命の恩人の言葉であるなら
年の暮れのある日の事。
フェネルが患者を連れて来た。
見た目の年齢は18から20。
髪の毛の色は紫色で、長さは肩に届く程だ。
顔つきとしては男勝りだが(私の印象では)、それでも美人と言って良い、スタイルの整った娘であった。
「知り合いか?」
と、私が聞くと、フェネルは「うんにゃ」と首を振った。
「なんか街でフラフラしてて、気になったから話しかけたんです。そしたら誰かに相談したいらしくて、先生どうせ暇だろうから、丁度良いかなと思ったわけですよ」
そして、続けて言った言葉で、私を「かちん」とさせるのである。
年の暮れのこの時期に、「どうせ暇だろうから」とはどういう事か……
それ以前に師匠に対してどういう口の利き方なのかと。
しかしまぁ、言っても仕方ない。
言っても逆にキレられるだけで、もっと情けない気分になるだけだ。
右手で目を覆い、擦るようにして、私はなんとか気持ちを抑えた。
「……まぁとりあえず座って下さい」
そして、未だに立ったままで居る、女性に座るように声をかけた。
「ふにゃ~ぃ!」
これはフェネルの発したもので、特に勧めたわけでもないのに、いつものソファーに「ごろり」と寝転んだ。
読みかけの漫画を読み始め、直後には「フヒヒ!」と不気味に笑う。
まぁ異様な診察室だな……
「あの」
座った女性が口を開く。
男勝りな顔に似合った、少し低めの声である。
「あたし、人間になりたいんだけど、そういう事って出来たりする?」
女性が言って、返答を待つ。
待たれる私は疑問の表情で、何を言ったのかが理解できず、眉根を下げて硬直していた。
「……出来ないんだ。やっぱり」
顔を反らして女性が言った。
9割以上は分かっていたのか、表情は殆ど変わらなかった。
出来ないか、と聞かれたら、それは出来ないという他に無い。
何度も言うが私は医者で、万能の神ではないのである。
例えば性別の壁を越えたい。
これなら手術や投薬等で、少し位なら手助けができる。
しかし、人間になりたいというのは何をどうしても不可能だった。
いや、それ以前の話だが、彼女は一体何者なんだ?
気持ちが若干前後したが、思った後に私は気付き、見た目は100%人間である女性に向けて聞いてみた。
「それ以前に君は何者なんだ……?」
と。
「ラミア。魔物だよ」
あっさりと、女性はそう言った。
「分かんないの?」と言わんばかりの顔で、私の事を「きっ」と見ていた。
実際、それを聞かれたら私は「まぁ……」と言うしかなかった。
聞く瞬間まで分からない程、彼女の変身(?)は完璧だったのだ。
ラミアは本来、腰から下は大蛇のような体のはずで、今現在、私の前に居る彼女のように両足がついては居ないものなのである。
住んでいる場所は沼地や洞窟で、そこに近寄る人間や、動物の生気を餌にしている。
具体的には血を吸ったり、或いは肉体そのものが彼女達の糧となるわけだ。
聞いた話では赤子を攫って、そのまま貪り食ってしまうという恐ろしいラミアも居るというが、実際、被害に遭ったという人を私は今までに見た事は無かった。
「失礼な質問だがそれは変身で?」
疑問を解く為に私が聞くと、女性は「そうだよ」とぶっきらぼうに答えた。
好みは人それぞれだろうから、私はそこには何も言わない。
しかし、私個人としては、少々苦手な女性ではあった。
「……結論としては人間にはなれない。いや、なれるのかもしれないが、私は生憎その方法を知らない。だが、なぜ人間になりたいのか、君が理由を話してくれるなら力になる事はできるかもしれない。……それが嫌なら話は終わりだが」
そういう気持ちが若干あったか、私は少し、冷たい口調で、女性に向けてそう言っていた。
言った後に、「冷たかったかな……」と、後悔したのは内緒の事だ。
「……姉さんがさ、殺されたんだよ。人間の冒険者とかいう奴に」
女性が「ぼそり」と言葉を発す。
「……復讐したいのか?」
と、私が聞くと、女性は無言で首を振った。
それはそうだ。
ラミアのままでも、復讐なら別に出来るはずである。
聞くより先に慰めるべきだった。我ながら全く、気の利かない事だ……
「姉さんはさ、人間の赤ちゃんとかを食べてたし、人間からしてみたら殺したいっていう気持ちも分からなくはないんだ。だから復讐とかじゃなくて」
