弱きものが強さを求める理由
シヤが書いた絵のような文字は、ある程度知能を持つ魔物なら、大抵は知っているという魔物の共通語のようなものであった。
それは言葉にする事はできず、読み書き専用の共通語で、誰に習ったわけでもないのに、自然とわかるようになっていたという。
その、魔物の共通語による筆記を交えた会話の結果、コパックが強くなりたいのは命を救ってくれた人を助ける為だという事が分かった。
コパックが森の中でいつものように修行をしていると、三人の人間の冒険者が、金品欲しさにコパックを襲った。
ゴブリンにしては強い部類の(これはコパックの自己評価である)コパックは袋叩きにされてしまい、僅かの金と武具を奪われ、その場に打ち捨てられてしまったらしい。
骨を折られ、内臓を潰されてしまったコパックはそこから動く事もできず、このまま自分は死ぬのだと覚悟を決めていたのだという。
そこへ通りかかったのが、コパックの命の恩人である一人の人間の女性だった。
彼女は瀕死のコパックの為に自身の神に祈りを捧げ、不思議な奇跡の力を使い、コパックを死の入り口から救い上げてくれたのだそうだ。
コパックは命を救ってくれたその女性を助ける為に強くなる必要があるのだと言った(筆記で)。
「なるほど。理由はわかったが……」
「どうして強くなる事でその女性を助ける事になるのか。それがまだ不明ですね?」
「そうですね。そこを聞いてみてもらえますか?」
「はい」
私が口にするまでもなく、シヤは質問するべき事を理解しているようだった。
それは当たり前のような事ではあるが、これがフェネルであったならこうはいかないのは明らかであり、それ故に私はシヤの事を高く評価するのである。
「コパックさんの命の恩人は誰かに脅されているらしいです。その悪い人達をやっつける為に強くなりたいみたいです」
コパックが書いた文字を見て、シヤがその内容を声に出して教えてくれた。
ここまででわかっている事はこうだ。
コパックは恩返しをする為に命の恩人を脅している悪人達をやっつけたい。
だから今より強くなって悪人を倒す力が欲しい。
話はようやく理解できたが、そこには問題が二つあった。
ひとつはその悪人が本当に悪人なのかという事。
客観的に見て悪人でも、何か理由があった上で、正当な権利を主張して「恩人」に迫っているのかもしれない。
コパックが悪人と思っていても、そうではないかもしれないのだ。
もう一つは私はあくまで医者で、剣道場の館主では無いという事である。
それは普通の人間よりは確かに強いという自信はあるが、誰かを鍛えて教えるような技と知識は持ってはいない。
一般的にはどうかという類の、「危険なクスリ」で筋肉を増強させる事はできる。
だが、これは土下座をされても、脅されてもやってはならない事だった。
以上の二つ、特に後者の理由から「これは断るしかないな」と、私は腹を決めかけていた。
シヤが二枚目の紙をめくり、三枚目となる白紙の上に何かを書き出し始めなければ、おそらく私はこの時にコパックに断りを告げていたと思う。
聞くべき事は聞いたはずだが、一体何を聞いたのか。
不思議に思い眺めていると、コパックからの返答を見たシヤが「はっ」と息を飲んだ。
どうやら驚くべき事がそこには書かれていたらしい。
「コパックさんの恩人は孤児院のシスターらしいです。その孤児院の神父さんが、悪い人達からお金を借りていて、悪い人達はそのお金の代わりとして、土地を奪おうとしているみたいです」
シヤが私の顔を見て、真剣な面持ちでそう言った。
確かに驚くべき事だったが、それを知ってしまった事はむしろ良くない事ではあった。
なぜなら契約時の内容にもよるが、人間達の間には「借りた金は返さないといけないし、それが不可能な状況の時はそれに相当するもので返済しなくてはならない」という、法というよりは常識のような、暗黙のルールがあるからである。
そのルールと照らし合わせるのなら、例え脅されていたとしても「借りた者が悪い」わけで、第三者である私達がどうこう言える筋では無かった。
脅されている人が恩人だからといって、脅している側の人間を叩きのめしてしまう事は残念ながら暴挙となるのだ。
コパックの気持ちが全くわからないわけではないが、こればかりはどうにもならないと教えて断るべきなのだろう。
「コパック」
と、断る理由を話そうと私が口を開いた直後。
「お金を借りた神父さんはもう亡くなっているみたいです。人間達の法律では借りた人間が死んでしまったら残された者が払う義務は無いという事を自分は調べた……?」
コパックと続けてやりとりしていたシヤの口から驚きの真実を聞かされたのであった。
「本当なんですか先生?」
振り向き、聞いてきたのはシヤ。
「そんな事を聞いたような……」
とりあえず返答したものの、私にはあまり自信が無かった。
人間達が作った法にさしたる興味が無かった為に、はっきりとは覚えていなかったのである。
しかし、それが間違いではなく、本当にそう定められているのであれば、コパックの言う悪人は「まさに悪人」という事になる。
そうすればコパックの恩人は、一転被害者という事になり、救い出す手段の一つとして「叩きのめす」事も可能となるのだ。
「(これは、一応調べてみるべきか……)」
私は答えを保留にし、プロウナタウンにいる知人を訪ねてみる事にした。
「ねー先生! この女の人とどういう関係~? ていうか風邪ひいてたんじゃないんですかぁ~?」
街に来たのは失敗だった。
「ねーちょっと! 聞いてんですか!? 僕の寂しさを返して下さいよ!」
シヤと一緒に居る所をフェネルに発見されてしまい、風邪と嘘をついて遠ざけていた事がフェネルにバレてしまったのだ。
「こんな大人になりたくないな! 昔からの友情を捨てて、女に走るチャラ男にはさ!!」
フェネルが言って尻を叩く。と言っても本気の攻撃では無く、「大丈夫……だよな?」と、伺った上での、ギリギリのラインの攻撃である。
しかし、それは最早三回目。
実際に嘘をついていた為に、私は甘んじて受けていたが、これ以上力が強くなるようなら、反撃もやむなしと考えてはいた。
「ちょっと聞いてくださいよ! この大男は嘘つきで、女の人と居たい為に、助手に風邪をひいたとか言って無理矢理僕を帰らせて自分はイチャイチャしてんですよ! こんな卑怯者が居るなんて信じられますお兄さん!?」
フェネルが一人の男を捕まえ、大体本当の事を伝える。
それは確か十回目だったか、フェネルは一人でも多くの人に同情や同感を得たいのだと思われた。
「え? そんなの当たり前じゃない?」
「え!? そうなの!?」
たまに返されるそんな答えにフェネルはしばらく静かになるが、すぐにまた復活し、同じ事をわめきだすのだ。
私とシヤはこんな事にかれこれ一時間はつき合わされている。
