実態の見えない恐怖
少し怖い話をしよう。
結論としては未解決の、思い返す度に背筋が寒くなる、私自身の体験談である。
事の発端は街の図書館で、本の回収を頼まれた事だった。
この図書館では有料で本の貸し出しをしているのだが、一定期間を過ぎて居るのに本を返さない者が居り、常連の私がそれを頼まれて回収に向かった所から話は始まる。
「受けてくれるなら見逃してあげるよ。閉館時間が過ぎた後も30分は居るアンタの事をね」
それが、私と老婆が交わした密約のような約束だった。
そうでも無ければ行かなかったが、今にして思えばそんな約束でも、割に合うと言うものでは無かった。
あれは一体何だったのか。
その正体は出来るなら、君自身でも考えてみて欲しい。
プロウナタウンから歩いて半日。
そこに、本を返しに来ないと言う、問題の主の館はあった。
外観は白で屋根は青色。それなりの大きさの庭がついた、一般的な館であった。
森の中の為、どうにも薄暗い。
人家も遠く、物音と言えば、鳥の鳴き声と風だけである。
「レーナについてきてもらえば良かったかな……」
鉄柵の前で私は呟く。
簡単な用件だと思っていた為に、彼女には留守番をしてもらっていたのだ。
実際、簡単な用件なのだが、1人で館に入る事に、不安を感じてしまった訳だな……
「仕方ない、行くか……」
覚悟を決めて鉄門を押す。
が、直後に「バターン!」と倒れ、私は思わず「ひいっ!?」と鳴いた。
「も、モロすぎだろう! いい加減にしてくれ!」
門にキレ、それから歩き、玄関前で立ち止まる。
一応、ノックをしてみたが、当然のように返事は無かった。
「居ないのか……というか、誰か居るのか?」
どれ位前からそうしているのか、手入れのされていない庭を見て、誰にともなく1人で呟く。
花壇の花は今は枯れ、代わりに雑草が生い茂っており、石畳の上にもそれが広がって、酷い状況になっていた。
誰かが居るなら我が家の事だ。
これをこのままにはしないはずである。
9割9分、誰も居ないと私はこの時には確信していた。
玄関から離れ、2階を見上げる。当然ながら誰も居ない。
「(帰るか……)」
と、思った私は倒れた門へと向かって歩いた。
カサカサカサッ という音が聞こえ、直後には「バタン!」という音が聞こえた。
前者は草を踏むような音。
後者は間違いなくドアを閉める音だった。
私はこの時には恐怖をしており、「誰かいるのか!?」すらも言えなかった。
ただ、ひたすらに目を大きくし、そのままの体勢で固まっていた。
逃げ去るべきか。と、すぐに思った。
好奇心猫を殺す、という人間達の名言もある。
レーナが居れば別であるが、もし、何かがあった時には、私1人では何も出来ない。
「(よし、逃げよう!)」
そう思ったが、その足はなぜか別の所へ向かった。
そう、音が聞こえた方に。恐怖に好奇心が勝った訳である。
「(アホか! こっちじゃないだろう!)」
そう思いつつ、草むらを踏み越えて裏手に回る。
館の裏には麦畑があり、中央付近に穴が見えた。
小麦の収穫が終わっている為、その穴は余計に目立って見える。
何なんだ、と、思いはしたが、その時の興味はそちらに無かった。
館の裏口だと思われるドアが、私の目には入っていたからだ。
「(ノックするべきか……)」
近付きながらそう思う。
だが、もしも主でなければ、自分の存在を知らせるだけである。
いや、それももう手遅れか。
玄関をしっかり叩いてしまったし、誰かが居たのなら見られていただろう。
私は一応の礼儀の為に、裏口も軽くノックした。
そして、返事が無い事を見て、それからノブを回したのだ。
押すと、あっさりとドアは開いた。台所のようだが、やはり薄暗い。
ここで帰っていたのなら、その後の恐怖は無かったかもしれない。
だが、好奇心に負けた私は自らそれに近付いたのである。
台所には食材があり、鍋の中には料理があった。
が、どれ位放置されているのか、それらは全て真っ黒だった。
普通に考えれば誰も居ないだろう。
雑草、食料、周囲の静けさ、それら全てが物語っている。
「(気のせいであって欲しいが……)」
と、思う反面、確かめたい気持ちがどんどん高まる。
故に、私は館の中を少しずつ探索し始めたのである。
台所を出ると廊下に当たり、右には閉められた玄関が見えた。
左は壁で行き止まりのようだ。
当然、私は玄関に向かう。
そして、そこで立ち止まり、館の全体を伺ってみた。
正面には階段があり、踊り場で一旦終わった後に、左右に向けて再び伸びている。