やはり食べるのか……
と、私は思ったが、話が続いているようなので、口を挟むのはよしておく。
「そいつ、冒険者の男が言ったんだ。「君も人間の赤子を喰らうのか?」って。姉さんを殺したその後でさ。あたしは正直怖かったよ。殺されるんだ、って思って震えてた。でも、赤ちゃんは食べた事が無かった。ほんと、たまたまだったけど、そこまでしてお腹を満たそうと思った事が無かったんだよ。だから、あたしは首を振った。でも、きっと殺される、あたしは魔物だから殺される、心の中ではそう思ってた」
少しの間が出来たので、私はそこで小さく唸った。
いつの間にかフェネルが来ており、女性の話の続きを待って居る。
漫画より余程面白い、と、奴はそう思ったのだろう。
「そいつは言ったよ。「そうか。なら良い。私は君達を殺したいわけじゃない。私達、人間の赤子を殺した一人のラミアを殺したかっただけだ。君の家族ならすまない事をした」ってね。それからそいつは剣を収めて、あたしの前から去って行った。助かったって思うのと同時に、なんか……胸がアツくなってたんだ……」
女性が頬を赤らめる。
ああなるほどな……と、私は気付いた。
「え? どういう事? なんでこの人赤くなってんの?」
一方のフェネルはまだお子ちゃまで、事の成り行きが分からないようだったが、説明するのは面倒なので、フェネルの想像に任せる事にした。
「ああアレか、そいつ下半身丸出しだったんだ? 鎧だけ着てて下は裸、みたいな? そりゃあ思い出したらそうなっちゃいますよね!」
「マニアックすぎるわ! どんな変態だ!」
しかし、直後のその言葉には突っ込まざるを得ない私であった。
「まぁ……つまり……」
「ごほん」と、ひとつ咳払いをして、私が無理矢理空気を変える。
「その冒険者に会いたいと。おそらく人間の街に居るから、本当の姿のままではマズイと、そういう事で良いのかな?」
おそらくこの人はそいつに惚れている。
なぜ、惚れたのかはいまいち不明だが、察するに、殺されると思っていたのに、論理的に諭されて命を助けられ、挙句の果てには「すまない」と謝罪をされてしまった事が、彼女にとってはそいつに惚れる原因の一つとなりえたのだろう。
だからそいつにもう一度会いたくて、かと言ってラミアのままでは会えなくて、どうしたら良いかと悩んだ結果、「人間になりたい」となったのではないか。
私はそう考えて、彼女に向けてそう聞いたのだ。
「……うん」
果たして彼女はそれに頷き、私の考えが合っていた事が分かる。
「下、何も履いてないですよ! って注意してあげに行くんですね?」
「違うと言うに……というか、流石に誰かが突っ込み済みだろう」
しつこいフェネルにはそれだけを言い、私は彼女に顔を向けた。
そして、ここに来て思った事である、ひとつの疑問を投げかけてみた。
「その、変身、といって良いのか、今の姿になった上で会うと言うのには何か問題が?」
そう、彼女は今現在は100%人間で、そうする事が出来るのならば、敢えて、完全に人間になって、その上で会いに行こうだなどと、考えなくても良いはずなのだ。
「一応、魔法みたいなものだから、一時間位しかもたないんだ」
納得した。そういう事なら道理である。
探している途中で「ボン!」と解けたら彼女の命はそこで終わりだ。
自警団やら何やらに囲まれて、問答無用で処分されるだろう。
もし、どうしても会いたいのなら、一時間という時間内に目的を達成する必要がある。
その為には……
「相手の名前や住んでいる街等は? 分かる範囲で良い。教えて貰えるかな?」
「ど、どうしてそんな事を聞くんだよ……」
私が聞くと、女性が言った。
勿論、その男を探す為である。
時間が限られているのであれば、予めそいつを見つけておけば良い。
そして、時間を指定した上で、彼女ともう一度会って貰えば良いのだ。
「会いたいんだろう……私がそいつと話をつけて、時間や場所を決めてくるさ」
「ほ、本当に……? あ、あんた良い奴だなぁ!!」
彼女が言って、抱き付いてきた。
相当嬉しかったのだろう、抱き付く力もかなりのものだ。
「っていうかちょ……ほぉっ!?」
背中の骨が「ゴキリ!」と鳴った。
あまりに強い締め付けにより、背中の骨が外れたのである。
そう言えばラミアの得意技は、魅了と強い締め付けだった。