しかし、抵抗すればそれが長引き、どこかへ行こうとすれば必ずついてくると分かっているので、私は敢えて何も言わず、されるがままとなっているのだ。
「ふー。先生も反省してるみたいだし、今回の所はこのへんで勘弁してやろうかな」
そうすれば必ずフェネルは飽きて、こうなるという事がわかっていた。
「今度ワイル・ド・ギューで一番高いステーキおごるように」
「……」
そして、そうなるだろう事もなんとなくだがわかっていた。
「わかった。すまなかったな」
と、素直に謝罪するのは、フェネルを一秒でも早く家に帰らせる為だ。
「なんか素直で気持ち悪いけど……まっ、先生もやっと大人になったって事かな、うん」
正直「ムカつく……!」と思ったが、ここは我慢の一手である。
ここでフェネルの気分を害しては、今まで耐えてきた事が全て無駄になってしまう。
私は「反省しているよ」と、心にも無い言葉を吐いて、フェネルの優位を崩さないよう下手に出る事に努めるのである。
「よしよし、じゃあ僕は帰りますね。夜更かしして不良にからまれてその人見捨てて逃げちゃ駄目ですよ?」
「……」
どういう目で私を見ているのかと問いただしてやりたかったが、その事による時間の無駄が勿体無いように思えたので私はさらに「ぐっ」と耐えておいた。
「じゃあさようならー。万引きとかもしちゃ駄目ですよー」
「あ、ああ」
「するか!」という言葉を飲み込み、代わりに私はぎこちない笑顔を浮かべて、機嫌よく去っていくフェネルに手を振った。
フェネルは「ニヤリ」とほくそえんだ後、大通りを歩いている人の中へと消えていった。
時刻は昼の12時過ぎ。
街に着いたのが10時30分頃だったから、かれこれ一時間半程をフェネルに使わされたわけである。
「すみません先生……わたし、何もできませんでした……」
と、私に頭を下げたのは、フェネルが暴走している間、どうしていいかわからずにオロオロしていたシヤだった。
私がフェネルに攻撃される度、彼女は体を「びくり」と震わせ、何とかしようとしていたが、結局は何も出来ないままで様子を見ていただけだった。
だが、私はそれに対し、恨んでいないし怒ってもいない。
シヤはフェネルとは初対面だし、私とフェネルの関係をはっきりとわかっていない以上は安易に叱れるはずはないのだ。
むしろシヤがフェネルを叱り、その事による「私への」逆襲が無かった事に感謝したいくらいである。
「いや、貴女は少しも悪くない。あいつと会ったのは初めてなのだし、何かを言える筈が無い。私が貴女の立場でも同じように何もできませんでしたよ」
私は自身が思っている正直な所をシヤに言った。
シヤがそれで納得してくれ、元気になってくれる事が私の小さな望みであった。
「でもわたし、先生が足を蹴られている時、この子を叱らなきゃって思ったんです。あの子の将来の為にとかじゃなくて、先生を痛い目にあわせているあの子がなんだか許せなくて……」
「……」
私は無言でシヤを見ていた。
シヤが怒り、興奮している。その事自体に私はある程度驚いていた。
おとなしく、控えめな性格のシヤでも怒る事があるのかと。
しかし、私が驚いて、無言になってしまったわけはそこではない所にあった。
「シヤは私の為に怒り、私を助けようとしてフェネルを叱ろうとしていてくれた。という事はまさかシヤは……!?」
……という、男ならば誰もが考えてしまう、自分勝手な妄想の為だ。
こういう妄想が当たった事は一度として無いのであるが、それを忘れて男は懲りず、つい、妄想してしまう。
そして好意を膨らませ、想いを勝手に募らせるのだ。
「いかん!! いかんいかん!!」
私は大きく首を振りつつ、言葉に出してそれを叫んだ。
「そんな甘い話があるか!」と、付け加えて叫んだのは、自分を言い聞かせる為だった。
「せ、先生?」
と、シヤが不安になるのも十二分に理解できたが、なぜ、叫んでしまったのかをシヤに話せるわけはなかった。
「あ、いや、すみません……宝くじを買っていた事を忘れ、もしかしたら当たっていたのではないかと妙な興奮に駆られまして……」
結果、私は嘘を言って、シヤを納得させたのだった。
「そ、そうなんですか……」
シヤは納得したのかどうか、微妙な反応を私に見せてそれきり無言になってしまった。
「あ、ああそうだ。もう昼時ですし、どこかで昼食でもとりませんか? これから訪ねようとしている知人も、どうせ御飯時には居ないと思います。時間を有効に使うには丁度いいと思うのですが」
嫌な空気を変える為に私はシヤを食事に誘った。
その全ては勢いであり、何かの感情を含めた上でシヤを誘ったものではなかった。
「は、はい……ご一緒させていただきます」
が、シヤはなぜかうつむき、頬を赤く染めながら小さな返事をしたのだった。
勢いから言ってしまった事だが、「これは一種のデートの誘い」と私が気付くに至ったのは、食事所を探す為に歩き出した直後の事であった。
私達は「庶民の森」という名の大衆食堂の中に居た。
庶民の森の料理は安く、しかも質が高い事で有名なのだ。
……患者に聞いた話の受け売りで、実際に来たのは初めてだったが。
時間が昼真っ只中という事もあり、店はあいにくの満席だった。
しかし、立ち去ろうとしたその矢先に席が空いたので、私達は店内へと入る事ができたのだった。
庶民の森の内装は例えるならば酒場風で、入り口から見て正面に大きなステージが存在しており、そのステージを囲むようにテーブル席が置かれていた。
テーブル席の数は全部で50席はあるのだろうが、その間隔は広めにとられ、隣の席の会話等が聞こえにくいよう配慮されていた。
店内が満員であるにも関わらず、うるさいと感じずに居られるのはそんな配置のお陰なのだろう。
「ではご注文がお決まりになりましたらそちらのベルを鳴らしてください。付近に居るスタッフがご注文をお伺いにまいります」
赤いミニスカートになぜか少々きつめの白服。
露出された長い足には黒いヒールにたどり着くまで一切邪魔なものはない。
私は目のやり場に困り、少々派手だと思ったが、驚くべき事にその服装がこの店の制服であるようだった。
「ごゆっくりどうぞ」
と微笑み、22、3才だろう若い女性は去っていった。
「(大変だな……)」
と私は思い、そんな格好を強制される彼女達に同情した。
ちらりと見ただけではあるが、ウェイトレスの全員が若い女性である所を見ると、ここのオーナーはスケベ親父か、或いはそこそこのやり手なのだろう。
もし、前者が当たっていたら、そんな親父の趣味のような派手な衣服を強要される彼女達が気の毒だった。
「(いや、今はそんな事より……)」
しかし、私は今他人に同情している場合ではなかった。
私とシヤの間には、今、沈黙が横たわっている。
尻を掻いて欠伸をし、「大丈夫?」と聞いてきている位だ。
私はシヤを食事に誘った。
もちろんその時点では、私に飯を食べるというそれ以外に含む所はなかった。