踊り場の壁には何も無いが、おそらく絵がかけられていたのだろう、その形跡が見受けられた。
「(あちらは後回しだ。とりあえずは下から……)」
思い、左に足を向けると、二階から「ぎいっ……」という音が聞こえた。
直後には続けて「ぎいっ、ぎいっ」と鳴り、誰かが歩いているという事が分かる。
誰かが居る。間違いなく。
どうするべきかと迷ったが、結局私は「すみません!」と言っていた。
反応があれば良し、無ければ無いで考えれば良い。
数秒待ったが反応は無し。
きぃぃぃぃ……という音が聞こえた後には、歩く音も聞こえなくなった。
それは、ドアを開いたような音で、直後に「ばたん」と聞こえないあたり、そのままにしているように思われた。
はっきり言って不気味だった。
声は絶対に届いているはずだ。
なのに無視する理由があるなら、それでも敢えて無視をしたいのか、聞こえないかのどちらかだろう。
前者は人と関わり合いたくない為。
後者は耳に障害があり、近くでないと聞こえない等、まぁ色々と理由はあるはずだ。
「ここまで来たなら行くしかないか……」
私が医者で無かったならば、後者を選ぶ事は無かったかもしれない。
だが、そういう患者を診て来て、可能性としてありえる事だと判断した私は後者を選んだ訳である。
階段を上がり、踊り場につく。
「さて、どちらからだったかな……」
と、私は迷い、とりあえずの形で右手に進んだ。
階段を上がると壁にぶつかり、通路がそこから左右に分かれた。
客間なのか、沢山のドアがあり、左右両方の突き当りには窓と花瓶が確認できた。
開いているドアは一つも無い。
「(反対側だったか……?)」
そう思って階段を降り、今度は反対側に上る。
上り切るといきなりの壁、しかし左に「ずうっ」と伸びており、窓にぶつかって右に曲がると、いくつかのドアが発見できた。
その中には開いているドアも見える。
どうやらこちらがアタリだったようだ。
近付き、「そうっ」と中を伺うと、誰かの後ろ姿が確認出来た。
安楽椅子に腰かけて、窓の外の風景を見ている。
「(やはり聞こえていなかっただけか……なんとも心臓に悪い話だ)」
苦笑いをして首を振り、安心した後に部屋に入る。
正面に行き、「すみません」と言った後、私は相手の異常に気付いた。
「どぅお!?」
軽くビビる。皮が無いのだ。
あるべき皮膚が相手には無く、筋肉の組織が剥き出しだったのである。
医者で良かった。この場合は。
人体模型で見慣れているし、まぁ、実際にも耐性はある。
そうでなければ「どぅお!?」程度で無く、「ぎゃあああああ!!?」と悲鳴を上げていただろう。
「いや、しかし……人では無いのか……? 人体模型か? 悪趣味な」
よくよく見るとそんな感じで、安堵の為に小さく息を吐く。
それから周囲を少し伺うと、机の上に本が見えた。
情熱のポッコリーナ。
それが本のタイトルである。
どういう内容かさっぱりだが、図書館の館主の老婆に頼まれた、回収対象の本であった。
軽く開くと、
「殺意がポッコリン!」
とか。
「情熱と言う名の予定犯罪!」
とかいう、謎のセリフが頻発しており、内容を知らない私の顔には、当然ながら疑問が浮かんだ。
「猫耳少女とガチムチマッチョ、と同じような匂いがするな……」
言って、「ぱたり」と本を閉じると、
「タスケ……テ……」という声が聞こえた。場所は背後、すぐそこである。
振り向くと、模型と思われていた何かの右手が伸びてきており、私の袖を掴もうとして震えながらに近付いてきていた。
「ぎゃあああああ!?」
流石に驚き、それを払うと、何かの腕が千切れて飛んだ。
飛んだ腕はサイコロ状になり、壁にぶつかって床に落ちる。
直後には千切れた腕部分から、何者かの体も同じようにして崩れ出した。
「何なんだ!!?」
目を見開くと、視界の端に何かの影が映った気がした。
場所は部屋の入口である。
一瞬だった為に何かは分からない。
だが、こちらを見ていた事と、おそらくはだが身長が、私の腰程度しか無かったと言う事は分かった。
「があっ……!」
その直後には音が鳴り、私の頭が急激に痛くなる。
例えるのなら「キィィィン」という、耳鳴りに近い高い音だ。
そんな中で、何者かの体が足元から徐々に復元して行く。
そして、元通りになった後に「コロシテ……コロシテ……」と私に頼むのだ。
それをする、しないに関わらず、私の気力はもう限界だった。
立っている事すら困難になり、机の上に右手をついた。
バタンバタンバタン!
