神秘の森の聖なる俗物
今回ちょっとシモ系かもしれません。
人間の事じゃないんですけどね…
苦手な方はスルーして下さーい(汗)
2月の半ばに差し掛かったある日、我が家にリーンが訪ねて来た。
珍しい事に私は驚き、彼女をすぐに中へと通した。
応接間に行き、話を聞くと、「また、お願いがあって来ました」と、言い辛そうにリーンは言った。
これがフェネルなら「勘弁してくれ……」となるが、相手はいつもお世話になっている、ドリアードゲートのリーンである。
私は1も2も無く快諾し、「それはどのようなお願いですか?」と、リーンに内容を伺ってみた。
リーンはひとまず、「すみません」と言ってから、私の前で話を切り出した。
「先生はユニコーンをご存知ですか? 聖なる獣、と言われる程の清らかな心を持つ一角獣です。今、この、ユニコーンが絶滅の危機にあるらしいんです。ケンタウロス達も心配していて、先生ならどうにかしてくれるんじゃないかって、私の姉妹に頼んできたらしくて……」
そして、それがリーンに伝わった。
と、おそらくそういう流れなのだろう。
つまりがリーンのお願いでは無く、これはケンタウロス達のお願いな訳である。
だからと言って断らないが、リーンに言われてはその余地も無い。
私は「なるほど」と一声言って、それから「わかりました」とリーンに言った。
彼女に対して過保護までに優しいが、これも全ては恩返しの為だ。
下心はまぁ……ほんのちょっとしか無いと言うのが本音である。
私だって男なのだから、それ位の事は見逃して欲しい。
「ありがとうございます先生。私、本当に何も出来ないのに……」
「いやいや、いつもお世話になっていますから。そこは全く気にしないで下さい」
リーンの言葉を右手で制し、思う所を私が言った。
その時にはレーナが飲み物を持ってきてくれ、なぜかの無言でそれらを置いた。
それから若干「つーん」とした顔で、何も言わずに台所へと戻る。
機嫌が悪いのか……? と、私は思ったが、それを言わずに「どうぞ」と言った。
「ちなみに、絶滅の危機にある、とは、具体的にはどういう感じで?」
紅茶を飲みながら聞いてみる。
「あ、すみません。その辺りの事は私にはちょっと……ケンタウロスの長老なら知っていると思うんですが」
一口飲んで、それを置いて、リーンが私の問いかけに答える。
「そうですか。まぁ、お気になさらず」
私が言うと、「すみません……」と言って、リーンは再び紅茶を飲んだ。
事前に何かを知っていれば、出来る事が無くも無いのだが、まぁ、こればっかりはリーンに言っても仕方が無いと言える事だろう。
兎にも角にも行かねばなるまい。
紅茶を飲みきり、置いた私は、それを言う為に台所に向かった。
レーナはシンクを掃除しながら、「ぶつぶつ」と何かを呟いていた。
「絶対扱いが違うと思う」
とか。
「好きなんだ、絶対好きなんだ」
とか、訳の分からない事を言っていたので、私はまずは小首を傾げた。
「レーナ」
そして、それから声をかけると、レーナは「ヒイッ?!」と、体を震わせるのだ。
「あ、ああああ、せ、先生?! い、いつからそこに……!?」
「い、いや、今の今だが……」
なんだか妙な反応である。
訳の分からない私はそう言い、それから外出すると言う旨を伝える。
「もし良かったらついて来てくれるかな? まぁ、戦いなどにはならないと思うが」