しかし、シヤが頬を染めた事で、「これはデートなんじゃないか!?」と意識して、緊張してしまったというわけである。
「(シヤと何かを話さなければ!)」
と、思えば思うほど話題に困り、私とシヤの間に横たわる沈黙の態度は悪くなっていく。
胡坐をかいて鼻をほじり、鼻くそを私に飛ばしてくる程だ。
「え、えーーーーっと……」
ウェイトレスが置いていったメニューを手に取り、わざとらしく唸ってみるも、一種の逃亡行為である為か、そこからは何も生まれなかった。
こんな気まずさを感じているのはもしかしたら自分だけなのだろうか。
会話が途切れたこの状況をシヤはただの「間」として捉え、何も感じてはいないのだろうか。
そんな事を私は思い、シヤが今どうしているのか様子を見てみる事にした。
「あ……」
と、メニューを畳むなり、私はシヤと目が合った。
シヤは慌て、何かを言って、視線を伏せてしまったが、メニュー越しではあるがシヤがこちらを見ていたという事は、私の思い込みでなければ間違いの無い事であった。
この時、私の心の中に、決してしてはならないと自分に言い聞かせていたひとつの想いが生まれてしまった。
「(バカな男だ……私は……)」
その想いが報われず、叶わぬものだとわかるが為に、私はすぐに自分をなじった。
なぜ、叶わないのかといえば、私の恋愛スタイルが「相手の気持ちが分からなければこちらから告白する事が無い」という、卑怯者のスタイルだからだ。
要するに私は告白をして、ふられる事が嫌なのだ。
私はシヤに惹かれていたし、この時恋をしたとも思う。
だが、私はその言葉をシヤに伝える事は出来ない。
私が卑怯者であり、臆病者でもあるからだ。
「シヤさん、貴女は、その、こういう店は初めてですか?」
私は深呼吸をして、それから当たり障りの無い事を聞いた。
とにかく話をしていれば、色々と考える事も無いと考えた上での行動だった。
「えっ……は、はい。わたしは人間ではありませんし、人が沢山居る所には近寄らないようにしていたので……」
シヤは一瞬戸惑って、「なぜそんな事を聞くのか」という、不思議な顔を私に見せたが、すぐに元の顔に戻り、私に答えを聞かせてくれた。
「人が沢山居る所はあまり好きではないのですか?」
と、続けて聞いた私の言葉は、今にして思えば極めて無礼で、デリカシーに欠けていたものだったと思う。
シヤが表情を曇らせながら「人が沢山居る所には死に行く人も多いから」と、悲しそうに答えてくれたからだ。
私は自身の短慮さを詫び、シヤに心からの謝罪を言った。
シヤは「いいんです」と言って、私に微笑みを見せてくれたが、そこで再び会話は途切れ、先程までとは違う種類の沈黙の空気が漂い始めた。
「……何か頼みますか?」
と、私がたまらず言ったのは30秒程が経った後の事だ。
「そ、そうですね」
シヤの同意を確認した後、私はテーブルの上にあった銀色のベルを手に取り振った。
ベルは控えめではあるが、良く透る音で「リン、リン」と鳴り、シヤの後方を歩いていた一人のウェイトレスを呼び寄せてくれた。
「お待たせ致しました~ご注文はお決まりですかぁ?」
年齢は15、6だろう、年若いウェイトレスの言葉によって、私はまだ注文が決まっていない事に気づく。
「あー……すみません。まだ決まってないのです」
「……そうでございますか」
ウェイトレスの少女の眉が一瞬「ぴくり」と動いた気がした。
「では、お決まりになった後、またお呼びくださいませー」
ウェイトレスの少女は言って、一礼した後に去っていった。
その言葉は丁寧だったが、「決まってから呼べっつったろうが!」という、怒りを多分に含むような、作業的な口調と表情だった。
「……どうやら順番を間違えたようです」
照れ隠しの言葉を言って、私は改めてメニューを開いた。
意識して笑わせるつもりは無かったが、シヤが「クスリ」と微笑んでくれ、私は少し救われた気がした。
「貴女もどうぞ、好きなものを注文してください」
料金は自分が持つ気でいたので、シヤが注文しやすいように私はシヤにそう言った。
「ありがとうございます。でも、わたしは良く分からないので先生と同じものでいいです」
シヤは遠慮をしたのだろうか、メニューを開く事も無く、穏やかな口調と表情で私にそう返してきた。
「遠慮しなくていいのに」
と、私は言いかけて言葉を飲んだ。
こういう店が初めてだというシヤの言葉を思い出したからだ。
つまりこれは遠慮ではなく、何を頼んでいいのかが分からないが為の救難信号ではないかと気付いたのだ。
確かに、人を避けて暮らしてきたシヤに、急に料理を頼めというのは無理な話かもしれない。
「わかりました。ではそうですね……値段が手ごろで量もある「ハムエッグとキノコのパスタランチ」などはどうですか?」
私はメニューの中ほどにある料理のひとつを声に出した。
例えばシヤが何もわからず、それ故に困惑していても、こういうやり方であるのならシヤを追い詰める事はない。
ひとつずつ料理を聞いていき、お互いに納得できるものを注文すればよいのである。
「あ、わたしキノコは大好きなんです! 先生さえ良ければぜひ、それで!」
「それではこれを注文しましょう」
言いながら内心で私は偶然に驚いていた。
私の好物がシヤと同じキノコであったからである。
塩を振ってバターで炒めたキノコがあれば5日位はオカズがいらない程に好きで、その事を知るフェネルからは「キノコ男……」等と称され、呆れられている位なのだ。
シヤはキノコが好きであり、私もキノコが好きだった。
ならばそれを正直に言い、シヤと共に「キノコの話」で盛り上がるのも良いだろう。
私は料理を注文した後、その事をシヤに話そうと心の中で決意した。
しかし、その心の決意が表に出される事は無かった。
「えーとねーじゃあ僕はー、イカリングのタルタルソース和えにー、鶏のから揚げカレー風味にー、特上けーらんのオムライスにー、庶民の森スペシャル三段重ねパフェでいいや」
いつから私達を尾けていたのか、帰ったはずのフェネルが現れ、全てを台無しにしたからである。
「フェネル!! お前、帰ったはずじゃ……!」
「僕も帰ろうと思ったんですけどね、なんか先生怪しいんだもん。で、ちょっと尾けてみたらこういう所に入ったでしょ? タダメシありつけるっつう現場を見つけて帰れるわけがないでしょう?」
「無いという事は無いと思うが……」
「無いったら無いんですよ! 反抗するなら脱糞するぞ! ここで脱糞したら困るでしょ!? だったら黙っておごりなさいよ!」
困るのは私だけではなく、本人も相当困るだろうが、実行されては嫌なので私は「仕方ないな……」と妥協して、フェネルに席に座るように指示した。
「ヒャッホー! だから先生って大好きさ! ここの四段重ねパフェ、前から食べてみたかったんですよね」