薄れていく意識の中で、私はその事を思い出していた。
彼女の名前はロニアだった。
冒険者の名前は不明である。
まぁ、魔物の討伐に来て、「私の名前は〇〇だ!」と、名乗る冒険者なんて居ないだろうし、これは普通の事だと言える。
では、住んでいる街は分かるか、と、私はロニアに質問してみた。
結果はやはり「分からない」というもので、これも一応予測はしていた。
確認の為に聞いたものなので、ロニアが悪く思う必要はない。
だが、次の質問である、
「一番近くにある人間の街は?」
というものには、ロニアには「わからない」とは言ってほしくなかった。
「一番近く? なんて言ったかな……ラッテ……違う、ラッド? じゃないや、ラーデ……ラーデだ! ラーデの街だ!」
ラッド? の部分には「ヒヤリ」としたが、直後には私は安心していた。
またあの人が関わっているのか、と、一瞬誤解した為だ。
「ラーデの街か……フェネル、すまないが地図を持ってきてくれ」
「やだー、メンドクサイもん」
当然のように拒否をされ、私が無言で立ち上がる。
「あれ? 怒った?」
と言ってくる所を見ると、怒られるような事をしたのだと、一応理解はしているらしい。
だが、私はそれに答えず、応接間に行って地図を取ってきた。
戻ってくるとフェネルはソファーで、普通に漫画を読んでいた。
要するに私が怒っていようと、怒っていまいと関係ないのだ。
つくづくタフな少年である。
「はぁ……」
私は座り、息を吐いて、ロニアの前で地図を広げた。
ラーデの街が正式な名として人間に認識されているなら、この地図のどこかにその名前が記入されているはずだった。
ロニアも見ていたが分からないのか(人間の文字が)、眉根を下げて目を細めていた。
「……これか、ラーデでは無く、ラトーデ、だな。これ以外には似たようなものは無いし、確かにそれなりに大きな街らしい。とりあえずここに行って見よう」
地図の中にそれを見つけ、私が言って地図を折った。
ロニアは「あ」と小さく鳴いて、どうすれば良いのかと私を見て来た。
「君はうちで待って居てくれ。レーナという人を紹介するから、何かあったら彼女に言えばいい」
「そ、そっか、分かった」
私が言うと、ロニアが頷いた。
目的の場所はここから南西の、歩けばおそらく20日位は必要とされる所にあった。
「(久しぶりにお世話になるか……)」
その為、私は仕方なく、ドリアードゲートを使わせてもらう事を心の中で決めるのである。
ラトーデの街は山間に作られたそれなりに栄えた街であった。
西部から東部への繋がりを兼ねている街のようで、街中には行商人や、冒険者の姿がかなり見られた。
私は無理についてきたフェネルと共に街に入り、情報集めならここしかないと、昼間の酒場に足を入れた。
時間が時間という事もあり、酒場の中は閑散としていた。
15才位の少女が一人で、ブラシを持って掃除をしており、酒場の亭主らしき者の姿は、店の中には見られなかった。
「仕事の邪魔をして申し訳ないんだが、誰か、大人の人は居ないのかな?」
「わたしだって大人です……」
私が言うと、少女が「ムッ」とした。
子ども扱いされたくはない、微妙な年齢だったのだろう。
「いや、それは失礼をした……あー、この店の主というか、亭主は今は居ないのかな?」
私は一応失礼を詫び、その上で少女を傷つけないよう、気を遣った物言いで行方を尋ねた。
「……わたしですけど」
少女が再び「ムッ」とした。
なんかもう相性的な、何かが完全に不一致だった。
「ど、どういう事かな?」
「これでも私19才なんです。この酒場は私のお店なんです」
私が聞くと、少女はそう言い、頭の頭巾を右手で取って、むくれた顔のままで私達に向かった。
所謂、童顔と言う奴だろう。
見た目には15才前後であったが、どうやら失礼をしてしまったようだ。
「そ、それは申し訳ない……子供に見えたというよりは、随分と、その、若く見えたので……」
「別に良いですけど……」
ほんの少しのお世辞が効いたのか、少女の怒りは若干解れた。
直後には「何か御用ですか?」と、私達に質問してきてくれたのだ。
「とりあえずミルク下さい。僕、喉が乾いちゃった」
こちらは完全に子供であるフェネルが発した要求だった。
「もぅ……まだ開店してないんだけどなぁ……」