という音が聞こえ、直後には複数人の足音が聞こえる。
ドアを開け、何者かがこの部屋へと近づいてきているのである。
何かマズイ、と思った私は、朦朧とする意識で脱出を考えた。
ドアは駄目だ。すぐに鉢会う。ならばもう、これしかないだろう。
本を持ち、よろめく足で、私は部屋の窓際へと近づいた。
「イカナイデ……コロシテ……」
何かが言って、涙を流したが、私にはどの道それは出来なかった。
窓を割って下を見る。
高さはせいぜい6m程だ。
これ位ならば行けるはず。そう思った私はそこから飛び降りた。
「ぐわっ……」
着地の体勢が少し悪く、直後には私は体を倒す。
しかし、すぐに立ち上がり、危険から逃れるべく家へと走った。
正面に行き、門を抜ける。
玄関が「バアン!」と開けられたが、振り返らずに私は走る。
森を抜け、道に出て、人家が近くなった頃、私はようやく立ち止まり、背後の様子を伺うのである。
何も居ない。
助かったようだが、何者かの正体が分からない為に、私の心には不安が残った。
街に戻り、図書館に行った頃には、辺りはもう暗くなっていた。
「ご苦労様。いつもフラフラしてるあんたには丁度良い運動だったでしょ?」
本を渡すと、老婆はそう言った。
思う所は無いでもないが、私は「はは……」と苦笑いをしておく。
「何かヘンなのがいたんですけどぉ!?」
と、例えば老婆に言ったとしても、何の解決にもならないからである。
話すのならば自警団なり、或いはレーナ等の方が、解決に繋がる可能性は高い。
まずはそう、レーナに話そう。
そう思った私は図書館を出て、我が家への道を歩き出した。
「んん……?」
違和感を覚えたのは郊外に出た時だった。
いつもの道にいつもの風景。だが、音が一切無い。
獣の鳴き声なり、風の音なり、普段であれば何らかの、小さな音が聞こえるはずだが、今夜はそれがひとつも無かった。
「流石にかなり気味が悪いな……」
呟いて、早足で道を進む。
衣服がすれる物音と、土を踏む音だけが辺りに響く。
3分位歩いただろうか、道の脇で何かが光った。
「何なんだ……」
立ち止まり、おっかなびっくりで、私がそれに近付いて行く。
そして、目を細めて見ると、それが指輪である事が分かった。
ごくごく普通の、装飾品としての、ありふれたデザインの指輪である。
「誰かが捨てたのか?」
拾い上げてそれを見ると、視界の端に何かが映る。
近付いてみると今度はイヤリングで、種類こそ違えど落ちている何かは、森の中へと続けられていた。
「冗談じゃない……その手には乗らんぞ……」
なぜそう思ったかは不明であるが、その時の私は罠だと考えた。
踵を返し、歩こうとして、
「先生!」
という、レーナの声を耳にした。
見れば、ランタンを持ったレーナが、こちらの方に近付いてきていた。
帰りが遅いので、迎えに来てくれたのだ。
「これで大丈夫だな……」
色々な意味で私は安堵し、大きな息をひとつ吐いた。
そして、レーナと合流した後に、我が家に向かって再び歩くのだ。
「あ、そう言えば……」
しばらくの後、思い出したように、レーナが奇妙な事を言った。
「気のせいだったら良いんですけど、さっき、先生の足元に、白光りする何かが見えたんですよね……先生の足を掴もうとしていたような……」
それを聞いた私の背筋には冷たいものが走っていた。
翌日の朝。
異常な事は診察室でも発生していた。
棚の中の薬品と、診察器具が無かったのである。
調べた結果、カルテも見つからず、昨夜の内にそれらが全て盗まれていたという事が分かった。
犯行時間は夜中から朝。
帰宅した時にはそれらはあったので、私達が寝ている間に実行されたのだと考えられる。
「鍵は全部しまったままです。ガラスが割られた形跡もありません。どうやって中に入ったんでしょうか……」