おいおいさりげなく一段増えてるぞ、と、突っ込もうとしてそれをやめ、私はシヤに注文がこのままで良いか聞いてみた。
シヤは私の言葉に気付かず、フェネルを呆然と眺めていた。
シヤはフェネルの言動に驚き、おそらく引いてしまっているのだ。
私も最初はそうだったからシヤの気持ちは理解できる。
「シヤさん」
私は改めてシヤを呼び、こちらに気付いた事を見てから、同じ事を聞いてみた。
「は、はい。そのままで大丈夫です。お願いします」
シヤの返答を聞いた後に、私は銀色のベルを鳴らし、ウェイトレスをこの場へ呼んだ。
「お待たせいたしました。ご注文はお決まりでしょうか?」
やってきたのはポニーテールの身長が高めの女性であった。
私は自身とシヤの注文である「キノコランチ」を二つ頼み、「後はフェネル、お前だけだ」と、フェネルの注文を横から急かした。
「じゃあ僕はー、イカリングのタルタルソース和えにー、鶏のから揚げカレー風味にー、特上けーらんのオムライスにー、庶民の森スペシャル五段重ねパフェでよろしくー」
おいおい、更に増えてるぞ、と、突っ込もうとしてそれをやめ、私はやってきたウェイトレスに「以上でお願いします」と伝えた。
ウェイトレスは注文を再確認し、デザートの先出しをするかしないかを聞いた後に、一礼をして去っていった。
「ねー先生」
話しかけてきたのはフェネルだった。
私は面倒臭いので目だけを向けてそれに応えた。
「ねー先生って!」
しかしそれには気付かなかったか、フェネルは私の腕を掴み、「ゆっさゆっさ」と揺らしてきた。
「なんだ、ちゃんと聞いている」
やむを得ず声に出し、私は目だけで無く、顔までも向けてフェネルに応えた。
「聞いてるなら声に出して返事しましょうよ。そういうの人としておかしいですよね? 普段僕に怒ってますよね?」
「……ああわかった。悪かったな。で、用件はなんなんだ?」
それには少々、いやかなりカチンと来る。
どうせまともに反応してもろくな事は言わないくせに、こういう時だけ正論を言うフェネルがなんだかうっとうしかった。
「本気で悪かったと思ってないっぽい」
「……」
「まぁそんな事はどうでもいいんです。僕、ずっと思ってたんですけどこの女の人誰なんですか? 先生の恋人なわけはないし、患者さんか何かですか?」
フェネルが聞きたかったのは、どうやらシヤの事らしかった。
大通りに居た時から確かにちらちら見ていたし、私との関係がどういうものかずっと気になっていたのであろう。
だが、フェネルには気の毒だが、シヤの事を教えるわけにはいかない。
フェネルに全てを話したが最後、興味本位でつきまとい、シヤをオモチャのように扱って無茶苦茶するに違いないからだ。
ここは適当な事を言って、話を誤魔化してしまうのがおそらく一番だろうと思う。
「あー、彼女は……」
という、私の言葉を待つまでも無く、
「先生とはどういう関係なんですか? まさか恋人じゃないですよねぇ?」
と、フェネルはシヤ本人に直撃取材をしてしまっていた。
どうせそっちに行くなら私に聞くなよ、と、言いたい気持ちをぐっと抑え、私はシヤの返答を、少し期待をしながら待った。
「あの、私は、その……イアン先生の……患者です」
「やっぱりただの患者さんか~。いい雰囲気に見えたからもしかしたらと思ったんだけど……先生もまだまだ独り者ですね~?」
シヤの言葉はフェネルにとっては期待通りのものだったのだろう。
おそらく用意していた言葉を、ため息のようなものを吐きつつ、わざとらしく言ったのだった。
フェネルにバカにされた事はなれているから問題は無い。
だが、私は期待が外れ、「その関係以外のなにものでもない」と、完全否定された事で、少しの間無言であった。
「残念ながらそういう事だ。彼女は患者で、私は医者だ。ただ、それだけの関係さ」
それはフェネルに言ったというより、自分自身に向けて言った戒めのような言葉であった。
シヤが例えば万が一、それだけだとは思っていないとしても言えない事は理解していた。
だが、普通に考えるなら残りの九千九百以上で、そうとしか思っていない事は濃厚なのだ。
臆病者の私としては、残りの僅かな確率に賭け、想いを貫くという事はとても出来そうに無い事だった。
やがて限界に達した想いが言葉となってしまった時に、彼女に拒否されてしまったら私はおそらく立ち直れない。
故に私はここで自戒し、これ以上の想いを抱かぬように、自分に強く言い聞かせたのだ。
後悔しない為に決めた、その決意でとてつもない後悔をする事になるとも知らずに。
食事を終えた私達は、プロウナタウンの居住区にあるマンションの一室を訪れていた。
その部屋の入り口には「フォックス産婦人科」という、ハートマークを象ったピンクの看板が下げられている。
そしてその看板には、院長らしきキャラクターがディフォルメタッチに描かれており、そのキャラクターが親指を立て「ブリッと一発明るい未来♡」という、問題的な発言をしていた。
「イカれてる……」
と言ったのは、追い払う事に失敗した為、ついてきてしまったフェネルであった。
一方のシヤもまた、ある程度引いてしまっているのか、右手で口を押さえたままで無言でそれを見つめていた。
「あー……ここの院長は変わり者でして……いや、イカれてるという程ではないのですが、人があまりやらない事や、言わないような事を平気でやってしまう人物なのです。思わず眉を顰めるような奇妙な言動もある事でしょうが、本人に悪気は一切ないのであまり気にはしないでやってください」
それを聞いたシヤはすぐに「はい」と、戸惑いながらに言ったが、フェネルは「ええー」だの「マジですか」だのと言って、結局返事はよこさなかった。
「(まぁいいさ)」
最初からフェネルには話しかけてはいなかったのだ。
返事をしようとするまいとそれは気にする所ではない。
私はフェネルに構わずに、部屋の扉の左側にある小さなボタンを指で押した。
直後に聞こえる「こんにちは」という、誰のものともわからない声。
それは男の声であり、思わず力が抜けるような、棒読みで、やる気の無い声だった。
私は何度も来ているからこれがただの「呼び鈴の音」だと知っているが、ここを初めて訪れてこれを呼び鈴だと見抜く者はおそらく1万人に一人も居ないだろうと私は思う。
案の定、フェネルとシヤは「誰かが近くに居る」と錯覚し、周囲の様子を伺っていた。
声の元は呼び鈴だ、と、説明するのは簡単だったが、フェネルがそれで興味を示し、騒ぎ出しては面倒なので私は敢えて黙っておいた。
呼び鈴を押して五秒、十秒、と、何の反応が無いまま過ぎた。
普通であればここで留守だと判断して帰る所であるが、私にはそう判断出来ない過去の経験と知識があった。
ここの院長は高齢で、耳が少し遠くなっている為、呼び鈴に気付かなかった事が過去に何度もあったのである。
故に私はこういう時は、すぐに帰ってしまわずに、扉に鍵がかかっているかどうかをとりあえず確認するようにしている。
