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純粋なる欲望

 最近、私の身の回りでは不幸な事が連発している。


 と言っても誰かが死ぬような、とてつもなく大きな不幸では無く、例えば何かに躓いて転んだり、包丁で指を切ってしまったり、晴れだと思って外出したら突然雨に降られたりと、そこまででは無い大きさの不幸ではある。


 偶然、ここ最近にそういう事が集中したと、取れなくもない状況だが、今までにこういう事が無かったという事もあり、私はなんとなくこの状況には嫌な気持ちを感じていた。


 12月の某日。


 買い物をする為に私とレーナは街に赴いた。

 すると、レーナが財布を忘れたと街に着いてから言いだしたのだ。


 私はその日、レーナが財布を持っていた事を確認していた。

 家を出る時に確かに見たのだ。


 だが、レーナはそれが無いと言い、「ダッシュで取って来ます!」と言って、本当にダッシュで戻って行った。

 凄まじい速さで止める暇も無い。

 右手を伸ばし、「レ」の口のまま、私はその場で硬直していた。


「ゴホン!!」


 誰かに見られたか……? そう思いつつ、わざとらしく咳をする。

 幸い、近くには誰も居なかったが、通りの向こうからこちらに近づいてくる何かの列に私は気が付いた。


 それは黒衣の列であった。棺を担いで歩いてきている。


「(葬式か……)」


 私が思い、道を空けると、先頭の老婆が頭を下げた。

 恐らく彼女が喪主なのだろう。


 老婆に軽く頭を下げて、私は彼らをそのまま見送った。

 その途中、一人の少女と私は目が合ったのである。


 年齢はおそらく10才前後。


 髪の毛の色は金色で、他の参列者は全員黒衣だが、彼女だけはゴシック的な普通の衣服を着用していた。


 見られた私は「びくり」としたが、少女の方はそうに非ず。

 私の事を「じっ」と見ながら、顔だけを向けて歩き続けた。

 そして、最後に「にやり」と笑い、顔を戻して去って行ったのだ。


「(気持ちの悪い子供だな……)」


 見送った後に私が思う。

 フェネルとはまた別の種類の、鳥肌がたつような気持ち悪さだ。


 そう思っていた私の横に、「ぽとり」と何かが落ちて来た。

 見ると、地面には小鳥が落ちており、「ぴくぴく」と痙攣した後に命を失った。


 最高に不吉だと言って良い。

 流石の私も目を見開いて、意識をせずに一歩を下がった。


「先生!!」


 と、直後に声をかけられて、迂闊にも「ひいぃ!?」という声も出した。


「ど、どうしたんですか先生?」


 私を呼んだのはレーナだった。息を荒げて肩を揺らしている。

 その額には少々の汗の玉も確認できた。

 時間にすれば10分少々。

 片道30分はかかる距離を、彼女はそれだけで往復してきたのだ。

 流石はレーナだ、という他に無い。


「先生?」


 レーナが再び私を呼んだ。

 理由を知りたがっているのであろう。


「い、いや、実は……」


 落ち着いた私が理由を話す。

 レーナは黙ってそれを聞いて、「そうだったんですか」と、納得してくれた。


「声をかけるタイミングが悪かったんですね」


 そして、その上でそう言って、私に「にこり」と笑いかけてくれた。


「ま、まぁ、そういう事になっている等とは普通は思わないし、仕方がないさ」


 私も言って、「ははは」と笑う。

 気持ち悪さが残っていたのか、その笑いは若干、乾いてはいた。


「じゃあ行きますか。今日は何が食べたいですか?」


 レーナが言って歩き出した。

 レーナの方も落ち着いたのか、今は普通に呼吸をしている。


「ビーフシチューが食べたいな。先週だかに作ってくれたあれはとてもおいしかった」

「そう言って貰えると嬉しいです! わかりました! じゃあ今夜も気合入れて作りますね!」


 通りを歩きつつ、私達が話す。

 こうしているとなんとなく、恋人か、夫婦同士のようで、それに気付いた私は「(アホか!)」と、自分を諌めて首を振った。


 直後。


「先生!?」


 と、レーナが叫んだ。


「んがぁッ!?」


 そして、私の頭には植木鉢が直撃したのである。

 植木鉢が割れ、私がよろめく。


「あーら大丈夫!? ごめんなさいねぇ! 手が滑っちゃってぇ!!」


 建物の上から声がした。察するに、それを落とした主だろう。

 私はなんとか生きてはいたが、頭を抱えてその場に屈み、痛みに耐えて片目になっていた。


 不幸である。

