表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/81

エルフ族の少女の病

※この作品の主人公は基本的には無力です。

普通の人より強いですが、訓練された人にはかないません。

力での解決は殆ど無いので、その点理解してお読み下さい。

 その日の夜は雷雨だった。

 激しい風雨と雷が、叩きつけるように窓を震わせている。

 人々は早々に家へと帰り、窓を閉めて雷雨が去る事を家族と共に願っていただろう。

 私の家に患者が来たのはそんな夜の事であった。



「いやぁ、凄い雷ですねぇ。これじゃ家に帰れませんよ~」


 窓を開けて外を見た私の助手が笑って言った。

 彼の名前はフェネル・アンブレー。

 数ヶ月前、突然家に押しかけてきて以来、殆ど毎日やって来ては、私の仕事の邪魔をしている困った人間の少年である。


 身長はおおよそで百五十㎝程度。

 年齢は十三歳と言っていたか、金色の輝く髪を備えたなかなかの美少年と言って良い。

 黙っていれば見た目には良いし、また、子供だという事で、彼に対して無条件の好意を寄せる者も多い事だろう。


 しかし、これは私の私見だが、こいつはどうにも性格が悪い。

 おいおい分かって行くとは思うので、どこがどう、とはここでは記すまい。


「ねぇ先生、聞いてます? 雷が凄くて帰れないから泊めて下さいって言ってるんですけどォ?」


 私の反応が無かった事を見て、若干ふてくされたような顔でフェネルが言ってきた。

 彼の家はプロウナタウンの市街の中心の方にある。

 ここからの時間はおよそ二十分。

 学校帰りにいつもやってきて、夜遅くまで私の邪魔をし、満足した後に家へと帰る。

 それがフェネルの勝手な日課だ。


 しかし、今日は生憎の雷雨。

 フェネルにとっては好都合のこの天候を理由にし、ここに泊まる腹積もりらしい。

 私の答えは当然にNO。

 泊めろ、という要望に応えたが最後、夜通し朝まで色々といじられ、散らかし放題に散らかして放置して帰られる事が違いないからだ。

 それらの残骸を片付けるのは私以外に居ない訳で、そんな未来が分かっているのに「泊まってもいいぞ♡」と快諾する程、私は奴を愛していなかった。


「ご両親が心配される。傘を貸すから家に帰れ」


 フェネルの方を向くまでもなく、ソファーに腰を埋めたままで、私は冷酷に言い放つ。

 フェネルが納得するかどうか。それも少しは気になったが、今、読んでいる小説の犯人の方が気になっていたのだ。


 二千九百八十七人連続殺人犯は誰か。

 残された容疑者はあと二人。

 ボディビルダーと猫耳少女のどちらが一体犯人なのか、私にはさっぱりわからい。


「大丈夫ですよ~。学校帰りにここに寄る事は、母さんも父さんも知ってますから。だから泊めてくださいよぉぉ~ン」


 まぁ、知ってはいるだろうな。

 いつだったかフェネルの両親は「息子を立派に教育してやってください」と、手土産を持って訪ねてきた事がある。

 察するに、私はどういう訳か、フェネルの両親の頭の中では、医者見習いとして預かっていると思われているのだ。

 フェネルを預かり、教育しているつもりは、私の中には微塵も無い。


「邪魔だと思っているから二度と来るな」


 と、はっきり言わない私も悪いが、もう何ヶ月も経っているのに、歓迎されていない空気が読めない相手の方もどうかしている。


「……今日買ってきた紅茶が台所にある。それを淹れてきてくれるなら、今回だけは泊めてやってもいい」


 だが、そんな付き合いももはや数か月。

 観念した私がフェネルに言った。

 これではいかんな、と、思いはするが、不毛なやりとりに無駄な時間を費やしたくないという気持ちが勝る。


「やったー! 今日は徹夜で読み漁るぞー!」


 フェネルは喜び、一目散に台所へと走っていった。


「(これで明日は大掃除だな……)」


 小さなため息をひとつついて、私は本のページをめくった。


「なっ……」


 大量殺人の犯人は驚く事に猫耳少女だった。


『この肉球で萌え殺すのだニャ!』

『ぐあー! 肉球が! ぷにぷにの肉球がァ! ワシの六つに割れた腹筋にぃぃ! がはぁ!』


 ボディービルダーが萌え死ぬ事で、物語は理不尽な完結を見た。

 無駄な時間を過ごしたな……と、私は心底後悔をした。

 ソファーから立ち上がり、暖炉の中に本を投げこむ。


 何気なく時計を見ると、二十一時十三分を指していた。

 雷はいまだ鳴りやまず、雨がやむと言う気配も無い。


「そう言えば看板を下げたままだったか……」


 迂闊にも忘れていたそれを思い出し、私はそのまま玄関に向かった。

 途中、靴箱脇に置いていた「本日の診察は終わりました」という看板を持ってドアを開ける。


「むぅ……これは激しいな……」


 酷い雨だ。雨粒は重く、目に入ると痛いとすら感じられる。

 雷の音はごろごろと鳴り響き、遠くに見える街並みの上空を閃光で何度も引き裂いている。


 雷光により闇が払われ、辺りが一瞬、明るくなった。