それらを見て来たレーナが言って、不気味さに表情を曇らせた。
滅法強いが、彼女も女性だ。
得体のしれないモノに対しては、レーナも普通に怖がるらしい。
人では無いかも、と、私は思ったが、レーナのそんな気持ちを察して、言葉にするのは控えて置いた。
「ともかく一応、自警団に伝えよう。解決するとは、正直思わんが……」
「そうですね、まぁ、一応は」
代わりに言うと、レーナは同意し、私に「こくり」と頷いて見せた。
「しかし参ったな。これでは全く仕事にならない。しばらくは休みにするしかないか……」
「借りられるものは借りたらどうですか? きっと、フォックスさんなら貸してくれますよ」
ぼやくと、レーナがそう言ったので、それには「確かに」と言葉を返す。
「じゃあ朝食を摂ってから行動を開始しよう。すまないがレーナもついてきてくれるかな?」
聞くと、レーナは「勿論です」と言い、朝食を作る為に歩いて行った。
1人になるのが怖いというのも、勿論私の心にあった。
だが、今の状況でレーナを家に置いておくというのはそれ以上に怖い事でもあったのだ。
犯人はおそらく人では無い。
かと言って魔物の類かといえば、それもなんだか違う気がした。
レーナは強い。それは認める。
だからと言って正体のわからない、異質なモノと会わせて良い訳は無い。
つまりがまぁ、私はレーナが、純粋に心配だったのである。
朝食を摂った私達は、自警団を訪ねて成り行きを話した。
返ってきた答えは、
「分かった。上に伝えておくよ」
というもので、はっきり言って期待は出来ない。
それからフォックスの医院を訪ね、借りられるだけの薬品を借りた。
「まさか薬品を全部売っ払う程、生活に困窮しとるんじゃなかろうな?」
深読みをしてフォックスが言ったが、それには「バカな」と苦笑いをしておいた。
帰ってくるとフェネルが来ていた。
どうやら学校は休みのようで、一旦は中に入ったようだが、診察室に何も無い事を見て、疑問に思って出て来たようだった。
「ちょっ! 夜逃げしたのかと思いましたよー! 外出中なら外出中で、ちゃんと看板掛けといてくださいよ!」
安心したのかフェネルは言って、姉のエリスばりに「ふんっ!」とすねる。
「いや、看板はかけて出たが?」
言うと、「どこに?」と言葉を返して、私を疑問させるのである。
「どこにも何も玄関に……」
言って、私が玄関を見る。
そこには何もかかっておらず、フェネルが「どこにぃ!?」と言葉を続けた。
「いや、お前が隠したんだろ……? 構ってちゃんもいい加減にしておけ?」
「いやいや知らんし! 隠してないし! そもそも構ってちゃんじゃないし!」
私が言うと、フェネルは怒り、拳を作って股間を狙ってきた。
「じゃあ誰がやったんだ? こんな意味も無いつまらん事を!」
それをかわして私が聞くと、「だから知りませんってば!」とふくれた顔でフェネルは言った。
「ふううむ……」
言い争っていても時間の無駄なので、私はそのまま中へと入った。
「何でもかんでも僕のせいにするんだから……」
「いや、でも、身に覚えはあるよね?」
フェネルが続き、レーナが続く。
その言葉にはフェネルは「えへっ♡」と舌を出して応えていた。
私が相手なら「ないっすね?(挑戦的な顔で)」なのだろうから、レーナに対しては素直と言えよう。
薬品を置いて応接間に行くと、フェネルがソファーに腰かけていて「そういや何で無かったんすか?」と、私に向けて聞いてきた。
「ううん……あれだ。貸したんだ」
面倒なので嘘をつく。
レーナはそれを聞きながら、台所へと向かって行った。
「ええっ……普通全部貸しますか? ケーカクセーゼロじゃないっすか!?」