 地味だが、これはかなりの不幸である。


「ごめんなさいねぇー」


 言いながら、中年の女性が外に出て来た。


「大丈夫ですか先生……?」


 こちらはレーナの心配だった。


「な、なんとか……」


 私が言って立ち上がると、二人とも「ほっ」と息を吐いた。


「ほんとごめんなさいねぇ……お医者さん呼んでこようかしら?」

「あ、いえ、私がその医者です。とりあえずは平気なようなので……」


 私が言うと、中年女性は「あら、まぁ!」と言って、驚いて見せた。

 なんとも暢気な奥さんである。

 下手をしたら死んでいたのに。

 そう思ったが、私の頭には怒りというものは特には無かった。


「今後は気を付けてください。下手をすれば殺人ですよ」


 言うと、奥さんは「にやり」と笑った。

 しかし、直後には「わかったわぁ」と言い、「本当に悪い事をしたわぁ」と、申し訳なさそうに謝りもした。


 一瞬、困惑した私だったが、特に言うべき事は無いので再び通りを歩き出した。

 レーナが続き、私の横に立つ。


「本当に大丈夫ですか?」

「ええ、まぁ。半分は魔物だったのが幸いしたのかな?」


 私が言うとレーナは笑った。

 そして、私達はそのまま歩き、市場へと到着したのである。




 市場でも小さな不幸は起こった。

 買ったものが入って居なかったり、魚を運んでいた人に、いきなり魚をブチまけられたり、試食にと勧められた果実の中に虫が居たりと散々だった。


 彼ら、彼女らは謝りはしたが、その直前にはどういうわけか、必ずと言って良いほど「にやり」と微笑んだ。


 買い物を終えた私達はフォックスの医院に寄る事にした。

 どうにも状況が変だと思い、相談ついでに顔を見ようと彼の医院を訪ねたわけだ。


「あれ!? 先生なんで街に居るの?」


 フォックスの医院にはフェネルが居た。

 最大級の不幸である。

 やはり私は呪われていた。


 額を押さえ、壁に手をつくと、レーナが体を支えてくれた。

 これはちょっぴり幸運だったので、そこは私は「よし!」と感じた。


「何やってんすかいきなりー」


 フェネルが言って近寄ってきた。

 その手には「産婦人科へようこそ!」というパンフレットのようなものが握られている。


「なんだそれは? どういう事だ?」

「え? ああこれ? 僕も医者を目指してますからね。こうやって時々はフォックス先生に医者の事を勉強させてもらってるんですよ」


 私が聞くとフェネルが言った。


 なんだ幻聴か……


 と、思った私は、直後にはフェネルに「ふーん」と返した。


「なに!? 今お前何と言った!?」


 が、直後には現実だったと気付き、フェネルの持っていたものを奪い取った。

 見れば、本当にざっとであるが、産婦人科の医師になる為の流れのようなものが記されており、最終的にかかる期間や、必要費用等も記されていた。


 最後の「これで見放題!」は、個人的にはいただけなかったが、それを目指して頑張る若者も居ない事は無いだろうから、コメントするのは避けようと思った。


「だから先生にはもうちょっと医学の事を教えて欲しいんですけどねー。先生エロイ事しか教えてくんないし」


 そこは否定するべきだったのだが、私はそれには気付けなかった。

 レーナの手前、そこはどうしても否定しておくべきだったのだが、あまりの驚きで私は混乱し、そこまで頭が回らなかったのだ。


「お、お前、本気だったのか……私はてっきり遊びでやってるのかと」


 やっと出て来た言葉はそれで、「なんじゃそらぁ!」と、フェネルにキレられる。

 レーナが「じとり」と見ていたらしいが、それは後になってフェネルから聞いた……


「ひとの医院でごちゃごちゃごちゃごちゃと……用があるんなら入ってこんかい」


 医院の主が姿を現した。

 奥で私達を待って居たのだろうが、なかなか入ってこないので、痺れを切らしてしまったのだろう。


 見れば今日は両手が空いている。

 珍しい事にクロスワードの本と、ペンは不在のようである。


 フェネルの先の言葉から察するに、もしかしたら本当に勉強を教えていたのかもしれない。

 そうなると私達は邪魔者であり、私個人もそれが本当なら、是非にも頑張ってほしいと思う。


「いや、今日は失礼するよ。世界フェネルの未来の為だからな」


 故に、そう言って私は身を引き、今日の所は帰ろうとした。


「おいおぃ、ここまで来てそりゃあなかろう。ええから入れ、ほれ、入れ」


 が、フォックスに引き止められ、右手で「くいくいっ」と手招きされた為、それを無視する訳にも行かず、帰る足を止めたのである。