 その直後に私は気付く。先程までは居なかった道の上に人影がある事に。

 おそらく人間ではあるまいと、本能的に感じ取る。


「イアン・フォードレイド先生ですね……? 人間達ばかりではなく、いかなる者の診察をも引き受けてくださるという」


 男の声である。暗闇の為に顔は見えない。だが、声を聞く限りでは歳若い男の印象だ。


「そうですが、そちらの顔が見えません。差し支えが無いのであれば、もう少しこちらに来てもらえませんか?」

「ああ、これは失礼しました。私達は夜中でも目が効くもので……」


 私の声に応えた男が、足を動かしてこちらに近づく。

 家の中の明かりに照らされ、すぐにも姿が明らかになる。

 不思議な事にその男は雨に濡れていなかった。

 雨は全て弾かれて、体に届いてないのだ。


 普通の魔物や、人間にはありえるはずの無い現象である。

 私は少々警戒したが、男の尖った両耳を見て、すぐにもなるほどと納得をした。


 彼はそう、エルフだった。

 エルフ族はどういう訳か、雨や雪には濡れないらしい。

 その仕組みは私にはわからないが、薄らと張った魔法力のせいだとか、精霊の加護のおかげだとか、憶測を出ない諸説が数多くある。

 が、まぁそれらは置いて、尖った耳と濡れない身体で私は彼をエルフだと判断したという訳である。


 人間で言うのなら年齢は、おそらく二十歳前後だろうか。

 身長は私より、頭ひとつ小さいくらいで、エルフ族は皆美形、という噂に違わずの美形であった。

 森と共に生活し、自然を愛でて生きる彼らがなぜここに来たのだろうか。

 私の興味は直後には、自然、そこへと移行していた。


「先生がお気づきの通り、私はエルフ族の男です。

 どうしても聞いていただきたい事があり、夜分、失礼かとも思いましたが、訪ねさせて頂いた次第です」


 男が遠慮がちな語調で言った。

 エルフ族にも夜分に悪い、と言う人間的な感覚があるらしい。


「なるほど。では中で伺いましょう。ここでは少し、雷がうるさい」

「そうですね……こんな夜にご迷惑をおかけします」


 私の言葉を聞いた男が、空を見上げて短く言った。

 それから男は中へと入り、私は右手に持っていた診察終了の看板をしまった。

 そして、代わりに「診察中」というくたびれた看板を玄関にかける。


 今日の診察は終わりと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。

 雨は未だにやむ気配を見せず、雷は激しく鳴り響いていた。




 少ししてからの家の応接間。私とフェネルが並んで座っている。

 男はその正面に俯き気味に腰かけて、自分の名前をまずは名乗った。

 その名はアリウ。

 ここからはかなり南にあるという朱の森から来たらしい。


「先生には妹を診て欲しいのです」

「一般的にはどうなのかを?」


 アリウの言葉にフェネルが食いつく。

 おそらくはいつもの勘違いをし、「診る」を「見る」と取ったのだろうが、面倒なので無視をして、そうする理由をアリウに問うた。


「かなり衰弱しているんです……理由は全くわかりません。

 ただ、日に日に体が弱っていって、先日ついに、食べ物を受け付けなくなりました。

 そんな時、先生の噂を聞いて、先生なら妹が弱っている理由もわかるのではないかと思い、訪ねさせて頂きました」


 フェネルの事等全く見て居ない。

 アリウが見ているのは私だけだ。

 それだけ困窮していると言う事だろうが、事情が分からないではどうしようもない。

 故に、「具体的にはどのような状況で?」と聞くと、アリウは成り行きを話し出した。


「私達の両親は、私がまだ幼い頃にダークエルフとの戦いで命を落としたらしいです。

 私達は長老に引き取られ、今まで育てて貰いました。

 楽しい事も、悲しい事も、一緒に分かち合ってきた妹です。

 ここで妹を失ったら私が生きる意味はありません。

 どうか、先生、妹のルクを助けてください!」


 質問の答えにはなって居ない。感情を昂らせて行くばかりだ。

 少し可哀想かな、と思いはしたが、私はアリウを落ち着かせる為に、


「あなたの気持ちはお察ししますし、わからないという事もありませんが、ここであなたが興奮しても、得られるものはひとつとしてありません。

 落ち着いて、私の質問に答えてください」


 と、努めて冷静な口調で言った。


「は、はい、す、すみませんでした。先生……」


 それを聞いたアリウは謝り、そこで一度言葉を止めた。興奮しても意味が無いと、どうやら気付いてくれたようだ。

 私は「患者の名はルク」と言う必要な情報は記憶しておき、彼女の病を解決へと導く質問を開始する事にした。


「妹さんが弱って来たのは何時頃からか分かりますか?」


 聞きながら、隣に座るフェネルに向かって右手を差し出す。

 言うまでも無く、書くものを渡せ、という意味合いからくる行動だ。


「あ、はーい」


 が、フェネルが渡してきたのは、一体何に使えというのか、料理用の銀のオタマ。


「なんでオタマ!?」

「いや、夕食がまだじゃないですか?