フェネルのそんな言葉も当然で、返せる言葉がすぐには出てこない。
「で、誰に? レーナさんのお父さん? 先生それ位しか知り合いいませんしね?」
「ま、まぁな……そんな所だ」
私が言うと、フェネルは黙り、そこで2人の会話は途切れた。
「なぁんか怪しいなぁ……」
と、フェネルが言ったのは、それから10秒程、後の事だった。
「(意外に鋭いな……)」
思いはしたがポーカーフェイスで、私は何気なく新聞を読む。
ちなみに私は新聞を取らないので、これはフォックスに貰ったものだ。
「せんせーなんか嘘ついてない? 僕に隠し事しようとしてない?」
「おお! 見ろフェネル! ヒカリちゃんが復活ライブだと! これはお前には嬉しいニュースだな!」
聞かれた事を誤魔化して、私がそこをフェネルに見せる。
フェネルは「ええ、まぁ」という微妙な反応。
おそらく知っていたのだろうが、それにしても反応が薄すぎた。
「まぁいいや。夜逃げとかじゃなければ。僕が1人前になるまではそういう事はやめて下さいよ」
こいつ、生意気にも見抜いてやがる……
そうは思ったがそれを隠し、私は「ああ……」とフェネルに返した。
「(1人前になるまでか……一生かかっても無理かもしれんな…)」
それでも駄目か、と、私は思い、新聞の陰で「フフッ」と笑った。
「なんすかぁ! まーたエロイ記事っすかぁ!?」
勘違いをしたフェネルが言って、私の横にやって来た。
「……暗っ! ていうか性格悪っ!」
どこを見たのかフェネルが言って、汚物を見る目で私を見て来た。
「何を言ってるんだ?」
言って、視線の先を見ると、
「国内で失踪事件が頻発! 組織的な誘拐か?!」
という、大きな文字が記されていた。
現時点では82人が行方不明になっているようで、年齢も性別も様々な事から、組織的な誘拐では無いかと新聞記者は推測している。
「世間はえらい事になってるんだな……」
「それはそれでどうなのかと思いまーす……」
私が驚き、フェネルが言った。
やはりは冗談のつもりだったのか、私のガチアクションに引いたらしい。
「すみませーん! 今日やってますか~!」
その声と共に玄関が叩かれる。
どうやら患者が訪ねて来たようだ。
新聞を置き、そちらに向かい、私はフェネルに「邪魔するなよ!」と言った。
フェネルの返事は「ふにゃーい」というもの。
するとは言わないがしないとも言わない、まぁ、いつもの返事である。
それから数時間、フェネルは好きにして、夕方頃に自宅に帰る。
レーナに対しては警戒していたが、フェネルに対してはそれをしなかった。
私がその事で悔やむ事になるのは、翌日の朝早くの事であった。
「フェネルが帰って来てないの! 来てないのよイアンさん!」
翌日の午前6時。
開口一番その人はそう言った。その人とは、つまり、フェネルの母である。
以前はうん〇のような髪型だったが、今日は例えるならばエビのようだった。
それにも普通に驚いたが、言葉の内容にはもっと驚いた。
「どういう事です?」
と、私が聞くと、母親は「それはこっちが言いたいセリフよ!」と、尻尾(頭の)を揺らして悶絶して見せたのだ。
「エリスが聞いてるのよ! 先生の所に行くって言うのを! なのに昨日から帰って来て無いの! 攫われたんだわ! 可愛いから! なんだかんだで可愛いからぁぁぁ!!」
そう言って、「オーイオイオイ」と泣き始めたので、私は「まぁまぁ……」と言葉をかけた。
「誰がママよ! 婿にやった覚えはないわ! 返してよ! 早く! フェネルを返してぇぇ!」
「い、いや、知りませんよ。昨日の夕方に帰ったはずですが……何か他に心当たりは?」
こう言った所は良く似ているな……と、思いはしたが口にせず、心当たりを聞いてみる。
