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古き友からの依頼 後編

 途方に暮れていた。

 立ち尽くしていた。

 玄関前で馬車から下ろされ、女性が去ってしまったからだ。


 屋敷というよりは城に近い建物に明かりは灯っておらず、円状の道の中心にある噴水の機能も停止していた。


「やっぱ先生騙されたんじゃ……」


 不安そうにフェネルが言って、私の顔を横から見上げた。

 普段であればニヤつきながら、私を馬鹿にするような言葉を吐いていたのだろうが、帰り道が分からない遠い所に居る事が、フェネルを若干弱気にしているようだ。


「さぁ、どうだかわからんな。或いは見事に騙されて置き去りにされてしまったのかもな?」


 丁度良い機会だと思い、復讐の為にもからかってみる。


「ちょっ、冗談はやめてくださいよ! こんな所に置き去りにされたら僕達獣の餌ですよ!」


 フェネルはそれに露骨にビビリ、顔色を変えてそう言ってきた。


「お前なんかは若いから、真っ先に獣に狙われるだろうな。私も多分弱っているから守る事は出来なさそうだ。先にすまんと謝っておくよ」

「何諦めてんですかぁ!? まだ騙されたって決まったわけじゃないでしょうが! もっと友達を信用しましょうよ!」

「いやぁ、私も信用したいが、こんな所に人が居るとはさすがに考えにくいじゃないか。悲しいがこれはやはり……」


 私としてはもう少し、フェネルに逆襲したかったのだが、そこまで言葉を発した時に場の状況に変化が現れた。

 建物の内部に明かりが灯り、玄関が「ぎぃ」と開かれたのだ。


「いらっしゃいませ。イアン先生」


 そして、現れた一人の女性が、にこりと笑って礼を示した。

 その礼はスカートの裾を持って、その場で少し膝を曲げてかがむという、優雅で古典的な礼だった。


 女性の年齢は20未満で、身長は160㌢程度だろうか。

 髪の毛の色は金色で、長く、やや、巻き毛気味の髪を背中でまとめて下ろしていた。


 服装は首の部分が露出している赤いドレスに黒い靴。

 露出している首部分には、金の首飾りをつけており、両腕には靴と同じ色の黒いリングをつけていた。

 少々派手だが顔立ちの良い、美しく、凛とした女性である。


「どうぞこちらへ。ラルフの元へご案内します」


 私達の返事を待たず、女性が第二の言葉を発した。

 お礼なり、お願いの言葉なり、女性に何かを言うべきだったが、私達は少々困惑しており、何も言う事はできなかった。

 その様子がおかしかったのか、女性は「くすり」と微笑んだ後、くるりと回って背中を向けて建物の中へと消えていった。


「ど、どうするんですか? もしかしたら罠かもしれないですよ?」


 女性が消えての第一声はフェネルが発したそれだった。


「友達を信用しろと言ったのは確かその口だったと思うが……」

「知らない女を信用しろとは僕言ってませんもん!」

「ならばここで待ってるんだな。無礼を詫びねばならないし、私は彼女の後を追うよ」


 言って、私が歩き出すと、


「あっ! いやだ! 待ってくださいよ! 僕も行きます! 行きますって!」


 結局フェネルはそう言って、私についてくるのであった。


「先生が罠にかかったらそれを見てから逃げればいいし」


 と、言葉に出す必要は無い、汚い考えをつぶやきながら。




 建物の中には何も無かった。

 螺旋階段が一つあり、そこの始点となる場所に女性が立って待っていたが、生活空間となる場所や、家具等は一切見当たらなかった。


