の事だった。
「くっ……!?」
私は悲鳴こそあげなかったがフェネルと同様死を覚悟した。
その瞬間、私の背後から何者かが走り抜けて「ふわり」と舞い上がる。
それはなんとレーナだった。
レーナは宙に舞い上がり、その場で体を「ぐい」とひねった。
そしてその反動を利用して、若者の左こめかみに強烈な蹴りを叩き込んだのである。
余程にその蹴りが強烈だったのか、若者はたまらず吹き飛んで、洞窟の壁に叩き付けられ泡を吹いて気絶した。
レーナが華麗に着地した時、私は呆然としながらとある事を思い出していた。
華奢で可憐な印象のレーナ。
しかし彼女はただの娘ではなく、ヴァンパイアと人間の間に生まれた「ダンピール」だったという事を。
ダンピールはヴァンパイアと、人間の間に生まれる子供で、彼らは大抵親のヴァンパイアより強い力を持つようになる。
なぜなら、ヴァンパイアが持っている能力を殆ど継承する上に、人間の血の恩恵として、ヴァインパイアの数少ない弱点である、太陽の光を克服できるのだ。
最高のヴァンパイアハンターになれる者として有名だという側面もある。
つまり、考えたこともなかったが、レーナはそのダンピールであり、私よりも遥かに強かったのである。
「(本当に物凄く強い子だったか……)」
死を覚悟した為だったのか、それともレーナの意外な強さを見た為か、私は額ににじんでいた汗を右手の指の先で拭った。
「あ、ありがとうございましたレーナ先生!」
と、態度を豹変させたのは強いものにはとことん弱い世渡り上手のフェネルだった。
「いやー実にお見事! さすが! さすがです!」
と、拍手をしながらおだてる様は年長者の私ですら、どうにもおっさん臭いと思った。
「大丈夫でしたか先生?」
当のレーナはフェネルを無視し、私にそう聞いてきた。
「ええ、私は大丈夫です。貴女のお陰で助かりました」
「そうですか……良かった……」
私の返答を聞いたレーナが、笑顔で胸をなでおろした。
その様子を見た私は、心臓の高鳴りを感じるのである。
「(いかん! 私は何を考えている!)」
直後には慌てて首を振った。
ある女性への想いに対する裏切り行為だと感じたからだ。
人によってはその考えはバカらしいと感じるものかもしれない。
だが、私は想いを変えず、その女性を好きで居る事でずっと覚えていたかったのだ。
「アオォ」
サイクロップスの長が鳴き、若者を取り逃してしまったサイクロップス達が気絶した若者の捕獲に走る。
その後に若者は鎖に繋がれて、他の6人と同じように壁に拘束される事となった。
「オォゥ……」
そこへ若者の家族なのか、1人のメスサイクロップス(と、呼んでいいのか)と、私と同じ程度の身長の子供サイクロップスがやってきた。
鎖に繋がれて気絶している若者を見て悲しむ様は人間と変わらない。
家族ならばこの若者がなぜこうなったのかがわかるかもしれない。
私はレーナの口を通し、若者の家族らしきサイクロップスにその事について質問してみた。
昨日までは普通だった。
夜中に起きた時には姿が見えず、つい先程行方を知った。
それがメスサイクロップスから私に返されてきた言葉であった。
はっきり言ってそれだけでは何の参考にもなりはしない。
しつこいかとも思ったが、何か気付いた事は無かったかと念を押して聞いて貰った。
メスサイクロップスはしばし考え、そして思い当たる事が何も無かったのか、私にも分かるよう首を振った。
私は正直戸惑っていた。
今まで、治療にあたる時はある程度だが原因を予測する事ができていた。
だが、今回のケースではそれが全くできていない。
缶詰の蓋を開けるどころか、蓋を開けてみる為の缶切りがどこにあるのかさえわからないという状況だ。
今回は無理かもしれない。
そういう気持ちが私の心の中に生まれた。
フェネルが軽く言ったように、「スパッと切って」開いて見てみれば或いは糸口が掴めるかもしれない。
だが、確証も無く切る事は、ポリシーがどうこう言う前に正直な所、怖かった。
適当な所を切って開いて、そこに何も無かった時に、また別の所を切って開くという事がとてつもなく怖かったのだ。
される方も勿論たまったものではあるまい。
その時、サイクロップスの子供がメスサイクロップスの腕を突付いた。