 私とレーナ、そしてフェネルは、診察室にそれぞれ落ち着き、医院の主のフォックスが執務用の椅子に座った所で、訪ねて来た理由を私が話した。


「なるほどのぅ」


 成り行きを聞いたフォックスが唸る。

 机の上を指で小突き、「或いは」と言った上で言葉を続けた。


「お前さん、本当に呪われとるのかもな。動物を虐めた記憶は無いか?奴らの中には祟るのがおるらしいぞ?」

「全くもって身に覚えが無いな。それどころか最近は動物自体に関わっていない」


 私の返事を聞いたフォックスが「ふーん……」と言って考え込んだ。

 直後、フォックスの背後に見えるロッカーの上の本が崩れ、それがフォックスに覆いかぶさった。


 幸いにもダメージは殆ど無かったが、突然の事にフォックスは驚き、「心臓がバクバクする」と言って、別の意味で私達をひやひやさせた。


「これもお前さんの呪いの影響か……」

「勝手に私のせいにせんでくれ……」


 皮肉に答えて私が言うと、フォックスは「どうかの……」と言った後に、下唇を「にゅまっ!」と裏返して見せた。


「まぁ本気で危ういと思うなら教会にでも行って見たらどうじゃね?この街にも一人おったはずじゃぞ。悪魔祓いの神父とやらがの」


 そして、そんな提案を私に向けて発したのである。


「いよいよになったらそれも良いかもな」


 私が言って、立ち上がる。

 一応、これで用は済んだし、あまり長く滞在しては、勉強の邪魔になると考えたのだ。


「なんじゃぁ、もう帰るのか」


 フォックスが言ったが引き止めはしなかった。

 私の用が済んだという事を、フォックスなりに察したのだろう。


「じゃあ僕、後で行きますから。ビーフシチュー、僕の分もよろしくお願いしますね!」


 レーナから聞いたのか、フェネルが言った。

 一瞬「こいつ!」と思いはしたが、今日はフェネルの頑張りを見た。

 褒めて、頑張れと言う気持ちこそあれ、今日のフェネルを邪魔とは思わない。

 私は素直に「分かった」と言い、最後に「頑張れよ」とも言ってやった。


「きもちわる!!」


 フェネルが言ったが、気にはしない。

 ツンデレと思えば可愛いものだ(デレた事は一度も無いが……)。

 そして、私はレーナと共に、我が家への帰路につくのであった。


 フォックスが言った悪魔祓いの神父の話を、一応、心の片隅に置き。




 その日の夕方にフェネルはやってきた。

 夕飯を食べる為だけに来たらしい。

 なんとも見上げた根性である。


「なんか玄関の前に女の子が居ましたよ。10才位の金髪の子。僕が気付くと逃げちゃったけど、もしかして僕に「ホの字」の子かな?」


 夕飯時、シチューをすすりつつ、フェネルが私に言ってきた。


「い、いやそれは無いだろう……というか表現がおっさん臭いな」

「おっさんに言われたぁ!! マジで凹む! レーナさんはどう思います?」


 私の言葉にフェネルが叫び、直後にはレーナに矛先を変えた。

 凹むと言うのなら私の方が余程凹んで居るのだが、今日の私は寛大なので、そこは笑顔でしのいでおいた。


「うーんどうかな? 同級生とか知り合いに見覚えのある子は居たりする?」


 パンを千切ってレーナが言った。

 聞かれたフェネルは「待ってね」と言って、記憶の糸を手繰り寄せ始めた。


「多分居ない。物陰からそっと見守ってた子かな?」


 が、2秒後にはそう言って、想像と言うよりは妄想に近い、現実離れな妄言を吐いた。


「そうかもしれないね。最近フェネル君頑張ってるから」


 そこは「ちげーよ」と言いたかったのだろうが、レーナはやはり大人である。

 フェネルの勘違いをうまく利用して、やる気を増させる作戦らしい。


「マジで!? じゃ、じゃあ僕一杯頑張って、産婦人科医になりますね! で、あの子が子供を産む所を特等席でガン見するんだ!!」


 鼻息荒くフェネルが言った。

 最後の一文でやる気になったの!? と、私はひどく取り乱したが、不純であれどやる気はやる気、鼻水を拭って聞かなかった事にした。


「そ、そういえばその子はどこに行っちゃったの? 街の方?」


 同じく動揺したのであろう、それを誤魔化すようにレーナが聞いた。


「え? あー、なんか森の方です。凄い速さで「ピュー!」って。照れ屋さんなんですねきっと」

「森の方? 具体的な方向は?」


 疑問に思い、私が聞いた。

 我が家の北には街があり、(正確には北東だが)その方向へは道が伸びている。