 女性の後ろの階段は赤茶けた鉄で作られており、手すりと共に上階に回転しながら伸びていた。

 しかし、それは二階では止まらず、そこを無視するようにして上の階へと伸びており、私としてはそこが不思議で、見た瞬間には顔を顰めた。


「天国への階段」


 ボソリと言ったのはフェネルである。

 おそらく建物の造りに戸惑い、「はてなマーク」で脳の中が一杯になってしまった結果、こぼれてしまった言葉なのだと思う。

 私には付き合いでそれが分かったが、フェネルをよく知らない女性は「何この子……」という、いぶかしげな目でフェネルの事をじっと見ていた。


「(この子は私の患者なのです。時折おかしな言動を見せますが、どうか温

かい目で見守ってやってください)」


 このままではマズイ、と、思った私が、フォローの為に小声で伝える。

 聞いた女性は「道理で……」と納得し、


「患者からひと時も離れないイアン先生は立派です」


 と、真剣な顔で私を見つめ、褒め言葉まで贈ってくれた。


「あ、いや……それよりその、先程はろくな言葉も返せず、貴女には失礼な事をしました。少々困惑はしていましたが、無視したわけでは無いのです。どうか無礼を許してください」


 褒められた事が照れくさく、かつ、後ろめたくもあった私は、追ってきた目的の一つであった謝罪の言葉を言う事で、その誤魔化しとしたのである。


「そんな事、気にしないでください。こんな建物から人が出てきたら私だってびっくりしますし」


 女性はそこまでを微笑んで、私に聞かせるように話し、それからすぐに「はっ」として、


「あ、わたし、レーナと言います。よろしくお願いいたします」


 と、自身の紹介をした後に再び礼を示したのだった。


「こ、こちらこそよろしく。私はイアン・フォードレイドです。友人のラルフに招待されてここまでのこのことやってきました」


 言った直後に私は気付いた。

 そういえば名前は知っていたし、私が招待されている事もレーナは当然知っているな、と。

 自分の事ではあるのだが、美人を前にして戸惑ってしまう癖は本当に何とかしたいと思う。


「それはよく存じています。イアン先生に会える事を父はとても楽しみにしています」


 幸いレーナは微笑んでくれ、それに救われた私も笑った。

 しかし、私は笑いながら「待てよ」と、首をかしげてもいた。

 父、とは一体誰の事か、それがわからなかったからだ。


「あー、失礼ですが貴女の父とは……?」


 笑顔を持続させたまま、私は思い切ってレーナに聞いた。

 レーナは少し驚いて、大きな瞳を瞬かせた後、


「えっ……わたしの父はラルフですが……そういった話は一回も……?」


 と、私の目を見つめたままで、返答と質問をしてきたのだった。

 ラルフに娘が居る事を私はここで初めて知った。

 聞かれなかったから答えなかった、と、ラルフはきっと答えるだろうが、ラルフの事を同年代と勝手に思い込んでいただけに、娘が居る年齢だったという、この衝撃は大きかった。


「(下手をしたら私は友人ではなく、彼の息子のようなものだな。会うなり説教されなければいいが……)」


 私は思い、苦笑いした。

 そして、隠していたわけではない、ある重要な事に気付く。

 そう、私は人間では無く、見た目は殆ど年を取っていない。

 長年の付き合いをしてきたにも関わらず、20代前半の姿をしているという事は、相手から見れば異常な事である。


 ラルフに「君は人間か?」と聞かれていたら答えていたが、そういう機会に恵まれないままここに至ってしまった為に、ラルフはその事を全く知らず、向こうの方でも私の事を同年代の中年だと思っているかもしれないわけだ。