その上で、レーナに誘いをかけたが、
「……あ、いえ、今回は遠慮をさせて下さい。家計的にもちょっとアレですし、簡単な診察ならしておきますので」
珍しい事にレーナは拒否し、その場で頭を軽く下げたのだ。
「そうか……なら、申し訳ないが、こちらの事はよろしく頼むよ」
家計の事に触れていた為に、私は前向きにそれを受け入れた。
どこぞの格闘バカのお蔭で、我が家の家計は火の車なのである。
風邪や、切り傷程度の事なら、今のレーナなら十分こなせる。
つまり、見習いの女性医師が、留守番をしてくれるようなものなのだ。
レーナの「分かりました」という声を聞いて、私は応接間に足を戻す。
そして、「じゃあ行きますか」と言って、リーンに出発を伝えるのである。
リーンの「良いんですか……?」という質問には、疑問を持ちつつ「え、ええ」と答える。
どういう意味で、何が良いのか、私には理解が不能だったからだ。
私達はリーンに連れられ、ケンタウロス達の集落を再訪していた。
なぜ、私「達」なのかと言えば、途中でフェネルに見つかったからで、
「どこ行くんすかどこ行くんすかどこ行くんすか! 楽しい所でしょ楽しい所でしょ楽しい所でしょ!?」
と、やたらとクソうるさかったので、仕方なく連れて来た為であった。
「あれっ……なんか思ったより楽しくないっすね……」
着くなりフェネルはそう言って、高いテンションを急降下させた。
だからそんな所じゃない、と、何度も何度も言った訳だが、実際、こうして体験しないとこの子は分かってくれないらしい。
「あ! 先生! お久しぶりです! 義足、ありがとうございました!」
言って、私達を出迎えたのは、いつだったかに足を切除したケンタウロスの子供であった。
義足にもようやく慣れたのだろう、歩き方にも違和感が少ない。
見れば、父親もその後ろにおり、私達の事を出迎えていた。
何時訪ねるかは分からなかったろうに、ありがたい事だと私は思う。
「だいぶ慣れたみたいだね? 違和感を感じたり、壊れたりしたら、いつでも私に言ってきてくれよ?」
少し屈んで私が言うと、ケンタウロスの子供は「はいっ!」と言った。
直後にはフェネルが「気持ちわるっ!」と言い、私の心を軽くえぐる。
おそらく同じ位の年齢だろうに、どこをどうしたらこれほどの差が出来るのか。
私はそれに疑問して、首を振りながらに姿勢を戻した。
「お蔭様でこれも走れます。どうぞこちらへ。イアン先生」
ケンタウロスの子供の父が言い、先導するように歩き出す。
それにはすぐに息子が続き、それから私とリーンが続いた。
フェネルは「何か言いなさいよ!」と言って、無視をされた事に「きいっ!」と言ってから、私達の後ろに小走りで追い付いて来た。
小川を越えて、湖を見る。
いつか手術をした場所である。
そして、そこを通り過ぎ、神秘的な木々に囲まれる細い道を歩いて抜けた。
集落の入口からおよそ10分。
そこには彼らの族長たる、長老の家が構えられていた。
「長老、イアン先生をお連れしました」
すだれのようなものをのけて、子供の父親が中へと入る。
子供は「それじゃ失礼します!」と言って、元来た道を戻って行った。
「どこぞのお子様にも見習って欲しい位だ。敢えて、誰とは言わんがな」
「うわっ、サイアク。そんなの聞いたら怒りますよ姉さん」
姉さんじゃないよ! お前だよ!