文句を言いつつ、少女が動く。
フェネルは「ヒャッホゥ!」と叫んで歩き、カウンター席のひとつに座った。
「はいミルク。あなたは?」
「あ、それでは何か果物系のものを」
ご丁寧に聞いてきてくれたので、私も言って、席に座った。
改めて見ると素朴な少女だ。美人という程ではないが、人の良さそうな女の子である。
年齢的には若いのに、それでも酒場の亭主であるのは何かの理由があるのだろうか。
飲み物を作ってくれている間、私はそんな事を考えていた。
「じゃあこれ」
「ああ、どうも」
出されたものはフルーツミックスで、確かに果実系のものではあった(全部入っているとは思わなかったが)。
「それで、本当のご用件は?」
腰に手を当て、少女が言った。
まさかこれだけじゃないわよね? と、付け加えて言いたそうな表情でもある。
「実は人を探していまして、おそらく冒険者だと思うのですが、つい最近、ラミアの討伐に向かったという者に心当たりはないですか?」
言って、私が飲み物を頂く。
なかなかイケる。そう思い、更に一口頂いた。
「ラミア……? あの下半身が蛇のバケモノ?」
嫌そうな顔で少女が言った。
言われてみればその通りだが、それに知り合いが居る者には少々酷な物言いである。
しかし、それを悟られないよう、私は短く「ええ」とだけ答えた。
「うーん……正直、覚えてないわね。あそこにほら、貼ってあるのを持って来られるだけだから、私は中身とかあまり見ないのよ」
少女が言って、後ろを指さす。
そこには大きな板があり、沢山の紙が貼り付けてあった。
枚数はざっと見で50枚程。
遠目である為良くは見えないが、何やら依頼事が書かれているらしい。
その中の紙を持ってきて、「これをやるよ」と伝えるのだろう。
それでは確かに内容までは把握するのは難しいかもしれない。
「センセ、センセ! 薄汚いオス豚を一匹募集だって! 先生コレピッタリじゃないですか!?」
ソッコーでそこに歩いて行ったフェネルが何かを見つけて言った。
しかし、私はそれを無視し、
「ああいった依頼は他の酒場にも?」
と、少女に向けて質問してみた。
少女はまずは「どうだろ」と言って、
「冒険者ギルドそのものがあるから、大抵はそっちに行ってるんじゃない?」
と、思った事を話してくれた。
「なるほど」
私は納得し、ここで聞く事はもう無いだろうと判断した。
立ち上がり、フェネルを呼んで、冒険者ギルドに行こうと動く。
「あの」
と、少女に声をかけられなければ、すぐにもフェネルを呼んでいただろう。
「ああ、申し訳ない。これで足りますか?」
私が言って、銀貨を置いた。
一枚だが、普通であれば、これで十分なはずだった。
「ああ違う違う、お金じゃないの!」
が、少女は首を振り、代金の事では無いと言った。
なんなのか、と思っていると、
「さっきあの子が先生って言ってたけど、あなたもしかしてお医者さんなの?」
若干、懇願するような目で、私に向かってそう言ってきた。
「あ、ああ。まぁ一応は。この街の医者では無いですが」
「そ、そうなんだ……」
顔を俯けて少女が言った。
「あ、あのね、夢の世界ってあると思う? 寝ている時に見る夢じゃなくて、今、こうして起きている時に、このままの意識で入れる場所が」
そして、そのままの態勢で、意味が分からない事を聞いてきたのだ。
私が困惑し、黙って居ると、少女は慌てて顔を上げて、
「あ、何でもない! 何でもないの! さ、早く掃除しなきゃ!」
誤魔化すようにそう言って、床掃除を再開させたのだった。
「もし……何かお困りなら、私の医院を訪ねて下さい。イアン・フォードレイドという名前で探せば辿り着けると思うので」
私は一応、そう言って、若き亭主の酒場を去った。
外に出て、冒険者ギルドの場所を聞き損ねた事に気付いたが、フェネルが「こっちです!」と言って歩くので、不思議に思いながらもそれに従った。
そして、10分程歩いた結果、一件のアパートの一室に辿り着く。
「こんな所が冒険者ギルドなのか? 確かに通りに構えるよりは、こちらの方が安上がりだろうが……」
「こんにちはー!」
私の言葉に聞く耳持たず、フェネルがドアを「ドンドン」叩く。
「どちら様?」
やがて向こうからドアが開けられ、醜悪な女性が顔を出した。
ピンクのネグリジェにボサボサの髪。