高齢の為に若干ボケてきている人物だが、鍵をかけぬままで外出する程にはまだ耄碌していなかったからだ。
念の為にもう一度、呼び鈴を押して待った上で、私はドアノブに手をかけた。
扉には鍵がかかっておらず、ドアノブは素直に右に回った。
どうやら高齢の院長は呼び鈴に気付かなかったようだ。開くということはおそらくいるということだろう。
「(こんな事をやっているから少ない客を逃すのだろうに……)」
私はそう思い、呆れながら家屋の中へと踏み入った。
受け付けには誰も居らず、診察室にも誰も居なかった。
本来は妊婦が座るはずの診察台の上には何故か大根が二本置かれていたが、少し奇妙な事をする院長の性格を知っていたので、私はそこはあえて気にしないようにした。
「……!?」
私に遅れて入ってきたフェネルが大根に気付いたが、文字通り言葉が無かったのか、無言で診察台を凝視していた。
「フォックス、私だ、イアンだ」
私が歩き、向かった先は、診察室の奥にある院長であるフォックスの私室であった。
フォックスは客が来ない時には大抵はこの私室にこもり、趣味であるクロスワードパズルをやって時間を潰しているのである。
「おいフォックス。居るのだろう?」
部屋の扉をノックして、しばらくそこで待った後、私は部屋の扉を開けた。
しかし、その部屋の中に院長であるフォックスの姿は無かった。
「(高くなっているな……)」
と、私が心配になったものは、部屋の片隅に積み上げられたクロスワードの本だった。
以前ここを訪れた時、その高さは私の首程だったが、今は私の頭を越えて、天井に届かんばかりになっていた。
これが「好きだから」というだけなら私も心配しないのだが、クロスワードをする時間と、仕事をしない時間とが密接に関係している為に、私は心配になるのである。
「産婦人科と葬儀屋はほっといても客がやってくる」
この診療所を開設した頃、フォックスはそんな事を言って、余裕の笑顔を見せていたが、このクロスワードの本の数を見ると……
昔の事を思い出し、少し切なくなっていると、診療所の入り口から誰かの話し声が聞こえてきた。
院長であるフォックスが帰ってきたのではないかと思い、私は入り口に足を向けた。
「……」
その途中でなぜか引け腰になり、大根を棒で突っ付いているフェネルを確認する事が出来たが、フェネルなりに考える所があってそうしているのだと思い、なんとなく哀れみを感じて、優しくその行動を放っておいた。
診療所の入り口ではシヤと老人が話していた。
老人はかなりの高齢で、頭の上の白髪は少し寂しくなっていたが、話し方と佇まいは年の割にはしっかりしている。
右手に杖を持ってはいたが、それは飾りと私は知っていた。
「いやいや、あんたのようなべっぴんさんならクロスワードクイーンになれますって。一度でいいから送ってみなされ。いやいやホント、マジじゃから」
どうやら老人……いや、フォックスはシヤを客と勘違いして話しかけていたようだった。
「やあフォックス。しばらくぶりだな」
少し困った顔をしているシヤを助けてあげる為に私はフォックスに声をかけた。
「……どなたさんじゃったかな?」
フォックスが私を見上げ、真剣な面持ちで眼鏡を上げた。
私は「ゴクリ」と息を飲んだ。
それが本気か冗談か、咄嗟には判断できなかったからだ。
しかしフォックスが「ニヤリ」と笑い、白い歯を見せてくれた事で私はそれを冗談だと理解する事ができたのだった。
「冗談にも程がある。自分の年を考えてくれ」
「自分の家がわかるうちはまだまだ現役ばりばりじゃ」
フォックスはそう言って、私とシヤの顔を見た。
「で、子供は産むのか? おろすのか?」
そしてとんでもない事を平然と言ってのけたのだった。
私とシヤは一瞬固まり、言葉の意味に気付いた後に慌ててそれを否定した。
フォックスは最初こそ、笑ってそれを聞いていたが、やがては否定を曲解したのか、
「おろすのか! この人間のクズどもめ! 自分達だけ良ければそれでいいのか! わしはお前達の非道を生ある限り忘れんぞ!」
と、突然激昂するのであった。
その誤解はシヤとともに必死で弁解することでなんとか解けたが、私はその代償として、額と脛に一発ずつ、杖での攻撃をもらってしまったのだった。
怒り狂うフォックスの誤解を解いた私達は、話し合いの場を廊下から診療室へと移していた。
診療台に乗っていた大根はフェネルによって叩かれて、ボロボロとなった無残な姿で床の上に転がっていた。
「なんでこんな所に大根があるんじゃ?」
おいおい、お前が置いたんだろう。もしかしてボケたか……
と、不安になるが、真実を知るのがちょっと怖いので、私はそれを無視しておいた。
私とシヤ、フェネルがそれぞれ診療室の椅子に座り、フォックスが自室から持ってきた椅子に「よっこいショータイム」と腰をおろす。
突っ込むのはもう面倒なので、私はそこで本題を切り出した。
金を借り、土地を担保に入れたとし、金を返しきれないままで借主が死んでしまった場合、その土地はやはり貸主に担保として取られてしまうのか。
率直かつ手短に私はフォックスに聞いてみた。
「先生、お金借りてるんですか!? ぼ、僕は関係無いですからね! 助手でもなんでも無いんですから巻き込まないでくださいよ!」
フェネルが椅子から立ち上がり、まるで汚物でも見るような目で私の事を見下ろしてきた。
私が「私の事ではない」と言うと、「なんだもう、びっくりしちゃいましたよー」と、笑って腰を下ろしたが、私はこの一件を決して忘れないと心に誓った。
こいつが将来金に困っても、鉄貨一枚も貸してやらんぞ、と。
「この国の法律では」
口を開いたのはフォックスだった。
「金を借りた本人が返済中途で死んだ場合、もしも遺族がおったなら借りた金の3割を返さねばならん義務がある。もし返せない状況じゃったなら、これは国が負担してくれる。じゃが、遺族がおらんかったらその時点で契約は終了となり、借り主が担保にいれたものを貸主が好きにはできんようになる。借主の財産が国のものになるからじゃ」
そこまでを言ったフォックスは「うんうん。確かそうじゃった」と、自分の言葉に納得するよう大きく頷いて見せたのである。
「そうか、ありがとうフォックス。参考になったよ」
フォックスに礼を言い、私は椅子から立ち上がった。
次に調べるべき事は「孤児院の土地の所有者が誰なのか」というだ。
「しかしアレじゃ、イアンよ。偽装詐欺の罪は重いぞ?」
と、言ってきたフォックスには笑顔で首を振って答え、私は次の目的地である孤児院へと向かう為に動き出した。
孤児院の土地の所有者は亡くなったという神父であった。
「うわっ! すごっ! 僕、本物初めて見た!」
当初、孤児院のシスターは私達を「借金取り」だと思い、所有者が誰なのかを教えてくれようとはしなかった。