 私が人間ではないと知り、外見的に年を取っていない事を知れば、ラルフはどういう顔をするか(といっても見た事はないが)。

 私は少し不安になって、何気なくフェネルの顔を見た。


「もういい、眠い。罠とかどうでもいいから寝たい。先生、ベッドまでおんぶして」


 私は大きく息を吐いた。

 ここで「大丈夫ですよ」と気のきいた一言でも言うのが、自称でも助手の仕事だろうに、事もあろうに一方的に自分の要求を通してきたのだ。


 レーナがここに居なかったなら「知るか! そこで寝てろ!」と、放り出していたかもしれないが、嘘でも患者と言った手前、放置する事も出来ないだろう。


「分かったよ。ほら、早く乗れ」


 故に、私はフェネルの要求をやむなく受け入れるハメになり、背中を向けて屈みこみ、フェネルがそこに乗るのを待った。


「親父臭いけどまぁいいか。寝室についたら起こしてくださいね。僕、寝る前には歯磨きするいい子だから」

「わかったわかった。さっさと寝てしまえ」

「あーほんと。何もいい事が無い一日だった……」


 最後に厳しい一言を吐き、それからフェネルは静かになった。

 本当に寝たのかは分からないが、少なくとも寝る態勢に入った事は確かであろう。


「それではご案内致します。父は三階にある食堂で先生が来られるのを待っています」

「すみませんがお願いします」


 私の言葉を聞いた後に、レーナが階段を上り始めた。

 鉄で作られた階段の為、階段を一段上る度に「カン、カン」という音があたりに響く。


「しかし……」


 奇妙な造りの建物ですね。

 と、話しかけようとして口を閉じる。

 ここが自分の家なら良いが、他人が生活している家にケチをつけてはならないと言葉の途中で気付いたからだ。


「ヘンな造りの建物ですよね」


 が、私が言いかけてしまった事を続けて言ったのはレーナであった。


「あ、いや……!」


 と、慌てて言うも、レーナは「良いんです」とまずは一言。


「わたしもずっと思ってましたから。昔は城塞だったとかで、いらないものがたくさんあるんです。三階からしか行けない部屋とか、弓を撃つための小部屋とか、罠とか武器とかがホントにたくさん。こんな所に住まなくても、もっといい所がたくさんあるって母も父に言ってるんですけどね」

「母……という事は、ラルフはすでに結婚を?」


 それから続けた言葉の中に、疑問を見つけて質問してみる。


「(それはそうだな……バカな事を聞いた……)」


 が、すぐにも間抜けな質問だったと気付き、片目を瞑って後悔をする。

 子供が存在している以上、その創造主は普通に存在し、そして更に普通に考えるなら、子供を作るような仲ならば、結婚していて当然なのだ。


 少し考えれば分かる事を私はなぜ質問したのか。

 それはおそらく長年培ってきた「手紙の中のラルフ像」が、私の中では結婚をしていなかったからで、想像と違う現実を私がまだ完全に受け入れていなかったからだと考えられた。