サイクロップスの子供は母親(だと思うが)に何かを言っているようだったが、母親は「そんな事は関係ない」と、相手にしていない様子に見える。
それが少し気になったのでレーナに話を聞いてもらった。
子供はさすがに大人ほど野太くは無い、可愛らしい声で「アーアー」と言い、レーナに自分の話を聞かせた。
「あの子のお父さん、つまりあのサイクロップスは昨日の晩御飯の時に牛の内臓を食べたらしいんです。内蔵を食べるという事自体は普通の事らしいんですが、「臭い」とか「腐ってるんじゃないか」とか、文句を言いながら食べていたとか。ちなみにあの子もお母さんもその牛の内臓は食べていないそうです」
この時、私はやっとの事で解決の糸口を掴んだ気がした。
水や空気は調べ終わった。
だが、私は食べ物は調べようとも思わなかった。
いや、正確に言うのなら彼らがその日食べる牛を調べる事をしていなかったのだ。
おそらくこの病気の原因は彼らが主食とする牛にある。
まだ仮説であるそれを真実に変える為、私は若者と家族が昨晩食べた牛を調べてみる事にした。
牛を調べた結果。
サイクロップスの村を脅かした病気の正体は寄生虫だったということが判明した。
牛の内臓に居る寄生虫が、「生」で食す事により彼らの体内に入り込み、毛細血管を伝って脳に侵入。
彼らの脳を食い荒らし、精神の異常を引き起こしていたのだ。
この寄生虫は実に微細で、また数も多いようだ。
その為、現時点でこの病気にかかっている者を助ける事は不可能だった。
だが、その原因が食料である牛にあるのだと分かった事で、今後病気にかかるものはおそらく居なくなる事だろう。
なぜ過去に無かった病気が今になって発生したのか。
それは「捕獲してきた野牛」に関わりがあると考えられる。
これは私の予想だが、彼らが捕獲してきた野牛は元から寄生虫をもっていたか、或いは誰かに捨てられた寄生虫持ちの牛であり、それを知らずに持ち帰り、食べてしまった事により彼らは病気になってしまったのではないか。
これからは牛を食べては駄目か?
と、サイクロップスの1人が言った。
駄目というわけではないが、内臓だけは生では食べるな。
と、私は彼らに警告をした。
彼らは残念そうに呻き、中には膝を折る者も居たが、命を守る為とあらば仕方なしに従うだろう。
少し気の毒に思った私は内臓を安全に食べられる調理法を彼らに教えた。
それは即ち焼く事である。
寄生虫は熱に弱く、火を通せばすぐに死滅してしまうことがわかっていた。
なので「そこに寄生虫が居た事」が気にならないというのなら、問題なく食べられるというわけなのだ。
調理法を聞いた彼らは歓喜の声でおたけびをあげた。
そして「人間サイコー!」と私を胴上げしたのである。
もしも君が道に迷い、肉を焼いて食べているサイクロップスの村を見つけたら友好的に接して欲しい。
彼らは一般的とは違う人間に寛容なサイクロップス達で、君が無礼を働かなければきっと歓迎してくれるはずだ。
今、私の自宅の裏には5頭の牛がつながれている。
これは後日バルがもってきた今回の依頼の報酬である。
例えばこれを食べるにしても、処理やら面倒やらを見るのが大変そうなので私はまずは断った。
だが、バルが部族の長に叱られてしまうとゴネたので仕方なくそれを受け取ったのだ。
彼らは肉を焼いて食べるという調理法を存外気に入ったらしい。
旅人の前に姿を現し、金貨を見せて調味料と交換してもらっている者までも出てきたという話だから相当の熱の入れようである。
バルは最後に「舌がうまい」と、自分の舌を見せて帰って行った。
味の分かる奴だな、と、私は変に感心した。
牛タンは私も好物なのだ。
私は今、裏庭から響く牛の鳴き声を耳にしつつ、レーナから魔法を教わっている。
勿論教えてもらっているのは便利な「会話」の魔法である。
レーナが言ってくれる分には私は筋が良いそうだ。
最初、レーナが我が家に来た頃、私は彼女を避けるように家を留守にして外出していた。
それが今はどうだろう。
レーナと共に過ごす時間は日を追うごとに増えている。
私は自身で自覚していた。
レーナという女性に惹かれ始め、彼女に恋をしようとしている事を。
それがどういう結果となるのか、今の私にはわからないが、レーナを好きになっていく気持ちを抑える事が無理だという事は、今の私にも分かっていた。
お付き合いありがとうございました!