しかし、「孤児院に寄付をしたいので所有者の方にお会いしたい」と、嘘を言って聞いてみると教えてくれたというわけである。
「コレかぶりものじゃないですよねぇ!? すごいリアル! 耳ながーっ!」
孤児院には子供が十数人と一人のシスターが住んでいた。
子供達は皆、まだ幼く、働ける年齢の子供は居なかった。
「顔だけ見ると凶悪だけどメッチャクチャ弱いってホントですか? ねぇ? ホントですか?」
「ゴ、ゴブゥ……」
「ゴ、ゴブゥ……じゃなくてホントですかって聞いてんの!」
シスターの年齢はおそらく20代の前半だろうが、問題や気苦労が多いのか、その表情には年不相応の疲れの色が浮かんでいた。
「えっ? まさか言葉わかんないの? ぷぷぷ! ゴブリンって頭悪っ!」
「コ……ス……ゾ」
「ん? 何? 何言ってんの? 人間の言葉じゃなきゃ僕わかんなーい!」
「コ……ロ……ス……ゾ」
「ひいっ!?」
シスターと神父との関係は驚くべき事に娘であった。
と、いっても血が繋がっているわけではなく、かつては彼女も孤児であり、神父に育ててもらったから娘なのだという事らしい。
これはつまりきつい言い方だが、法律上は他人であり、返済金の3割を払わなければならないという義務は発生しないという事である。
神父が死んでしまった時点で、返済の保証は国からとなり、貸主が孤児院をどうこうする事は出来なくなっていたわけなのだ。
「来るな! こっち来るな! やめろ! 触るな! タスケテセンセー!」
「コパック、ナニモ、オコッテナイ。コパックタチ、トモダチ」
「あ……ああ~~~ごめんよ、僕がバカだったよ~!」
先ほどからうるさいのはコパックとフェネルで、何が一体どうなったのか、一人と一匹は今現在は友情を深めているようだった。
帰り際、私達は孤児院の礼拝堂に通され、かつてはここが教会であったという事を教えられた。
そこには懐かしいものがあった。
どこで見たのかは忘れたが、100年以上前に見た女神像がそこにあったのだ。
一体どこで見たのだろうか、私は結局思い出せなかったが、さして重要な事では無いと、シスターに別れを告げた後にコパックが待つ自宅へ戻ってきた。
法律で彼女達を救える事はこの時点でわかっていたが、依頼人であるコパックがどうしたいのかを聞く事が一応の筋だと思ったからだ。
「じゃあね、僕の宝物のバッジをあげるよ。「絞殺!中立マン!」って漫画の主人公がつけてるバッジなんだよ。友好の証に受け取ってよ」
「アリ……ガトウ。コパック、ダイジニ、スル」
そのコパックはフェネルに捕まり、今までさんざんに絡まれていたが、友情を成立させた事で一応の終息を迎えたようだ。
「コパック」
話を切り出すのは今だ。と、私はコパックに話しかけた。
コパックはすぐに振り向いて私の話を聞こうとしてくれた。
が、話そうと口を開いた直後、シヤが居ない事に気付き、私は用意していた言葉を飲み込み、「すまない。少し待ってくれ」と、間抜けな事を言うのであった。
シヤはそれから数分後、人数分の紅茶を持って応接室へと戻ってきた。
シヤに通訳してもらい、コパックに状況を伝えた私は、その上でコパックがどうしたいのか、彼の意志を質問してみた。
「法律が直ぐに解決してくれるなら自分はそれでもかまわない」
それがシヤの声を通して伝わったコパックが出した答えであった。
コパックの望みは叶わなかった。
法律は問題を直ぐには解決してくれなかった。
手続きによって1日が、そして手続きの反応を待つ為に更に2日が無為に過ぎた。
手続きを開始してから4日目。
ようやく届いた返事はというと、
「解決に向けて検討中」
という、ただ一行のものだった。
言い方は良いが体のいい「後回し」という意味である。
少なくとも、今現在の金貸し達を抑制する力は全くない。
もちろん地道に請求すれば、法律に沿って対処してくれるのかもしれないが、時間は待ってはくれないのだ。
私達は解決の為、別の道を探す必要があった。
「もう力ずくでいいじゃないですか。悪い奴らをボコボコにして役所の軒に吊るしましょうよ。「ミノムシ」とかいう張り紙つければ役所も皆も怪しみませんって」
フェネルに言われるまでもなく、私は力での解決をすでに考えつつあった。
しかしその考えはフェネルのそれとは少し違った。
力ずくで追い払っても、悪党はそれを上回る力をもって復讐してくる。
ならば力だけではない、心理的恐怖を刻む事が、彼らを永久に追い払う手っ取り早い手段なのだ。
「この手でいくか」
私は少々悪戯めいたひとつの作戦を思いついた。
100年以上前に見た、例の女神像が孤児院にあった事がそれを思いついたきっかけだった。
それを成すためにはシヤ……というか、女性の協力が欠かせない。
「シヤさん。悪党を追い払う作戦が浮かびました。貴女に協力していただけると非常にありがたいのですが」
「勿論、協力させていただきます! わたしにできる事ならなんでも!」
「ありがとう。助かります」
私とシヤ、そしてオマケのフェネルによる孤児院救済作戦が始まった。
作戦を開始するにあたり、まず最初にやるべき事は孤児院に住んでいる者達の協力を得る事だった。
私達はシスターに会い、全ての事を彼女に話した。
彼女は最初警戒し、「なぜそんな事をしてくれるのか」と、困惑している様子だった。
しかし、彼女に命を救われ、恩返しをしたい者が居るという事を告げると、「主のお導きに感謝します」と言って、私達を受け入れてくれたのだった。
孤児院の協力はこれで得られた。
後は多少の用意をし、不当な取立てをする悪党がやって来るのを待つだけである。
「いいか、決してわざとらしくするなよ? お前の最初の一言で全てが決まってしまうのだからな?」
とは、フェネルの要望で与えてやった一番重要なセリフに対する私の小さな注文だった。
「失礼しちゃうなぁ。僕の演技力をもっと信用してくださいよ。先生があっと驚くような、凄い演技をしてみせますから」
演技力云々よりも、私はまずフェネルそのものを信用していなかった。
が、今後の関係の事を考えて敢えてそれは言わずにおいた。
「助っ人の先生! やつらが来たよ!」
と、部屋の中に飛び込んできたのは孤児院に住む男の子だった。
私を先生と呼んでいるが、これは医者という意味ではなく、用心棒という意味の先生なのだと思われる。
「では打ち合わせどおり礼拝堂に通してくれ」
「わかったよ先生!」
男の子が返事をし、飛び込んできた時と同じ勢いで部屋から飛び出て走って行った。
「では私達も行くとしようか」
「わかったよ先生!」
「……真似したつもりか?」
「つもりです」
「……」
フェネルは基本いつだってうざい。
男の子から少し遅れ、私とフェネルも部屋を出た。
向かう先は孤児院内で最も広い場所だった。
「頼むからわざとらしくはするなよ? 何度もいうが大事なセリフなのだからな」