「20年前に結婚したとか。先生と出会う少し前に一緒になったと話してました」


 そんな中でレーナが答え、聞いた私が微笑する。

 直後にはそのまま小さく息を吐き、ラルフに対する呆れを感じた。

 理由は一つ。

 聞かなかった自分も凄いが、20年間秘密にしていたラルフも相当に凄いと思ったからだ。


「どうかしましたか? イアン先生?」


 私の微笑に気がついたのか、先を行っていたレーナが止まり、私の様子を伺ってきた。


「いや……」


 なんでもないのです、と、私が続けるよりも早く、レーナの右手が素早く動き、「ヒュン」という風切り音を発し、私の横を通り過ぎた。

 そして聞こえる「パチン!」という、何かを叩いたような音。


「気持ち悪い目で見ないで!」


 レーナはフェネルの頬を叩き、そして先程までとは違う、怒った表情でフェネルを見ていた。

 フェネルは何も言ってはいないし、何も言っていない以上は背中で寝ているはずだ。

 一体何が。

 と思った直後、私はある事を思い出した。


 そういえばフェネルは眠る時、目を開けたままにしていたな、と。

 それを知らない他人が見たら、きっと気持ち悪がるし、恐怖するかもしれないな、と。


 レーナはおそらく肩越しにフェネルの「それ」を見てしまい、涎などを垂らして自分を見ていたフェネルにイヤなものを感じたのだ。


 もし私が妙齢の女性だったとして、子供とは言え、涎を垂らした男に凝視されたらさぞかしイヤだろうなと確かに思う。

 そして、怒りか怖気からか、フェネルの頬を叩いてしまい怒鳴りつけたというわけだろう。


 言葉よりも手が早いのはどうだろうかと少し思うが、フェネルの寝顔を思い出してみると、仕方が無い事のような気もした。


「ううーん……? あうん? あれ? ベッドどこぉー? フカフカのベッドどこぉー?」


 一応は眠っていたらしいフェネルが目覚めて寝言を吐いた。

 強烈な一撃を貰った為だろう。

 左の鼻からは鼻血が出ていたが、起きたフェネルは少しの間、それに気付かず「ぼーっ」としていた。


「あれ? ベッドはー? ベッドがないじゃん! ってうわ! なんか鼻血でてるし! 手すりにぶつけたりしたでしょセンセ!」


 ようやく気付いたフェネルが喚き、なぜかそのまま私を攻撃。

 後ろから私の頬を掴み、横に縦にと「ぐいぐい」引っ張った。


「私ではない!」


 と、言った所でフェネルが信じない事はわかっていたので、私はそれを放置したまま、フェネルが目を開けて眠るのだという悪癖の事をレーナに話した。

 これでレーナの誤解が解けて、レーナがフェネルに謝れば、私の誤解は解けるだろうと予測しての行動だった。


「ぷっ……!」


 が、レーナは息を噴き出し、直後に笑い出したのである。

 フェネルに掴まれ、引き伸ばされた私の顔を指さしながら。


 そういえば酷い顔になっているかもしれない、と、眉根を寄せたが運の尽き。


「アッハッハッハハハ!!」


 ついにはレーナは腹をかかえて爆笑態勢に入ってしまう。


「やり方が汚い! ネチネチしてる!」


 一方のフェネルも報復の手を緩めず、私の頬を不規則に引っ張り、それを見たレーナは手すりに手をつき、笑いに耐えて小刻みに震えた。


「はー……なんか背中までネチネチしてるような気がする。不快なんで僕降りますね」


 20秒ほどが経っただろうか。

 フェネルが飽きた事により、私の恥辱の時間は終わった。

 レーナの震えも次第に収まり、フェネルは手を離した後に、私の背から滑り降りた。


「あ、あの、すみませんでしたイアン先生……」


 謝ってきたのはレーナだった。

 何に対して謝ったのか私は一瞬分からなかったが、私を指差して笑った事を詫びているのだと理解して、「お気になさらず」と、穏やかに伝えた。


「本当にすみません……」


 レーナはもう一度謝った後に、案内を再開して歩き出したが、私が気分を害していると思い込んでしまったのか、そこからは口を閉ざしてしまい、言葉を発する事は無かった。


 螺旋階段を上りきり、三階部分にたどり着く。

 そこには一直線の廊下が広がり、右手には窓と風景が、そして、左手には壁絵といくつかの扉が確認できた。

 壁にはたいまつが刺されていたが、それには火は灯っておらず、長い廊下を照らしているのは窓の外から差し込んでいる月の光だけだった。


「ああ、貧乏なんだ……」


 フェネルがボソリと失礼な事を呟く。


「いたっ!?」


 一応頭を叩いて置くと、「何で叩かれた……?」と、フェネルは疑問した。

 爪を噛んで考え込むので、「(失礼だろうが)」と、小声で囁く。


「失礼? 何が?」


 と言うフェネルには、小さなため息しか返せなかった。

 レーナはそれを冗談だと取り、小さく「クスリ」と笑ったが、フェネルの言葉の真意を知る私は苦笑いすらできなかった。


 フェネルのそれは冗談では無い。

 何かおいしい目に遭おうとしてここまでついてきた彼にとっては、「貧乏そう」だという事は今後の展開に期待できない大きなマイナス事項なのだ。


 豪華な料理をたらふく食べて、ふかふかのベッドでぐっすり眠り、翌日には大量の土産を貰いホクホク顔で帰路につく。

 そんな都合のいい計画が露と消えた事によりフェネルはため息を吐いたのであろう。


 本人が言ったわけではないから、全部が全部その通りとは断言する事はできないが、フェネルがそれに近い事を考え、期待していたと言う予測には、経験からそれなりの自信があった。