そう言おうとしてそれを呑み、私は代わりに息を吐く。
「悪かったな、今のはナシだ」
と、一応にそう言ったのは、エリスの復讐を恐れる為である。
「口封じには甘いモノと昔から相場が決まっておりまして……」
ふざけた事にフェネルはそう言い、「甘いモノをおごれ」と暗に示した。
「っち、あー、分かった分かった。今度何かおごってやるから、今回の事はエリスには黙ってろ」
そうでなくともおごっている為、私の憤りはそれほどでも無く、故に、提案をあっさり呑んで、フェネルに向かってそう答えるのだ。
「やったね先生! だからあくまでそこそこ好きさ!」
そこそこかい、と思いはしたが、「大好き♡」と言われても引くものがある。
だから私はそこには触れず、「そうかそうか」と言って置いた。
「どうかしましたか、先生?」
と、子供の父親が顔を出してくる。
なかなか入って来ない為に、何かがあったのかと心配したのだろう。
「あ、いや、何でも。ちょっとした意見の食い違いです」
私がそう言って動き出すと、父親は「そうですか」と顔を引っ込めた。
中へと入り、長老と向かう。
続けてリーンとフェネルが入り、私の後ろに分かれて立った。
「お久しぶりですなイアン先生。まぁ、まずはおかけくだされ」
長老に言われ、私が頷く。
そして、入口から見た場合の左手最奥の椅子に座った。
その右にフェネル、更にその右にリーンが腰を収めて座る。
ケンタウロスの子供の父は、長老に頭を下げた後に出て行った。
「ある程度の事は知っておりますな?」
「ええ、ユニコーンが絶滅の危機にあるとか。具体的な事は知りませんが」
聞かれた為にそう答えると、長老は「そうです」とひとまず言った。
「あれは、我らの仲間であります。絶滅させるのはしのびない。余計なお世話だと思わなくもないが、どうにかして助けてやりたいのですな」
それからそう言い、息をついて、唐突に黙ってしまったのである。
「あ、あの……? 具体的には? 誰かに狙われているだとか、或いは住める場所が無くなっているとか、そういう何かがあるのではないですか?」
不安に思った私が聞くと、「……まぁ、そうなのですが」と、長老は言った。
なんだか話し辛そうだ。
黙ったのではなく、どう言ったものかと考え込んでいたのかもしれない。
「つまり……」
長老がようやく口を開く。何を言うのかと注目していると、
「相手が居らんわけですな」
と、長老は意味不明な事を言った。
「あ、相手とは……?」
理解不能な私が聞くと、
「その……要するに、こ、交尾の、相手が……」
と、長老は顔を赤くして言った。
直後には額の汗を拭い、大きな息を「ふうっ……」と吐く。
彼らにとっては恥ずべき事なのか、その点も私には理解不能だ。
ともあれ、状況は把握できた。
つまり、彼らはユニコーンの交配相手を探して欲しいのだ。
本人が望む、望まないはともかく、このままでは絶滅してしまう事が、火を見るよりも明らかなのだろう。
どこに居るのか、それは知らない。
見つけられるのか、それは分からない。
だが、私はこのお願いを断るつもりは一切無かった。
間接的なものだとは言え、これはリーンのお願いだからだ。
彼女の為ならゴキブリの無菌養殖だって喜んでする。
それ程の借りが、私にはあるのだ。
「分かりました。やってみましょう。本人の意思を聞いておきたいので、彼、いや、彼女ですか、どちらでも構いませんが、住んで居る場所を教えていただけますか?」
故に私はそう言って、困難な仕事でも喜んで受けるのである。
「先生のやる気のオーラが無尽蔵に膨らんでいく!」
とは、それを聞いたフェネルの言葉で、私自身、それはまぁ、自覚をしている所ではあった。
好意と言えば好意からだが、レーナへのものと質は違う。
そこは自分自身の為にも、ここに明記しておこうと思う。
「いかん! このままでは! このままでは私達は!! うわぁぁぁあぁ!!?」