 だが、西と南には森が広がっているだけで、誰かがどこかに行くとしたなら、東以外にはありえない。

 もし、西と南に行ったなら、それが人間である可能性は低いだろう。


「具体的にって……えーと北が街だから……西かな?」

「西だと……」


 西は特にありえなかった。

 西にはすぐに崖があり、遙か下には荒野があった。

 例えば少女がロッククライマーだとして、そこからなんとか降りたとしよう。


 だが、降りた先に広がるものは人の住めない荒野だけなのだ。

 普通の人間なら逃げるとしても、西の森は選べないだろう。


「あれ? なんか焦げ臭くないですか?」


 そう思っていた私の横で、鼻を鳴らしてフェネルが言った。

 嗅ぐと、確かに焦げ臭い。

 三人で臭いの元を探すと、台所の竈から炎が出ていた。


 慌て、水瓶の水をかけて、燃え広がるのは防げたが、竈とその周辺は水浸しになってしまった。


「す、すみません先生……確かに消したと思ったんですけど」


 レーナが謝り、「しゅん……」とする。

 責める気持ちは微塵も無かった。


 第一に彼女を信用している。

 レーナが言うならそうなのだろう。


 第二に、例えば失念していて、火を消し忘れていたとしても、家事を殆ど任せている以上、責める権利が無いからだ。


 この点、色々あるとは思うが、私はそういう姿勢であった。


「フォックスさんと言いレーナさんと言い、先生の呪いで散々だなぁ……」


 ボヤくようにフェネルが言って、私はその事で思い出した。

 そうか、これもそうなのかもしれないな、と。

 私は、この時になってようやく、フォックスの言った神父の元を訪ねる事を決意した。




 私達に会ってくれたのは70才位の老人だった。

 髭は無く、髪の毛も無い。

 教会指定の白い服と帽子をかぶっているだけだ。


 背は高いが、がりがりの枯れ木のような老人で、私の話を聞いている間にも何度か眠っているように見えた。

 そして、話を聞き終わった後に、


「つまりあんたは奥さんと別れたいと」


 と、見当違いな返事を飛ばし、私達を困惑させたのである。

 教会の中には信者が居た為、私は「アホか!」とは言いはしない。

 しかし、代わりに無言で抗議して、返事の修正を神父に求めた。


「奥さんはどうなの? 別れたいの?」


 神父が言って、レーナに聞いた。

 レーナは「さぁ……」と言葉を返し、「空気読んで!」という意味の微妙な表情を神父に送った。


「奥さんはこう言ってますよ。考え直しなさい。良い奥さんじゃないの。あんたなんかにゃ勿体ない」


 神父はそれに気付く事無く、私に向かってそう言った。

 勿体ないとは確かに思うが、だからと言って「はい」とは言えない。


 言ったらまず空気が凍り、その次に非常に気まずくなる。

 冗談だとしても私には言えない。


「だからその、私達はそういう事を相談しに来たのでは……」


 無いのですが、と、続けて言おうとした直後、一人の女性が現れて、神父の横に「すっ」と座った。


「じゃワシはこれで」


 入れ替わるように神父が立ち去る。


 えっ? 何? どういう事……?


 と、私達が疑問している中で、女性が私達の顔を見つめた。


 女性の年齢は22、3才。

 身長は165㎝くらいと、女性にしてはやや高い。

 髪の毛の色は赤色で、瞳は琥珀色の美しい人だった。

 髪型はロングストレートで、教会指定の白い帽子は申し訳程度に乗せられている。


「お待たせしました。悪魔祓い専門の神父で、アティア・フルエンスと申します。被害に遭われているという方はあなた方のどちらですか?」


 女性、アティアが頭を下げて、直後に私達に聞いてきた。


「あ、こちらのイアン先生です」


 突然の事に驚いて、戸惑った私はそれには無言で、先に冷静さを取り戻したレーナがそれに答えて紹介してくれた。


「イアン? イアン・フォードレイド?」


 聞いたアティアが目を大きくする。

 美人である。

 レーナもそうだが、アティアの方はなんというか、眉毛に力があるような気がする。

 目力というのだろうか、それがある為に美人に見えるのだ。


「あの、イアン先生に何か……?」


 これを言ったのもレーナであった。

 私は彼女の瞳に引かれ、なぜ、彼女が驚いたのか、その理由を知ろうとも思わなかった。


「私の……曾祖母がお世話になりました。当時、私達の一族はここより西に住んでいましたが、そこに居たイアン先生、あなたに曾祖母は救われたんです。カチュア・フルエンスという女を先生は覚えていませんか?」