 先生もそろそろお腹がへっ……ペクションっ!?」


 そう言えば確かに夕食がまだだ。

 しかし、現状では「じゃあ作るか♪」とも言えないので、私は若干躊躇した後に奪ったオタマでフェネルを叩く。


「とりあえずペンと紙だ。夕食はその後に作ってやるから……」


 それからフェネルに約束した上で、必要としているものをきちんと伝えた。


「じゃあなんで叩かれた!? 小生納得がイカンですよ!」


 フェネルはぶつぶつと文句を垂れながら、隣の部屋へと歩いて行った。

 そして、一応の要求通り、紙とペンを持って戻ってくる。

 叩かれた理由はタイミングの悪さだが、そこはどうやら分からなかったらしい。


「見苦しい所をお見せしました」


 アリウに一言謝った後、私はもう一度質問した。

 即ちアリウの妹が、いつ頃から衰弱し始めたのかを。


「いつ頃……いつ頃からだったのか……」


 余程に困窮しているのだろう、アリウは私達のやりとりには全く関心がないようだ。

 まぁ、「今のやり取りは……?」とか、真顔で聞かれても恥ずかしくなるので、この反応は正直有難い。


「そう、妹が弱り始めたのは……確か、二週間前位だったと思います。

 長老の家に行った後、森に行ったという話ですが、私が家に帰った時には、ベッドの中で眠っていました。

「ただのカゼだからほうっておいて」

 と、言われたので、あまり気にしていなかったのですが……」


 ようやくの思いで辿り着いたのだろう、顔を上げてアリウが言った。


「ただのカゼでは?」


 と、一応聞くが、アリウは即座にそれを否定する。


「ありませんでした。咳は無く、熱もありません。

 我々でもカゼか、そうでないかくらいは、流石に見分けがつきますから」

「なるほど」


 アリウの話を聞く限り、アリウの妹は風邪等の一般的な病気では無さそうだ。

 もう少し状況を詳しく知る必要がある。

 その日、変わった事はあったか、年長者のエルフ達は状態をどう見ているのか等、疑問に思った事を聞いてみたが、病を解決へと導いてくれる決定的な答えは無かった。


「(本人に会わなければどうしようも無いな……)」


 結果としてはそこに落ち着き、村に入って良いかを聞いてみた。

 エルフ族は基本的には、他種族を嫌う傾向にあり、特に、人間やオーク族等は、憎悪の対象にもなりうると過去に噂で聞いていたからだ。


「それは、大丈夫だと思います。先生に頼めと言ったのは私の村の長老ですので」


 それなら確かに安心だ。私が知る限りでは、人間以外の種族における長老の言葉は絶対的である。

 内心では私の入村に反対していても、露骨に表面に出す者は居まい。

 私は明日一番に、アリウの村に向かう事を告げ、アリウを客室へと案内するようむくれ顔の助手に伝えた。


 朱の森とは一体どこか。エルフ族の生態とはいかなるものか。

 久方ぶりの遠出を前に、私は胸を弾ませていた。


 少なくともこの夜、この時までは。




 朱の森までは歩いて十日と、アリウは平然と言い放った。

 それを聞いた直後の私は、おそらく口を開けていたと思う。

 遠すぎるだろう……というのが、その間抜け面の最もたる原因である。


 だが、アリウは自分達が知る道を通ればすぐに着くと私に言った。

 一体どういった道を行くのか。

 そこには勿論興味はあったが、私には現状ただひとつ、不満に思う事があった。


「いや~いい天気になって良かったですね~。

 遠出の日はやっぱりこうじゃないと。ねっ、先生?」


 そう。

 学校に行かなければならないはずの、フェネルがついてきている事だ。

 私の予想に反して眠り、早起きをして弁当を作っていたのは、どうやらこうする為だったようだ。

 ちなみに弁当は一人前で、食材は当然私の家の物。

 それがイラついた訳では無いが、私は同行をやんわりと拒否した。

「学校の方が大事だろう?」と、オブラートに包んで優しく伝えたのだ。


「学校で習う事なんて、無駄無駄ーのオラオララーですよ。

 医者になるのにサ行変換活用とか、ラ行変換活用とか無意味っしょ」


 返って来た言葉はそんなものだった。

 言われてみれば全く思い出せないし、それでも医者を続けられているのだから、それには一理があるとは言える。

 が、言いくるめられるのは少しシャクなので、「だがなぁ……」と、何とか答えて置いた。


「ここから森に入ります。私から離れないようにしてください」


 先頭を進むアリウが言って来た。

 そこはリーポ大草原と、プロウナタウンへの分岐路で、南東に向かえば大草原に、東に進めばプロウナタウンに、それぞれ繋がる道の上だ。

 アリウはそのどちらでもない西の森へと入って行く。

 半日もかからない理由とやらは、どうやらそこにあるように思える。


「まぁ……ついてくるからにははぐれるな。

 私にはお前のご両親への責任というものがあるのだからな」


 覚悟を決めてフェネルにそう言う。


「やだなぁ、僕だってもう十三ですよ? 先生の迷惑を考えずにうろついたりしませんよ」


 まるで近所のおばさんのごとく、手を「ひらひら」と動かしてフェネルが答えた。

 迷惑ならすでにかけられているし、うろつく可能性は九割を超えている。

 だが、ここではフェネルを信じ、絞り出すような声で「わかった……」と答えた。


「先生先生! ボーッとしてないで! アリウさん見失っちゃいますよ!

 おじいちゃんこっちよ! フラフラしないでね!」

「年寄り扱いはよせっ!」

  

 直後のそれにはそう言って、伸ばされたフェネルの右手を払う。


「もー! 迷子になっても知りませんからね!

 お父さんにも伝えておきますから!」


 誰なんだ。と言うか、どういう立場なんだ。

 そう思っているとフェネルは「すたすた」と森の中へと入って行った。


「何か問題でもありましたか……?」


 遅れて入るとアリウに言われた。

 私達がなかなか入って来ない事に、少し心配をしていたようだ。

 私は特に何も無い事を告げ、遅れた事を謝罪した。


「お父さん聞いてよ! おじいちゃんったらね!」


 と、フェネルは先程の続きを振ったが、アリウが「行きますか」と歩き出した為に、対象を失って沈黙するのだ。


「……」

「何か言ってって!」


 無言で歩くとフェネルが叫ぶ。


「まぁ、頑張れ」

「どういう意味カナッ!?」


 一応言うと、そう言って、顔を歪めて悶絶していた。

 しばらくを歩いてアリウに追い付く。


「先生はドリアードをご存知ですか?」


 すると、アリウが唐突に言ってきた。

 ドリアード、またはドライアード。実際に一度も見た事が無いが、知識としては知っている。

 古い樹木に宿る精霊で、女性の姿をしているらしい。

 自分が宿っている古木を守り、その木を倒そうとする者に対して精神的な攻撃を仕掛けるという。

 その手段は魔法と魅了。

 直接的な攻撃は彼女らの本分ではなかったはずだ。

 私はそこまでの事しか知らず、名前は聞いた事がある、と、控えめな答えを返しておいた。


「ドリアードは古木に宿る精です。

 しかし、どのような古木にも宿っているわけではありません。

 彼女達が宿っている古木は、下は千年から上は万年という長い時間を生きた木で、根は大陸中に広がっています。

 その木は私達や彼女達にとって、非常に大切なものなのです。

 彼女達は大切な古木に宿り、それを守っているのです」


 アリウの説明に小さく「ほう」と言う。

 視界が拓けたのは直後の事で、絨毯のような緑の草と、高さで言うなら二十m程の、優しささえ感じる古木が見えた。

 そこまでの距離は三十m程。根本は小高い丘の上にある。


「こちらです」


 アリウが緑の上を進み、古木の根元に近付いて行く。


「ほえー。なんか森の神的なのが居そう」

「お、おい」


 迷いも無しにフェネルが歩き、フェネルの後ろに私が続く。


「お帰りなさいアリウ。探している人は見つかったの?」


 そんな時に聞えて来たのが、古木の根元からの女性の声だった。


「ああ、あちらにおられる方だ。こちらの少年は先生の助手らしい。扉を開いてもらえるか?」


 どうやらアリウと話している。

 いつの間にそこに現れたのか、少なくともこの空間に入った直後は、彼女は存在しなかったはずだ。


「いいわ。朱の森の近くまでね?」

「よろしく頼む」


 そう思いながら近付くと、話しがついたのか迎えてくれた。


「この古木を守っているドリアードのリーンです。

 彼女と古木の力を借りて、朱の森に移動します」


 アリウが左手で女性を紹介し、紹介された女性――

 リーンと言う名のドリアードが、微笑みながら頭を下げる。

 種族としては精霊に近いと言うが、なかなかどうして美しい女性だ。


 年の頃なら十七~八歳。

 長い、緑の髪は肌理細やかで、笑顔もとても素敵である。

 彼女の衣装は露出が多めで、肉体そのものも実に魅力的だ。

 細いが、出る所はしっかり出ていたし、引っ込む所も引っ込んでいる。

 男などはついふらふらと寄って行ってしまいそうな格好である。


 しかし、彼女も一応魔物。

 舐めてかかると痛い目に遭うし、何より彼女本人に、そんなバカには捕まりませんよ、という、余裕のようなものが感じられた。

 いや、基本ネガティヴな私が勝手に思っただけかもしれないが……


「朱の森に移動するって、ここからどうやって移動するんですか?