「世の中の事の大抵は自分の期待通りにはならんと、この際よぉく覚えておくといい」


 故に私はそう言って、フェネルの人生を僅かでもまともな道へと導こうとするのだ。


「あれっ!? なんかいい匂いがする!」


 が、フェネルは私を無視し、肩に置いていた私の手を跳ね除け、廊下の先へと走って行った。


「この部屋からだ!」


 そして、ひとつの部屋の前で叫び、許可も得ずに扉を開けて、部屋の中へと入って行くのだ。


「……」


 残された私とレーナが黙り、呆気にとられてしまうのはこれは仕方が無い事だろう。


「か、勝手に入って大丈夫ですか?」


 と、辛うじて私が言えたのは一秒程が過ぎた後。


「あ、は、はい。危ないものがある部屋なんかには、一応鍵をかけてありますから」


 と、「大丈夫」の意味を取り違えたレーナが答えて言ったのは、それから更に一秒後だった。

 私としては取り違えを改めて指摘するわけにはいかず、「そ、そうですか、それなら大丈夫ですね」と、曖昧な言葉を放っておくしかその場を耐え切る術は無かった。

 こうなると患者だと嘘をついておいたのが、正しかったと心底思う。


「でも凄い鼻ですね。あの子が入った扉の先は調理室に繋がっているんですよ。今、先生達を迎える歓迎会の料理を作っていますから、その匂いをここから嗅ぎ取ったんですね」


 レーナが言って笑ったが、私は苦笑いしかできなかった。

 フェネルの本能というのだろうか、そういう機能に畏怖したからだ。

 本当に末恐ろしい子供である。


「ではそろそろ行きましょうか? ……と言ってもすぐそこなんですけど」


 言って、レーナが少し歩き、フェネルが消えた手前の部屋の扉の前で立ち止まる。

 そして、扉を引いた後に、「どうぞ、先生」と、微笑みかけて入室を促してくれたのだった。


「あ、ぽれはどうも……」


 勿論これは言い間違いで、「これはどうも」と言おうとしていた。

 しかし、緊張からそう言ってしまい、私の今までの人生に於いてワースト3以内に入賞する恥ずかしすぎる失態となったのだ。


 レーナはそれに気付かなかったか。

 或いは気を遣ってくれて聞こえていないフリをしたくれたのか、私を見つめて微笑むだけで何も言ってはこなかった。


「(どちらにしても有り難い……)」


 と、私はレーナに感謝しつつ、開けられていた扉の中へと入った。

 暗闇に目が慣れきっていた私は、直後に目を眩ませた。

 その場所が外のような暗闇ではなく、照明によって照らされていた明るい場所であったからだ。


 天井には2対のシャンデリアがあり、長テーブルの布の上には、多数のキャンドルライトがあって、部屋の中を煌々と眩しいまでに照らしていた。


「いらっしゃいませ。イアン先生」


 言って、誰かが立ち上がったが、目を眩ませている私にはそれが誰だかわからなかった。


「母と姉です。父はまだ調理中みたいですね」


 私の背後でレーナがそういい、開け放たれていた扉を閉めた。

 部屋の明るさに徐々に慣れ、中の光景が目視できるようになる。

 目の前には長いテーブルがあり、そしてその左右には10脚程の椅子があった。


 テーブルにはホワイトクロスがかけられ、高価そうなキャンドルライトと、まだ料理が乗っていない沢山の皿が置かれてある。


 そして、私から見て一番向こう、つまり部屋の最奥では、レーナが教えてくれた所の「母と姉」が椅子から立って、私を迎えてくれていた。


「初めまして。イアン・フォードレードと申します」


 と、一応言った後に、初対面では無い人がそこに居る事に気付く。

それは長テーブルの右側に立つ、理知的な雰囲気をもつ女性だった。