「知らないわよ! ていうか無いわよ! あの子の行動範囲なんて、うちかあんたの所しかないのよ! 寂しいコでしょ! だから返してぇぇ!」
靴を脱ぎ、それを持って、フェネルの母が「バンバン」と叩いてくる。
対する私は微妙な顔で、それらの全てを胸で受けた。
「あー、まず、うちには居ません。気が済むまで探してくれても結構です。可能性としてはフォックスの医院もありますが、そちらの方は行って見ましたか?」
そして、少し落ち着いた頃に、出来るだけ優しい口調で言った。
「フォックス? 産婦人科の? それなら今パパが行ってるわ。でも、あそこで泊まった事なんて、今までに一度も無かったじゃないの」
知らなかったがそうなのだろう。
なんだかんだで泊まっているのは、うちだけだったという事らしい。
懐かれていると取るべきなのか、それともタダ宿と安く見ているのか、判断に悩む場面ではある。
「攫われたのよ……やっぱりそうだわ……今頃はあんな事やこんな事されて、「らめぇ! 目覚めちゃう! 目覚めちゃうからぁ!」とか言って、ぎりぎりの所で頑張ってるんだわ……あああああ、なんて可哀想なフェネル……」
「(この親にしてあの子あり、か……)」
気持ちは全く分からないでもないが、その思考には私は呆れる。
「そして最後はやっぱり殺されて、バラバラのミンチにされてしまうんだわ……」
「まだそうだと決まったわけでは……」
言いかけて、私は思い出す。
腕と体がサイコロのようになって、崩れ落ちた何かの事を。
ミンチでは無いが、あれも相当だ。
失踪、誘拐、行方不明、それらが頭で繋がって行く。
「まさかな……」
直後にはそう呟いていた。
昨夜、私の周辺にはこれと言った異常は無かった。
警戒はしていたが、何も無かったのだ。
だが、フェネルが誘拐されていたなら、これは立派な異常である。
実行犯達が欲をかかずに、その日は退いた可能性もある。
「心当たりがあるの!? ねぇ!?」
そんな私の顔に気付き、フェネルの母が聞いて来た。
あるという訳ではないが、無いと言う事も無い。
だが、他に手がかりが無いのなら、行って見る価値はあるのかもしれない。
私はそう考えて、フェネルの母に「或いは」と答えた。
「有るか無いかって聞いとるんじゃー!! 中途半端な答えはやめーや!? ナメてんの?! ねぇ! アンブレー家をナメてんの!?」
「アァァァッ!?」
が、突如に激昂した彼女に抱き付かれ、そのまま脇を締め上げられて、私は苦痛の声を発すのだ。
「ある! あります! 心当たりありますうう!」
逃れる為に私は言ったが、彼女は「どすこおおい!」と言うだけで、私をすぐには解放しなかった。
「(何なの?! むしろどすこぉぉいって何なの?!)」
そんな事を思いつつ、激しい締め付けに私は耐えていた。
私とレーナは我が家を出発し、例の館の近くに来ていた。
レーナは剣を持ち、私も一応、護身用の短剣を持っている。
本音を言うと来たくなかったが、フェネルが誘拐されたとあれば、訪ねる事もやむなしだった。
「居ますかね……?」
小さな声でレーナが言った。
確信は無いが、私は頷く。
他に手がかりが無いのであれば、現状で可能性が一番高い。
フェネルを含んだ誘拐事件に関係があるかは正直分からない。
だが、私の身の周りで起こり出した異常の原因は間違いなく、ここにあると考えられた。
倒壊していた門を抜け、玄関前へと辿り着く。
玄関は未だに開けっ放しだった。つまり、あの時のままだったのだ。
居ないのか、と、思いはするが、確かめずに帰る訳には行かない。
一人の時なら逃げるしかないが、今日の私にはレーナがついている。
故に、私は若干強気に、館の中へと「ずいっ」と踏み入った。
しゃらり……という音がして、私が「ビクリ!」と体を震わせる。