顔にはこってりとメイクがされて、鼻毛が一本飛び出している。
年齢的には50前後か。
突き出した腹は妊娠では無く、太っている為だとすぐにわかった。
「あのーこれ見たんですけどー」
フェネルが言って、何かを渡した。
……とてつもなく嫌な予感がし、私は逃げ出したい衝動に駆られる。
「あらぁ! そうなの? じゃあこの人がオス豚ちゃん? なかなか可愛いピッグちゃんねぇ♡」
女性が言って、舌なめずりした。
そして、直後には私の右手を掴み、部屋の中へと引きずり込もうとしてきた。
「じゃあ先生! 頑張ってくださいね! 僕、酒場で待ってますから!」
フェネルは渡された金貨を持って笑顔でどこかに消えて行った。
「た、たすけ! 助けてぇぇ!!!」
「いいから来なさい! いけない豚ちゃんね!!」
女性が言って私を叩く。
「あうっ!?」
「返事はブヒィでしょ!!」
そして、続けて耳を噛んできた。
「いやあああああああああ!!」
私の悲鳴はアパートの暗い石壁に吸われて行った。
2時間後、私は解放された。
色々と抵抗を試みたが、彼女は意外な事に手強く、私程度の腕力でどうこう出来る人では無かった。
私はやむを得ず最終的に、魔法を使って彼女を倒した。
「次はこれよ! ピッグちゃんには入るかしら!!」
と、ナスのようなものを持ち出して来た時に、私の決意はゆるぎないものになった。
魔法を放ち、感電させると、彼女は「ブヒィ!」と鳴いて倒れた。
私はその隙に戒めを解き、服を着て、部屋から脱出した。
この時ばかりは本当に「フェネル殺す!!」と思ったものだった。
しかし、ようやく酒場について、フェネルの姿を見つけた時には、私もだいぶ落ち着いていた。
「お疲れ先生ー! 楽しかった?」
悪びれもせず、フェネルが聞いてくる。
「……次やったら殺す」
と、今までに無い声で答えると、フェネルは「ヒィ!!」と悲鳴を上げて、それきり口を閉ざしてしまった。
まぁそれなりに効いたらしい。
いつもの私では無かったが、今回はそれで正解のようだった。
あんな事は二度と御免だ……
そう思いながら「行くぞ」と言うと、フェネルは無言で静かについてきた。
「ああそういえば……」
酒場に戻ったついでである、私は先の少女に向けてギルドの場所を聞いてみた。
「街の中央に教会があって、そこの右手あたりに見えると思うわ」
掃除をしながら少女が言った。
私はそれに礼を言って、フェネルと共に外に出た。
フェネルはしばらくは無言であったが、私が道に迷っていると「あっちでしょ」とかポツポツと言い始め、やがては「あっちですってば!」と、完全復活を果たした上で、前に立って歩き出した。
あまりにもタフな精神というか、まるでめげない少年である。
私とフェネルは通りを進み、少女の言っていた教会を見つけた。
そして、その右手側に冒険者ギルドも発見できた。
教会の大きさに比べるのなら、半分位の小さな建物だ。
私達はそこに入り、それなりに居た冒険者をかき分けて、カウンターに居る亭主を訪ねた。
「ラミア? ラミアなぁ……あーそう言えば、2か月位前に……」
30才位の亭主が言って、箱の中を漁り出す。
そこにはどうやら達成済みの終了した依頼書が入っているようで、亭主は自身の記憶に沿って、その中を探し始めたようだ。
「ああ、あった! 赤子を攫われた市民の依頼書だ。今から3か月前の話だな。受けたのはスラッシュって冒険者だ」
亭主が言って、その紙を、私に見せて渡してくれた。
「済」というスタンプが右上にあり、依頼人からその内容、報酬金が記されている。
そして、一番下の空欄に「スラッシュ」という名がサインされていた。
「この人は今どこに?」
私が言って、紙を返す。
どうせすぐには見つからないだろう。
私はそう思っていたが、受け取った亭主は「あそこに居るぜ」と言って、一人の男を指さした。
スラッシュの年齢は30才前後。
髪の毛の色はこげ茶色の狩人風の人物だった。
剣では無く弓を携えて、前方の男と談笑している。
どうやら気が合う仲間らしく、直後には頭を叩いたりもしていた。
「助かりました。どうも」
亭主に言って私が歩く。
彼らの席に近付くと、気配を察してあちらが振り向いた。
「失礼、私はイアンと言います。少しお話があるのですが」