 何か空に向けて発射される的なやつ?」


 質問したのはフェネルであった。

 私も一応思っていたが、リーンの笑顔に魅了され、一瞬以上忘れていた。

 ドリアードが魅了術に長けるというのは、どうやら本当の事らしい……


 私は心構えも新たにして、自身も興味があった事への回答となる言葉を待った。


「ううん!」


 と、咳払いをひとつして、不必要に真面目な顔になって。


「そうですね……少し説明し辛いのですが、この古木の根はかなりの範囲に広がっています。そして他の古木の根とどこかで繋がっているのです。

 その古木と古木の間を魔法を使って一瞬で移動すると言う訳です。

 古木から古木へ、そしてその古木からまた別の場所の古木へ、と。

 つまり、この古木は別の場所の古木へ続く扉のようなものなのです」


 良く分からないが要するに、別の場所へのドアのような物らしい。

 私の思う通りであれば、これは脅威の移動手段と言える。

 エルフやドリアードといった、欲望が強くない種族だからこそ、これを移動の為だけに使い、今まで平和を守ってこれたのだろう。

 人間が知れば間違いなく、良くない事に使うと思われる。

 その為、私はこの事は人には話さない事を密かに決意した。


「えーと、つまり根っこに絡まって地面の中を移動するんですね?」


 フェネルの言葉は大間違いだが、正しく教えて広められては困るので、頭を撫でてやった上で、優しい笑顔で「そうだな」と言った。


「頭に触れるなッ! 死にたいのか貴様!」


 しかし、直後に振り払われて、「何だそりゃ……」と真意を問うた。


「ああいや、漫画です。先生知らなかったか。

 元魔王だけど犬に転生したせいで言葉が通じずに毎日撫でられます。っていう」

「普通に知らんわ……」


 それにはそれだけを返して置いて、フェネルの友達の居なさを理解した。


「それじゃ扉を開くわね」


 そんなやりとりを完全無視し、リーンが言って、古木に触れる。

 古木の幹の部分が開き、青白い扉が現れたのは直後。


「ではお先に失礼します」


 扉を開かずにそこに飛び込み、アリウがすぐに姿を消した。


「せ、先生どうぞ。なんかいつもすみません。

 今日から年長者には敬意を払うんで……」


 フェネルはビビっていた。完全に。

 だが、これはチャンスだと思って、「悪いな」と言って扉に飛び込んだ

 これでフェネルも少し位は私の事を見直しただろう。


「うわっ! 先生無謀すぎるわ! 医者として無いわー!

 見損なったわー!」


 が、聞えて来たのはそんな声


「うぉーぃ! 返事を下さいよセンセー!

 センセー!? ……うそっ、マジ死んじゃった!?」


 だが、その声は少しずつ遠くなり、やがて聞こえなくなっていった。


 その後には不思議な体験をした。

 視界は狭く、とても暗い。

 その視界の中に地上の風景が、時折映って消えて行くのだ。

 それはせせらぐ小川だったり、絶壁の上からの風景だったり、私が行った事が無い、様々な場所の風景だった。


 ひとつの共通点は森の中という事。

 おそらくこれは古木が生えて、見ている風景だと私は思った。

 どういう原理かはわからないが、中継地点に生える古木が、私に風景を見させているのだ。


 十を越え、十五程の風景があっという間に浮かんでは消えた。

 頭の天辺を引っ張られるような感覚で、私ははっと我に返る。


 そこは森の中だった。

 先のものではない大きな古木が、私の後ろにそびえている。

 目の前にはアリウが立って居て、心配そうな顔で私を見ていた。


「あなた初めてだったんでしょ? 大丈夫? ちゃんと自分の名前言える?」

「ネスティ!」


 場所としては私の頭上。古木の枝から声がする。

 どうやら誰かが腰かけて居るようで、言葉の後には「キャハハ!」と笑った。

 若い娘だ。十六くらいだろう。

 前後の状況から考えるなら、彼女の名前がネスティで、この古木を守っているドリアードが彼女なのだと思われる。

 髪の毛の色はリーンと同様。年齢的には近いのだろうが、彼女よりもかなり幼い印象だ。


「……あれ? 先生にアリウさん? え? あれ? これって移動してないんじゃない?」


 そう思っていると不意に声がした。

 聞き覚えあるこの声は、奴の発したものである。


「なんだ、結局ついてきたのか」


 振り向くと、フェネルがぼーっとしていたので、声に出してそれを言った。


「つ、ついてきますよ! 先生の無事を確かめないといけないし、勉強もしなくちゃいけないでしょう! っていうか結局ってなんなんですか!?」


 まさに必死。唾すら飛ばしている。

 普段の復讐の意味を含め、その言葉には「にやにや」とする。


「いや、びびってついてこないかと、そんな事を考えていたのさ」

「び、びびってなんかいませんよ! こんなんでビビってたら先生の部屋の中で引き出しを開ける度に失禁しますよ! 先生ってこんな趣味なの!? ビシャアア! って!」


 何開けてんの!? と、言いかけて、とりあえずの形で「そ、そうか」と返す。


「一番ビビったのは目隠しプレイですかね?