「あ、すみません……一言言えば良かったですね……?」
レーナが言って、苦笑いをする。
どうやら剣を抜いたようで、その音で驚かしてしまったならば、ごめんなさいという意味合いらしい。
「い、いや……大丈夫。これはその、思い出しビビリだから」
それでは流石にダサいと思い、私は適当な嘘をついた。
だが、後にして思えばそちらの方が、数百倍はダサかった。
「わたしが前に立ちます。先生は後ろについて来て下さい」
レーナが言って前に立つ。
いつもの男女の入れ替わりである。
「では、階段を上って左に行ってくれ」
私は後ろについて行きながら、レーナを例の部屋へと導いた。
階段を上り、左に向かい、壁に沿って右に行く。
部屋のドアは案の定、未だに開け放たれたままであった。
「前にも話したが中にはアレがある。あまり直視しない方が良い」
「分かりました」
言うと、レーナはそう言って、剣を携えて中へと入った。
「先生」
という声がすぐに聞こえる。私が部屋の中へと入ると、
「居ません。何も」
と、レーナは続けた。
見ると、例の何かが居ない。安楽椅子が佇んでいるだけだ。
これはこれで逆に恐ろしく、私の腕には鳥肌が立つ。
「他の部屋も調べますか?」
「そ、そうだな……一応、そうしよう」
レーナの言葉にそう答え、私達は2人で館を調べた。
結果を言うなら収穫はゼロ。
怪しいものは何一つ無かった。
「私の思い違いだったのか……いや、だとしたらアレが消えた理由が、さっぱり理解できないんだが……」
口に手を当てて考える。
レーナはその間にも、台所の各所を念入りに調べていた。
「駄目ですね。特に怪しいものは無いです」
言って、レーナが戻ってくる。
「引き上げるしかないか……」
と言った直後、私はある事を思い出した。
「……穴だ。そうだ、穴があったんだ」
「あな? ですか?」
その言葉にはレーナが不思議がる。
「裏庭に麦畑があるんだが……って、もう実際に見た方が早いな」
説明を切り上げてドアを開ける。
そして、そこから外に出ると、黄金色に実った小麦が「ずらり」と並んだ麦畑が見えた。
「麦畑ですね。でも、穴というのは……?」
「異常だ……」
それを目にしたレーナが言って、私が目を見開いた。
あの日、小麦は収穫済みだった。
黄土色の地面が見えていたのだ。
だが、それが今はどうだ。
収穫のピークと言わんばかりに、穂先を垂らしているではないか。
「……収穫済みだったんだ。数日前には。つまりあそこには」
何かある。だからこそ隠す為にそうしたのである。
レーナもその事が分かったのだろう、真剣な顔で「こくり」と頷いた。
畑の中には穴があった。
以前見た時のそのままの位置である。
つまり、これを隠す為に、どうにかして小麦を成長させた訳だ。
何かが居るのはもう間違いない。
私もついに短剣を抜き、レーナに続いて中へと降りた。
穴の幅は3m程。
なだらかに斜めに下っており、やがては平行な道となって、横へと続いて更に伸びていた。
最初に思った事は明るい事だった。下手をすれば外より明るい。
何しろ地中に居ると言うのに、地面に影が出来る程だ。
光源は不明で、それもまた、私達の気味悪さに拍車をかけている。
「……何ですかね、アレ?」
レーナが止まり、前方を指さす。
そこには紫色に輝いている宝石のようなものが見えた。
地面に埋められるような形で置かれ、「きらりきらり」と光を放つ。
「宝石……に見えるが断定は出来んな。放置している理由が謎すぎる」
私がそう答えた直後、
ビインッ! という音を発し、それが一際眩しく輝いた。
そして、紫色に輝く光線のようなものが発せられる。
「くっ!」
レーナがそれを剣で防ぐ。
が、直後には剣が掻き消え、レーナは無防備な姿となった。
ピュンッ!