フェネルが言って「ぱたり」と伏せた。
「……」
全員が理解不能な為に、フェネルはそのまま無視されていた。
ユニコーンが住んでいる森と言うのは、ケンタウロス達の集落から、1時間程歩いた場所にあった。
近くには巨大な湖があり、その湖の背後には大きな山が連なっている。
自然がそのままの雄大な場所だ。
ドリアードであるリーンに導かれ、私達はユニコーンの生息地に辿り着く。
そこは緑色の地面が眩しい、穏やかで暖かな聖域だった。
見た目の印象は白い馬。
しかし、額には角を持つ、ユニコーンはその場所に、伏せるようにして体を休めていた。
「誰です……?」
ユニコーンが体を起こす。
私達の気配に気付いたようだ。
「どうやら人間では無いようですね……このような所に何用ですか?」
優しそうな瞳を向けて、ユニコーンが質問してくる。
「馬が喋った!」
と言うフェネルを押しのけて、訪ねて来た理由を私が話す。
「なるほど……ケンタウロス達がそんな心配を……ありがたい事だと感謝すべきですね」
全てを話すとユニコーンが言った。
俯きながらそう言う様は、形はともあれ人間の如しだ。
「それで、これが重要なんだが、君自身は興味はあるのか? その、つまり、そういう事に」
成り行きを知り、納得したユニコーンに私が本人の意思を聞く。
「そうですね……本能に従うのなら、ある、と言わざるを得ないのかもしれません。いや、もっと正直に言うなら、したくてしたくて仕方が無いのでしょう」
聞いた私の動きが止まる。
今、こいつ何て言った? と、疑問しているのがその原因である。
「例えばそこの倒木ですが、パッと見、4本足に見えますよね? あんなものに欲情する程、私は飢え切っているらしいのです」
見るとふつーーの倒木だった。
4本足にはとても見えない。
だが、彼? は、それで興奮し、劣情までも覚えてしまうらしい。
「そこの岩等もっと露骨です。ユニコーンのメスの臀部にそっくりだ。思わず飛びかかってしまいそうになる。猛烈に腰を振りたくもなる。それ程に私は追い詰められているのでしょう」
「すみません、普通の岩なんですが……」
今回ばかりは黙って居られず、私は直後にそう言っていた。
「それもそうだ。私ももう35才。そういう事に未経験というのは、自然の摂理に反した事なのですから」
やめて、リアルな年齢は!
聞いた私は額を押さえ、リーンは「あんぐり」と口を開けていた。
清らかな心を持つというが、むしろこんな俗物は今までに一度も見た事が無い。
「聖なる獣ユニコーン……お笑いですよ、今の私には。せいぜいがそう、性の獣、性獣ユニコーンと言うべきでしょう」
それはうまい事を言っていたので、私は何も言わなかった。
「あー、じゃあ、ともかく、だ。相手を探す事には賛成なのだな……?」
「やぶさかではありません」
私が聞くと、ユニコーンはそう言った。
メンドクセー奴だな!? と、一瞬思ったが、それを隠して「そうか」と呟く。
「それではまぁ、なんとかしてみよう。何時になるとは約束出来ないが、解決に向けて努力はしてみるよ」
そして、そう言って立ち去ろうとすると、
「ちょっと待ってください」
と、ユニコーンは私達を呼び止めるのだ。
「自分の事ですから、私も行きましょう。相手にも選ぶ権利はありますが、私にだってそれはあるはずです」
言って、ユニコーンは前髪を動かした。
格好を付けているつもりなのか、それは全く格好良くないし、何よりちょっと贅沢だ。
「いや、数が少ないのだから、そんな事も言ってられないんじゃないのか? この際贅沢は……」
「だからこそです!」
私の言葉を途中で遮り、ユニコーンは更に言葉を続けた。
「だからこそ! 相手は慎重に選ばなければなりません。誰でも良いという訳では無い、共に生きていく相手の事で慎重になって何が悪いのです?」
やりたい盛りのユニコーンの意見としては正論である。