 先生はアレなの? やっぱドMなの?」

「うぉおおおい! ちょっと黙ろうかフェネルくぅぅん!?」


 しかし、続けたそれには叫び、抱え込むようにしてフェネルを黙らせた。

 幸いにもドリアードは分かって居ないようで、アリウと共に呆然と見ている。


「ま、まァ兎に角だ……人の部屋には入るな。

 引き出しも開けない。分かったな?」


 それから改めてフェネルを注意し、解放した後に肩に手を置いた。 


「で、ここって一体どこなんですか? さっきの場所じゃなさそうだし」


 が、フェネルはそれを無視して自分の質問をねじ込んできた。

 全く恐ろしい子供である。

 注意を完全にスルーされた事で、若干の気まずさを感じずには居られない。


「ぷっ!! アッハッハッ!」


 その気まずさを見抜いたのだろう、頭上のドリアードが再び笑う。

 ドリアードにも色々居るのだろうが、こういう手合いは私は苦手だ。

 リーンのような穏やかで、優しい雰囲気の女性が好きだ。

 あ、いや、異性として好きではなく、人として、いや、ドリアードとして好きだという話。


「ここは朱の森の近くです。実感は無いかもしれませんが、実際にはかなりの距離を私達は移動してきたのです」


 そう言ったのはアリウであった。

 実感が無いのは確かな事だ。起きながらに夢を見て、気付けば別の場所に居た。

 白昼夢。最も相応しい表現は、或いはそういったものだったかもしれない。


「では、そろそろ行きましょう。朱の森はもうすぐそこです」


 私が頷いた事を見て、アリウが先導して歩き出す。

 その足取りは先程よりも、若干早いようにも見受けられる。

 故郷の近くに立った事で、おそらくは気が急いているのだ。

 私にはあいにく妹は居ないが、もし、妹が居たとして、明日をも知れない命だとしたら、その気持ちは想像できなくもない。


「ひイィ……ついていくのがやっとですよ。

 アリウさん、どうしちゃったんでしょうねえ?」


 しかし、そう言った私の助手は全くわかっていないらしい。

 これでは駄目だ、と私は思う。

 人の気持ちがわからぬ者が医者になれるはずは無い。

 もしも、名義上医者になれても、患者の腹部をいきなり裂いて、苦痛にもだえる様子を眺め、「アリウさん、どうしちゃったんだろうね?」と、真顔で助手に聞くような、恐ろしい医者になるに違いない。

 魔物より恐ろしい魔物と言える。


「帰るまでに理由を考えておけ。回答次第でお前はクビだぞ」


 これは、フェネルの性格を少しでも矯正してやろうという私なりの優しさだった。

 即刻で無い所が我ながら、優しすぎではないかと不安にすらなってしまう。


「一、うんこがしたい。

 二、先生の暴走ぶりに恐怖を感じて僕達をいっそ撒こうとしている。

 三、なんかもうどうでも良くなった」

「アホか……」


 その答えには一応そう言って、「ちゃんと考えとけよ……」と、促しておく。

 フェネルは一応考えているようだったが、結局答えは分からなかったのだろう。後日に「二」とだけ私に答え、「だって僕だって怖い時があるもん……」と、軽く震えて見せるのだった。

 それを言うなら私もそうだが、何だかんだで見逃している感はある。

 こいつの為にはもっともっと、今後は注意をした方が良いのかもしれない。


「ん?」


 私達の周囲の木々が、突如として赤い色へと染まる。

 緑であった森の木が、少しずつ変わったというわけでなく、突如として一斉に色を変えたのだ。

 振り返って後ろを見れば、今までずっと見て来ていたはずの緑の木までが赤くなっていた。


「これは一体……」


 思わず声を出していた。

 夢か、魔法か、幻か、自分が今目にしているものを信用できずに混乱してしまう。


「あれ? もう夕方? なんか最近、一日が早いですなぁ……」


 そう言ったのはフェネルだった。

 それは勿論間違いだったが、子供の割りに何となく年寄り臭い発言である。


「突然の事で驚かれましたか? ここには結界が張ってあって、外部からの侵入者を視覚的に混乱させているのです。

 侵入者にとってみれば、ここはただの緑の森で、本来の姿であるこの景色を見ている者は居ないでしょう」


 アリウのその言葉によって、私達の混乱はようやく解けた。

 どうやら森の一部分には、エルフの結界が張ってあるようで、彼らに歓迎された者だけが、この森の真の姿を見る事ができるようだ。


 視界の限りに広がる紅葉。それが、この朱の森の真実本当の姿なのである。

 私達はアリウを先頭に森の中を十分程歩いた。

 随分と早足だったから、普通に歩いていたとしたら、二十分はかかっていたかもしれない。


 アリウの妹が待っている村は、そこにひっそりと存在していた。

 地面の上に家は無く、家屋と想像できる小屋は全て木の上に作られている。その家と家の間には、蔦を活用して作られた橋が架けて渡されていた。


「帰ったかアリウ。その方達が例の医者か?」


 私達の頭上から不意に誰かの声が聞こえた。

 そこは村の入り口のようで、見上げた木の枝の上には見張りと思われる男が立っている。

 装備は弓だけ。後は背中の矢筒だ。

 エルフ族とは皆美形なのか、この男もまた一般的に美形と言ってもいいだろう端正な顔立ちのエルフであった。


「そうだ。遅くなったが、これでようやくルクの病気も治るだろう」

「ならば早く行ってやれ。お前が思っているよりも状況は悪くなっている」


 アリウが話を切り上げて、私達の方を見る。

 その表情には緊迫感と切迫感とが見て取れた。

 状況は悪くなっている。

 見張りが言ったその言葉が、アリウを一気に追い詰めたのだ。


「どうぞ、先生、こちらです」


 アリウが静かに歩き出した。

 走り、飛んで帰りたい気持ちで心が一杯なのだろうが、私達を置いて行っては意味が無い事をわかっているらしい。

 年の割りには冷静で、利発な青年だと私は思う。

 尤も、もしかすると私より年長者なのかもしれないのだが……


「この木の上です。足元に気を付けてください」


 アリウが言って、梯子を上る。

 泉の手前の一本の木が、彼と妹の家がある場所らしい。


「うおお!?」


 しばらく上ると脚が引っ張られた。


「へーい! センセー! ビビったビビった?

 落ちたら脳味噌パーンですよパーン!」


 やったのは勿論眼下のフェネルだ。

 子供の冗談では済まされないレベルなので、蹴り落としてやろうかと一瞬思う。

 だが、犯罪者にはなりたくないので、「二度とするな!」とだけ叱って置いた。


 梯子を上って家に入る。つくりは極めて簡素と言える。

 台所に応接間。そして、アリウと妹の寝室だけの四部屋だったのだ。


「ルク! おい、しっかりしろルク!