「わーかりましたって! あんまりしつこいとわざとわざとらしくしますよ!」
「わかった。私が悪かった。もう言わないからちゃんとやれよ?」
「んもー、どんだけ信用してないんですか!」
全く、とはさすがに言えず、フェネルに任せてしまった事を私は少し後悔しつつ、礼拝堂にむかうのだった。
礼拝堂には女神像と、10人程が並んで座れる長椅子が10列置かれてあった。
女神像の全長はおおよそで4㍍程度あり、誰かを迎えるようにして両手を広げて立っていた。
10列ある長椅子には最後列の一部を除き、座っている者の姿は無かった。
礼拝堂の中には人が僅かに5人居るだけだった。
その内の1人は最後列の長椅子にふんぞり返るようにして座り、他の4人はその男を警護するようにして立っていた。
風体は一般人とは違う、所謂ところのマフィア風で、誰に説明を受けずとも彼らが強引な取立てをする悪党達だという事がすぐにわかった。
「(じゃあ僕は帰りますね。先生あとはお願いします)」
彼らを見るなりそう言って、フェネルはそそくさと帰ろうとした。
だが、それを受け入れてあっさり帰してしまう事は現状では無理な話だった。
フェネルは重要なセリフと役目を大言を吐いて引き受けたのだ。
気持ちが分からないわけではないが、代役が他に居ない以上は帰す訳にはいかない。
私はフェネルの肩を掴み、「そうはいかんぞ!」と、凄んで見せた。
「(いやだ! あいつら絶対ブチギレますって! 剣とか刀とかブンブン振り回しますって!)」
フェネルは殆ど半泣きだったが、私が引かない事を知ると、観念したかのように黙り、死刑台に上る囚人のような足取りで私について来たのであった。
私とフェネルは長椅子の最前列に腰掛けて作戦開始の時を待った。
「おい! いつまで待たせる気だ! 俺達も暇な身じゃねぇんだけどなぁー!」
2分ほどが経っただろうか、長椅子に座っていた男が柄の悪い声でわめいた。
その言葉の対象は勿論私やフェネルではない、いまだに姿を現さない建物の主のシスターである。
中に通されたはいいが、話し相手となるシスターがなかなか姿を現さないので彼らは苛立ってきているのだ。
「(ここまでは作戦通りだな)」
と、私はフェネルに小声で言ったが、フェネルは爪を噛みながら「ヤバイよあいつら激ヤバだよ。問答無用で皆殺しだよ……」と、ブツブツと独り言を言っていて私の言葉には反応しなかった。
「おい! 聞こえてんだろコラァ! 気が変わったとか言うんじゃねぇだろうなあ!」
2度目のそれは先程よりも大きな声でのものだった。
手近にあったものに当たり、それを破壊してしまったのか、直後には板を破ったような破壊音も聞こえてきた。
「すみません。お待たせしました」
そこへ姿を現したのは建物の主のシスターだった。
彼女は勿論聞こえていたが、「奴らを焦らす作戦」の為、敢えて無視していたのである。
私達の眼前を通り過ぎて、彼女は最後列へと向かった。
その際に私を「チラリ」と見たのは、「これでよかったのか?」という、私の了承を得る為のサインだろうと思われた。
彼女はすでに居なかったが、私は小さく頷いた。
後は奴らの元へ行き、「知人から聞いた話」と言って、孤児院を渡さないで良いという事を告げれば、奴らはそこで大激怒し、その大激怒を以って作戦は最終段階に突入する予定だった。
「あぁ!? わけのわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ! いいからさっさとサインしろや!」
おそらくは彼らのボスなのだろう椅子に座った男がわめき、男を警護する他の4人が「そうだそうだ」と口々に言った。
しかしそれでもシスターは色よい返事を出さなかったのか、彼ら、彼女の間で瞬間、やり取りが途絶え沈黙が生まれた。
「……自分の立場というものをアンタは少しわかるべきだな」
ため息まじりの小さな声で、ボスらしき男が呟いた。
それは大きな声ではなかったが、沈黙した場に良く透る、ドスの効いた声だった。
「(私がくしゃみをしてから10秒だ。忘れずに実行するのだぞ?)」
シスターの役目は終了し、私の役目がやってきた。
そう判断した私は立って、フェネルに念を押した後に彼らの元へと向かっていった。
「失礼。話が聞こえてしまったのですが、あなたたちはもしかして借金取りか何かですか?」
あくまで偶然を装いながら、私は彼らのボスなのだろう椅子に座った男に聞いた。
返って来た答えは「なんだテメェは?」という、回答とは無関係のものだったが、こちらとしてはむしろそれは歓迎するべき返答だった。
「ああ失礼。私はエクレア・アルマーニといって歴史や神学を研究している者です。あなた達の話が聞こえ、もしやこの教会を借金のかたにしようなどとしているのではないかと心配し、こうして質問したというわけです」
自己紹介(全て嘘だが)を自然に終えられ、私という者の存在を彼らにアピールできたのは、ボスの「なんだテメェは?」という、ありがたい言葉のおかげであった。
ボスのその言葉が無ければ、この後の作戦に続ける為に、不自然にでも強引に自己紹介をしなければならなかった。
良い流れを作ってくれたボスには感謝をするほかに無い。
「その、なんだ、研究者がか? なんで俺達を心配するんだ?」
聞いてきたのはボスではない、他の4人の1人だった。
「いえ、あなた達がこの教会を取り上げようとしているのでなければ、何の問題も無いのですが……」
尤もらしく私は言って、彼らからの言葉を待った。
私を研究者だと信じているのか、彼らは動揺した様子でお互いの顔を見合っていた。
「……ここは教会じゃなく孤児院だろうが」
口を開いたのはボスだった。
他の4人等とは違い、表情に動揺は見られなかったが、口調と語調は明らかに先程までとは違っていた。
「いえ、残念ながら教会です。今は礼拝する者が少なく、孤児院として通っていますが、あの女神像が示す通り、ここは立派な教会なのです」
私が言った「女神像」とは、最前列の壇上にある両手を広げた像の事だった。
あの像がなぜここにあって、どんな歴史を刻んできたのか、私は全く知らなかった。
知っていた事はただひとつ。
私が覚えている限り、100年以上昔から存在しているという事だけだった。
「(あ、アニキ、教会の土地を巻き上げるなんてしたら、俺達バチがあたりやせんかね?)」
「(あ、ああ。しかも取り壊してあっはんバーだろ? たたりがあっても不思議じゃねぇぜ……)」
小さな声で言い合ったのは警護をしている2人だった。
「余計な事を言うんじゃねぇ!」とすかさずボスが叱ったが、それは土地を巻き上げて、教会を取り壊した後にあっはんバーを建てる事を認めているようなものでもあった。
……よりにもよってあっはんバーとは。
「やはりそうでしたか……」
その事を今知ったかのように残念そうに私は言った。