「カチュア・フルエンス……?」


 アティアに言われ、私は考えた。

 曾祖母というと100年から150年位前だろうか。

 私はその頃どこに居たか。

 確かにここより西にあった小さな村の近くに住んでいた。


 多分、100年位前の事だ。


 当時の私は医者の駆け出しで、魔物どころか人間も、ろくに救えていなかった気がする。


 しかし、カチュア、この名前には思い当たる所は正直無かった。

 あの頃は毎日が必死であった為に、患者の名前を覚える余裕は私にはきっと無かったのだろう。


「申し訳ないがその頃は駆け出しで、私は毎日が必死でした。患者の名前を覚える余裕は……」


 その事を正直に彼女に伝えると、アティアは「そうですか……」と残念そうに言った。

 しかし、すぐにも「とにかく」と言って、その後に更に話を続けた。


「先生が曾祖母を救ってくれたお陰で、私達の一族はその後にも続きました。本当にありがとうございました。こんな所でお会いできるとは、正直、思っていませんでした」


 頭を下げて礼を言い、頭を上げたアティアが微笑んだ。

「どきり」とした私に返せる言葉は無く、レーナが「そうだったんですか」と返しただけだった。


「それで、今日はどのようなご用事で? まさか私に会いに来たなんて、そんな事ではないですよね?」


 言って、アティアが「ふふっ」と笑った。

 悪戯めいた笑いである。

 嫌いでは無い、とだけ記しておこう。


「あー、いや、実は今日は相談で……」


 戸惑いながら私が言った。

 嫌いならこういう反応では無いわけで、つまる所はそういうわけである。


「どのような事でも」


 と、アティアが言ったので、私はここ最近の周囲で起こった不幸を話し、その上でこれは呪いではないか、もしそうならどうすべきかを、アティアに向けて相談してみた。


「なるほど。呪い、というよりは祟りの方かもしれませんね」

「同じでは無いのですか?」


 私が聞くとアティアは首を振り、


「呪いは災いが起こるように祈る事です。祟りは神仏や怨霊等が直接引き起こす災いなのです。なので、呪いよりは祟りの方が、より、直接的だと言えると思います」


 と、少し難しい事を言った。


「つまり……災いを引き起こせる何かが先生の近くに居るという事ですか?」


 怖い事をレーナが言った。

 背筋が凍ると言う奴だろう、何やら背後に寒さを感じる。


「そうですね。居るか、あるかのどちらかだと思います。最近おかしなものを見たとか、拾ったとかの記憶はありませんか?」


 アティアに聞かれて私は考えた。

 拾ったもの、は特に無い。


 とすると必然的に、見た、の方に絞られるはずだ。

 フェネルが勉強しているのを見たが、呪い、というか祟り的なものはそれ以前から起こっていたので、それとは関係が無いはずである。

 間違いなくおかしな事ではあるが、これは除外して良いだろう。


 それ以外に見たものは……


「葬式……か……」


 思い出した私が呟く。

 葬式で私はおかしなものを見た。

 不気味に微笑む少女の姿を。


 そして、その日の夕方にはフェネルもそれらしい少女を見ている。

 つまり、私の近くに居るというのはその不気味な少女ではないのか。


「葬式で、妙な女の子を見ました。全員が黒い服だったのですが、その子だけは普通の服で、私の顔を見て「にやり」と笑ったんです。その日の夕方にはフェネル、見習いの助手なのですが、その少年もそれらしきものを見ています。もしかしてこの少女が……」


 確信では無い為に最後は言えず、そこはプロのアティアに任せた。

 アティアは少し考えた後に、


「死神、かもしれません」


 と、空恐ろしい事を私に言った。


 死神、まさに死の神である。


 一説には、死者の魂を刈り取る事を仕事にしており、その魂が天国か、地獄のどちらに行けるかの、裁判をする場所へ案内をする役目も兼ねていると言われている。


 子供の死神は地方によっては名前で呼ばれる事もあり、私が知っている中では一番、アリスという名が有名だった。


 私は一度も死んだ事が無いので、それが嘘か真かは知らない。

 だが、知識としては死神の存在と恐ろしさは知っていた。


 しかし、なぜ、そんなものに私が目をつけられなくてはならないのか。

 その点は分からず困惑していた。


「子供の死神は厄介なんです。時に楽しさや面白さで人の魂を狙う時があって、その力が絶大なだけに並の人間では歯が立ちません。それでも抵抗して、厄介だ、割に合わないと諦めてもらう事で、ようやく撃退が可能なんです」