 お前を診てくれる先生を連れてきたぞ! もう少し頑張るんだ!」


 小さな家の奥の方から、アリウの叫ぶような声が聞こえる。

 アリウの妹であるルクの寝室はどうやらそこにあるようだ。


「失礼します」


 最低限の礼を示し、私は二人の居る寝室に向かった。


「(これはマズイな……)」


 アリウの妹は美人ではあった。第一印象はそれである。

 だが、なめらかな頬はこけており、顔と体に血色が無い。

 四肢には生命の力が見られず、ぐったりとベッドに横たわっていた。


 胸が僅かに上下している事から、かろうじて生存している事は分かる。

 しかし、身内であるアリウの呼びかけにも何の反応も示さない。

 所謂、昏睡状態である。

 このまま意識が戻らなければ、おそらく命は無いだろう。


「診察を開始します。あなたは妹さんの手を握って、そのまま呼びかけを続けてください」


 診察道具を紐解いて、私はすぐに診察を開始した。

 眼球を見て、脈を計り、アリウの許可を貰った後に、ルクの上着を手早く脱がせた。

 心臓からの鼓動は弱い。あまりにも弱々しく、今にも消えそうだ。

 手早く、そして、確実に、ひとつひとつ可能性を潰して行った。


「これは……」


 そして、ようやく、原因に辿り着く。

 何の事は無い栄養失調である。

 なぜ、こうなってしまったのか。

 それは私の知る所ではないが、今、どうなっているのかは、私の知りえる所だった。


「(点滴が必要だな)」


 ルクの上着を再び着させ、私は近くに居るはずの自称助手の子供を呼んだ。

 薬や本格的な医療道具を持っているのが、残念な事にフェネルだったからだ。


「なんか、村の子供にからまれちゃいましたよー。

 自爆するぞ! って凄んだら、大笑いしながら逃げていきましたけどね?」


 数秒後にやって来たフェネルが自慢げに私に言ってくる。

 フェネルにからんだ子供達はおそらく、


「人間はやはり凶暴で、救いようがない低脳な生物」


 と、改めて認識した事だろう。

 だが、それはフェネルだけの事なので、誤解はしないで欲しい所だ。


「あれ……? アリウさんの妹さん死ん……」

「ではいない。栄養失調による昏倒だ。わかったら点滴を用意しろ」


 私が発言を阻止する事で、フェネルの不吉な言葉が止まる。

 死ぬ、なくなる、は、患者の前で決して口にしてはならないと前にも教えたはずである。


「あれっ? なくなっちゃった? なくなっちゃったかな?」


 見つからないガーゼを探しているらしいが、こいつはこういう人間である。

 ……私はさすがに額を抑えた。




 その日の夕方近くになって、アリウの妹ルクは目覚めた。

 多量の栄養を含んでいる点滴の効果があったらしい。

 彼女の顔色は初見の時より遙かにマシになっている。

 壁に手を突き、歩ける程には体力を取り戻す事が出来ており、ゆっくりとではあるが自分の足で応接間に現れてアリウを驚かせた。


 三脚あった椅子は私と、フェネル、ルクによっておさえられ、一家の主のアリウは立ちっぱなしだが、その顔には笑顔が湛えられている。

 私の正面にはフェネルが座り、左手前にはアリウとルクが居る。

 手元には先ほど出されたハーブティがあって、心地良い匂いを放出していた。

 一口を含むとルクが言った。


「この人達……誰?」


 と、死んだような目で。


「ぶっ!」


 私は吹き出し、納得をした。

 それはそうだ。自己紹介をしていない。

 当たり前のように落ち着いて居れば、その家の物なら疑問に思う。


「失礼な事を言うな、ルク。この方はお前の命の恩人なんだぞ」


 そんなルクをアリウが叱る。

 妹の無礼に怒っているのか、表情から笑顔は消えており、眉間には皺がよっていた。


「いや、ルクさんを叱らないで下さい。

 人の家に上がりこんでおいて、家人に自己紹介もしなかった私達の方に落ち度があるのです」


 歩ける程には回復したとは言え、ルクはまだまだ病人である。

 興奮させてはならないと思って、アリウの有難い怒りを鎮めた。

 そして、改めて自身の自己紹介と、ついでのフェネルの紹介をする。


「そう……ですか。そうとは知らず失礼しました。

 私はルクと申します。

 危ない所を救ってくださり、本当にありがとうございました」


 その自己紹介にはそう言って、ルクは深々と頭を下げた。

 金色の髪がばさりと垂れて、彼女の美しい顔を覆う。

 それを面倒臭そうに後ろに戻す彼女からは、生還した喜びというものが感じられない。

 そして、彼女の口調からは、ありがたみというのだろうか、本当に感謝しているという気持ちが伝わってこないように私は感じた。


「(せっかく美しい容姿をしているのに、無愛想なのはもったいないな……)」


 それが、ルクという少女に感じた私の第二の印象だったと思う。


「(先生、先生!)」


 フェネルが呼んでいる。

 アリウとルクに聞かれてはマズイのか、右手で口を覆った上で。


「どうしたフェネル? 構わんから言ってみろ」


 こっそり伝えたいという意志は感じたが、どう見てもそれはバレバレである。

 あまりに露骨な隠し事は、見ている者に不快感と不信感をも与えてしまう。

 故に、私は隠し事をせず、そのまま言うように指示を送った。


「えっ、でもぉー」


 聞いたフェネルが「もじもじ」とする。

 トイレか何かか? と、私は思う。


「私に恥をかかす気か? さぁ、構わんから、早く言え」


 どうせ大した事ではないんだろ。と、心の中で私は呟く。


「じゃ、じゃあいいますけどぉ……

 先生、僕、お腹空いたんで、アリウさんに何か作ってくれって何気なくいってくださいよ~」

「ば、バカモノ! そういう事はだなぁ……!」

「だから小さい声で言おうとしてたんでしょぉがぁ!」


 これはフェネルが尤もだった。

 しかし、それだからといって、言い方を変えないフェネルの方にも問題はあると思われる。

 結局の所、恥をかく、という、私の運命は変わらなかった。


「では、森に行って何か採ってきます。何か食べたいものはあるか? ルク?」


 苦笑いを作ってアリウが言った。


「……クリンの実が食べたい」


 すぐにも言ったのは意外にもルクである。


「そ、そうか。わかった、すぐ採ってきてやるからな」