男、スラッシュに向かって言うと、スラッシュは「あ、ああ」と返事をした後、改めて「何かな?」と質問してきた。
私がざっと話をすると、
「ああ、そりゃあオレじゃないよ。確かに捜索の依頼は受けたけど、赤子はもう食べられてたんだ。多分、討伐の依頼だから、受けたのは別の誰かだと思うよ?」
と、探している人物は別の誰かだと、スラッシュ自身がそれを否定をした。
「そ、そうですか。それはどうも失礼を」
本人がそう言うのあれば、おそらくそれが本当なのだろう。
私は一礼し、そこから去って、亭主にもう一度聞いてみる事にした。
「討伐? ああ、討伐の方か。ちょっと待ってろよ」
気さくにも亭主は言って、箱の中を探してくれた。
「あった! あー、やっぱ二か月前か。こっちの方が印象強かったんだよな」
3分程を待っただろうか、それを見つけた亭主が言って、その依頼書を渡してくれる。
依頼人の名前は変わらなかった。どうしても復讐がしたかったのだ。
気持ちはおよそ察せなくは無い。
内容と報酬、引受人は、これは当然、違っていた。
先の、捜索の依頼と違って、報酬はかなり多めである。
実質的な危険が伴うので、報酬を増やさざるを得なかったのだ。
請けた者はクラスとあって、右上には当然ながら、「済」のスタンプが押されてあった。
「この、クラスという人物は?」
フェネルがやたらと見たがったので、それを渡して私が聞いた。
「クラス? ああ、それクラスだったのか。あいつなら今、別の仕事でタバス峡谷に行ってるよ。凶悪な魔物が居るらしくてね、それの討伐に行ってるってわけさ」
「そうですか……帰ってくるのは何時頃になりますか?」
「そりゃあわかんないよ。こんな事を言っちゃ何だけど、やられたら一生帰って来ないしね」
亭主が言って苦笑いをする。
まぁ、確かにその通りである。
死ぬ、死なないはともかくとして、帰ってくる時期は分かるはずがない。
かと言ってフェネルを連れて、そこに行くのは危険極まるし、私一人なら変わるかと言えば、結果はあまり変わらない。
私一人なら私だけが死に、フェネルと行けば死体がひとつ増えるだけの話であろう。
「(一度戻るか……)」
やむを得ず、私は思い、一度、自宅に戻る事にした。
「もし、早めに戻ってきたら、探している人が居たという事を彼に伝えていただけますか?」
「あいよ。名前は?」
「イアン・フォードレイドです」
「イアン……フォードレイドね。よし、わかった」
紙に書き込み、亭主が言った。
私は亭主に礼を言って、フェネルと共に自宅へと戻った。
自宅に戻るとレーナとロニアが意外な事に盛り上がっていた。
「ヤーダー!」とか、「マジでー?」とか普通に話して、女同士で「キャッキャ」していたのだ。
「あ、も、戻りました……」
私が言うと、話は止まり、なんだか空気が重くなった。
フェネルが小さく「うっわ……」と言ったが、なぜ言ったのかは分からなかった。
何これ、一体どういう事なの……
私が思い、冷や汗をかいたのはフェネルにとっては嬉しい事だったろう。
30分後。
私はロニアに事の成り行きを話して教えた。
ロニアは話の中盤までは、静かに、黙って聞いていたが、話が終盤に差し掛かると、その顔色を明らかに変え、最後には「駄目だよ!」と声を荒げて、とぐろの上で体を伸ばした(今はラミアの体になっている)。
「駄目とは一体、何を指して?」
「タバス峡谷はヤバいんだ! あそこには滅茶苦茶ヤバいのが居るんだ!」
私が聞くとロニアが言った。
その表情には焦りや恐れ、不安等が混在していた。
彼女がそれ程取り乱す理由を、私は当然知らなかった。
「何が居るんだ? 彼一人では危ないのか?」
故に、それをロニアに聞いてみる。
「ヤバいって! 絶対殺される! あそこにはビホルダーが沢山居るんだよ!」
ロニアが頭を抱えて言った。
ビホルダー。
通称で浮遊する眼球。
その名の通りの大きな眼球で、体は無く、その代わりにいくつもの触手を持っている。
睨むだけで対象を麻痺させ、その触手で脳味噌を吸い取ってしまうと言われている魔物だ。
知能は高く、失われた古代の魔法を使う個体もあり、相手からの魔法を無効化するバリアのようなものも備えているらしい。
つまり、見た目のユーモアさには反して、彼らは異常に危険なのである。
私であれば会って即、体を麻痺させられてジ・エンド。