私としては「まぁ」としか言えず、だからと言ってその姿でついてこられても困るので、「しかし」とその後に言葉を続けた。
「そんな姿では外を歩けまい? 人間達に見られたらどうする? 君の角は万能薬として、人間達からは珍重されているのだぞ?」
そう言うと、ユニコーンは「そうですね」と言った。
そして、その後に「大丈夫です」と言って、再び前髪を動かすのである。
「それは何なの? かゆいの? かいてあげようか?」
「違います! 失敬な! 格好をつけているのですよ!」
フェネルが言って、ユニコーンが言う。
言われたフェネルは「あ、そうですか……」と言い、アホを見る目でユニコーンを見つめた。
「それに何より男性には、体に触れて欲しくはないのです。穢れがうつってしまいますので」
「(良く言うな……頭の中は穢れだらけの癖に)」
その言葉には心の中で、私がそっと突っ込んでおいた。
「そう、私に触れられるのは、あなたのような穢れ無き乙女だけ。触りたければどうぞご自由に。さぁ、どうぞ触って下さい」
パカリパカリ、と近づいて、ユニコーンがリーンに向かって言った。
リーンは「あ、えっ……」と戸惑っていたが、あまりにしつこいので「じゃあ……」と言って、ユニコーンの背中を軽く撫でた。
「おぉう……なかなかのテクニシャンだ。ユニコーンの喜ぶツボを貴女は良く心得ていらっしゃる。もっと下を……そう、もっとソフトに……オォウ! オオゥ……! 素晴らしい……たまらんですよ本当に」
ユニコーンは鼻息荒く、目を血走らせてリーンを見ていた。
「目! 目ぇー!」
と、私が言うと、ユニコーンは慌てて首を振る。
「ま、まぁ、ともかくそういう事です。ご一緒しますが、くれぐれも、私の体には触れないで下さい?」
「この場所についててなんでう〇こがつかないんだろ?」
いや、なんか触ってますよ。
うちのフェネルがあなたの尻尾を。
だがまぁ、気付いて居ないようなので、私は「ああ……」と答えて置いた。
「では行きますか」
ユニコーンが言い、直後には、その身体を白い煙で包んだ。
「わぁっ!?」
フェネルが驚き、一歩をたじろぐ。
その眼前には20前後の、白髪の男性の姿があった。
顔はまぁ、美形の部類で、体には白いローブを着ていた。
これは、ユニコーンが化けたものだが、2ヶ所程おかしい所があった。
「まぁ、こんなものでしょう? どこか異常はありますか?」
聞かれた為に私達は答えた。
3人揃って同時に「角」と。
そう、彼の額には角がそのまま残っていたのだ。
あとはそう、年齢だが、そこはそっとしておいてあげようと思う。
「これはっ……とんだ失態でした。むううんっ! ……ふぅ。これでどうですか?」
気合を入れてそう言うが、角は若干短くなっただけ。
何度も繰り返して10センチ程になったが、それ以上はどうしても無理のようだ。
「まぁ、これくらいなら良いんじゃないっすか? 旗でもかけてりゃ目立たないでしょ?」
「逆に目立つわ……だがまぁ、仕方ない。何とか誤魔化そう」
フェネルに言って、私は考え、結果としてローブの後ろについたフードを深くかぶってもらう事にした。
「あー、大丈夫。パッと見では分からない」
前部が少し膨んでいるが、パッと見ではそこまでヘンでは無いだろう。
この事により問題は解決し、私達は今後の予定を決める為に、一旦我が家へ帰る事にするのだ。
「ああ、遅くなりましたが、私はトレアです。どうぞよろしくお願いします」
ユニコーン改め、トレアが言って、私がそれに「承知した」と返した。
それから2時間後。
私達は、ラーシャスが住んでいる洞窟に来ていた。
我が家へ帰って考えてみたが、結局の所良案が出ず、「困った時のラーシャス頼み」で、彼を訪ねたと言う訳である。
いつもであれば静かな場所だが、どうした事か今日は違った。
洞窟の前には荷車があり、人足らしき男達が、大きな箱を積んでいたのだ。