 聞いたアリウの表情が輝く。

「何もいらない」と言われる事を、前もって想定していた為だ。

 しかし、妹は予想に反し、アリウに食べ物の要求をした。それは兄として、家族として、嬉しい事に違いないはずだ。


「すみませんが留守をお願いします。

 妹が何か食べる気になったのも先生のお陰です。ありがとうございます!」

「いや、私は何も……」

「では、すぐに戻りますので!」


 私の言葉を最後まで聞かず、アリウは文字通り飛び出して行った。

 家の中には私とフェネル。そして、ルクが取り残される。


「先生」


 と、口を開いたのは左手前のルクである。


「……わたし、死にたかったんです」


 何を言ったのかが分からなかった。

 その為に私は言葉を失う。

 それはフェネルも同様らしく、口を「ポケー」と開いたままで、ルクの顔を凝視していた。


「先生は恋の花という花をご存知ですか?」


 私からの言葉を待たず、ルクは一人で話を続けた。


「……それは、別名というものでなく?」


 一応言うと、首を横に振る。


「その花自体の名前です」


 残念ながらそんな花は、私の知識の中に無い。

 一応、無駄だとは思いつつ、正面のフェネルにも振ってみたが、フェネルは私の声には気付かず、口を「ポケー」と開いたままで、ルクから視線を外せないで居た。


「恋の花は世界で一本、一箇所にしか咲かないといわれています。

 花の恋は実らずに独りで枯れてしまうけれど、世界のどこかで必ず生まれて、また独りで枯れていく」


 どこか、歌うような口調で言って、ルクは再び口を噤んだ。

 そこで話が終わってしまうと、何も分からずに終了である。


「その花と、貴方が死にたかったという話と、一体どのような関係が?」


 私は続きを聞き出す為に、言って、ルクに質問してみた。


「……恋の花に手を触れると、花びらが赤く染まるんです。

 誰かの事を想いながら、手を触れると赤く染まる。

 それはその想った人に恋をしているという証」

「(意味がわからんな……)」


 しかし、話が理解できず、私はもう一度フェネルを見た。

 だが、固まったままである。

 口からはだらしなくよだれが垂れて、テーブルの上に水溜りが出来ている。


「お、おい、大丈夫かフェネル!」


 流石に少し心配になり、名前を呼ぶが反応は無い。


「くぅぅ……あぅぅぅ……ん?」


 信じがたい事ではあったが、どうやらフェネルは目を開けたまま、口をぱっかりとあけたままで眠ってしまっているようだった。

 ……不気味なやつ、と言わざるをえない。

 友達が一人も居ない訳だ。


「……わたしが想って触れた相手は、兄であるアリウだったんです」


 ぽつりと言って、ルクはうな垂れた。


「は!? 今なんと!?」


 一瞬なんだか分からなかったが、必死で考えて話を繋げる。

 つまり、おそらくこういう事だ。 


 遊びか本気かわからないが、ルクは兄のアリウを想い、恋の花という花に触れた。

 そして、おそらくは花びらが赤く染まってしまったのだろう。

 肉親である兄に恋をしているという事に、ルクは耐える事ができなかった。

 それ故に食事を断つ事で、衰弱による死を図ったという訳である。


 彼女にとっては命を救われたのは「ありがた迷惑」な事だったのだ。

 先程の態度は無愛想という訳ではない、ルクは命を救われた事に、実際感謝をしていなかったのだ。


 ……厄介な病だ、と、心底思う。

 恋の病は医者でもどうとか。

 という言葉をどこかで聞いた気がするが、こればっかりは薬でも、食事療法でも治せない。

 良くなる事も悪くなる事も、本人の考え方一つなのだ。

 しかし、恋愛の対象が肉親ならば、考えが悪い方に傾いてしまうのも、理解ができる話ではある。


「その、恋の花の話の信憑性というものは?」

「長老がおっしゃってたので間違いは無いと思います……」


 一応聞くと、ルクはそう言った。

 長老に会った訳はどうやらそこにあったらしい。


「長老にはなんと言って?」

「ある人を想って触れてみたら、花びらが赤く染まったと……」

「それで、長老はなんと?」

「恋をしているな、ルク、お前もそういう年になったか、と」


 この村の長老を信じるのなら、恋の花にまつわる話に、嘘、偽りは無さそうだった。


「私達がこのまま帰ったとして、あなたは今後どうします?」

「兄に、言える訳ありません。

 だからと言って死んでしまうのも、兄に迷惑がかかるのでもうやめようと思います。

 気持ちを押し殺して生きて行けば……いつかは兄の事も忘れられますかね……」


 実際の年齢はわからない。

 だが、見た目にはまだ若い少女がそのような生き方を強いられるのは、可哀想な話ではある。

 しかし、だからといって何が出来るのか。

 私が代わりに言ったとしても、アリウのルクへの感情は今まで通りとは行かないだろう。


 最悪、別々の場所に住み、二人は会えなくなってしまうかもしれない。

 それではルクが生きようとする目的を失う事と同じなのだ。

 ……どうすれば解決できるだろうか。

 私は考え、口をつぐんだ。

 家の中に響くのは、フェネルの寝息と涎の音だけ。


「お邪魔するよ」


 不意に、玄関から声が聞こえた。

 一秒後には姿を現す。


「長老」


 ルクが言って、立ち上がった事で、この村の長老である事が分かった。

 人間年齢に換算すれば、おそらく八十歳くらいだろう。

 長い白髭を蓄えた優しそうな老人である。


「おお、意識が戻ったのかルク。皆、心配しとったのじゃぞ」

「すみません……」


 長老が言い、ルクが謝る。

 その手段はどうであれ、彼女は自殺をしようとしていた。

 その事で皆に迷惑をかけ、心配をかけていたという事は、彼女に罪悪感を覚えさせるには十分な出来事だったのだろう。


「こちらに居られる方が例の?」


 長老が言って、ルクが頷く。話がこちらに振られたようだ。

 座ったままでは無礼に当たる。

 私は椅子から立ち上がり、長老の方に体を向けた。


「ほぉー、随分と背がお高いですな。何かスポーツでも……」

「……いえ、誘われはしたのですが、残念ですがしておりません」


 長老の言葉に即座に答える。

 背が高いですね。スポーツをしていましたか?