生きたままで脳を吸われて、アホ顔を晒してあの世行きだ。
私でなくとも並の人間が、戦って勝てる相手ではないだろう。
おそらくクラスはそれと知らずに、「魔物が居るから退治してくれ」と、概要だけを聞かされて、それを請けたのではないだろうか。
そうでなければビホルダーと知って、それでも尚一人で行く等、自殺したいとしか考えられない。
「行きましょう! 先生! 今すぐに!」
レーナが言って立ち上がる。
言うと思っていただけに、実際言われると「やっぱり」と感じる。
そして同時に「良い性格だな……」と、皮肉無しに思いもするのだ。
私としては微妙であったが、レーナが行くなら行かざるを得ない。
私は実際、足手まといだが、いざという時の盾位にはなれるだろう。
「分かった。行こう」
答え、私も立ち上がる。
「……」
こういう時のフェネルは静かで、ひたすらに視線を合わせようとしない。
こちらとしてはやり易いので、それはまぁ放置しておくが、考えようによってはこの上無く自分勝手な生き物と言える。
「ドリアードゲートというものを使う。私達についてきてくれ」
ロニアに向かってそう言って、私とレーナが「すっ」と動く。
フェネルは最後まで目を合わせずに、知らん顔をしてやり過ごしていた。
タバス峡谷に着いたのはその日の15時頃であった。
森が終わり、坂道になり、右手が深い谷へと変わる。
左手側は絶壁で、時折、小さな石が落ちてくるので、あまり油断はできなかった。
私達はラミアに戻った、ロニアを先頭に道を進んだ。
道と言っても石だらけで、凹凸の激しい道である。
私達でさえ石を踏んだり、躓いたりして中々進めない。
なのにロニアはその上を「するする」と難なく進んでおり、一体どういう仕組みなのかと、私は少々疑問したものだった。
坂道を上り、拓けた場所で、私達は一個の死体を見つける。
それは、すでに白骨化している死体で、流石にクラスのものでは無かった。
ロニアが息を吐き、胸をなで下ろす。
これはもう愛だな、と、それを見ていた私は思った。
「ロニア」
レーナが言って、ロニアが頷いた。
早く行こう、という意味だったのだろう。
あれ? もう呼び捨てなのか……、と、私は心の中で思ったが、そんな事を聞くのは野暮なので、口から外には出さずに置いた。
坂道を上り、平板な道になる。
と言っても右手は断崖で、レーナが冗談でも押そうものなら私は直後に奈落の底だ。
そんな事はしないと思っても、人、二人分位しかない道幅では不安はどうにも拭えなかった。
平板な道を更に進み、自然に穿たれた穴へと入る。
その穴の中間あたりで、私達は左手に洞窟を見つけた。
見れば、洞窟の入り口辺りに誰かの荷物が置かれていた。
食べ物やら飲み物やら、寝袋やらも置かれている。
普通に考えて忘れて行った、とは、考えにくい状況である(フェネルであれば言いかねないが)。
予想だが、これらは先に進む為に、とりあえずの形で置いて行ったのだ。
盗難の恐れは勿論あるが、まさか寝袋を担いだまま、食べ物や飲み物を持ったままで、戦う事等出来るはずがない。
私がもし、一人で動くなら、同様の処置をする事だろう。
「この先?」
「わからない……でも多分」
同じ事を考えたのか、レーナが言って、ロニアが答えた。
二人ともこの先にクラスが居ると考えたのだ。
ロニアが動き、中に入る。
私とレーナが遅れて続き、直後には何かの物音が聞こえた。
「ずぅん……」という、何かというと、爆発音に近い音だ。
ロニアの体勢が低くなって、体を素早くくねらせる。
早いが、なんだか少し怖かった。
こんな感じで追走されたら、それだけで腰を抜かしそうだ。
「先生! 逸れないでくださいね!」
レーナが言ってロニアに続いた。
直後には照明の魔法を使い、レーナの周囲が明るく照らされる。
剣はすでに抜き身である。レーナのやる気は全開なのだ。
私も走り、彼女らに続いたが、ついて行くのがやっとだった。
途中、いくつかの死体を見たが、一瞬で走り去ってしまったので、どういうものかは分からなかった。
先の二人が止まらなかったので、大丈夫なのだろうと判断したのだ。
一分程を走っただろうか、今度は露骨に「ドォン!」という音がした。
爆発自体も確認できる。
私達の右前方だ。