そして、それと入れ替えるように、酒樽のようなものを持って、洞窟の中へと運んでいたのである。
「(何なんだ? 引っ越しか……?)」
それを横目に私は歩き、洞窟の中へ足を踏み入れた。
「あ、僕、ここに居ますんで、先生だけ食べられてくださァイ……」
以前の恐怖を思い出したのか、フェネルが言って、「ぴたり」と止まる。
「それでは私もここに居ます。何があるか分かりませんから」
続き、リーンがそう言ったので、私はそれには「お願いします」と言った。
トレアと共に進む事数秒、洞窟の主の姿が見えた。
引っ越したかと思っていたが、普通に体を横たえている。
「おぉ」
こちらに気付いたラーシャスが呻く。
「珍しいものを連れているな」
直後には顔を向けて来て、トレアの正体を見抜いて言った。
「光栄です。古代竜。お目にかかれるとは思っていませんでした」
トレアが言って、ラーシャスを見上げる。
彼にとってラーシャスは、敬意の対象に値するのか、右手を胸に当てていた。
一方の私は右足を曲げ、腰に手を当てるという不遜な態度で、それを見たトレアは「失礼でしょう!」と、小さな声で私を叱った。
「いや、それはそのままで良いのだ。そういう付き合いをしているのだからな」
それに対してラーシャスが言い、私は若干嬉しくなった。
ラーシャスとは普通に付き合っているが、もしかしたらその事は、もっと誇って良い事なのかもしれない。
「まぁ、あなたがそうおっしゃるなら……」
不満そうだがトレアも納得し、私の態度を甘受したらしい。
「あー、いきなりの質問なんだが、あの、人足みたい人達は何なんだ?」
これを聞いたのは無論私で、視線の先は通り過ぎていく、屈強な肉体の人足達にある。
彼らは皆、箱を抱え、奥から外、外から奥へと同じ行動を繰り返している。
奥には確か財宝があったが、そこに行って何をしているのか、私には想像がつかなかったのである。
「ああ、あれはな、財宝を外に持ち出しているのだ。言うならフッコーシキンという物だな」
「復興資金……? カーレントのか?」
聞くと、ラーシャスは「そうだ」と言った。
カーレントでは戦争があり、多くの者が命を落とした。
当然ながら建物も壊れ、住む場所すら無い者も居るはずである。
どこで、どうして、そうなったのかは知らないが、ラーシャスは彼らを救う為に、財宝を寄付したという訳なのだろう。
「どこまでお人好しな竜なんだかな……あれだけあれば好きな酒がいくらでも買えたというものを」
「そうだな。だから無償では無い。代わりにそれを請求している。国中の酒が集まって居るぞ」
私の言葉にそう答え、ラーシャスは楽しそうに「ふっはっはっ」と笑った。
「まぁ、それ位の事であればな……」
フィフティーフィフティーとはいかないものの、それは当然の権利である。私はそう思い、笑いに付き合った。
「それで、今日はまた何用だ? どうせ聞きたい事があるんだろう?」
「ああ、実は……」
聞かれた為に私が話す。
5分程をかけて話すと、ラーシャスは「ふぅむ」と小さく唸った。
「それはな、そういうものなんだ」
そして、そう言って疑問させるのだ。
「ユニコーンとは元来孤高の存在だ。世に2匹は存在しない。存在するとしたらほんの数年。仔を産み、育てる間だけだな。故にそやつが独りで居るのは、言わば、摂理の一環なのだ。そやつが仔を成さずとも、そやつが死ねば、どこかで産まれる。そういうものなのだ。昔からな」
続けた言葉で私が納得し、トレアが「なんと……」と衝撃を受けた。
「では、私は永久に生殖活動は出来ないのですか!?」
と、切羽詰まった顔で聞くのは、よっぽど「したい」からなのだろう。
聞かれたラーシャスは「いや」と言ってから、聞かれた事の答えを話した。
「こう言ってはなんだがお前達は、普通に馬とも交配出来る。グリフォン等と同様にな。だからどうしてもそれがしたいなら、適齢期のメス馬を見つける事だ。しかし、先にも言ったように、ユニコーンは2匹は存在出来ん。交配後にはお前は死ぬだろう。それだけは頭に留めておけよ」