 その女性は馬車を操り、私達を玄関まで連れて来てくれた黒いドレスの女性であった。

 先の礼を含める意味で私は軽く頭を下げたが、黒いドレスの女性からは目に見える反応は返されなかった。


「初めまして。イアン先生。レーナの姉のシーナです」


 一方の女性、シーナが言って、私に向かって礼を示した。

 シーナの髪は金色で、レーナと顔立ちも似ていたが、うなじが隠れる程度の長さで髪を短く切っており、身の丈がおよそ10cm程、レーナよりも高いようだ。


「(ん……? 待てよ……)」


 シーナに会釈を返した私にそこでひとつの疑問が生まれる。

 シーナが姉、という事は、黒いドレスのあの女性は二人の母という事ではないか。


 黒いドレスの女性の見た目は、多く見積もって25歳前後で、二人の年頃の娘が居るとは考えにくい外見だった。

 自然、私の脳裏には「再婚」という言葉が浮かんだが、それを聞けるはずも無く、疑問の念を抱いたままでその場をやりすごす事となった。


「じゃあとりあえず座りましょうか? 父もそろそろ来ると思います」


 レーナに言われ、促されるまま、私は椅子のひとつに座った。

 レーナが姉の左に座り、私がそーナの左に座ると言った形である。

 シーナと黒いドレスの女性は私が座った事を見てから、先の席に腰を下ろした。


「……」


 料理は無く、飲み物も無く、会話すら無い状態が20秒ほど続く。


「レーナ……」

「ん……?」


 私のふたつ隣に座っているシーナがレーナに何かを言った。

 レーナが頷き、同じように、シーナの耳元で何かを言ったが、私には関係の無い事だと思い、興味はあったが聞かないフリをした。


 それから更に数十秒後、場の沈黙は文字通り、食堂の中に飛び込んできたフェネルによって破られた。


「せ、せ、せ、せんせぃぃ! 何かヘンタイが! ヘンタイが居て僕舐められた! 鼻の穴ペローンて舐められた! で、低い声で「ごちそうさま」って言われたー!」


 泣き叫ぶようにフェネルは言って、転げるような足取りで私の元へと近づいてきた。

 余程恐ろしい……というか、イヤな目に遭ってきたのであろう、その顔面は蒼白だ。


「……鼻の、穴?」


 が、いまいち話がわからず、何があったのかがわからない私の反応はそんなもので、早急的解決を期待していたフェネルを怒らせるには十分だった。


「いいからあいつを殺してくださいよ! 僕の精神の安定の為に!」

「私の精神安定はどうなる……」


 怒り、無茶な懇願をしてくるフェネルへの対応に困っていると、開け放たれていた食堂に新たな人物が姿を現した。


 その人物の性別は男で、年齢は25才前後。

 髪の毛の色は濃い茶色で、男にしては長髪だった。

 身長は180cm程度。顔立ちはかなり端正であり、スマートなその体には貴族が着るような黒い服を着ていた。


「すまんな。随分と待たせてしまった」


 男が言って、「にこり」と笑った。

 低く、透き通ったその声を聞いたフェネルが直後に「ひいっ!」と叫ぶ。

 男は一度食堂から出て、料理を乗せた二台の台車を中に入れた後に扉を閉めた。

 そして私の顔を見て、


「やあイアン。来てくれて嬉しいよ」


 と、少し照れているような、ぎこちない笑顔で言ったのだった。

 私はすぐには反応できず、それに返す言葉も無しに、瞬きを繰り返していただけと思う。

 男、即ち、25才前後の青年が、なぜそんな事を言うのかと疑問に感じていた為である。


「ああ、そうか。君には話してなかったな。それでは分かるはずがないか」

「秘密にしてる事が多すぎなんじゃない?」


 男の言葉にシーナが笑い、それから黒いドレスの女性が「ハァ……」と小さなため息をつく。