と、更に光線が飛び、無防備なレーナに襲い掛かる。
レーナはそれをぎりぎりで避け、魔法を使って何かを潰した。
「何だったんだ……?」
煙を上げる何かを見つめ、誰にともなく私が言った。
レーナの答えは「さぁ……」というもので、私自身も分からない為に、彼女に追及する事は無い。
「武器は無くなりましたが魔法があります。行きましょう、先生」
レーナが言って歩き出し、私がレーナの後ろに続く。
同じような罠はその後にも、2回に渡って私達を襲った。
どちらもレーナが破壊してくれたが、レーナが居なければ7、8回は私はきっと死んでいた事だろう。
それから数分後。
どれくらい歩いたか、私達は地中をくりぬいて作った奇妙な部屋へと辿り着いた。
そこにはホルマリン漬けを大きくしたような、大きな筒が何本もある。
そして、その中の一本にフェネルが詰め込まれていたのである。
「壊しますね」
レーナが魔力の塊をぶつける。
筒が壊れ、液状の何かと共にフェネルが「デロリ」とそこから出て来た。
「おい、フェネル、生きてるか? おい」
「うん……いたいいたい……やめろー! 中立マンが黙ってないぞぉ……中立マンファイナルだーっ……」
頬を叩くとフェネルはそう言った。
意識はまだ戻らないようだが、一応生きては居るようである。
安心した私は一息をつき、それからフェネルを背中に担いだ。
「先生これ……うちの診察室にあったものですよね?」
振り向くと、レーナが何かを持っていた。
通称マイサン。間違いなく、私の家にあったものだ。
「という事は盗んだ犯人も……」
そこまでを言った時、地中が揺れた。
僅かでは無く、極めて大きく。
直後には天井部分の土が削げて、次々と下に落下して来た。
「いかん! 一旦外に出よう! このままでは生埋めだ!」
「はい!」
レーナに言って、私は走った。
揺れはどんどん大きくなって、真っ直ぐ走るのも困難になる。
が、それでもなんとか走り、私達は入口の近くまで逃げて来た。
大きな爆発音が聞こえたのは、その直後の事である。
走りながら振り向くと、爆風がすぐそこに迫っていた。
出口は近いが、もう間に合わない。
私達は爆風に呑まれ、炎の中へと消えたのである。
気付いた時にはもう夜だった。
私達は麦畑の中で、うつ伏せになるようにして転がっていた。
実っていた麦は無く、また、大きな穴も無い。
夜の為に青くなった地面だけがそこにあったのだ。
「何だったんだ……」
呟くと、レーナがうっすらと両目を開けた。
「あれ……わたし達……」
と不思議がっている辺り、私だけの記憶では無いようである。
穴は無く、麦も無い。
あるのは私達の記憶だけだ。
「うんん……」
フェネルが目覚め、立ち上がる。
そして、空を見上げて言った。
「空が……綺麗ですね……先生……」
と。
その目はどこか虚ろであり、表情も若干、無機質に見えた。
それから5日位の間は、フェネルはどうにもおかしかった。
いつも通りに話していても、不意に糸が切れたかのように、意識をどこかに飛ばしていたのだ。
だが、5日位が立った後には、いつものウザイフェネルに戻った。
「何があったんだ? 覚えている事は無いのか?」
後日、私がフェネルに聞くと、
「夢……なのかどうなのか、なんか体が拘束されてて、ヘンな奴らに囲まれてたんです。で、兜みたいなのをかぶせられて、電流攻めにされたんですよ。そこからは多分、妄想してたかな……中立マンファイナルロボとか、中立マンエターナルファイアーとか、そういう技でヘンな奴らをブッ飛ばすような妄想をしてた。そしたらそいつら「ムヒョオ!」とか言って、急に大騒ぎし始めたんですよ。何かって言うとビビってたって感じ? マジっすか!? みたいなノリ? その後は良く覚えて無いけど、とりあえず先生の背中が臭かったです」
と、なぜかの敬語で最後を〆た。
結局の所、真相は謎だが、フェネルが元に戻った事には私はひとまず安心していた。
私の周辺ではあれ以来、異常な事は起こっていない。
何だったのかは、未だに謎だ。
君達の近くには異常は無いだろうか?
もしかしたらあの何かは君達の近くに行ったのかもしれない……
ポッポ、ロロポロリロリ…
ラロラロロオール…
(訳。いやぁ、本当に気色悪いですねぇ…それではまた来週。さよなら、さよならさよなら…)