「わ、わかりました……」
ラーシャスが言って、トレアが言った。
その表情からは焦りが消えたが、自身の死への絶望感からか、代わりに暗い陰りを浮かばせていた。
「参考までに、このカーレントは馬の一大産地でもある。その気があるなら当たって見る事だ」
ラーシャスはそう言って体を伏せた。
こちらから話す事はもう何も無い、という、そういう意味合いの行動だろう。
「……まぁ、酒はほどほどにな。酒乱の竜が街を焼いた等、私には笑えん話だからな?」
言うと、ラーシャスは「ふふふ」と笑った。
それを別れの言葉と定め、私はトレアに「行こうか?」と聞いた。
「え、ええ……」
トレアが答え、歩き出す。
「生殖活動はしたい……しかしそれでは、私は近々死んでしまう……生殖活動はしたい……しかしそれでは、私は近々死んでしまう……生殖活動はしたい……しかしそれでは……」
私の後ろに続きながら、トレアはそれを念じるように、何度も何度も繰り返していた。
コッドの住む場所は発展していた。
以前は家と畑しかなかったが、今は村の入口があり、人家と畑も格段に増えていた。
「先生! 土地が無料ですって! 秘密基地を作りましょうよ! 街くらいの、でっかいやつ!」
看板を見てフェネルが言った。
見ると、その看板には、
開拓村。土地は無料。建築費用はエルスバード財団が貸し付けます。
という文字が記されていた。
確かにこれなら人は集まるし、ブランにとっても損ではないだろう。
コッドの手紙にもあったように、両者はうまくやれているようだ。
安心し、「ふっ」と微笑むと、フェネルが「なんすか?」と顔を顰めた。
「いや、別に」と返すと「なんすかぁ!?」と続ける。
「お前の発想が面白かったんだよ。秘密基地か、いやはや驚きだ」
仕方なくそう言うと、「なんかバカにされてる気がするぅ!?」と、頬に手を当てて悶絶するのだ。
「はぁ……」
ため息をついたのはトレアであった。
未だにどうするかを悩んでいるようで、ため息はあれから全く絶えない。
「まぁ、無理に考える事はないさ。急ぐ事でも無い、ゆっくり行けば良い」
言うと、「ええ……」と言葉を返したが、表情はどうにもすぐれなかった。
村に踏み入り、少し歩くと、噴水のようなものが見えた。
その近くにはコッドが立っていて、図面を片手に指示をしていた。
「あ、ガチムチマッチョのバーサーカーだ! こんな所で何してんすか?」
「言い方に気を付けろ……バーサーカーを怒らせると怖いぞ?」
無礼なフェネルを軽く叩き、冗談交じりに私が言った。
直後にはコッドがこちらに気付き、何かを言ってから近づいてくる。
「ははぁ! お久しぶりですバーサーカー様ぁ!」
と、土下座をしたのはフェネルであり、「そこまでやるか」と思った私だが、面倒なので是正はしなかった。
「良く来てくれた。ここも変わっただろう?」
それを無視してコッドが言った。
おそらく充実しているのであろう、その表情は以前に比べ、遙かに安らかなものになっている。
「ああ。だが、変わったと言うよりは、本来の姿に戻っているんだろう。いずれはプロウナタウンにも負けない、大きな街になるのかもしれないな」
答えると、コッドは「フッ」と微笑み、「そうなれば良いな」とだけ短く言った。
「そう言えばブランはどうした?」
「ああ、奴はいつも居る訳じゃない。ある程度の折を見たのか、最近は居ない時間が増えた。おそらく週末には来ると思うが」
聞くと、コッドはそう言った。
ブランにも会って見たかったが、そういう事なら仕方が無いだろう。
「先生ー、僕ら暇なんで、そこの本屋に行ってて良いですか~?」
言ってきたのはフェネルであった。
身内の話について行けず、暇を感じて来たようである。
いや! ここに居て話に付き合え!