「まさか……」


 私が顔色を変えたのはこの時。

 まさか、この青年が、手紙を通して付き合ってきた二十年来の友なのか。

 40代半ばと予想していたラルフは実際には若かったのかと。


「その通りだ。イアン」


 私の考えを察した男……おそらく、ラルフが「さらり」と言った。


「と、いう事はラルフ。君は……」

「ああ、君と同じで人間では無い。そのあたりの事を含め、食事をしながら話をしよう」


 男、改めラルフが言って、荷台の上に乗った料理をテーブルの上に移し始める。

 類は共を呼ぶというが、どうやらラルフも私と同じく、純粋な人間ではなかったようだ。

 それにしてもなぜラルフは、私が人間では無い事をすでに知っていたのだろうか。


 少し気になる事ではあったが、食事をしながら話すというラルフの言葉を信用し、今はそういった質問をせず、食事の開始を待つ事にした。

 全てを聞いたその後で質問してもよいだろう、と、私はそう考えたのだ。




「我が友、イアンの来訪と私の家族との対面を祝して」


 食事会はラルフの言葉と、グラスを眼前に掲げると言う、古典的な儀礼によって開始された。

 テーブルの上に並んだ料理は肉に魚にと彩り豊かで、ここが人里離れた場所で、山奥の辺鄙な場所だという事を忘れさせるには十分だった。


「ヤバイ! 凄い! マジうまい! ヘンタイの料理超うまい!」


 ラルフを恐れ、警戒していたフェネルも今は全力で料理を絶賛。

「ヘンタイ」と一応罵りながらも、食べる事には夢中になっていた。


「イアン」

「ん?」


 唐突に私の名を呼んだのはフェネルの様子を「じっ」と見ていた館の主のラルフであった。


「先にも一度話した事だが、私は純粋な人間ではない。いや、かつては人間だったが、今は君も知っているだろう、ヴァンパイアという魔物なのだ」


 ヴァンパイアは魔物であるが、本能のままに生きている低級な魔物達とは少し違う。

 独自の法と信念を持った一風変わった魔物なのだ。

 彼らは年を取る事も、常人ならば命取りという傷によっても死ぬ事は無い


 が、太陽の光を体に浴びると灰になってしまうという不思議な性質をもっている。

 故に彼らは外出をせず、人里離れた場所に住んで、外部とあまり関わらずひっそりと暮らしているという。


 その特性は善でもなく、悪でもないと言われているが、人の生き血をすするという悪癖の事を鑑みれば、ヴァンパイアはどちらかというと悪ではないかと私は思う(すすられた人間は大抵の場合は死んでしまうらしい)。


「続きを話しても大丈夫か?」

「あ、ああ。大丈夫だ。続けてくれ」


 ラルフに問われ、私が答えた。

 勿論、そこには動揺していたが、そうなる事を予測した上で話し出したラルフには、伝えたい何かがあるはずだった。


「私は人間としてこの世に生まれ、26年を人間として生きた。そして不治の病にかかり、人間としての人生を捨てた。当時、この城を根城としていたヴァンパイアを訪ねて懇願し、彼の者の眷属に加えてもらったのだ。何かをしたかったわけではないが、その時の私は死ぬ事に、自分の意識が消える事に、……おそらく怯えていたのだと思う」


 言葉は一時そこで途切れ、ラルフの視線も私から、自身の右手に握られていたワイングラスへ移された。


「ともかく、私はそうして人間である事を捨てた。それから200年程が経った頃、私は妻のフィーナに出会った。彼女もまた不治の病で、長くはない命だった。私は彼女に強く惹かれ、もはや人間では無いのに人間のように彼女を求めた。彼女と永遠に生きたいと思い、仲間に引き入れてしまった事は果たして正しい事だったのか、今となっては自信がもてない」