「やめた方が良いですよ? バチやたたりというものは本当にあるものですからね」
私の役目はここまでである。
これで奴らが引けば良し。
引かずに強行するようならば、怖い目に遭ってもらうだけだ。
「……へっ。バカらしい! そんなもんがあるわけねぇだろうが」
はたしてボスはそう言って、長椅子から「むくり」と立ち上がった。
「さあシスターさんよ。今日こそはこれにサインをもらうぜ。アンタがあくまで嫌だっつーなら可愛い子供達の誰かが近々家出する事になるかもしれねぇな?」
懐から出した書類を右手にボスがシスターにサインを迫った。
それは明らかに脅迫であり、こんな事では引かないという意思の表れでもあった。
私は作戦続行を決意し、大きなくしゃみをしてみせた。
「失礼」
と、私が謝ってから、5秒、6秒とが過ぎた。
「……」
そして10秒が経過したが、長椅子の最前列に居るフェネルは行動を起こさない。
やむを得ずもう一発、私は大きなくしゃみをするが、それから10秒を待ってみても結果は同じ事だった。
フェネルは居るには居たのだが、おそらく忘れてしまっているのだ。
あれだけ念を押したのに信じられない奴である。
だからといって今ここで「フェネル!」と名を呼ぶわけにもいかず、私は最後の手段として、
「フェェーネッルックション! フェェェェーネルックショォーン!!」
と、ヤケクソなくしゃみをしたのであった。
シスターを含む全員から冷たい視線を浴びながら、私はフェネルが思い出し、行動してくれる事を強く願った。
「フェネルックション!」と4回ほどを連発した頃だろうか、ようやくフェネルがこちらに気付き、私に親指をグッとたてて見せた。
それが1回目であったなら私も「よし!」と納得したが、今更そんなものを見せられたところで、もう皆の私に対する微妙な反応を覆すことは出来なかった。
「う、うわぁああ~、めがみぞうのうえに、めがみぞうのうえにめがみさまがぁ~」
そして極めてわざとらしく、かつ棒読みのフェネルの声で私は地面に膝をつきそうになった。
「な、なんだありゃあ!?」
悪党達は私と反し、フェネルの声に釣られていた。
女神像の上に立っている「女神」の存在を目の当たりにし、動揺を強めていたのである。
白い羽衣をその身に纏い、長い髪を纏めたシヤがその「女神」の正体だった。
「美しい……」
と言ったのは、私ひとりでは無くボスもだった。
感覚が似ているのは嫌だったが、誰もがそう言ってしまいそうな程シヤの姿は美しかった。
「罪深き子達よ。ここはわたしの聖域です。邪まな考えは捨てなさい。さもなくばあなた達に天罰がくだされる事でしょう」
女神扮するシヤが言って、悪党達からの返答を待つ。
悪党達は「ど、どうしますボス!」と、ボスの判断を仰いでいたが、肝心のボスがシヤに見惚れ、言葉を出せずにいた為に仲間内では「どうする!?」と騒ぐことしかできないようだった。
「……考えを変える気は無いようですね。では、天罰を加えます」
シヤが右手を頭上に掲げた。
「違ッ……! ちょっ、待っ……!」
と言った男の1人が気の毒だったが、「女神」の天罰を代行するべく、私は彼らに気付かれないよう密かに魔法を発動した。
発動するのは下級魔法の雷による雨である。
彼らの頭上の空間から雷の矢が発生し、有無を言わせずその体に雨のように降り注ぐ。
その電量は調節した為、死亡するまでには至らないが、立っている力が無くなる程にはダメージはあるはずだった。
「ホギャァアーーー!」
「ああああああん!!」
各人様々な絶叫を上げ、そして全員がその場に倒れた。
「あ……あ……♡」
と、なぜかボスだけは恍惚の表情をしていたが、その理由は私にはわからなかった。
「この教会には手を出さないと、今、わたしに誓いなさい。誓わないのならば今度はより厳しい罰を与えます」
シヤの言葉に悪党達がそれぞれ「誓います!」と叫んだ。
ボスだけは「もう一度天罰をください!」となぜか懇願していたが、私には、理由は、わからなかった(あまりにしつこいので仕方なく、もう一度天罰を加えてやったが……)。
悪党達は女神を信じ、孤児院に手を出さない事を女神に誓って帰って行った。
作戦は見事成功し、孤児院は守られたのである。
孤児院を救った日の翌日、依頼の達成を見たコパックとの別れの朝がやって来た。
コパックは当初の手段でこそ救う事ができなかったが、命の恩人が救われた事に満足している様子だった。
謝礼となる代金こそ少なかったが、
「アリガトウ、センセイ」
と、言葉を覚えてくれた事が何よりの報酬だったと思う。
「ねーねー、最後に頼みがあるんだけどシヤさん通訳してくれません?」
そう言ったのはフェネルだった。
どうやら「弱い弱い」と言われるゴブリンがどれだけ弱いのか、戦って試してみたいらしい。
どれだけ弱いと言われてもフェネルよりは強いという事を私は知っていたのだが、調子に乗りすぎるのがフェネルの悪い癖だ。
たまには痛い目に遭わせてやる事も必要だと思い、敢えて何も言わずにおいた。
「戦ってもいいみたいです。ただし本物だと危険だから木刀でいいなら、と言っていますが」
「ヒャッホー! オッケー木刀でもいいよ!」
コパックの返答を聞いたシヤが、今度はフェネルの答えを聞いて、コパックに再びそれを伝えた。
コパックが頷いて、お土産の入った荷物を置いて、林の中へと入って行った。
30秒程が経過した後、コパックは木刀に見えなくもない、太目の木の枝を持って戻ってきた。
「怪我をするなよフェネル」
私が優しさからフェネルに言ったが、フェネルは「超余裕ですって!」と、世の中の事を甘く見て、生意気な口を叩いた。
「(せいぜい痛い目に遭わせてもらえ。いい勉強になるだろう)」
私が思い、ニヤつく中で戦いは静かに開始された。
勝負はほんの一瞬だった。
フェネルが切りかかって行った直後、決着はついていたのである。
まさかこれほどだったとは、と、私とシヤは呆気にとられた。
地面には頭を強打され、気を失ったコパックが居た。
「……弱っ」
それが戦いの勝者たるフェネルが吐いた言葉だった。
あまりにも予想外の結果に、私は呆然とするしかなかった。
コパックはこのあと脳震盪で1日入院する事となった。
油断していた、と言っていたが、その言葉の真偽は定かではない。
孤児院を取り上げようとしていた悪党達のボスはどういうわけか考えを変え、孤児院を全力で後押しする善良なスポンサーとなったそうだ。
後日、いつ写真を撮ったのだろうか、シヤがクロスワードクイーンとしてクロスワードの本に載っていた事は本人も驚く事件であった。
お付き合いありがとうございました!
もう完結している作品ですが、良ければ感想等頂けると嬉しいです!
あと、フォックスのイメージ的な声は、もうお亡くなりの方ですが、当時は永井一郎さんのつもりで書いて居ました。
ご冥福をお祈りいたします…