 人から良く言われる言葉であるが、まさかこんな所に来てまで言われる事になろうとは……


「そうですか、それは勿体ない話ですな。

 いやいや、話がズレましたな。

 ルクの命を救って下さり本当にありがとうございました。

 村の皆を代表して礼を述べさせていただきます」


 長老が深々と頭を下げた。

 実際の所、私は何も、治療というものをしていなかった。ルクの病の原因は、何も取り除かれてはいないのだ。


「頭を上げてください。私は何も、本当に何もしていないのです」


 長老にそう言って、頭を上げるようお願いするのも、そういう理由があるからだった。


「それよりも長老にはお伺いしたい事があるのですが」


 私の言葉に長老が、その重い頭を上げた。


「とりあえずどうぞ。少し、長くなるかもしれませんので」


 言って、長老に席を譲り、フェネルと長老の間に立つ。


「……こちらの少年は患者の1人で?」


 これは、正面のフェネルを伺う長老が発した質問である。


「ええ、まぁ……」


 それに近いものだとは思い、私はそれだけを長老に伝えた。


「可哀想に。まだ幼いのに」


 心底憐れむような目を作り出した長老に対しては何も言わなかった。


「全てを話そうと思います。よろしいですか、ルクさん」


 とりあえずフェネルの事は置いて、私はルクからの返答を待った。

 彼女がこれを拒否するのなら、それはそれで良しとして、このまま帰るつもりである。

 重要な事は彼女の意思で、彼女がどうにかしたいというなら、私は進んで協力をする。

 しかし、彼女が黙っていたいと言うなら、私としては心残りだが、これ以上どうしようもない事だと言える。


「……」


 少しの間、ルクは考え、そして、小さく頷いた。

 相当の勇気が必要だったろう。私はルクに敬意を抱く。

 それから長老に全てを話し、六分後程に話し終えた。

 途中、「ふむふむ」と、頷いたり、「うーむ」と、考え込んだりしていた長老は、「なるほど」と、最後に締めくくり、それきり両目を瞑るのである。


「ルク」


 話を聞き終えてから三十秒程が経ったか。不意に長老がルクの名を呼ぶ。


「アリウを、男として愛しておるのか?」


 思っていたより直球派である。

 ウォーミングアップだと思っていた私は、まさかのカウントにビックリである。

 しかし、それはルクにとっても、極めて重要な事ではあった。

 ルクは考え、俯いた後に、小さく頷いて顔を上げた。


「はい……兄を……愛しています」


 小さいが、重みを感じる言葉だ。

 そして、大切な言葉である。

 ルク自身はその想いを言葉にしてはならないと思っていたのか、言った後には両目を瞑り、長老の前で再び俯いた。


「……そうか。ならばワシも話そう。

 お前とアリウの本当の関係をな」


 長老が頷き、話し出す。

 俯いていたルクが顔を上げ、私と共に長老を見る。


「お前とアリウは兄妹では無い。

 アリウはワシの息子達の子じゃが、お前はダークエルフとの戦いで死んだこの村の夫妻の娘なのじゃ。

 わしの息子夫婦もまた、その戦いで命を落としてな。

 同じような境遇じゃったお前を引き取って兄妹としたのじゃ。

 悲しみを共有できる者がおれば、お前も寂しくなかろうとな。

 じゃが、その事で苦しんでいるのなら、もはや黙っている必要はないじゃろう」


 私はアリウが言っていた、ある言葉を思い出していた。

 アリウの両親はアリウがまだ「小さかった頃」に死んでしまったという、出会いの日に教えてくれたあの話である。

 アリウが小さかった頃に死んだのならば、妹であるルクがアリウの両親から生まれて来たと言うはずは無い。


 つまり、ルクは赤子の時に、別の戦死した夫妻の家から引き取られたという訳なのである。

 答えはつまり、最初から出ていた。


「じゃ、じゃあわたしは……」


 ルクは普通の恋愛をしていた。

 悩む事は何も無かった。誰が悪いという事も無い。

 育ってきた環境で、兄と妹になった事が彼女の不運だっただけだ。


 私は眠っているフェネルを担ぎ、アリウが帰ってくる前に朱の森を出て行く事にした。

 他人の恋を邪魔する者は馬に蹴られてなんとやら。

 帰ってきたアリウに向けられるであろう、ルクの愛の告白を邪魔する気分にはなれなかった。


「告白の成功を祈っているよ」


 私はそう言い残し、彼らの村を後にした。

 とにもかくにもこれで一応、病は治療したという事で、今回の話を終えるとしよう。




 この一件で良かった事は、ドリアードゲート(と、勝手に名付けているのだが)に知己を得た事。

 そして、エルフの生態を若干ながらだが知りえた事だ。


 それと、そうだな。

 フェネルの奴が、十三歳の子供としては相当にヤバいと言うのが分かった事だろう。

 人の意見は基本聞かない。自分の意見を優先させる。挙句に自身の立場を忘れて、その時の気分で行動をする。

 まぁ、基本はウザイ奴だが、私は奴が嫌いな訳では無い。

 かと言って猛烈に好きと言う程では無いが、今後も我が家に来ると言うのなら、私自身の精神状態の為に矯正もやむなしだと理解が出来た。

 そこに考えが至れた事は素晴らしく有意義だったと思う。


 そう言えばあれからしばらく経った後に、アリウとルクが訪ねて来た。

 どうやら恋は実ったらしく、二人は結婚するらしい。

 結婚式には私にも、是非、出席して欲しいそうだ。

 時間があったら行かせてもらう、と、その時には一応約束したが、今の所は行くつもりは無い。

 実際には何もしていない私がのこのこと行くのはどうだろう、と、私自身が思わなくもないからだ。


「先生は愛のキューピッドです」


 どちらが言ったか忘れたが、最後にそういう事を言われたと思う。

 おそらく感謝の言葉だろうが、あまりありがたい事ではなかった。

 なぜならば私は医者であり、出来る事なら医者として感謝をされたいと思ったからだ。

 だが、実際は何もしていないので、キューピッドと言われるだけ良いのかもしれない。


「しかし、キューピッドは自分の為には、決して恋の矢を使えないのだがな……」


 立ち去るアリウとルクを見ながら、私は一人でそう呟いた。

現状でのイメージ的な声優さんは

イアンが池田〇一さん。(ガ〇ダムの3倍速の方)

フェネルが橘田い〇みさん。(ワタ〇テのもてない主人公の声の方)

となってます。

あくまでも作者のイメージですが、分かる方だけ分かって下さい。


7月13日に新作を上げました。こちらも魔医者と同様に一話形式の魔物話となります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