 おそらくは妻である黒いドレスの女性を見つめる。

 女性――

 フィーナはそれに無表情に、しかし、視線を外さずに応え、ラルフがこちらに顔を向けた後には、両目を瞑って顔を俯けた。


「安心してくれ。娘達はそうではない。妻がまだ人間の時生んでもらった子供なのでな」

「そ、そうか」


 なぜ、私が安心するのか、それは理解できなかったが、一応相槌は打っておく。


「それで君に相談だ。私と妻を人間の体に戻して欲しい。太陽が出たら起き出して、太陽が沈めば眠っていたあの頃の生活に戻りたいのだ」


 話すべき事を話し終え、ラルフは私が発するだろう言葉を待って黙っていたが、私はなんと答えて良いか、返事を決め兼ねて考えていた。


 勿論、出来れば引き受けたいし、望みを叶えてやりたかった。

 しかし、私は今まで一度も、かつてヴァンパイアになった者が人間に戻った話などを聞いた事がなかった。


 それははたして可能なことなのだろうか。


 前例も無く、根拠も無いのに「任せてくれ」と引き受けるのは、私にはできない行為であった。


「幸い、時間は無限にある。答えは今で無くてもいい」


 返事をすぐには出せない訳をおそらく察してくれたのだろう。

 ラルフは私にそう言った後、グラスの中身を少し飲んだ。


「すまないな」


 私は一言謝ってから、今は答えをだせないが、自宅に戻って資料を漁り、1%でも可能性があるようならば引き受けるという旨をラルフに伝えた。


「ありがとう。感謝するよ」


 ラルフはそれに納得してくれ、フィーナも軽く頭を下げる。

 これでとりあえず話は終了。

 目の前に並ぶ豪華な料理を堪能できると私は思った。


「それで、悩みの話だが」


 が、ラルフの話は終わってなかった。


「さ、先程の話は悩みではないのか?」


 料理を頂戴しようとして、伸ばした両手はそのままで聞くと、


「あれは悩みではなく相談だ。君をここに招いた訳はむしろこちらの方にある」


 と、ラルフは平然と言ったのだった。

 人間に戻りたいという願望よりも大きなものとは一体何か。

 私は再び態勢を戻し、グラスの水を一口含み、さぞや衝撃を受けるであろうラルフの次の言葉を待った。


「君に娘を、レーナを連れて帰って欲しい」


 直後には水を噴き出していた。

 鼻と口からフェネルを目掛け。


「な、何すんだコンニャロー!!!?」

「アアアァァァァ!?」


 一瞬は硬直したフェネルが立ち直り、私の股間を殴ってきたのは、これは仕方が無い事だと納得せざるを得ない事であった。





 あの時の気持ちはよく覚えていない。

「しまった」と気付いた直後にはフェネルに股間を殴られていた。


 ラルフの悩みの詳細は「娘が家を出たがっていて外の世界を見たがっている。親として一人暮らしはさせたくないから君の家に下宿させてくれ」という、親心に満ちたものだった。


 勿論私は断った。

 レーナが嫌いなわけではないが、付き合っているわけでもない年頃の女性と一緒に住むのは客観的にどうかと思うし、その事による悲劇の記憶もまだ生々しいものだったからだ。


 だが、ラルフは私以外に頼める者は居ないと言い、娘が人間に手を出されたら自分も人間に手を出すと脅し、私を殆ど無理矢理に、強引に納得させたのである。


 結局、今、私の家には、彼の娘のレーナが居り、自宅であるのに私は何となく、気まずい思いをしている最中だ。

 こういう時に限ってフェネルは、「おいしいものも食べたし、家に帰って爆睡する」と、一直線に帰ってしまうし、一つ屋根の下で女性と二人で、どこか居心地が悪くて仕方が無い。


 何かそう、大事件でも起きて、気まずさを忘れてしまうほど忙しくなると助かるのだが、一方で医者としてどうかとも思い、書き終えた日記をそっと閉じて、私は頭を掻くのであった。


レーナの声は椎名へ〇るさんで、ラルフの声は速〇奨さんです。

あくまでも作者のイメージ的な声です。

分かる方だけ分かって下さい。

お付き合いありがとうございました。

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