等と、強要するのは可哀想なので、私は「ああ」と言葉を返した。
「んじゃいってきまー」
フェネルが言って歩き出し、暇を持て余したのかトレアも続く。
リーンはどうするかを迷ったようだが、結局こちらに残るようだ。
「……面倒事か?」
と、コッドが聞いた。
視線はトレアの背中に向いている。
人間では無いと見抜いているらしい。
「半分以上は解決している。あとは本人の気持ち次第だな」
私が言うと、コッドは「そうか」と言い、それきり静かになってしまった。
元々無口な人物なので、私は特に気まずくは無い。
「あっ、探している本があったんですっ!」
が、何かを察したリーンは言って、逃げるようにして本屋へ向かうのである。
「自重しろ。あまり良い事では無いぞ」
コッドが言って歩き出す。
「ど、どういう意味だ?」
と、私が聞くも、コッドは右手を上げて見せるだけ。
「ゆっくりしていけ」
と、最後に言って、作業の輪に戻って行った。
「(意味がわからんな……)」
そう思いつつ、本屋に行くと、トレアが店主をまくし立てていた。
「公衆の面前に晒して良いとでも!?」
とか。
「こんなものを販売して良いのですか!?」
とか。
「ほ、他にもあるのですか!こういうモノは!?」
とか、一方的に責め立てており、迫られた店主は困惑し、対処に困っているようだった。
「どうしたんだ……? 一体何があった?」
「いや、なんかトレアさんが、急に興奮しはじめちゃって……」
私が聞くと、フェネルが言った。
来た時にはすでにこうなっていたのか、リーンも小さく首を振る。
「洗いざらい全て出しなさい! 私が味見……いや、吟味をします! さぁ早く!」
言われた店主が「はぁ……」と言って、戸棚の本を漁り出した。
「何なんだ? どうしたんだ?」
聞くなら今だと思った私が、隙をついてトレアに聞いてみる。
トレアは「どうもこうもありませんよ……」と言って、1冊の本を私に見せて来た。
世界の名馬260選。3才牝馬大特集。
それがその本のタイトルで、私はこの時点で「まさか……」と思った。
「見て下さい! このエグすぎる図を! うら若き乙女がこんな姿で……! ほら! これ! エグうっ! あまりにエグすぎるっ!」
言って、トレアが顔を反らした。
そこには牝馬の写真が見える。
体毛は黒で、凛々しい顔つきの、引き締まった体の牝馬の写真だ。
尻をこちらに向ける形で、左に顔を向けている。
歩いている途中で何かに気付き、そちらを見たような光景である。
ごくごく普通のそれであったが、トレアはそれを「けしからん!」と言った。
「(ああ、もう、なんとなく分かったな……)」
そう思った私の思考は止まり、その後の熱弁は右から左だった。
「種付けのシーンなんて本当にありえない! 無修正ですよ!? これ無修正ですよ!?」
そんな興奮を虚ろな目で聞き、「ああ、ああ」と適当に返すのだ。
「(もうあれだな、こんな種族は絶滅した方が世界の為かもな……)」
そんなことすら私は思い、興奮するトレアを冷ややかに見ていた。
「実にけしからんので全部買います」
数分後、トレアはそう言い、私に金を借りてまで、全ての写真集を買ったのである。
トレアはその後、生殖を諦めた。
「やっぱり自分、死ぬのは嫌です」
と、自分の命を優先したのだ。
そして、大量の写真集を抱えて、自分の住処へと戻って行った。
後日。トレアが金を返しに私の家を訪れて来た。
「母が遺していたものですが、あなた達には重宝でしょう。今回のお礼と言う意味でも、遠慮をせずに受け取ってください」
渡されたものはユニコーンの角だった。
トレアの母親のもののようだ。
これには私も相当驚いた。
それ自体にでは無く、トレアの考えに。
いかがわしい本と引き換えに母の遺した物を売る、その根性に呆れ切ったのだ。
「最近になって思うのですが、生殖活動なんて面倒ですね。アレがあれば手早く済むし、何と言っても後腐れが無い。死ぬのも、養うのも御免ですから。本当にアレには助けられてますよ」
言って、トレアは「あははは」と笑った。
私もすぐに「あははは」と笑う。
「(絶滅した方が良いな……割とマジで……)」
と、心の中で思うが故に。
こうしてユニコーンは引き篭もるのです。