 つまり、私は興味本位や面白さで命を狙われているわけだ。

 まさに子供だ。絶望的と言って良い。


 アティアの説明を苦笑いで、ほぼ、諦めて私は聞いていた。

 子供の理不尽さと強烈なパワーを、フェネルですでに知っていたからだ。


「撃退は出来るんですね?」


 私の横でレーナが言った。

 アティアがそれに「ええ」と答える。


 そして、二人が「こくり」と頷いた。

 彼女達はどうやらやる気のようだ。


 私は諦めていた事を恥じ、首を振って考えを正した。

 諦める事はいつでもできる。やれるだけはやってみよう。

 考えを変え、私は立ち上がり、二人に向かって「すまない……」と謝った。

 二人の女性は「にこり」と笑い、


「大丈夫、必ず守りますから」


 と、声を揃えて言ってくれた。

 情けないが嬉しかった。

 ヒロインの心境と言って良い。


 私は今度は「ありがとう」と言い、二人のヒーローと死神に備えた。




 その夜、フェネルの居ない私の家で迎撃作戦は開始された。

 家の周囲には聖水が撒かれ、アティアが崇める神の像が等間隔で吊るされた。


 アティアの神は女神のようで、私はそれとはサイズが違うが、どこかでそれを目にしたような、不思議な感覚にとらわれた。


「気休め程度にしかならないでしょうが」


 アティアが言って、戻ってくる。

 私は特に出来る事が無く、自分の家なのに居場所が無いようで、ソファーに「ちょこん……」と座っていた。


 レーナはすでに剣を持ち、戦闘態勢で辺りを警戒し、ちょっとした物音でも大げさに動いて私の心を「ビクビク」させた。


「長期戦になるかもしれません。今からそれではもちませんよ」


 アティアが言って「ふふふっ」と笑う。

 言葉の対象はレーナらしいが、私もそれには反省する所がある。


「ちょっと気を落ち着かせてきます……」


 立ち上がり、トイレに向かう。

 男が落ち着くにはこれが一番で、長期戦になるのであれば、余計に済ませておくべきものだ。


「ふぅ……」


 トイレに入り、息を吐く。

 何気なく上を見ると、


「あーあ。関係ない人巻き込んじゃったね。皆死んじゃうよ。クスクス……」


 小さな女の子の声が聞こえた。


「誰だ!?」


 慌ててトイレの中を見るも、声の主は見つからない。

 それでも手早く用事を済ませ、確認もせずにチャックを引き上げた。


「ぎゃあああッ!?」


 何かが挟まり、苦痛の声を出す。

 しかし、何とか痛みに耐えて、先よりは注意してチャックを上げた。


 涙目で手を洗い、トイレから飛び出す。

 それは勿論恐怖をしていたが、流石に色々と出しっぱなしではレディの前には出られないからだ。


「声が聞こえた! 近くに居る!!」


 走り、レーナとアティアに伝える。

 アティアが下唇を噛んだのは「やっぱりそうだったか」と思うが為だろう。


 一方のレーナは私に駆け寄り、私と入れ替わるようにしてトイレの中へと飛び込んで行った。


「あっ、ちょっ……」


 当然、そこには誰も居ないが、コトを済ませた直後である為、私はちょっぴり恥ずかしかった。


 少女の姿は一向に見えず、反して夜は更けて行った。


 0時が過ぎ、1時が過ぎた。


 部屋で寝るのは危険と思われ、私はソファーで横になっていた。

 レーナとアティアは椅子に座り、交代で休んでいるようだった。


「(申し訳ないな……私の為に……)」


 寝転んでは居たが寝られなかった。

 その原因は申し訳無さと、自分自身への不甲斐なさだ。

 この状況で寝られる者は、きっと王様くらいであろう。


「ごくろうごくろう。んじゃワシは寝るからね(笑)」


 なんて、もし王様が言ったとしても、私だったら半ギレだろうが、彼女達が守っているのは本当にただの一人の医者で、それを気にせず、当然のように寝る事等、私にはとてもできそうになかった。