しかし、そこには谷があり、左からぐるりと迂回しなければ、向こうには到達できない。
見れば、谷の向こう側で確かに誰かが戦っていた。
そこには広い岩棚があり、一人の人間を他の四体が取り囲もうとしている状態だった。
走り、岩陰に潜んでは、敵からの攻撃を防いでいる。
こちらは勿論一人の方だ。
対する四体は包囲を広めつつ、時折魔法を放っていた。
これが岩にぶつかって「ドォン!」という音を立てていたらしい。
爆発の光で敵が見え、ビホルダーであるという事が判明した。
「間に合うのか……!?」
明らかに一人が劣勢だった。
片手で剣を持っているし、或いは傷を負っているのかもしれない。
このままでは……と、私は思う。
「くっ……!!」
私の言葉を聞いたロニアが、より一層早く動く。
残ったレーナは「いけるかな……」と言い、直後には谷から距離を取った。
「れ、レーナ……? 一体何を……?」
「いちかばちか! 行ってきます!!」
私が聞くなりレーナは走り、剣を持ったままで谷を飛んだ。
その距離およそ30m。
普通であれば直後には奈落の底へ一直線だ。
しかし、レーナは綺麗な弧を描き、谷を見事に飛び越えた。
そして、驚くビホルダーに対して、横合いから一気に襲い掛かったのだ。
あっという間に一体が斬られ、もう一体が魔法で防御した。
だが、レーナは間をおかず、2振り目で敵の防御壁を破壊し、続く3振り目で敵を斬った。
斬られたビホルダーは真っ二つになり、「オォォォン……」と呻きながら地面に落ちた。
死神に対してこそ遅れを取ったが、やはりはレーナは圧倒的だった。
「はああああっ!!」
奴らの目が光り、何かをしたが、レーナはそれを気合ではねのけた。
信じられない、と言った様で、何かをしでかしたビホルダーが下がる。
そこで、レーナを味方と判断した男が飛び出してそいつを切り伏せた。
人間にしてはかなり出来る。
だが、レーナが来なかったなら、彼は間違いなく死んでいただろう。
残る一体のビホルダーは戦況が不利だと判断したようだ。
触手を収め、動きを止めて、観念したかのように瞼を閉じた。
「降参したのか……?」
私は思い、息を吐いた。
知能が高いと聞いていたが、そんな事まで理解しているのか、と、彼らに対して敬服もしていた(後で聞いた話だが、ビホルダーは私達等より遙かに知能が高かったらしい)。
レーナが歩き、近付いて行く。
男、おそらくクラスもそれで勝負あったと判断したのか、剣を収めてレーナの方を見た。
「油断するな! そいつはまだ……!!」
迂回していたロニアが現れ、クラスの後ろで叫びをあげた。
直後、ビホルダーの瞼が上げられ、眼球から太い光線が発せられた。
紫色に輝く光線で、それは凄まじい速さで飛んで、油断するクラスに襲い掛かった。
クラスが気付いた時にはもう、それは彼の目前にあった。
一際大きな爆発音が鳴り、洞窟内が大きく揺れた。
ビホルダーは「ケタケタケタ」と笑い、洞窟の奥へと逃げて行った。
爆発の煙が引き、クラスと、ロニアの姿が現れる。
クラスはそう、ロニアにかばわれて奇跡的に無傷だったのだ。
しかし、一方のロニアの体はボロ雑巾よりも酷い状態だった。
ロニアの事は残念だった。
私も必死で治療をしたが、もはやどうにもならなかった。
ロニアは結果、右目を失った。
今は私の医院に入院し、退院を目指してリハビリをしている。
命を救われたクラスは彼女に「私は君にどうしたら良いんだ」と、治療の後に質問していた。
ロニアはそれに「へへっ」と笑い、
「たまに会いに来てくれよ。あたし、あんたと話がしたいんだ」
と答えた。
命の恩人の言葉であるなら、と、クラスはそれを喜んで受け入れた。
クラスは今、プロウナタウンで下働きをしながら退院を待って居る。
どうやら一緒に帰るのだそうだ。
命の恩人の言葉であるなら。
そう言いつつも私とレーナは、満更でもないんじゃないか、と、二人のやりとりをニタついて見ている。
人間になりたい、と、彼女は言ったが、それになる事は出来なかった。
そして、おそらくはこの先もその願いは叶わないだろう。
だが、それでも意中の人と仲を深める事は出来た。
これからの事は2人次第だ。
魔物と人、相容れない仲だが、私は二人がそれを乗り越えて、明るい未来を作ってくれる事を心の中で祈っている。