 それでも午前の4時頃に、私はつい「うとうと」とし始めた。


 寝ては居ないが意識は薄い。

 ある意味で最高に気持ちの良い瞬間だ。


 目を瞑り、そして、慌てて目を開ける。

 そんな事を繰り返した時、私の前には少女が立っていた。

 鎌を振り上げ、狂気の笑みで私の事を見下ろしている。


「!?」


 意識が一気に覚醒し、眠気が一瞬で吹っ飛んだ。

 ソファーの上に乗りあがり、転げるようにして後ろに落ちた。

 直後にソファーは鎌によって、真っ二つに切られてしまう。


けるなよぉぉぉ!!」


 少女が言って、ソファーに乗りあがる。

 一瞬の後にはそこから飛んで、鎌を両手に飛びかかってきた。

 しかし、その鎌は私に届かず、剣によって妨害された。

 レーナが割り込み、防御してくれたのだ。


「先生離れて!」


 レーナに言われ、私が離れる。

 壁際で手をつき、成り行きを見守った。


「邪魔をするならあんたも死ぬけど!」


 少女が言って斬撃を繰り出す。

 レーナはそれを無言で受けて、隙を見て少女に切りかかっても居た。


 ここでアティアが目を覚まし、杖を持って立ち上がる。

 その直後には何事かを詠唱し、少女の足元に白い円が浮かばせた。


「人間風情が、何が出来るっ」


 しかし、少女はそう言っただけで、その円の中から余裕で抜け出した。


「くっ!!」


 アティアはやむを得ず杖を両手に、少女に向かって殴りつけに行った。

 レーナが、そしてアティアが、二人がかりで攻撃したが、少女は余裕の表情で、それらを全て流して行った。


「ああっ!?」


 そしてついに、アティアの体に少女の放った魔法が当たった。

 アティアは机をなぎ倒して飛び、裏庭へと続くガラスを割って、裏庭の地面の上で止まった。


 私は走り寄ろうとしたが、アティア本人が「来ては駄目です!!」と、立ち上がりながら言ったので、彼女の言葉に従う事にした。


 流石は神と言うだけあって、少女は子供でも異様に強かった。


 あのレーナが押されていたのだ。


 見た目の応酬では互角に見えるが、お互いの表情が全てを語っている。

 レーナは歯を噛み、一方の少女は、未だに不敵に笑ったままだ。

 実力の何割かを隠しているのは間違いない。


 そして、それを少しずつ出して、レーナの実力を探っているのだ。

 子供らしい嫌なやり方である。

 数十秒が経ち、ようやく立てたアティアが家の中へと入った。


「あんたは駄目。全然弱いから」


 が、今度は逆に、アティアが少女の円の中に封じられ、一歩も動けなくなってしまう。


「先生……! 逃げて! 逃げて下さい!!!」


 アティアが言ったが、それは無理だった。

 彼女達が勝てないような化け物に追われて逃げきれるわけがないし、何より2人を犠牲にしてまで生き延びようとは私は思わない。

 それならいっそ、と、私は思う。


「きゃあっ!!」


 レーナがついに吹き飛ばされた。

 防御をしたが防ぎきれず、力に負けて吹き飛んだのだ。

 レーナは壁を突き破り、トイレのドアに当たって止まった。


 立ち上がろうともがいていたが、ダメージが大きく、厳しいようだった。

 まさに圧倒的である。

 死に逆らうという事は、これ程に大変な事なのだろう。


「やれやれ……」


 覚悟を決めた私が言った。

 少女が「ん?」と目を瞬かせる。


「分かった。この命くれてやろう。どこをどう気に入って、欲しがっていたのかは知らんがな」


 一歩を進み、私が言った。


「だって綺麗なんだもん。おじさんの魂、色がすっごい綺麗なんだよ」


 悪びれた様子無く、少女が言って「にひひ」と笑う。

 そう、それだけの理由だったのだ。

 子供の理由なぞそんなものだ。

 私には大体わかっていた。

 どうせつまらない理由なのだと。


 しかし、一方で子供にとってはそれが重要な事だとも分かる。

 行動理念というものだ。

 なぜ、どうして、そうしたい、の根本に関わる部分である。


 今回の場合は「綺麗だから、欲しかった」という事になり、彼女にとってはその理由が、とてつもなく重要だったというだけの事だ。


 だから私はくれてやる。

 その結果、どうなるのかをこの子にしっかりと教えた上で。


「やるがいい。私は死ぬ。君が私を殺すからだ。私は自然に死ぬのではない、君によって命を奪われるんだ。君の役目は殺す事か? 無理矢理にでも人を殺して、魂を強奪して行く事か?そうならやれ。好きにしろ。最後にひとつだけ言わせてもらえるなら、私がもし君の親なら、「バカヤロウ!!!」……と君を叱っていただろうという事だ」


 私は言って、少女に近付いた。

 斬るなら斬れ、という意味である。


 少女は「あ……」と小さく呻き、鎌を持ったままで一歩を下がった。

 しかし、直後にはやる気になったか、意を決したように鎌を振り上げた。


「(やはり無駄か……)」


 私が思い、不敵に微笑んだ。

 相手は子供だ。理屈は通じない。


 だが、きっと無駄では無いはずで、いつかは彼女にもわかるはずの事だ。

 レーナとアティアには申し訳ないが、これで彼女達は死なずに済んだ。

 私はそう納得し、命が刈り取られる時を待った。


「お……お、怒る……のかな……?」


 たどたどしい口調で少女が言った。


「ん……?」


 予想外の展開に私が疑問する。


「お、お父さんが知ったら怒るのかな……?」


 鎌を下して少女が言った。

 居るのか……と、私はまずは思う。

 それから「まぁ、怒るだろうな……」と、普通はそうだろうと言う事を教えた。


「怒るんだ……じゃあやめる。おじさんの魂欲しかったけど、お父さんが怒るんじゃ意味がないもん」


 何やら普通に良い子である。

 フェネルであったら「かんけーねー死!!」と、今頃は私の胴体と首はサヨナラしていたはずだ。

 理屈が分かる良い子であるなら、説教もそれなりに効果はあったのか。


「あー……なぜ、というか、まぁ綺麗だったのか。綺麗というだけで欲しかったのか?」

「うん。たまーに綺麗な魂の奴が居て、猛烈に欲しくなる事がある。って前にお父さんが言ってたの。だから上げたら喜ぶかなぁって」


 私が聞くと少女は言った。

 何の事は無いプレゼントである。

 私の魂はリボンをつけられて、お父さんに贈られる予定であったのだ。


 そうだとしたら余計に良かった。

 欲しくなる、と、言ったという事は、お父さんはそう思っても、そういう事を今までに、一度もしなかったという事を意味していると思われる。

 という事はそれを贈られても、


「なんてこった! 俺のせいで!」


 と、後悔や反省はする事はあっても、


「ヒャーホ! なんて綺麗な魂なんだい! お父さんもう踊っちゃうよ!」


 と、小躍りをして喜ぶような展開になる可能性は殆ど無いと言って良い。


 つまり、少女に説教をして、思いとどまらせたという事は、お互いにとって大正解だったのだ。


「実際、一度聞いてみると良い。もし、殺して奪ってきたら、お父さんは喜んでくれる? とね。それでもし「喜ぶさ!」と言われたら、私の魂を取りに来なさい。一度明言をしている以上、私は逃げも隠れもしないさ」

「わかった……聞いてみる」


 少女が言って、「しゅっ!」と消えた。

 一瞬の事に瞬きしていると、少女がまたも「しゅっ!」と現れた。


「あの……ぐちゃぐちゃにしちゃってゴメンナサイ……答えを聞いたらまた来るから」


 そう言って、少女は姿を消した。


「ああ、フェネルなんかよりずっと良い子だな……」


 助かったという事を実感し、私が膝をついたのは、それから10数秒後の事であった。



 その日から二日後。

 少女は父と、私の家に挨拶に来た。


 父親の答えは当然ながら「とんでもない!」というもので、それを聞いた少女は改めて、とんでもない事をしてしまったと理解できたという事だった。


「いやぁ本当に申し訳ない。全ては私の教育不足です。これ、人間界のお金なんですが補修費用に充てて下さい。本当に、本当に済みませんでした」


 少女の父はそう言って、ひたすらに頭を「ぺこぺこ」下げていた。

 なんだか普通のおっさんだったが、レーナや、勿論、少女よりも強いのだろうと察すると、その普通さが却って恐ろしかった。


「本当にごめんなさい……もうこういう事はしないようにします。お姉ちゃんもごめんなさい」


 少女は私に謝って、それからレーナにも謝罪した。

 レーナが笑って「いいのよー」と言ったので、私も「い、いいんだよ」と、ぎこちなく返しておいた。


「あ、それから、私の名前はメーデスっていうの。お父さんはガーデス。死にそうになったらどっちかを呼んでね。すちゃっと魂刈りに来るから♡」


 少女、改めメーデスは言い、「にかり」と笑って消えて言った。

 一方の父親のガーデスは、消え去る瞬間まで頭を下げていた。


 なんとも恐ろしい事件だったな。と、私は大きく息を吐いた。


 まぁしかし、アティアという心強い知り合いが増えた事だ。

 結果としては良しとして、今回の日記を終える事にしよう。


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